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俺たちがサロンを出たところで、豪奢な青のドレスを着込んだ女性に会った。
年齢は母さんと同じくらいかもう少し若そうだ。黒い髪を上品に結い上げ、銀色に輝く小さなティアラを飾っている。その中央には、ドレスと同じく青い宝石が埋め込まれている。若い頃はさぞ綺麗だったんだろう。
その後ろに、どこかで見たことのある女……あ、第一王女のヒトだ。名前は……確か、ヴィオラ。
彼女が母親の一歩後ろを歩いていた。その横に、この前に見かけた確かモーブ嬢とかいう女の子がいる。彼女の方もまた、今日はドレスを着こんでいた。第一王女の隣にいることといい、見事なドレスを着ていることといい、彼女もまた、結構な両家のお嬢様なのだろう。
ロゼは黙って深々とお辞儀をした。この態度からして、やはりこの年配の女性が、噂の王妃様とやらなのだろう。
王妃様はロゼと俺におざなりな会釈だけした。ロゼのお辞儀に最低限返しただけで、彼女はそのまま歩き出した。ロゼは頭を垂れたまま何も言わない。何となくだが、俺も口を噤んでいた。
そこへ第一王女が一歩進みでた。今日は前回と違ってドレス姿だ。瞳に合わせたような、紫色のドレス。スミレの形の髪留めは、この前見たものとたぶん同じだ。
隣のモーブ嬢が困ったようにヴィオラを見ている。王妃様との距離が離れていることを気にしているのか。彼女はヴィオラの取り巻きか何かなのだろうか。それとも、王妃様ともかかわれるくらいだから、親戚か何かだろうか。
ヴィオラはやたら居丈高にロゼを見下ろした。そうして、やっぱり前と同じく嫌味(だと思う)を浴びせている。俺もある程度の言葉を覚えてはいるが、俺の知らない単語だらけだ。初歩的な単語や挨拶文しか知らない、バルゼレッタ語に入門したばかりの俺が、悪口(と思われる)言葉を知るわけがないのだが。
ヴィオラはロゼにあれこれ言った後、ふと、横の俺を見た。もう一度ロゼに視線を移す。交互に俺たちを見た後、紫の瞳をすっと細め、彼女はもう一度口を開いた。
あらためて見ると、綺麗な紫だ。藤色のような、それよりピンクに近い紫と言うべきか。こうやって見ると、ロゼにも似ている。姉妹なのだから不思議じゃないけれど。
ロゼが驚いて顔を上げ、俺に視線を向けた。何かまずいことを言われたようだ。
「ヴィオラ様が」
ロゼが俺にそっと囁いた。
「ソウタ様に、お話があると」
「いや、たぶん会話できないから」
今のも聞き取れなかったのだ。会話とか無理だ。この人の性格上、ゆっくり話してくれることすらしないだろうに。
俺が何か言う前に、ヴィオラがロゼに向かってしっしと手を振った。いくらなんでも酷くないか、この扱い。
俺が憤慨していると、ヴィオラの口から恐ろしい単語が出てきた。
「Go away,slut 」
第一王女は、英語を話すことができた。しかしそれ以上に、彼女が発した言葉に俺は度肝を抜かれた。さっきのを訳すと、あまり口に出したくもないが「行きなさい、売女」といったところか。一国の王女の放つ言葉とは到底思えないし、一国の王女が受ける言葉とも思えない。
俺がぽかんとしていると、ヴィオラはふふんと鼻を鳴らした。モーブとかいう少女が、ヴィオラの言葉にショックを受けたのか、顔を青ざめさせた。一方ロゼはさしてショックを受けたわけもなく、そのまま俺に頭を下げながら離れてゆく。なんだ、これは。
俺が未だ何も言えないでいると、彼女は一歩前に出た。心なしか、先ほどよりも顔つきは穏やかだった。彼女の隣にいたモーブは、いつの間にか下がっている。
「あなた、あの子の何」
唐突に彼女が質問した。ちょっと意味がわからない。ちなみに、これも、この後の会話も当然英語である。第一王女の英語は、発音に関してはロゼよりも流暢だ。俺が聞いた感じでは。
英語自体も相当詳しいと思う。よく英語で女の人を貶める時に使う言葉は「bitch」と思われがちだ。それは間違ってないけど、どっちかというと「意地悪女」とかで、性的なニュアンスはあまりない。女性に対してだけでなく、男性に対して使う時すらある。そもそも侮蔑を意味するわけじゃないことも多い。上品な言葉ではないが、必ずしも悪い意味ばかりではないといったところだ。
一方、第一王女が使った単語は、完全に性的なニュアンスを用いた侮蔑を意味している。この辺りの知識は、以前テレビでやってた「映画でわかる英語ガイダンス」で得た。
「何って?」
俺はショックから立ち直ると、今度は無性に腹が立ってきた。なんだって、ロゼがこんな女にあんなことを言われなきゃいけないんだ。
「あら、もしかして怒っているの?」
「あれ聞いて、不愉快にならない人間がいるとは思えないね」
俺がそう言うと、彼女はふ、と微妙な笑いを浮かべた。さっきほど刺々しい空気は感じられない。とりあえず、ロゼに対するような敵意は、俺には抱いていないらしい。
「だってそうじゃない。やってきた勇者様が男だとわかると、すぐに取り入って」
「俺は勇者じゃないし、取り入られてもいない」
むかむかしながら言うと、彼女は「あら」と口元を押さえた。
「勇者じゃないの」
「勇者じゃない。もういいか?俺、割と忙しいんだ」
別に急ぎの用事はなかったが、この女に付き合ってやる義理もないのでそう言った。面倒くさそうに。暗に、「お前なんかに付き合ってやる暇はない」というニュアンスを込めて。それが伝わったのか、彼女は鋭く俺を睨みつけた。
こういうお嬢様タイプは(本当はお姫様だが)、自分がないがしろにされることに、凄い屈辱を感じることがある。たぶんそうだと思った。地位は高く、顔も綺麗だから、今までこれでもかというほどちやほやされてきたんだろう。それが、どこの馬の骨ともわからないヒョロ男に邪険に扱われたのだ。怒りもするだろう。でも相手には(今のところ)手出しできない。いい気味だ。
「あなた、ロゼが好きなの」
「はあ?」
思ってもみない質問だった。たった数日で、そんな心境になれるとでも思っているのだろうか。いきなり、全く知らない土地に、いわば拉致されたというのに。
「そんなこと考えたこともない」
さっさと帰りたくなった俺は投げやりに言った。王女様だか何か知らないが、ずいぶんとまあいい気なもんだ。
「そんな風に見えなかったわ。ずいぶん親しげだったもの」
これはある意味当てはまる。俺だけじゃないが、どうもロゼはうちの家族にすごく馴染んでいる。まるで古くからの知己といった感じ。
考えてみたら、あの儀式も不思議なんだよな。別に他の、それこそもっと頼りがいのある人間を呼び出してもよかったはずなのに、そうはならなかった。選考基準がわからない。これは、ひょっとすると相性の問題かもしれない。自然と、気が合いそうな人間を呼び出したとか……。
黙っていた俺に、ヴィオラは意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「でもねえ。ロゼ、あの子はあなたたちに隠し事をしているわよ。あまり、あの子を信用しない方がいいのではなくて」
彼女はそれだけ言うと、殊更優雅な仕草で髪をかき上げた。漆黒の巻き毛が風に舞い、彼女はさっさと俺に背を向けた。
むっとした俺は、彼女の背中に声をかけた。
「ああ、忘れてた。あんたの異世界語は一つ間違ってる。slutの意味は「複数の男性と肉体関係を持つ女」だ。ロゼはそれに当てはまらない」
本当のところは知らんけど。
俺の言葉に、第一王女はぎょっとしたような顔で振り返った。ちょっとその顔は間抜けで面白かった。もしかして、詳しい意味を知らなかったのだろうか。誰だよ、英語教えた奴。
一方、取り残された俺は、妙にもやもやしていた。
あんなの、別に気にするようなことじゃない。あの女は、ロゼを嫌っていた。だから、わざとああいうことを言ったに違いない。でたらめだ。
そう思っていたのに、なぜかやたらあの女の言葉が耳に残った。
たぶん、俺も心のどこかで、この一連の事態に、言いようのない違和感を覚えていたからだろう。なぜかしっくりこない。何かが引っかかる。ボタンを一つ掛け違えたような。
だがここで何もかも疑っていたら、俺たちはいつまでも、家には帰してもらえないかもしれないのだ。




