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「それにしてもソウタ様。これ、何の役に立つのでしょうか」
ロゼはひたすら唐辛子をすりつぶす作業に、疑問を感じているようだ。
細かく刻んだ唐辛子を乳鉢ですりつぶす。延々とそれを繰り返すだけだ。その隣で、セピアはさっきから卵に針で穴をあけては、中身をボールに移している。
「悪いが、眼鏡をかけているロゼにしか、これは頼めないんだよ。目に入ると大変だからな」
「目に入らなくても、さっきから鼻が痛いです」
だろうなあ。こっちにもたまに粉が飛んでくる。
「村長さんが鶏をたくさん飼っていてくれて助かった」
「シノ様も、何か妙なことをされていましたし」
姉ちゃんは、持ってきていた制汗スプレーを、包帯でぐるぐる巻きにしている。その包帯は、アーバに負傷させられた、あの重傷者に使ったものだ。だから姉ちゃんは手袋をしている。匂いを移さないためだ。ちなみに、彼の名前はピーヌスさんという。
その隣では母さんが、さっきまで針仕事をしていた。と言っても、ピーヌスさんが、先ほどまで使っていたシーツの中に、藁や、端切れなどを詰め込み、縫い合わせているだけだ。一応人形である。顔とかは描いてないけど。その妙な布の人形を、村人たちが、村の入り口付近に埋めておいた。念のため母さんも、埋めた村人も、姉ちゃんと同じく手袋をしている。奴に匂いを覚えられたら厄介だからだ。
「俺の世界には熊よけスプレーというものがあるんだ。熊が嫌いな匂いを詰め込んだもので、熊が近寄ったらそれを噴きかけてやる。そうすれば熊は撤退する」
「それがこれですか?」
ロゼがうさん臭そうに、手元の乳鉢を見た。クマよけスプレーの成分のほとんどはカプサイシン、つまり唐辛子だ。村長さんの家に吊るされていた唐辛子はかなり立派なものだった。冬の貴重な食糧だろうに申し訳ない。
「いやそれは別物だ。熊よけはこっち」
俺の手には大きめの瓶がある。中に入っているのは水ではなく、アルコールだ。それもかなりの純度の。これはセピアがもともと旅支度で用意してくれていたものだ。蒸留を何度も繰り返し、度数を高めている。そうすると少量で様々な用途に使えるし、消毒もできる。
その貴重な酒の瓶に、先ほどもらった唐辛子を十本ほど入れたものがこれだ。本当は、一か月くらいじっくり熟成させたいのだが、そうも言っていられない。だからこそ、さっきからみんなで交代しながら振っているのだ。そうすると、多少なりとも唐辛子が溶けるらしい。
この唐辛子エキスは、園芸部にいる友人から以前に教えられた。本来は害虫駆除のために薄めて使うのだが、原液は、ちょっとした武器になりうるのだと。
手元の透明な液体が、わずかに赤く染まり始めている。唐辛子が溶け出している証拠だ。
ロゼは、自分たちで作った奇妙な品の数々が、オルゴかもしれないアーバに効果的だとは、いまいち信じられないようだ。気持ちはわかる。作っておきながら言うのもどうかと思うが、俺にだって自信はない。
「アーバにも効きますかね」
「わからん。効いてほしいが」
人間だってこれをかけられるのは結構きついわけで、生物なら、大体は嫌がるんじゃないかな。
「ソウタ様はさっきから何を作ってらっしゃるのです?」
「水鉄砲を作っているんだよ」
水鉄砲を作るのは、小学校の理科の授業以来だ。手ごろな木で筒を作り、押し出す棒に、スポンジを巻きつけ、布でくるみ、糸で縛りつける。このスポンジは、姉ちゃんのコンパクトミラーについてあったやつだ。なんか、肌色の粉をつけるやつ(ファンデーションだと後から訂正された)。
この水鉄砲に、今手元にあるエキスを詰めるわけだが、素人が付け焼刃で作った水鉄砲だから、それほど飛距離はない。できればあまり使いたくはないな。
卵の方は、小さく穴を開け乾燥させた卵に、ロゼがすりつぶした唐辛子の粉末を入れておき、セロテープ代わりに、小さく切った絆創膏を貼る。自家製唐辛子爆弾だ。効果は……あまり期待しない。
すっかり日が暮れているが、外の様子は窓からでも見える。あちこちに篝火を焚いているので、視界は悪くないのだ。
父さんとじいちゃんとグレイさん、そして村長と何人かの村人が、犬を連れて辺りを警戒している。クロもその中に入っている。
熊は基本的に暗い時間帯が一番活動的になるそうだから、もうそろそろ注意が必要だ。
その時、外で犬たちがけたたましく吠える声がした。男たちは屋内に急いで逃げ込む。父さんたちも、慌てて室内に入るのが見えた。
俺たちは二階に上がり、二階の窓から村を眺めた。
熊の姿は見当たらない。
「来たのかな」
不安そうに、姉ちゃんが呟いた。
「さっき作ったやつ、役に立つのかしら」
母さんも、落ち着かない様子で寄ってきた。
「わからない。熊は嗅覚が鋭いかわりに、視力は悪いらしいし、しばらくは騙されてくれるかも」
その時だった。
何か大きな物音がした。
「あ、あれ……」
視力のいい姉ちゃんが、遠くを指さす。
黒くてでかい、山みたいなのが、ゆっくりと近づいている。
「く、熊……」
「来た……」
体が凍り付くかと思った。やばいやばい。やばいなんてもんじゃない。でかすぎるのだ。立ち上がったら、三メートル、いや、五メートルはあるんじゃないだろうか。
今まで熊のつもりでいたけど、あれは確かに熊というより魔物だ。
ゆっくりやってくるのは、それなりに慎重に動いているということか。あいつら、本気出したら相当早く走れるらしいから。
「ロゼ、あれがアーバで間違いないか?」
俺が小声で尋ねると、ロゼは震えながら頷いた。
「ですが、あれほど大きいのは初めて見ました……」
俺もだ。熊に対して絶対にやってはいけないことの筆頭として、背を向けて逃げ出すというのがある。熊の習性で、背を向ける者には飛びかからずにはいられないからだ。
しかし。
あんなにでかく、恐ろしいものを見れば、普通は逃げ出したくなる。むしろ、逃げ出さない方がおかしいだろ。
一応、背を向けてはいけないと、みんなに言いはしたが。
「蒼ちゃん」
姉ちゃんが小声で囁いた。
熊が入り口付近の土に、やたら鼻をつけている。どうやら引っかかってくれたらしい。
奴はそのまま穴を掘り出し、母さん特製の人形を取り出した。そのまま引きずり出し、熊は森に姿を消した。
さすがにこれほどに火が焚かれた村だ。まだ警戒しているのだろう。
「よかった。行ったね……」
「いや、これはあくまで時間稼ぎだ」
熊は自分の獲物の匂いがするものに強く執着する。自分が喰った(腕だけだけど)獲物の匂いがするあの人形を、しばらくは弄くりまわすだろう。しかし、騙せたわけではない。ただ単に、応援が来るまでの時間稼ぎだ。
奴は一度この村に来た。人間がたくさんいるこの村に。二回目に来るときは、ためらいは減っていることだろう。
その時は、俺たちは今度こそ戦わなければいけないのだ。




