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ヴィオラは俺とロゼを睨みつけながらも、分が悪いことをわかっているのか、何かしようとはしていなかった。以前会った時と同じく、小馬鹿にしたような目を俺たちに向けている。その後ろでは、怯えたように縮こまるモーブ嬢の姿があった。
「何のことかしら」
王女はきちんと英語を使っている。それは、俺やロゼよりもずっと流暢な英語だった。気取った言い方が癪に障った。この女はちっとも上品なんかじゃない。
「そんなお上品な言い方をしても駄目だよ。あんたが、とんでもないクソ女だってことはわかっているんだから」
俺の言葉に、ロゼがぎょっとしたように目を見開き、ヴィオラは怒りに燃えた目で俺を睨みつけた。
生まれてこの方、こんなことを言われたのは初めてだったのだろう。だが、俺はまだ言い足りない。
「あんたは何をしたのかわかっているのか。あんたのせいで、人生を変えられた人がいるんだぞ」
ピーヌスさんは、二度と樵の仕事には戻れない。妻と幼い子がいる彼にとって、それがどんな意味を持つのか、この女は全くわかっていない。
「だから何なの。どうせ平民の、取るに足らない存在じゃないの」
吐き捨てるように言った彼女は、言い終わった瞬間に顔を大きく歪めた。妙な感じだ。まるで、自分で言った台詞に傷ついたように見える。
ヴィオラは憎しみに燃える視線をロゼに振った。
「あなただったのですね、ヴィオラ様」
ロゼは未だ信じられないと言うように、姉を睨み返した。ロゼがこうやって反抗的な態度をとることなど、初めてだろう。彼女は般若のような顔で一歩前に進み出た。
「あのアーバには、額に白いあざがありました。あれは、召喚された勇者の体に浮かぶしるし。あのアーバこそが、巫女が呼びだした勇者」
そう、昨日ロゼが泣きながら教えてくれたのだが、勇者として呼ばれた者には本来、証として白いあざが浮かび上がるのだ。俺たちがあまり歓迎されなかったのも、それがなかったからだ。
あの広間で王が叫んだのはそのせいだ。誰一人としてあざがない俺たちに、儀式は失敗したと思ったのだ。
儀式は確かに失敗した。なぜならあの日、彼らの知らない場所で、もう一人の巫女が秘密裏に儀式を行っていたからだ。
そのもう一人の巫女が、ヴィオラだ。
「あなたは、巫女の素質をお持ちだったのですね。それを今まで隠してこられた」
ヴィオラは、ロゼによく似た、ピンクに近い紫色の瞳をすっと細めた。
「そうよ。お母様が素質はなかったと、あえて公表させただけ。本当はあなたより、遥かに大きな力を持っていたのよ、私は。せっかくだから試してみたくなっただけ。本当に勇者様が来てくれるのか。それなのに、出てきたのはただの化け物じゃない。損したわ」
「勇者は、巫女の命令にはけして逆らえない。だからこそ、あなたはあの魔物を操れたのですね」
これも昨日聞いたのだが、勇者は、本来巫女には逆らえないのだそうだ。しかも、巫女に命じられることを不愉快に思うことなく、むしろ喜んで従うものらしい。なんか、あまり聞いていて気持ちのいい話じゃない。そんなの、悪質なマインドコントロールにすぎないじゃないか。今までの勇者も、そうやって喜んでオルゴを殺してきたのだろうか。
「だからこそ、私の儀式は失敗した。あなたの目的の一つは、それですね」
ヴィオラは憎いロゼの失脚を願った。儀式は本来一度しかできない。例えば、一度失敗したからもう一度行おうとして無理なのだそうだ。
そして、その日は二度と召喚できない。だから、あの時あの場所での儀式は失敗するはずだった。実際失敗しているのだが、ともかく不完全な儀式だったとしても、異世界の人間を呼び出すことはできた。
ヴィオラは、先に召喚した勇者を持て余した。勇者は自分を呼び出した巫女には逆らえないとはいえ。そりゃそうだ。あんな巨体の大熊、あいつを使ってロゼを殺そうとしても、そうそうできるもんじゃない。すぐに大騒ぎになる。
仕方なくアーバは人里離れた場所へ捨てることにした。勿論人を雇って。
何しろすでに絶滅したはずの大型の魔物(しかも肉食)が宮中にいるとか、大騒ぎになるなんてものじゃない。しかも勇者にあるはずの白いあざがある魔物。巫女であるロゼは、失敗だとはいえ異世界の人間を大勢の前で召喚している。なぜこんな事態になったのか、おのずと気付かれる。ヴィオラからすれば、捨てる以外の選択肢はなかったのだろう。
「このチンピラは誰だよ」
「この人?少し前の小隊長よ。大酒飲みで、問題を起こして首になったのだけれど。何かに使えるかもと思って、いろいろ便宜を図ってやっていたのよ」
ということは、問題を起こしてやめた、グレイさんの前任者か。
アーバは捨てることにしたが、そこでヴィオラは一計を案じた。
あいつを捨てた地点で、オルゴが出たと騒ぎを起こせば、ロゼと偽勇者である俺たちは動かざるを得ない。ロゼを始末するまたとないチャンスだ。
ここまで考えたところで、妙に引っかかった。ヴィオラが、そこまでしてロゼを殺したい理由は何だ?いろいろ気に入らないのはわかる。だがロゼを殺したいのなら、最初から、それこそあの元小隊長のチンピラでも使えばいい。
「おかしな話じゃない。本来同じ日に召喚なんてできないのに、どうして出てきたの。それも、大勢で」
「巫女が勇者を呼ぶ時、巫女が望んだ者を呼ぶと言われています。オルゴに対抗するために儀式を行うわけですから、結果として勇者となりうる者を招くことになるわけです。しかし、資格なき者が儀式を行えば、魔物が呼ばれるとされています」
これも、ロゼが俺に教えてくれた儀式の話だ。第一王女の儀式で、現れたのはなぜ魔物だったのか。ヴィオラが資格なき者だからか?それとも、彼女の願いを叶えるのが、あの魔物だったからか?
「……毒。オルゴの呪いに似た毒を作るには、今はもういないアーバが必要だった。この騒動そのものが、あんたの計画だった?」
いや、それにしたっておかしい。大体この王女様の行動はどこか矛盾している。ロゼを殺すつもりなら、回りくどいことをしなくてよかったはずだ。思えば彼女は最初から、俺の目の前でロゼを侮辱するなど、あからさまに嫌な奴過ぎた。もしこんな計画を練っていたのなら、極力目立たないようにしていたはずだ。アーバを呼び出したのはヴィオラだったにしろ、この計画を立てたのは違う。この計画は、巫女の存在を貶めるためのものだ。巫女を憎む者によって。
その時だった。
「ソウタ様、危ない!」
ロゼが俺を押し倒した。バランスを崩して床に倒れたが、その直後に、頭上で風を切る音が聞こえた。
「……矢が!」
顔を上げて驚いた。俺のすぐ後ろの壁に、矢が突き刺さっていた。姉ちゃんの持つ弓矢とは大きく違う、太くて短い矢だ。石の壁に突き刺さるほどの殺傷力を持った、人を殺すための矢だ。ロゼが助けてくれなかったら、今頃俺は死んでいた。
「モーブ!」
金切り声を上げたのは、ヴィオラだった。その視線の先には、ドレスを着こんだあのモーブ嬢が、さっきまで小動物のように怯えたまなざしでこちらを見ていたあの少女が、クロスボウを構えていた。
そうだ彼女がいた。大国スケルツォの王族にしてヴィオラのいとこのモーブ。巫女候補として、ちっぽけな小国に追いやられた小さな姫。
彼女は無表情のまま新しい矢をセットしている。慌ててロゼが起き上がろうとするが、それよりも彼女が矢を放つ方が早かった。
幼い、かわいらしい顔を醜く歪めながら、モーブが俺たちに向けて吐き捨てるように何か言った。たぶん、ろくでもないことを。
「ロゼ!」
俺もロゼも、まだ体も起き上がれていない。あの距離での攻撃に、体勢を崩し丸腰のロゼは圧倒的に分が悪かった。
クロも相手が少女ということで、出遅れたようだ。子供など、警察にとっても一番に守るべき存在だ。飛びかかっていいのか迷ったのだろう。
最悪の結果を想像し、俺は恐る恐る目を開けたが、倒れていたのは、ロゼではなくヴィオラだった。
「ヴィオラ様、どうして!?」
ヴィオラの肩から真っ赤な血が流れている。どうやら、彼女がロゼを庇ったらしい。その行動は、モーブにも意外だったのか、彼女が一瞬動きを止めた。普通の弓矢と違い、クロスボウは矢をつがえるのに時間がかかる。
「この!」
俺は咄嗟ペンを渾身の力で投げた。ポケットに入れっぱなしだったやつだ。こんなちっぽけなペンでダメージなんか与えることはできないが、何かが顔に向かって飛んでくることで、反射的にモーブは目を瞑り、一瞬矢をつがえる手が止まった。それが大いなる隙を生んだ。
「クロ!ゴー!」
俺が叫ぶと同時に、クロが今度は迷うことなくモーブ嬢に向かって飛び出した。小さな体にドーベルマンの体当たりは相当強烈だったらしく、彼女はぶつかった拍子に後ろに倒れ、床に頭を打ったのか気を失ってしまった。
「ヴィオラ様!……お姉様!」
ロゼが悲鳴を上げながらヴィオラを揺する。俺は慌てて周囲を見回し、出口を探した。隠し部屋にだって当然入り口はある。そして、そういうのは入る時はわかりにくくとも、部屋から出る時はわかりやすくあるものだ。
俺は見つけたドアらしきものを押したが、扉はびくともしない。
「ああ、もう!どうやって開けるんだこれ」
俺が苛立たし気に言うと、後ろから弱々しい声が聞こえた。
「横に……」
「横?あ、ああ。こうか」
それは、ふすまと同じく横にスライドするタイプだったのだ。
「こういうとこだけ和風なのかよ!」
俺はドアを開け、大声で叫んだ。
「誰か!」




