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じいちゃんは、組織犯罪対策第五課に所属していた。銃器や薬物の取り締まりをしていたらしいから、ガサ入れもよくあったのだろう。
じいちゃんの仕事で思い出したが、じいちゃんは何度か、慎二郎大伯父さんと、仕事上接触したことがあるらしい。慎二郎大伯父さん(面倒だから伯父さんで)は、じいちゃんの学生時代からの親友なのだ。そのせいか、慎二郎伯父さんは、虹本家とかなり仲がいい。
もともと、慎二郎伯父さんと桃子ばあちゃんは、早くに親を亡くしたために、親戚との交流がほとんどない。慎二郎伯父さんは、奥さんも早くに亡くしており、子供もいない。
そのせいか、父さんも、子供の頃は相当にかわいがってもらっていたらしい。俺や姉ちゃんのことも、孫みたいにかわいがってくれている。
ちなみに、父さんと姉ちゃん、そして俺は、慎二郎伯父さんに名付けられた。これは母さんも賛成したことだ。というのも、父さんの場合は、じいちゃんとばあちゃんが、慎二郎伯父さんに名づけを頼んだらしいのだ。
その話を聞いて、母さんは姉ちゃんを産んだ時「もしこの子に名前を付けるとしたら、何てつけます?」と、なんとはなしに尋ねたらしい。その時に返ってきたのが「紫乃」。響きも漢字も気に入った母さんが、結局その名前を採用した。
そうして、俺が産まれた時も、伯父さんに頼むことになったのだそうだ。
そんなに懇意にしているくせに、俺たちは、伯父さんの仕事を数年前まで全く知らなかった。
というのも、これは二人が引退してから聞いた話だが、慎二郎伯父さんは、麻薬取締官だったのだ。麻薬取締官。通称マトリと呼ばれ、違法薬物に関する捜査や解明が主だった仕事だ。じいちゃんとは似て非なるものだが、じいちゃんより危ない橋を渡ることも多かったらしい。
マトリであることは、たとえ家族でも知らないことが普通だ。じいちゃんも知らなかった。厚生省に勤めているということだけは知っていたようだが(麻薬取締官は、警察ではなく、厚生労働省の職員なのだ)。二人とも現役時代のことは何一つ語らなかったし、今もあまり話してはくれないから仕方がない。おいそれと口に出せる話でもないんだろう。
だけど、一度だけ、じいちゃんがまだ現役時代に少しだけ、口に出したことがある。
あれは俺がまだ幼稚園生だった頃じゃないだろうか。
麻薬取締官というのは、いわゆるおとり捜査というものが許されている仕事だ。慎二郎伯父さんは、薬物を違法に流している集団、つまりは暴力団組織に潜入し、その証拠や独自のルートを探っていたことがあった。
慎二郎伯父さんが二年ほどうちに顔を出さなかったのも、これのせいだと思う。ばあちゃんの三回忌に顔を出さないなんて薄情だ、と母さんがこっそり文句を言っていたのを覚えている。後に、慎二郎伯父さんがこの頃、うちと接触なんか絶対にできなかったことを知り、相当に反省したと言っていたっけ。
そりゃ、来られなかっただろう。その頃、伯父さんは暴力団関係者だったわけなのだから。彼らを取り締まるじいちゃんの家と接触があったなんてわかったら、伯父さんの正体がばれる。
かなり長いこと潜伏し、信頼も得ていたために、内部の詳しい情報を得て、見事一網打尽……のはずだったのだが。
ちょうどその頃、じいちゃんたちの部署が、伯父さんがいた組織の一斉摘発に成功した。この辺がいろいろ曖昧なのだが、恐らく、警察も、厚生労働省も、同じ組織に偶然内偵を送って探っていたんだと思う。警察側は、おそらくその組織にマトリが紛れ込んでいることを知らなかったのだろう。
その後、どんなやり取りがあったのかは知らないが、じいちゃんたちの部署も、マトリも、それぞれ(当初の予定ほどではなかったにしろ)それなりの成果は上げたから、恐らくは大人のやり取りがあったのだと思う。
問題はこれからだ。さっきも言った通り、伯父さんは組織の一員として潜入していた。じいちゃんも、摘発した後に、奴らの事務所から伯父さんの顔写真が出てきて、初めて伯父さんがマトリであり、内偵していたことに気付いたのだ。が、その肝心の摘発時、伯父さんの姿は事務所のどこにもなかったのだ。
青くなったのは麻薬取締部だった。マトリは危険が伴う仕事だ。もし正体がわかったら、未成年の俺が見てはいけない映像のようなことが行われる可能性がある。長年潜入していたら、その危険度はさらに高くなる。何しろ相手は暴力団だ。
マトリは必死で伯父さんの行方を探した。伯父さんの内偵があったからこそ捜査に踏み切れたからだ。その直前にじいちゃんたち、警察が介入してきたことは計算外だったようだけど、今回の功労者であり、一番情報を持っているのは伯父さんだ。
逮捕した構成員たちに対して片っ端から揺さぶりをかけたが、連中は揃って口を割らない。伯父さんの行方は依然掴めず。麻薬関係なので、警官であるじいちゃんはほとんど手出しできなかったが(この辺が、大人の事情というやつなのだろう)、それでも、下っ端過ぎて麻薬取締部がマークから外した売人や購入した奴らなんかには、じいちゃんたちが当たった。そこからも、手掛かりは一かけらも出てこなかった。
伯父さんはどこかに監禁されているのか。それとも、もはや手遅れなのか。一か月経つ頃には、みんながほぼ諦めていた。
「もう慎二郎には会えないかもしれん……」
じいちゃんが、こっそりそう呟くのを、俺は偶然見た。今まで、仕事の話はほとんど(情報漏洩防止のために)しなかったのに。よほど気弱になっていたのだろう。
それからすぐ、じいちゃんが最初に突入したビルの近くで聞き込みをしていると、なんと伯父さんがひょっこりビルから姿を現した。本当に、ひょっこりといった感じだったらしい。
伯父さんはどこかで監禁されていたのだそうだ。体は傷だらけ、衰弱もしていたが、幸い命に別条はなかった。おそらくは事務所とは違う、どこか別の場所に監禁されていたのだろう。
監禁していた人間は、とうとう捕まらなかった。なぜなら、伯父さんが、その辺りのことを覚えていなかったからだ。誰に捕まったのか、どこに監禁されていたのか、どうしてこのビルに帰されたのか。そのどれも、叔父さんは覚えていなかった。よほどの拷問に合って、そのショックによるものかはわからない。
何日か入院した後、伯父さんは元気に快復した。その頃になると、伯父さんが内偵していた組織はほぼ壊滅しているために、伯父さんがうちの家とやり取りすることもできるようになったので、俺たちもお見舞いに行った。
「全く、伯父さんは不死身だな」
「無事でよかった」
父さんと母さんがそう言うと、伯父さんはにこにこ笑いながら手土産の桃を食べていた。
「そういえば紅之介、俺は桃子に会ったよ」
「バカ野郎、それは死にかけたんだよ」
死の淵を彷徨ったにしては、伯父さんは元気そうだったが、やはり相当危ない目に遭ったのだろう。何しろ、記憶を失ったのだ。その後、復帰した伯父さんの情報もあり、事件は一応の収束を見せた。それからは伯父さんは危険な任務に就くことなく定年を迎え、定年後は、薬剤師として近所の薬局で働いている(麻薬取締官というのは、多くが薬剤師の資格を持っているのだ)。他にも、それこそ望めばもっと給料のいい仕事先はあったようだが、じいちゃんと同じく、のんびりと過ごしたかったようだ。
ちなみに伯父さんは、再婚もしていないので一人暮らしをしている。そういうのもあって、よくうちに来ていたのだが、今頃驚いているだろうなあ。