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花の匂いの記憶


 棚に並んだ新品の本。乾いた書店の空気。

 新刊を眺めていた久我啓太は、ふっと鼻腔をくすぐる花の匂いに顔を上げた。

 晴れ間の花びらに光る水滴。色とりどりの花の群。記憶の底の景色。

 振り返った啓太は、こちらに背を向けるほっそりとした女性に驚く。

「岸本さん?」

 翠色のニットに黒のジーンズ。揺れる黒い髪。振り返った女性は困惑したように首を傾げた。

「はい……?」

 啓太の記憶とは違う、タレ目と高い鼻。小さな唇に光るルージュ。

 ほんのりと赤くなった頬。人違いでしたと慌てて頭を下げる啓太に、女性は口元を隠してクスクスと笑った。甘い、何処か懐かしいようなフローラル系の匂いが強くなる。

 適当に新刊を手に取る啓太。照れ笑いを浮かべて女性の横を通り過ぎると、会計を済ませる。外に出た彼は青い夏の空に浮かぶ水の匂いを吸い込んだ。

 日曜日の昼下がり。人の多い駅に向かった啓太は学生時代を思い返す。シャーペンを滑らす感触。黒板の文字。部活動の喧騒。友達の笑い声。学校帰りによく立ち寄った静かなカフェ。

 バスに乗り込んだ啓太は何処かノスタルジックな、ワクワクとした寂しさに目を瞑った。

 小説を包む紙袋の涼しい手触り。仕事疲れに心が擦れる毎日が、遠い記憶のように薄れていく。

 バスを降りた啓太は頬を撫でる夏の風を感じた。

 懐かしい通学路の先の洋風のカフェ。店内に足を踏み入れる啓太。窓辺のテーブルに進むと丸椅子に腰を下ろす。

 コーヒーを頼んだ啓太は早速、新刊の小説を開いた。休日のカフェの喧騒の届かない本の世界。コーヒーの苦味とケーキの甘味が彼の感情をくすぐる。

 日暮れ前にカフェを出る啓太。しおりの挟まれた小説を片手にバスを待つ啓太は、何度目かの花の匂いを感じた。誰もいない道の先。夕焼けの空の静けさ。

 匂い。手触り。味。景色。

 感情を揺さぶる感覚。記憶の底の想い。何処か物足りなさを感じる啓太。

 声が聞きたい。

 静かな道に伸びる木影。西日に赤く染まる街。

 啓太はそっと、鞄から携帯を取り出した。

 

 

 

 

 

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