現実01―アラン、融通が利かない
『公子はすぐテンパるんだから』
昔から何度浴びせられたかわからない、お姉ちゃんの忠告。
そう、私はすぐにテンパる。弱点をわかっているから。落ち着くよう深呼吸して、「だいじょうぶ」と胸のなかで唱える。
目をつむって、開けてみて……
「ところで、ここはどこなのじゃ。変わった内装じゃが。ずいぶんと狭いし」
絶望した。プラチナブロンドの超絶美形はいぜんとして勉強机から上半身を生やしていたからだ。
六畳間は日本家屋では子ども部屋として一般的な広さだよ。私はうすい頬をつねる。いてて。しっかり痛い。
「夢じゃないの……?」
「なにをぶつくさ言っておる。そもそも、『夢』とはなんじゃ」
じじむさい口調の侍医は、人さし指をこちらに向ける。
「何をもって『夢』と『現実』とを区別する。おぬしが今、『現実』と認識している世界は真に現実なのか。その違いは、非常に些細で曖昧なものだと思わぬか」
急に哲学的な話題をふってきた。
私はますます混乱する。夢か現実か。たしかなのは、今この瞬間が私にとって『現実』と認識している世界と『夢』の世界のはざま、ということだけ。
「あの。セフィーレスさん」
「おう」
「なぜここに?」
「もちろん、おぬしを連れ戻すためじゃ」
ほの白い光に包まれた侍医はフンと鼻をならした。
「キミチャンが失踪してからというもの、アラン王子のやつ、ひどく落ち込んでな。領主が不在の間は奴がしっかりせねばならぬのに。表面上は平気なように取り繕っておるがいつまで持つやら」
「アラン王子が……?」
現実の亜蘭君とは違う、引き締まった表情の王子を思い出し胸がちくりと痛む。
「なぜ逃げた。王子と婚約後に姿を消すとは、ことによっては重罪になるぞ」
「逃げたわけじゃなくて……戻ったっていうかね。そうだ、セフィーレスさんはどうやってここに来たの?」
手段を問うと、セフィさん(長いので省略しちゃう)は、にまぁと悪そうな笑みを浮かべた。
「禁じられた魔道具を使ったのじゃ。『双頭の天使』――対になった天使のひとつに探し人が身につけていた物を捧げれば、その者の元へと導いてくれる。おぬし、妙な靴を置いていったじゃろ」
妙な靴?
そういえば、今朝ゴミ出しに行くとき、愛用しているスリッポンの片方がなかった。どこかに置き忘れのだろうと思っていたが、まさか異世界に忘れ物をしていたなんて。
「でも、禁じられたマドウグって何? 使っちゃって大丈夫なの?」
「いいや。最悪の場合、極刑もありうる」
「えっ」
「そんなことより――」
とっさに飛び退いたのは、私を捕まえようと、セフィさんのローブの腕が空を切ったからだ。
畳の上に敷いたカーペットがズレて、大きくバランスを崩してしまう。
「王子の元に還ろう」
「で、でも、私……」
「おぬしのせいで国政が崩壊して、アカンラザールの領地民が路頭に迷っても良いのか」
そんなこといわれても。
婚約後に失踪したのはマズイと思うけど、私には私の生活がある。果たすべき仕事も、亜蘭君もいる。
あっちには行けないの!
セフィさんは美しい顔をゆがめ、魔王を想わせる絶対零度の視線で私を射る。
「さあっ、早うこちらに来るのじゃ!」
彼が身を乗り出したとたん、その半身が揺れた。ぷるぷるっと。プリンやゼリーを、フォークでつついたときの、あの揺れ方だ。ぷるぷるんっ。
「ぐぬっ! 魔道具の効果もここまでか。無念」
「……っ」
閃光が四方八方に飛び散り、あまりの眩しさに目をつむった。
次に開けたときには、異世界の侍医は消えていた。
よかった。
ほっとしてその場に尻もちをついてしまう。
が、その安穏も束の間で。十字架の横棒が羽になったデザインのペンダントが視界に入り、背中に嫌な汗がつたった。
今朝まちがいなく交番に届けたはずなのに……。
超自然的な類いは信じない主義だけど、何らかの特別な力が働いているとしか思えない状況である。
「お祓いしてもらわなきゃ……あはは」
奇妙な笑いがこみあげてきて、その後、ぷつりと意識が途絶えた。
+ + +
お祓いってどこでしてもらえるんだろう。
庁舎のガラス扉の向こうで、行き交う人々がいっせいに傘を開いた。雨が降ってきたらしい。ガラス窓に水玉模様が描かれていく。
「公ちゃん」
はっとして顔を上げると、医療助成係の臨時職員、浜崎さんだった。
元塾講師でめちゃくちゃ頭の回転が早い上に、窓口業務も丁寧で的確だと評判だ。口元のほうれい線をゆるめ、「昨日みたよ」と意味深にささやかれる。
「かっこよかったね。私は前園君の窓口対応はイケていないと思っていたから。スッキリしたわ」
「そ、そうでしたか」
羞恥で頬が熱くなる。ふわり君襲撃事件。しっかり目撃されていたらしい。
あれだけの騒動だったのだから、バレていないほうがおかしいか。浜崎さんは抱えていたクリアファイルを私に差し出す。
「乳幼児医療の窓口対応。ひととおりまとめておいたから。よかったら参考にしてね」
「……ありがとうございます」
転入などで手続きが多課にわたる場合、案内係が一か所で対応できるようにする。
真利亜華子課長が提案した、小規模な総合窓口。
案内係筆頭の私は、これからたくさんの仕事を覚えなくちゃいけない。すでに引継書を作ってくれたなんて、さすが浜崎さん仕事が早い。
「すごいわね。このままいけば、私の仕事なんてなくなっちゃうかも。応援しているから」
含み笑いを残して、浜崎さんは自席に戻っていく。
浜崎さんの仕事がなくなる?
……そっか。窓口業務を案内係が請け負えば、臨時職員の彼女の事務を一部奪うことになるのか。そこまで考えが及ばなかった。
ふと市民課長席を仰ぎみる。
そこに、上品で小柄な初老女の姿はなかった。マリア課長。昨日のトラブルについて、部長職以上の上司に説明対応しているのだろうか。
とんでもない大事になっているんじゃないか。
仕出かしてしまったことの重大さに気づき、今さらドキドキしてくる。でも――私はパニックに支配されてしまうそうな心を奮い立たせる。
もう歯車は回りはじめたのだ。
私はお客さんに目を配りながらも、浜崎さんがまとめてくれた引継書に目を通しはじめる。そのとき、
「……! ……!! ……!!!」
庁舎案内板とふわり君の着ぐるみが並ぶ奥の吹き抜け。かん高い声と足音が、上階から降りてくる気配がした。
音はどんどん近づいてきて、正面ホールに音源の主が現れる。
女性の二人組だった。親子くらいに年が離れている。容姿や雰囲気がどことなく似ているし、母娘だろう。接客の第一線に立って三年、私の観察眼は確実に磨かれていると思う。
「ほんっと、役所って融通が利かないんだから!」
かかえていた鬱憤をまき散らすように、ショートパンツの娘(推定)のほうが吐き捨てた。
「教育委員長にも伝えておいてよ。協議してから返事してな」
母(推定)のほうも同じテンションで怒鳴る。
彼女たちの後を追うように姿を現したのは、二人の男性。教育委員会事務局の、高野係長と……
「亜蘭くん?」
予想外の光景に、私は目を見張った。
高野係長の横で直立しているのが、同僚で恋人の国枝亜蘭だったからだ。
女性たちが苛立ったように扉をくぐっていく。そこへ、亜蘭くんは走り寄ってレンタル用の傘を二本差し出した。
「よかったら使ってください」
はんっと舌打ちをして傘を掴み、庁舎から出ていく母娘。ひどい。あんまりな態度だ。
亜蘭君は、母娘の後ろ姿が見えなくなるまで一歩も動かず見送っていた。
やがて、「行こう」と高野係長に声をかけられ踵を返す。すぐ近くにいる私と目を合わすことなく通り過ぎる。
いったい何があったの……?
久しぶりに更新できて楽しい…!と思いきや、10連休が間近に迫っていますね(^-^;
今回は展開が早いです。次話でぽーんと飛びます。