2話 貴族
気怠さが不快な中、目覚めて、見上げているのは見知らぬ天井。
しかし、それも当然の話。何しろ初めて泊まった宿の部屋の天井なのだから。知らなくて当然。
寧ろ、見覚えが有る方が可笑しい。
その宿が大手グループやチェーン店とかだったら構造・デザイン的に似ていても不思議ではないが。生憎と、この世界には無い。
いや、もしかしたら探せば有るかもしれないが。少なくとも、自分の知識の範疇には該当する情報は存在していない。かなり狭いけどね。
「御早う御座います、アルト様
御支度を御願いします」
まだ完全には目覚めていない頭でノックに返事し扉を開けて入って来たメイドさんに挨拶をされて、言われるがまま、促されるがままに身支度する。
自分一人で出来そうに思えて、意外と出来無い。前世の身支度とは違う特有の難しさ。
それが異世界感を強調している。
(……これ、本当に夢じゃないんだよなぁ……)
前世の自分とは縁遠い階級社会。
ある意味では、前世も階級社会ではあったけど。自分が今、在る世界程ではない。
正確には、前世で自分が生まれ育った時代的には違っている、となるのだが。細かい事は言わない。言った所で何の意味も無いんだから。
さて、転生し新しい人生を歩む事になったが。
本来であれば、今頃は自室の本を読み漁りながら色々と調べたり理解している所だっただろう。
しかし、そうは出来無かったのが現実。
誕生パーティーの有った翌朝の事。
転生して「新しい人生、その未来の為、今日から頑張るぞーっ!」という決意をした直後。
部屋に入ってきたメイドさん達に御支度されて、訳の判らぬ内に馬車に乗せられて、あれよあれよと言っている間に気付けば立派な船に乗せられていて波に揺られて知らぬ空の下。
まあ、それは流石に言い過ぎなんですけど。
馬車に乗せられた所までは本当です。俺に群がるメイドさん達から「時間が有りませんから」と凄く急かされたので質問も出来無かったんです。
彼女達も仕事だから仕方無いんですけどね。
一番悪いのは人の話を聞いていなかったアルト。今の俺ではなく、以前の方のです。
他人からは同一人物なんですが。
取り敢えず、落ち着いた所で、馬車の中で自分に同行しているメイドさん──メレアさんに質問。
目的や行き先も判らないのは不安なので。
すると、「アルト様は八歳に成られましたので、貴族としての義務を果たす責任が御座います」と。その為に屋敷を出たそうです。
少しばかり嫌な予感がする部分も有りましたが。今の自分に拒否権は有りませんしね。
それが慣例なら従うしか有りません。
尚、両親や家族は同行しないものなんだそうで、同行者も世話役のメイドが一人か二人なんだとか。要するに「早く自立しろ!」って事ですよね?。
親の脛に齧じり付いている様な大人には成るな。
そういう意味も含まれた一種の情操教育を兼ねた貴族の通過儀礼なんでしょうね。
──という事を考えながら、揺れに揺れる馬車の中でも平気で寝れてしまった自分に感心した。
サスペンションなんて物は付いていない馬車に、舗装整備されていない土の道。
凸凹と荒れているから揺れも激しいのに、だし。
自分の神経の図太さは前世以上な様です。
そんな感じで寝て、起こされた時には夕焼け空。
馬車が着いたのはクライスト伯爵領で唯一という港街リフシェ。
田舎という程ではないが、都会的でもない。
長閑さと活気とが共存する良い雰囲気の街。
其処で一泊し、クライスト家の所有する船に乗りリフシェを出発。
船から見た景色は異世界感は薄かったですが。
豊かな自然が綺麗でした。
逆に言えば、自然しか有りませんでしたが。
それは多分、文明レベルの差が故でしょう。
自然が豊かな事は重要です。前世では世界規模の環境問題に為っていた訳ですから。
そうは為らない様にしないといけません。
──で、夕方には次の街に到着。
リフシェとは異なる大規模な港に、停泊する大小様々な船が並ぶのは王国一の港都ラプワナロ。
クライスト家の船を降り、馬車に乗り替えて直ぐ着いた宿──ホテルという言葉が無い──の三階の部屋の窓から見えた幾つもの船。
その中でも一際目を引く一隻が有った。
目算でも全長は最低350ミードは有る巨大さ。
“ミード”はメートル法と同じ規格で、ケーラ、サニタ、モレが各々キロ、センチ、ミリに相当。
クライスト家の船でも120ミード近くは有って驚かされたのに。その約三倍です。
畳まれていますが、マストが五本確認出来るので帆船なのは間違い無いでしょうが……凄い迫力。
メレアさんによると、王家所有の王国船だそうで船名はエル・メルーディア号だそうです。
その辺りのネーミングに前世っぽさを感じたので内心では、ほっこりしたりした。
因みにクライスト家の船はネオ・クライスト号。所有船としては三代目なんだそうです。
その後、衝撃と感動を胸に熟睡。
そして、翌朝──つまり、現在に至る、と。
色々思う事は有るけど、深く考えると病みそう。だから出来るだけ楽観的に、ポジティブに捉える。それで精神的に負担が減るなら容易い事だから。
身支度と朝食を済ませて宿を出ると再び港へ。
てっきり、次は此処から馬車で王都メルザントに向かうものだとばかり思っていたんだけど。
どうやら違っていた様です。
ただね、大した距離でもないのに馬車での移動。正直、歩いた方が早くないですか?。街の中だから然程揺れたりもしませんでしたが。
僅かな距離だろう態々馬車を使うとか意味不明。でも、こういうのが王公貴族で文化なんでしょう。
……これに慣れる?。大変そうです。
そんなこんなで港に着き、馬車を降りた目の前に有ったのは昨日見たエル・メルーディア号。
まさかと思い、巨船を指差しながらメレアさんを見ると笑顔で首肯されました。
昨日話していた時には自分がこの船に乗る事になるなんて思ってもいませんでした。
しかもタダですし、何と貸切状態。
滅茶苦茶豪華な内装や贅沢な料理等にサービス。搭乗している執事・メイドさんは美男美女。実力も段違いだと判ります。
メレアさんが「高く、遠いですね」と嘆息。
しかし、言葉とは裏腹に遣る気を見せているので負けず嫌いなんでしょう。
それは兎も角として。
流石に不安を覚えたのでメレアえもんに質問。
どうやら、例の“貴族としての義務”というのは最高位の国事になるそうで。その為に王国船を使うという事は珍しい訳ではないとの事。
ただ、今回は自分一人しか該当者が居ないらしく貸切状態なんだそうです。
部分的に聞けば、貸切豪華クルーズ旅行ですが。実質的には滅茶苦茶責任重大な訳ですよ。
正直、プレッシャーが半端無いです。
だからなのか、現実逃避する様に三日間の船旅を満喫したアルト君でした。
その放蕩振りには酷評を受けても仕方の無い事。寧ろ、その程度で済むなら喜んで受けますとも。
他人事みたいですが、そうとでも思っていないと遣ってられません。
ただ、船旅自体は本当に素晴らしかったです。
景色自体は海の真ん中なので、特に大きな変化が有った訳では有りませんが。綺麗な美しい青い海はそれだけで十分な感動を覚えます。
異世界感を感じたのは、初めて見たモンスター。名前はザゥグァーというそうです。
マグロに二対の大きな羽の様な鰭が付いた姿で、海が空に見える様に海から飛び出したら、そのまま20ミード程低空飛行していく。
体長1ミードから2ミード程で、それが十体から三十体程が群れで行動するとか。体当たりされると小さな船は簡単に沈むそうです。
しかし、食用になるそうで、美味しいのだとか。実際に在庫が有るそうなので好奇心で頂きました。はっきり言って特上の大トロでした。
尚、大体の船は魔除けの魔道具を搭載している為襲われる事は先ず無いそうです。
絶対とは言われなかったのが現実的ですね。
そんなこんなで初めての国外旅行。到着したのはセントランディ王国の港都センテリュオン。
王家の名を冠するセントランディ王国の国港で、ラプワナロも凄かったけど、それを上回る規模で。少なくとも約三倍は有ると思える大港湾都市。
それだけで国力の差を見せ付けられた気がする。まあ、気のせいではなく、見せ付けているんだとは思いますけどね。
だって、他国の船が出入りするなら、それだけで関わる人々に印象付けられるし、圧力にもなる。
戦わずして勝つ、ではないけど。
逆らおう・抗おうといった気力を殺ぐには有効。それでも折れない人は折れないんだから。
「アルト様、先ずは入国手続きが有ります」
「──あ、そうだったね、教えてくれて有難う」
入港後、船を降り、辺りをキョロキョロしながら歩いていたらメレアさんに呼び止められ、大事な事を思い出した。
戸籍という部分は限定的だが、各国間の入出国は思っていた以上に厳しいらしく。手続きが必要。
出国時は自分がメルーディア王国籍だからなのと事前に決まっていた予定の為早かった──と言うかメレアさんが1分程で完了させていました。
対して、セントランディ王国への入国には多少の時間を要するのは仕方が無い事。他国なので。
それでも予定されていた国事だから早い方だと、手続きを終わらせて戻ったメレアさんに聞いた。
うん、八歳に何れだけ重責を背負わせるの?。
それだけ大事な事なんでしょうけど。
そんな俺の考え事は置いといて。
メレアさんが度々、俺を不思議そうに見てくる。無理も無いんだけど、言動が以前とは変わっているからなんだと思う。はっきりとは判らないけど。
多分、そう考えておいた方が良い筈。
「可笑しいかな?、まだまだ子供なのは確かだけど八歳に成って貴族の一人として見られる様になると思ってなんだけど……」
「いいえ、とても御立派な事だと思います
私も急な事で、申し訳御座いません」
「謝る必要は無いよ、無理も無いと思うから
色々訊く事も有るとは思うけど、宜しくね」
「はい、御役に立てる様に頑張らせて頂きます」
自分から話を振り、尤もらしい理由で誤魔化す。よく有る手なんだけど。以前のアルト君からは多分想像し難い強かさだと思う。だから通用する。
これでメレアさんに怪しまれはしない……筈。
それはそうと、この国の名前が気になる。
何処かで聞いた様な気が……気のせいかな?。
それっぽい名前なんて幾らでも有るだろうしね。
港の巨大な入出国管理センターみたいな建物から出てセントランディ王国の方で用意してくれていた豪華な馬車に乗り、今日の宿へと向かう。
此処の領主や貴族に挨拶したりしないで済むのは有難いんだけど。
自分の貴族観からはズレている。
それだけに不安を覚えてしまう。
ただ、よく考えると前世も含めて初の海外旅行。しかも馬車に比べれば船旅は快適だった。
ただ、初めてが超豪華だったので後が怖いです。だって、基準が高過ぎる訳ですから。
贅沢な悩みだとは思いますけどね。
そして、悩みを増強させる様に案内されたのは、専用に用意されたという宿。……うん、何かもう、単に宿って表現が不釣り合いなんですけど。何?、この超高級リゾートのホテルみたいな宿は。
いやまあ、タダで宿泊させて貰えるみたいだから文句は有りませんけど。
これ、国費でしょ?、民の血税だよね?。それを惜し気も無く使う国事って一体……。
何かもう、無茶苦茶怖くなってきたんですけど。今からでも帰れませんか?。無理ですけど。
八歳という年齢制限が無く、手持ちの御小遣いが有ったなら。子供には早い大人の豪遊でも遣って、現実逃避する所なのに。
大人しく部屋で休む位しか出来無いのが現実。
下手な行動は両国間の問題に発展し兼ねないので背負えない以上は勝手な事も出来ません。