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歴史のお勉強

一日怒涛の2回目の投稿なので初投稿です

◆◆◆



「それで…何か分かったか佐々木?」


「俺達が作ったカオス第二次世界大戦MODに非常に酷似した別世界…といえばいいでしょうか…世界史レベルで様々なものが違っています」



横浜随一の州立図書館で歴史書を読み漁っている小谷と佐々木。

二人が調べ上げた歴史書は実に20冊以上に及ぶ。

昼休憩を挟んで午後6時までぶっ通しで歴史書を読み終えると、佐々木は眼鏡を拭いて小谷に呟いた。


「まず、カオス第二次世界大戦MODの説明文には安土時代から改変が始まっていますが、この世界では戦国時代前半にはすでに俺達の知っている歴史では無くなっています」


「ああ、確か信長が生き残ったんだろ?」


カオス第二次世界大戦MODでは信長が本能寺の変を生き延びて、自らの力で織田幕府を開いたという設定であったが、こちらでは明智光秀が桶狭間の戦いの直後に結核で病死しており、織田信長を殺害するキーパーソンであった明智光秀がいなくなったことから、全国統一がかなり早かった。


「天正9年…西暦で直すと1581年にはすでに薩摩と蝦夷まで制圧下に置いて全国を統一、尾張国を中心とする貿易国家を開いたと書かれています」


「それが今でも残っているから東京じゃなくて名古屋に首都があるわけか…中京っていうんだっけ?」


「そうです、俺達のカオス第二次世界大戦MODでは信長が死去した後に、関東平野に京都から遷都する計画を立てていたので関ヶ原の戦いの後に徳川が江戸幕府を開いたという設定だったんですが…歴史の切れ目というか、この辺りからかなりMODの歴史概要では書かれていないようなことまで詳しく書いてあるんですよ…」


織田信長が明智光秀に暗殺されずに長生きした世界…。

そうなった時に織田信長は何をしたのか?

気になる人がいるかもしれないので織田信長のその後の顛末を書いていこう。


1581年に信長は天下を自らの手で統一し、信長公の地位を朝廷から授けられると、翌年には南蛮貿易を大々的に推進し周辺国に技術者を派遣したと記されている。

朝鮮王朝や明などの近隣諸国との貿易がより活性化され、アジア地域への日本人進出の足掛かりとなった。


亜人種、獣人種の身分制度がヨーロッパ地域で固められていく中で、日本は人間種と同様の扱いをするように信長が命じたとされている。


信長は亜人種の側近が沢山いたと資料に記載されており、史実では信長に気に入られて黒人奴隷から家臣へと召し抱えられた弥助は、亜人種のオーク…史実では信長の亡き後を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉こと、羽柴秀吉は獣人種の猿人であり、二人は戦国時代終結後は領地を貰ったと記されている。


亜人種・獣人種は高い戦闘力を有しているので戦いで優遇されることはあっても、平時ではその姿から嫌われる傾向が強かったのだ。

だが、そうした偏見を信長は無くすように努め、これに反し差別した者たちを磔刑にするなどの重罪を定めることに決定。

そうしたことから当時南蛮貿易を行っていたヨーロッパ人にも、罪人以外の亜人・獣人種への差別を禁じる「別種保護令」を天正14…西暦1586年に発布した。



「…別種なれど非人にあらず」



この言葉は信長が別種保護令の際に発したものだとされる。

信長は家督ではなく、種族・身分の違いがあっても、能力で優れたものを取り立てるように厳命し、自らの子供に幕府の継承を相続させなかった。


『如何なる種族・民族でも有能な人材を積極的に活用せよ』


信長が死の間際に語った遺言を忠実に守った結果、信長の最も信頼していた家臣達による尾張幕府が誕生したのだ。


「尾張幕府が設立したのが1600年…66歳でその生涯に幕を閉じたのか…」


「史実に比べたら大分長生きした方だとおもいますがね…そんで、その後に尾張幕府がアジア平定に動いたってわけですよ」


「えーっと…慶長9年…西暦1604年に明からの軍事的圧力を受けていた沖縄…琉球と台湾…高山国の両国に尾張軍を派遣、明軍と交戦し勝利…翌年に尾張国へ編入される…敗北した明軍は朝鮮半島方面から日本に侵攻を開始、李氏朝鮮と明合わせて18万人の軍勢が対馬に侵攻するも旧毛利軍の水軍による決死の抵抗で撃退したって書いてあるな、鉄砲や大砲を活用した結果かな?」


「挿絵や資料を照らし合わせるとヨーロッパの当時最新鋭だった大砲や鉄砲の量産体制を整えさせて西日本を中心に集中配備していたようですね…旧毛利軍の水兵は水上での鉄砲の射撃訓練を行っていたらしくて、小舟で遠距離から狙撃して近距離で船を飛び乗って斬り込んでいたそうですよ」


明・李氏朝鮮の侵攻を撃退した尾張幕府は半島と中国への侵攻を決定し、慶長11年4月(西暦1606年)から慶長18年10月(西暦1613年)にかけて李氏朝鮮と明を征服し、アジア内外にその力を見せつけた。


その後、東南アジア方面への軍事的進出も検討されたそうだが、スペイン王国を中心とするヨーロッパは明を倒した尾張幕府を脅威であると判断し、これ以上の領土拡大をすればヨーロッパとの全面戦争になり得ると西欧教の宣教師を通じて警告がなされる。


尾張幕府は警告を受け入れて、それ以上の領土拡張はせずに自国領の領地改革を実施した。

まず征服した李氏朝鮮は尾張幕府の傀儡国家である新百済幕府という国名に変更され、明には奉天・上海幕府の二つの幕府が設けられた。


琉球・高山国は尾張国に編入されたが、距離的に両国は近いということで東方諸島幕府として自治権を獲得した。


その後、200年ほど平和な時代が続くが1831年に大英帝国との貿易摩擦を巡って起こった「日英戦争」で尾張幕府は大英帝国に敗北し、上海条約によって上海幕府の有していた領土を失ってしまう。

この敗北は尾張幕府内部に大きな衝撃をもたらし、武器・兵器の開発を急がせることとなる。


「史実のアヘン戦争みたいな感じなんですね…」


「清国が誕生しなかったから英国の怒りの矛先が日本…尾張幕府に向かったって感じだな、平和だったから武器や兵器の更新がかなり遅れていたみたいだし、これにかなりショックを受けたみたいだな」


尾張幕府はその後1867年にドイツ一帯を統一したプロセイン帝国の力を借りて、近代的な憲法制度と蒸気機関を導入し、東アジア地域一帯を統括する亜細亜連邦を建国する。

この時に尾張幕府は一度解体され、日本は連邦の中核を担っているが、それぞれ政府の権限が各州国にあると明記され、日本は一つの州の中の一つであるとされているのだ。


…とりあえず、一日のうちに調べられたのは史実でいうところの明治維新前後までだ。

小谷と佐々木はノート一杯に書き込んだものを鞄とリュックサックに仕舞うと図書館を後にした。


「果たして、これから先どうなることやら…」

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