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虹本家の家族旅行  作者: うばたま
第一章 虹本家の朝
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 なんだ、これは。


 というのが、俺が最初に抱いた感想だった。


 きんぴか派手、ベルサイユ宮殿かよと突っ込みたくなるような華々しい空間の真ん中で、昭和(時代はもう平成も終えて令和だというのに)の香り漂う一家勢揃い。俺たちもびっくりだが、周囲の人々もさぞ、なんだこれは、と思ったことだろう。

 手っ取り早く、このとんでもない状況を説明しておこう。

 ……と思ったが、俺の乏しい表現力でうまく伝わるかどうか。

 俺の名前は虹本蒼太(にじもとそうた)。家は東京の郊外で、私立永和(えいわ)学園高校の一年生。家族は父さんと母さんに、年子の姉ちゃん、じいちゃんに犬と猫が一匹ずつ。この家族は、後ほどゆっくり語る。

 ことの起こりは、冬休み初日の朝だった。

 虹本家の朝は早い。

 家長である俺のじいちゃん、虹本紅之介(こうのすけ)がとびきり早起きだからなのもあるが、基本的に俺の家族はみんな朝が早い。今日みたいな、寒さが沁みるような日だろうと構わず。

 まず俺の姉ちゃんの虹本紫乃(しの)が、朝練に備えてどんぶり飯をかっ込んでいる。その細い体のどこにそんな大量の食糧が入るのか毎回不思議に思うほど、姉ちゃんはよく食べる。

 朝練がやたらハードだから、というのが姉ちゃんの言い分だ。姉ちゃんは弓道部員なのだ。冬休みというのに朝早くから学校に行くなんて、帰宅部の俺からすれば信じられない。

 焼き鮭がドンと乗った大量のご飯を片手に、卵焼き、焼き海苔、納豆、夕べの残りの煮物、分厚く切って焼いたハム(お歳暮でもらったやつ)をすさまじい勢いで「詰め込む」。仕上げに残ったご飯を、味噌汁で一気に流し込むその姿を見たら、密かにファンだと騒いでいる俺のクラスの連中も、考えを改めるんじゃなかろうか。

 そんな姉ちゃんの朝食を作っている俺の母さん、虹本みどりの朝も、当然ながら早い。

 その横では父さんの虹本黄一郎(きいちろう)が、スポーツ新聞片手に、お気に入りのテレビ番組『おはようめちゃ朝』を観ている。

 典型的な親父スタイルだが、一応フォローしておくと、父さんの職業は野球解説者なのだ。つまり、朝から情報取集に勤しんでいる……はずである。

 「父さん、野球コーナー始まったよ」

 「ああ、うん」

 父さんがなぜ、お天気のお姉さんがいなくなった途端にバットを持って素振りを始めているのかは、俺にはわからない。

 その横では、我が家の愛犬、ドーベルマンのクロが、父さんが庭に出たので、飛び跳ねながら散歩の期待に目を輝かせている。まだ若いせいか、こいつはどうも落ち着きがない。もともと警察犬候補として訓練をされていたのに、冷静さが足りないため不適格と判断されて、落第した後じいちゃんに引き取られた過去がある。ちなみに、よく間違われるがクロはメスだ。

 そのじいちゃん、虹本紅之介は、さっさと朝食を済ませ、一人、部屋の隅で、刀の手入れをしている。これは真剣で、なんでも、室町後期の注文打(ちゅうもんうち)(祖製品と違う、念入りに作られた物、という意味らしい)で、先祖代々伝わる逸品という話だが、本当のところはわからない。

 じいちゃんは、八年前に警察を退職した元刑事で、退職後は近所の剣道場で、師範代をしている。部屋の隅っこにいるのは、この位置からなら、仏間にある仏壇が見えるからだ。

 仏壇は、俺のばあちゃんである、虹本桃子(ももこ)のものだ。桃子ばあちゃんは、俺が二歳の時に死んだ。ほとんど覚えていないのだが、姉ちゃんや母さんが言うには、穏やかで、いつもにこにこしている人だったらしい。

 今姉ちゃんの近くで、焼き鮭の匂いにそわそわしている猫は、そのばあちゃんが死ぬちょっと前に拾ってきた猫で、名前をシロという。雨の降る中捨てられていたらしく(まだほんの子猫だったのに)、恩人であるばあちゃん以外の人間には心を開こうとしない。大体一匹でいつもゴロゴロしている。なぜか俺のことはそれなりに気に入っているようで、気まぐれにじゃれたり、布団に入ってきたりする。

 俺は本格的に素振りに集中し始めた父さんに代わり、朝の野球ニュースに目を向けながら、手元のノートにメモを書き込み始めた。俺はメモ魔なのだ。

 俺の父さんは、元プロ野球選手だ。しかも、それなりに活躍した外野手で、長いこと四番を任されていた。二年前に引退した後は、プロ野球解説者になったのだが……。こんなこと、息子の俺の口から言ってもいいものか。

 父さんは、確かに優れた強打者だった。ここ一番の勝負時にも強かったし、センスもあった。言ってみれば、天才型と言えなくもない。そういうタイプに結構あると思うのだが、動かすのは、理屈じゃなく本能。「頭で考えるな、肌で掴め」を地で行く。つまり、各場面の説明、なぜこうなったのか、次はどうするべきなのかを説明する野球解説者にはあまり向いていなかった。

 何しろ、アナウンサーに「あのピッチャーの変化球はどう打てばいいのでしょうか」と話を振られたら、返した答えが「ビュンっときたら、いち、にのタイミングで打てばいいです」と真顔で返すような人だ。コーチにはなれないタイプだ。

 「ごちそうさまでした」

 姉ちゃんが両手を合わせた後、隣に置いていた弓袋とリュックを掴んで立ち上がった。今日は部活だけだから、通学鞄はない。淡い紫の生地に、白い小花をちりばめた和柄の弓袋は、ばあちゃんお手製らしい。かなり色あせているが、姉ちゃんはいたく気に入っている。

 「気を付けるのよ」

 鉄製のフライパンから、ハムを俺の皿に入れてくれた母さんが言った。このフライパンはかなり重いのだが、高校時代はテニスに明け暮れて、インターハイまでいった母さんは、実に軽々と扱う。

 「蒼太。あんたも、テレビばっかり見ないで早くご飯食べちゃってよ」

 そうは言うが、これから期待の新人の特集が始まるのだ。

 くじ運のない阪神が珍しく引き当てた、期待の大型選手がテレビに大きく映し出されている。阪神は本当にいい新人を獲った。高校時代の彼の成績をまとめたページに、新たな情報をメモするため、俺はペンを取った。

 俺がしたことは、それだけだった。ペンを取っただけ。何の変哲もない動作。それなのに、その瞬間、俺の目の前は真っ白な光に包まれた。

 いろんなものが、急速に遠ざかる。例えば、テレビで新人選手を誉めちぎるリポーターの声とか、目の前にある卵焼きとハムの匂いだとか、冬の朝特有の冷たい空気だとか。

 そういったものが、一気に遠ざかり、足元が急におぼつかなくなった。俺は、座っていたはずなのに。感じるのは、ふわふわした落ち着かない感覚と、足が地面についていない不安。

 そして。

 一気に落下する。

 ジェットコースターに乗っている時の、落下する感覚と言えばいいのか。あの何とも言いようのない、気持ちの悪さと恐怖と、微かな快感。最後に、めまい。

 「何だ、これは!」

 父さんの声が遠くで聞こえた。ああ、よかったと思った。音も、匂いも感じなかったから、五感がおかしくなったと思った。それに、知っている声が聞こえるのはちょっと安心する。

 たとえ、父さんの方もまた、この事態を理解できずにいるのだとしても。

 「父さん!」

 俺は叫ぼうとしたが、いきなり戻ってきた感覚に声が出なかった。

 「え?」

 ちょっと前まで、俺は居間のちゃぶ台の前に座っていた。それが、なぜか急に浮かんで、落下した……はずだけど、やっぱり、俺はきちんと座っていた。そして目の前には慣れ親しんだちゃぶ台がある。ほぼ食べ終わっている朝食と一緒に。

 「何これ」

 隣で、姉ちゃんが呆然と呟いた。俺も全く同じ意見だ。

 俺たちがいたのは、築三十年のこぢんまりとした家の、和風な居間だ。

 それなのに、なぜ目の前にあるのが、絢爛豪華なお城(?)の広間なんだ?


 それが、最初に言ったとんでもない状況だ。


 「あら、映画の撮影?」

 横で母さんが、のんきに言った。まだ手にはフライパンがある。いや、この状況で言うセリフじゃないよね。確かに映画に出てきそうだけど。「ベルサイユのばら」とか、あの辺りの。


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