いかれた国家を紹介するぜ!(その1 ヨーロッパ編前編)
結婚式で永遠の愛を誓った中学校の同級生が浮気して離婚したという報が届いたので初投稿です
はい、今回は解説と同時にこの世界の第二次世界大戦における主要国家の説明を致します。
史実ではドイツ第三帝国やらソビエト連邦といった大国や、都市一個分道路国家や存在感皆無共産国家といったドマイナーな国家を含めると約80カ国あります。
第二次世界大戦にはそのうちの62カ国が参加した戦いとなった。
だが、この世界では存在しているのは24カ国しかないです。
それも、工業力や資源や人口もほぼ均等化された設定の為、国家の差は殆ど無いに等しい。
内政ステータスや首脳陣営設定によって多少有利不利が振り分けられているが、それでもゲームバランスに支障を来たさない程度に抑えてあるのです。
前話ではゲルマン・コミューンに対して説明をしたので、今回はそれ以外の主要国家について説明を致します。あまりにも長くなってしまったので今回はヨーロッパ地域のみとします。
ゲームの説明書みたいにクッソ長話になりますので嫌でありましたら戻るボタンを押すか、スキップして構いませんぞ。
国家の説明は小谷が設定したデータを元に書き込んであります。
設定が諄いって…?同志、シベリアで開拓の仕事が待ってるぞ。
主要国家…ヨーロッパ編
〇イングランド皇国 -所有領土:グレートブリテン島、アイルランド島、アイスランド島、グリーンランド
〇与党:英国第一党 -政治的思想:ファシスト -選挙:なし
〇国家代表者 元首:ジョージア5世 首班:シルビア総統
首脳陣営設定プラス効果
【皇国の誇り】
〇海軍戦闘力…プラス3パーセント
〇貿易評価…プラス5パーセント
〇輸送船・駆逐艦の製造コスト…5パーセントダウン
首脳陣営設定マイナス効果
【軍の弱体化】
●陸軍士気…マイナス3パーセント
●ゲルマン・コミューンの脅威…要塞建設コスト20パーセント増
●経済改革の代償…工業力にマイナス5パーセント(1935年から4年間継続)
~イングランド皇国歴史概要~
フランス革命後、大英帝国では二度も革命派によるクーデター未遂事件が勃発し、英国国内では政情不安によって幾度も軍隊が治安出動している有様であった。
英国王室内部でも次期王妃を巡って内部抗争が激化し、ジョージア5世が即位されるまでに国内は荒廃の一途を辿っていた。アフリカやインドの主要植民地は治安部隊の費用が嵩むという理由で諸外国に売り渡すほどに財政はひっ迫していたほどだ。
植民地のアフリカ、インドなどをスペインに売却し、大英帝国は落日の帝国と揶揄されていた。
後継者争いはジョージア5世に軍配が上がり、国内は一通りの安定を見せる。
大英帝国はジョージア5世への忠誠を誓い、イングランド皇国と国名を改めた年に第一次世界大戦が勃発する。
イングランド皇国はフランス・スペイン連合王国率いる「ケルト海」陣営として参戦し、フランスに援軍を送っていた。
開戦から半年後にプロセイン帝国軍の輸送船団による英国本土上陸作戦が実行され、一時的にドーバーがプロセイン帝国に占領される事態が起こった。
三週間後に英国本土治安部隊によってプロセイン帝国の上陸軍を撃退するが、国民の不安はより深まるばかりであった。
その後、フランス・スペイン連合王国の大攻勢によってプロセイン帝国は降伏し、第一次世界大戦で戦勝国となった英国は経済を回復させるのに躍進する。
その際に財政再建の為に貴族院が廃止され、一院制を導入したイングランド皇国は与党ロンドン党からチェレンバレン首相が任命され、大規模な経済改革によって見事に第一次世界大戦後ヨーロッパで二番目に経済的復興を遂げた。
英国第一党の女性党首シルビア・ウェントリーが外相を勤めた結果であり、彼女の活躍によって英国では女性の社会進出を推し進めるきっかけとなる。
1924年にプロセイン帝国が帝国制を廃止して宗教社会主義国家となりゲルマン・コミューン政権が樹立すると、当時のチェレンバレン政権はゲルマン・コミューン政権を刺激しないようにフランス共和国と共にブリュッセル条約にて第一次世界大戦で獲得した旧プロセイン帝国領の返還に合意した。
この屈辱的な条約案にプロセイン帝国で苦い思いを味わった軍…とりわけ愛国主義者達が連日大規模な抗議集会を開くようになる。
追い討ちをかけるように1925年にパリ金融恐慌が起こり、その影響を受けて国内で転換したばかりの経済改革が失敗し、国民はチェレンバレン政権を挙って非難した。
そうした不満が愛国軍人らを刺激し、イングランド皇国軍は外交手腕で有能であったシルビア外相を中心とした愛国主義メンバーと皇国近衛師団が1926年1月9日にクーデターを起こす。
クーデターは成功し、チェレンバレンは失脚。
強制的に政権交代を余儀なくされた。
与党となった英国第一党は首相を廃止して新たに権限を持つ総統職を設立し、シルビア党首がその座に就くと失敗した経済改革の再編を実施、工場で作られるネジなどの部品の規格統一を推し進めて貿易大国として国内に国営工場を幾つも建設した。
また、パリ金融恐慌で資金ショートを起こしたアイルランド王国・アイスランド・グリーンランド共和国に食糧支援と引き換えに併合し、資源と周辺の制海権を確保した。
だが、ゲルマン・コミューンは脅威を増しており、イングランド皇国はドーバー海峡側に大規模な要塞をいくつも建設している。さらに大西洋を挟んだアメリカ大陸では経済恐慌によって反イングランド派の国家が増えている。自国を守るためにイングランド皇国は海上戦力を整えなければならないだろう。
イングランド皇国は亜人や獣人の数は少なく、彼らへの風当たりも強い。
○フランス・スペイン連合王国 -所有領土:フランス、スペイン、ポルトガル、北アフリカ地域
〇与党:ブルジョワキングダムナイト党 -政治体制:絶対王政 -選挙:6年期ごと
〇国家代表者 元首:エディット3世 首班:ナポレオン6世
首脳陣営設定プラス効果
【前世界大戦の主導国家】
〇陸軍対人効果補正…プラス3パーセント
〇研究機関速度補正…プラス3パーセント
〇資源採掘効率補正…プラス5パーセント
首脳陣営設定マイナス効果
【パリ金融恐慌の後遺症】
●国民不満度…毎日0.1パーセント上昇
●軍事ユニット生産費用…15パーセント上昇
●全軍士気…マイナス4パーセント
●西欧教の浸透…内乱勃発の可能性あり(ランダムイベント)
~フランス・スペイン連合王国歴史概要~
フランス革命成功後、フランスでは自由と博愛を旨とするフランス第一共和国が誕生したが、議会内部の内紛によって大勢の死傷者が出たことにより、共和国政治は進展せずに僅か5年で幕を閉じた。
スペイン王国が混乱していたフランスに介入し、処刑されたルウォン16世の親戚にあたるエディット1世がフランスを統治し再び王政政治が開始される。
1897年に、エディット2世がスペイン王国の王族亜人種の鳥人の王女エレナと結婚したことによりフランス・スペイン連合王国が誕生する。両国の植民地は世界の四分の一を占めており、当時は世界最大の領土を持つ国家であった。
しかし、1901年の南部アフリカの反乱、1909年のインドの大乱により次々と植民地の大部分を失い、植民地をモロッコやアルジェリアなどのスペインから近い北部アフリカ地域に限定し、開発に力を注いだ。
第一次世界大戦ではプロセイン帝国に首都パリまであと一歩の所まで追い込まれたが、スペイン鳥人神速部隊による決死の大攻勢によって戦線を巻き返しプロセイン帝国に逆転勝利した。
戦勝国となったフランス・スペイン連合王国は強大な軍事力と経済力を手に入れ、1920年代初頭はブルジョワドリームと言われるほどに最も経済が発展していたが、ヨーロッパで起こったパリ金融恐慌で全てが一変する。
一日で株価は大暴落を起こし、株式は紙屑同然となり倒産する企業が続出したのだ。
その数は全体の三分の一にも及び、国内の主要産業は大打撃を受けた。
失業者の数も全国民の半数以上となり、軍事施設やプロセイン帝国から獲得した植民地の支配もままならない状況となり、止む無く独立を承認した。
現在、フランス・スペイン連合王国は国家の立て直しを図っているが、10年が経過しても回復の見通しは立っていない。
国内はゲルマン・コミューン政権から資金援助を受けているとされている労働組合党が躍進しており1932年時の選挙の際に上院の三分の一の議席を占めている。
この国では亜人種…特に王族との繋がりが深い鳥人を優遇しており国旗でも鳥人の騎士が描かれている。
その鳥人達を打倒し、西欧教並びに労働組合による国民直接政治を望む者たちが増えている現在、フランス・スペイン連合王国は大きな岐路に立たされている。
〇ヴェネツィア同盟-所有領土:イタリア北半島、スイス、スロベニア、クロアチア、ボスニア
〇与党:ボローニャ資本推進党 -政治体制:国家資本主義 -選挙:4年期ごと
〇国家代表者 元首:レティーナ女王 首班:アントニオ・ジョルダン大統領
首脳陣営設定プラス効果
【同盟の利点】
〇外交評価…プラス5パーセント
〇貿易評価…プラス5パーセント
〇武器・兵器の輸入費用…マイナス10パーセント
〇優秀なアルプス山岳兵…山岳兵への経験値プラス5パーセント
首脳陣営設定マイナス効果
【複雑な土地】
●兵士の訓練時間…プラス10パーセント
●インフラ建設時間…プラス10パーセント
●国民団結度…マイナス5パーセント
~ヴェネツィア同盟歴史概要~
ヴェネツィア同盟は元々新ローマ帝国として栄えていた国家で、1909年の内乱が起こるまではフランス・スペイン連合王国と対等の戦力を有するヨーロッパ最強と謳われた国家であった。
経済格差を巡って北部と南部で大分裂を起こし、1年後に南北を分ける形で停戦する。
旧帝都ローマの間に南北国境線が敷かれていて、それより北側がヴェネツィア同盟が有するものである。
ヴェネツィアを首都としており、新ローマ帝国最後の国王であるランドスギルニー陛下の愛娘だったレティーナ女王が国家元首を勤めている。
スイス分離同盟戦争で新ローマ帝国が介入してスイス併合を成しえた結果、山岳戦に関するノウハウを取得し、そのノウハウはヴェネツィア同盟軍の礎となっているほどだ。
第一次世界大戦時にはケルト海陣営側としてプロセイン帝国に宣戦布告をした。プロセイン帝国率いる「反仏西」陣営の参加国であるハンガリー=セルビア王国方面の手薄だったバルカン半島に侵攻し、スロベニア、クロアチア、ボスニア地域の制圧に成功。戦後にその地域の支配権を獲得し、南部に対抗するための領土拡張政策論を展開するボローニャ資本推進党が選挙で国民の支持を受けて与党となる。
莫大な賠償金が対南部要塞に費やされ、アドリア海の制海権を獲得するために大型戦艦などを配備している。
領土が拡張されたが、ヴェネツィア同盟のインフラはまだ貧弱な上に他のヨーロッパの国と比べて山岳地帯の多さから建設が難航している。山岳兵を主体にしたヴェネツィア軍は訓練を長く行う傾向があり、他の兵士でも訓練時間は多くなりがちだ。
ゲルマン・コミューンから脱出した亜人・獣人種の多くはヴェネツィアを経由して亜細亜連邦に向かったが、金銭や体力面の問題でいけない者たちはこの国に腰を据えることを決意した。
低賃金で良く働く彼らをヴェネツィアは歓迎しているが、現地住民との摩擦は深まっている。
またアントニオ・ジョルダン大統領はヴェネツィアでは手腕を高く評価されているが、バルカン半島方面の整備が遅れていることからスロベニア、クロアチア、ボスニアでの評価は悪いままだ。
ヴェネツィア同盟は再び新ローマ帝国領を取り戻すことはできるのだろうか?