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その村についたのは、昼過ぎのことだった。
ここで問題が一つ。
村まであと少しというところで、馬が怪我をしてしまったのだ。蹄の先端で硬い石を踏んでしまったらしい。俺もよくは知らないのだが、グレイさんによると、蹄底で内出血を起こしているそうだ。足場が悪かったために、そういうことが起きてしまったのだ。
幸い大したことはないようだが、痛みがあるからあまり早くは走れないし、できればきちんと手当をしてやりたい。そういうわけで、負傷した馬をかばいながらゆっくり進んだせいで、少々到着したのが遅れてしまった。
そうしてたどり着いた村の名前はマントゥールといい、隣のフラットリーよりも、幾分小さい村だった。
ロゼの話では、数人が呪いをかけられて倒れているとのことだが、そのせいか、村人たちは、突然きた俺たちを、すごく警戒していた。
グレイさんが国から調査に来たと明かし、王家のサインを見せても、しばらくはなかなか信用してくれなかったほどだ。
村長からの書状を見せてようやく出迎えられたのだ。やはり、あの村長は親切だ。こうなることもわかっていたのだろう。
それで肝心の呪いなのだが、どうも、村人たちはオルゴの呪いとは思っていないらしい。
話を聞くと、ことの起こりは数日前。
ある一家が、腹痛を訴え医者が呼ばれた。腹痛はどんどん激しくなってゆき、熱が出始め、意識が朦朧となるものだった。その後、複数の家の人間が同じような症状を訴え、そのうちの三人が亡くなった。
こういうことは、以前もあったそうなのだ。
「ん?三人が……ってことは、全員ではない?」
確か、オルゴの呪いはかけられれば必ず死に至るんじゃなかったか?
確認すると、どうもそういうわけではないらしい。同じ症状を訴えながらも、なんとか快復した人もいるとのことだ。このあたり、情報が正確じゃないみたい。考えたら、電話やメールがあるわけではないから、正確な情報が短時間で伝わらないのも不思議じゃない。
「話を聞いていると、食中毒みたいだな」
「あ、蒼ちゃんもそう思った?」
亡くなった方は、三歳、十一歳、そして六十八歳。食中毒とか毒だった場合、死に至るのは、大抵免疫力の低い子供や、体力の少ないお年寄りだ。
疫病も考えられるが、この村はあまり疫病で苦しんだ過去がなく、それを疑う者はまだいないようだ。
「どうして?昔話とかだと、疫病とか相当流行っていたんでしょう」
「疫病は港町から始まることが多いんだ。外部からやってきて、それが蔓延することが多い。山に囲まれた町に起きるんだったら、その前に港に近い町から順に起こる」
そして何よりも、村が今最も気にかけているのは、隣村でも聞いた、アーバのことだったのだ。
昨日から、三人の樵が山に行ったまま帰ってこないのだとか。最近大きなアーバの噂も聞くし、村人たちも気が気じゃないようだ。
「そういえば、オルゴが近くに住んでいるとか」
「本当かはわかりません。ここから少し離れた場所に、昔からある洞窟があるのですが、そこにいると言われているようです」
その時オルゴという単語に、村長が顔を上げた。続いて、グレイさんに何か言っている。どうも、質問しているようだ。
その後グレイさんが答えると、村長は声を上げて笑い出した。
「何て言っているんですか?彼は」
「それが……。『この近くの洞窟に、オルゴが棲んでいるという噂を聞いたのですが』と言ったら、『そんなものは迷信だよ。確かに昔からそんな噂はあるがね。あの洞窟にはそんなものはない。あんたたち、そのためだけにわざわざ来たのかね?』と……」
村長は、さも面白いものを見るかのように、俺たちを見た。
「どうする?こんな風に言われているけど、とりあえずそこに行ってみる?」
俺が言うと、ロゼは少々渋ったが、グレイさんが頷いた。
「ここまで来た以上は、それしかないでしょうね。わたしも護衛としてついていきます」
「でも、呪いをかけられたら、グレイさんたちは死んじゃうんでしょう」
「もとより覚悟の上です」
キリッと言われてしまったが、何となく、俺は、たとえその洞窟に本物のオルゴがいても、どうもこの件とは無関係な気がしないでもないのだが。
村長さん宅は、フラットリー村の村長さん宅と同じく、かなり広かった。あそこと同じく宿屋を経営していたらしい。木目調の床に、真っ白な壁。家具も木製のものが多く、どこか和に通ずるものがある。
親友同士だと似てくるものなのか。
俺たちが出されたお茶を飲んでいると、突然ドアが激しく開けられた。
すごい勢いで入ってきた男は、何かを必死でまくしたてた。あまりの騒々しさに、村長から叱責されてもまだ慌てた様子で叫んでいる。
その中に、何度も「アーバ」という単語が入っていた。ということは、件のアーバという魔物が出たのか。
村長が血相変えて立ち上がる。
それと同時に、数人の男たちがどやどやと室内に入ってきた。
「きゃっ!」
姉ちゃんが小さく悲鳴を上げた。男たちは怪我人を運んでいたのだが、その怪我人の傷が、怪我なんてかわいいものじゃなかった。重傷だ。
その人は、体中が傷だらけ、血だらけの酷い有様だった。あちこちに切り裂かれた跡があったが、一番酷いのは右腕、正確には右腕があった場所だ。そこは、肩の部分から先が、ごっそりとなくなっていた。
運んでいる男のうち二人も、無傷ではなかった。どこかしらに傷を負っていた。背中をやられたらしき男の人の傷を見て、俺は思わず息をのんだ。はっきりとわかる三本の線。それは動物の……それも、とびきり大きくて、凶悪な獣の鉤爪によるものだった。
「どうしたんですか」
「アーバが出たらしい。帰ってこないと言われていた樵たちが、傷だらけで帰ってきたようです」
グレイさんはそう言うと、腰に下げた剣の柄を握った。
怪我人の治療が始まった。セピアとグレイさんは、応急処置程度は慣れているために、手伝いに残ることとなった。言葉もろくに通じない俺たちはむしろ邪魔なので、二階に上がらせてもらうことにする。
割り当てられた部屋は四つあったが、さっきの酸鼻をきわめる光景に、ばらばらになりたくないという思いの方が強かった。一家全員とロゼ(+二匹)で、居た堪れないまま、一つに固まっている。
階下では、男たちの怒号や悲鳴が聞こえてくる。そのたびに、姉ちゃんがびくりと身を竦め、母さんが落ち着かせようと抱きしめた。
しばらくみんな無言だったけれど、ふと思い立った俺は、ノートを取り出した。
「ロゼ。アーバってどんな姿なの?こんな感じ?」
俺が、ノートの熊の絵を描いてみせると、横から姉ちゃんが覗きこんだ。
「蒼ちゃん、絵が上手い」
姉ちゃんは未だ青ざめてはいたが、少しでも気が紛れたのか、笑みを浮かべて見せた。
「蒼太は美術も成績よかったからな」
「お上手ですね。おそらくですが、ソウタ様の世界では『bear』と呼ばれている動物と外見は酷似しているようです。知能は一般的な獣並みでさして賢くはありませんが、獰猛な性格の上に、巨体でありながら素早く、主に大型の動物を獲物としますが、時には人間も襲うことがあります。しかし数年前からアーバの毛皮が珍重されるようになり、多くの冒険者が狩りはじめ、この国では数年前に絶滅したとされていました。それでなくとも、人を襲えるほど大型のものは、この国ではそういなかったのですが……」
やっぱり熊に似た生物なのか。だとしたら最悪だ。
「大変だ」
俺は背筋を冷たい汗が流れるのを感じた。恐怖の実感が、ゆっくり、ゆっくりと忍び寄ってきている。
「どうかしたの?」
「もし、あの人たちが熊と戦って、仕留めることができなかった場合」
声が震えているのがわかる。ペンを持つ手も、同じくガタガタ震えていた。
過去に読んだいくつかの事件や、熊の生態、習性。それらを繋ぎ合わせると、いやでも最悪の結論が導き出されるのだ。もし、アーバが姿かたちだけでなく、習性も似ていたとしたら
「アーバは、ここに来るかもしれない」
俺は熊を知らない。大きな熊はテレビか、あるいは、動物園で頑丈な檻に囲まれた姿を見たことがある程度だ。
大自然の中自由に行き来できる野生の熊の存在は、俺にとって遥か遠く、現実かどうかもわからないほど不確かなのだ。それでも、その凶悪さは知識として知っている。それが来る。
静まり返った部屋に、俺のしゃがれた声が、やたら響いた。
「それなら」
たっぷり間を置いた後、じいちゃんが静かに言った。
「みんなでどうするか考えようか」
「考える?何を?」
姉ちゃんが、今にも泣きそうな顔で立ちあがった。
「あの傷見たでしょ。あんな強そうな男の人でも敵わないのよ。逃げるしかないじゃない」
「逃げるってどこへ?」
「どこでもいいわよ。紫乃の言う通り。どこでもいいから、とにかく逃げましょう」
母さんが、とうとう泣き出した姉ちゃんを、もう一度抱きしめた。
「無理だと思う」
俺は情けないことに、未だ震えている。
「逃げるとすれば、この村を出なくちゃいけない。俺たちは土地勘もない上に、もうすぐ日が暮れる。そんな状況で、熊がうろうろしているような場所に行くのは自殺行為だ」
しかも馬が一頭負傷している。二頭用の馬車を一頭で引かせることはできないし、できても、そう早くは進めないだろう。つまりアーバに遭ったら終わりだ。
「じゃあ、籠城は?」
そう言ったのは、父さんだった。
「戸締りをしていても、入ってくるものなのか、熊は」
「たぶんね。それと、ここが重要なんだけど、さっきの怪我人は、右腕がなかった。もし、その右腕が食べられたのなら、熊にとって、あの人は食料なんだ。熊は、一度自分のものだと認識したら、ものすごく執着する。その場合、匂いをたどってここに来る」
だから、本当はこの家から離れた方がいい。熊が執着するのは自分の獲物。つまり、さっき傷を負った彼だ。もし奴がここに来て、彼を自分の住処に運ぶとする。しばらくは、奴の注意は目の前にいる獲物に行くだろうが、それを食べ終えてしまえば。
人間を、単なる食料としか思わなくなった怪物の出来上がりだ。そいつが次に狙うものは何か。食料がたっぷりある、この村ではないか。
つまり、奴が今日来た場合、目当ての獲物を奪い、奴のねぐらに運んだ直後に村を離れれば、俺たちは助かるのか?いや、それだって、熊が俺たちの存在に気づけば、襲われる可能性は高い。
以前本で読んだことがあるが、熊に遭遇した場合、大抵は熊が逃げることが多いの。が、稀にその熊が好戦的だった場合がある。子連れで気が立っている母熊とか、冬眠する穴を見つけられなかった熊とか。
その場合、一番の打開策は、戦うことだそうだ。
ただし殺すわけではない。追っ払って、後から通報するのが一般的だ。相手が悪すぎてそうそう殺すことはできない。だが、この場合どこに?どこに助けを求めたら、助かるんだ?誰が助けてくれるんだ?
「もし、巨大な熊……いえ、アーバが、誰の手にも負えなかったらどうする?」
俺がロゼに尋ねると、彼女は蒼白な顔で首を振った。
「その場合、国が調査しますが、緊急性がある場合、討伐隊を送り込むでしょう。ただし、知らせるには早馬を使っても、半日以上はかかります」
となると、今日や明日に助かる見込みはない。それまでにアーバが来れば……。
もし、今来たらどうする?逃げるか、戦うか、あるいは死んだ振りでもするか。
こちらの戦力といえばグレイさんだけだ。負傷したマロネさんには戦闘は無理だろうし、うちの家族だってそうだ。
そんなもの、無理に決まっている。




