179.竜とのファーストコンタクト
夜が明けた。
今日から本格的なペオニー攻略戦が始まる。
といっても、いきなりペオニーに挑むわけじゃない。その準備、いわば前段階だ。
「さて、この辺でいいかな……」
夜が明けてすぐに俺は一人で『安全地帯』の境界線に来ていた。
見渡す限り瓦礫の山と壊れたビル群が広がっている。何度見ても世紀末な光景だ。
何より目を見張るのが宙に張り付くペオニーの蔦だ。本来ならば見えない筈の『安全地帯』の壁には、そこかしこにペオニーの蔦が張り付いている。しかもその量は昨日よりも遥かに多くなっている。
(破られる心配はないと思うけど……これだけ圧巻だとやっぱり身構えちゃうな……)
蔦一本一本が腕よりも太く、ドクン、ドクンと脈打ち、まるで極太の血管の様だ。
試しに内側から一本切ってみる。こんな末端部分傷つけたところでペオニーにとっては痛くも痒くもないだろうけど、物は試しだ。
オークの包丁で斬りつけると、予想以上にスパッと切れた。
切断された蔦は地面に落ちるとみるみる枯れてしまった。だが切断面からまた新しい蔦が生え、すぐに再生してしまう。何本か試してみたが、結果は同じだった。
(反撃してくる気配は……ないな)
反撃が無意味だと分かっているからか、それともこんな末端部分など失っても何ともないからか。ともかく反応が無いならそれでいい。邪魔が入らないと分かれば、それで問題ない。
「よし、モモ」
足元の『影』を踏む。
すると、すぐにモモが姿を現した。
「わんっ」
「お疲れ、モモ。そっちはどんな感じだ?」
「わん、わんわんっ」
「じゅんちょうだよー」とモモは元気よく返事をする。
昨日から、モモたちは『影』の中でずっと竜を説得してくれていたのだ。
「……『外』に出しても大丈夫か?」
「わんっ」
モモはこくりと頷く。
今日、ここに来たのは竜と顔合わせをするためだ。
パーティーメンバーにはなってくれたが、おそらく竜はまだ完全に心を開いてはいない。アカやキキと違って自主的に仲間になってくれたわけじゃないからな。竜との共闘、パーティーの連携強化のためにはやはり話し合いは不可欠。なので万が一何かあっても被害を最小限に抑えられるように、一人で境界付近ギリギリまでやってきたわけだ。一之瀬さんは大分渋ったけどな。
(西野君も吹っ切れたみたいだし、俺も頑張らないとな……)
昨日、拠点に帰ってきた西野君は憑き物が落ちた様な、どこかすっきりした表情を浮かべていた。
五所川原さんが説得してくれたらしいが、詳しい事までは聞いていない。
でもあの様子ならもう大丈夫だろう。
ただ最後に言っていた『俺、負けませんから』ってのはどういう意味だったんだろう? めっちゃさわやかな笑顔でそう言われたけど……いや、まあそれは今はいいか。
「ふぅー……」
やっぱり緊張するな。
よし、落ち着け。息を整え、手に滲んだ汗をズボンで拭く。
上手く説得できるよう頑張るしかないな。
「それじゃあ、モモ。頼む」
「わんっ」
モモは一旦『影』に潜る。
すると波紋が広がるように、一気に『影』が広がった。
その瞬間、ざわりと寒気がした。
――来る!
ドパァッ!とまるで噴水のように影があふれ出し、そこから一匹の竜が姿を現す。
光を反射させ藍色に輝く美しい鱗、雄々しく広がる一対の翼、人間など丸呑み出来るであろう巨大な口からは鋭い牙をのぞかせている。
何度見てもその圧倒的な存在感には畏怖の念を抱かずにはいられない。
竜はキョロキョロと周囲を見回し、次いで足元に居る俺に気付いた。
「ガルルル……」
じぃっとこちらを見つめる事数秒。
竜の背後で何かが砕けた。
「ッ!?」
土埃が舞い、ヤツの背後にある瓦礫が吹き飛ぶ。
そこでようやく俺は、それが竜が自分の尻尾を地面に叩きつけたのだと理解した。
「グルゥゥゥゥウウウウウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「~~~~ッ!?」
ヤバい。超怖い。
何これ? 何でいきなり怒りモードな訳?
モモたちの説得は?
もしかして俺喰われるの?
竜に気取られぬよう必死に震えるのを我慢していると、すぐにモモとキキが『影』から姿を現した。
「わんっ! わんわんっ!」
「きゅー! きゅきゅぅーん!」
「ガルォ……?」
「わん! わふぅー! わんわん」
「きゅう!」
「……ガァ」
必死に説得するモモたち。
するとなぜか竜はどこか呆れた表情になった――ように見えた。少なくとも俺には。
「……ガルル」
竜が再び俺を見る。
するとバチッと頭の中に電気が走ったような衝撃を感じた。
「痛っ……!? な、なんだ?」
『――繋ガッタカ?』
頭を押さえていると、何やら『声』が聞こえた。
いつも聞く『天の声』とは全く別の、やや低めの透き通った女性の様な声音だ。
『――ドウシタ? 呆ケテイナイデ、反応シロ。コノ声ガ聞コエテイルダロウ?』
目の前の竜が覗き込むようにこちらを見つめてくる。
「…………まさかこの声って?」
『――無論、我ダ』
キェェェェェアァァァァァァァシャァベッタァァァァァァ!!!!
驚いて腰を抜かす俺を見て、竜はまたしても呆れたような表情を浮かべた。
結論から言えば、竜が喋ったように聞こえたのは、やはりスキルだった。
そうだよな。昨日五十嵐会長が『鑑定』した竜のスキルに『意思疎通』と『念話』がちゃんとあったもんな。
そもそもそのスキルがあるって分かっていたからモモやキキに説得を頼んでいたのに、恐怖でその事をすっかり失念していた。
『言ッテオクガ、誰デモ我ト『念話』ガ出来ルワケデハナイ。我ガ認メタ者ノミ、我ノコエガ届ク』
それはもしかしてパーティーメンバーの事を言っているのだろうか?
いや、世界がこうなる以前からスキルを持ってたっぽいし、純粋に他種族とのコミュニケーションを取るためのスキルなのだろう。自分が認めた云々は多分、プライドが高そうだからだろうな。……一応俺も認められたって事でいいのか? しかしそう考えると、モモ凄いな。仮にも竜に認められたって事なんだから。
「わふんっ」
モモ、ドヤ顔である。
褒めても良いんだよ? モフモフしても良いんだよと俺の方をチラチラ見て来るので、勿論全力で撫でてあげた。
「きゅきゅー!」
キキも精一杯モフモフする。
あー、ラブリー。癒されるわー。
ふぅー、だいぶ気分が落ち着いてきた。
すると何やら竜が興味深そうにこちらを見てる事に気付いた。
『……ソレハ貴様ラノ風習カ? 肌ト肌ヲ触レ合ウ事デ親交ヲ深メルト? ……フム、仕方アルマイ』
竜は無言で頭をこちらに差し出してくる。
「……?」
『ドウシタ? 早ク触レロ』
「えっ」
『貴様ラノ風習ニ則ッテヤル。ハヤク触レロ』
「は、はい! 分かりました!」
ものっそい睨んでくるので、俺は急いで竜の顎に触れる。
すぅっと撫でると、竜は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
『ホゥ、悪クナイ……』
「わんっ」
「きゅー♪」
モモとキキが「でしょー?」って竜の足元をくるくる回る。
……ぶっちゃけザラザラして凄く痛いです。
撫でるたびに皮膚がガリガリ削られて、なんかおろし金に触れてる気分だ。
が、そんな事言えるはずもないので、俺はしばらくの間、竜が満足するまで撫で続けるのであった。
『――フム、モウヨイ』
しばらく撫で続けて、ようやく竜は満足した。
あー、手が痛い。めっちゃひりひりする。
『満足ダ。接触ダケデ、我ヲコレ程心地良クサセルトハ。ソノ二匹ノ言葉ハ嘘デハ無カッタラシイ』
「わんっ。わふーん」
「きゅー、きゅうー」
何やら一人納得している竜とコクコクと頷くモモとキキ。
ちょっと待て、君ら『影』の中でどんな説得してたの?
「モモとキキから俺の事を聞いてたのか?」
『人族最高ノ英雄デアリ、最強ノ存在ダト言ッテイタゾ? アト撫デルノガ、トテモ上手イト』
そんな訳ないだろ! いや、撫でるのに関しては自信あるけどさ。
おい、モモ、キキ、お前ら何嘘言ってるんだよ!
「くぅーん?」
「きゅぅ?」
俺が眼で訴えても、モモとキキは不思議そうに首を傾げる。
え? ちょっと待って、お前らの中で俺ってそんな存在なの? 冗談だろ?
というか、竜さんや。ちょっと顎撫でただけで、なんでそんな事分かる訳ないだろ。どう考えたって嘘だって分かるだろ。
何を根拠にそんなデマを信じて――
『人族最強カ……。マサカアノ『死王』ト同格ノ存在ガ、コノ地ニモ居ルトハナ……道理デ何度殺シテモ死ナナイ筈ダ。奴モ何度殺シテモ平気デ生キ返ル化物ダッタカラナ』
……死王ってなんですか?
なんか俺とんでもないモノと同格の存在にされてない?
何度殺してもって……あ、そうか『分身の術』で攪乱してた時か。確かに忍術を知らないモンスターからすれば何度も蘇ったように見えるか。信じる根拠、俺が与えてたよ。
『コノ我ト手ヲ組ムノダ。半端ナ『格』ナラ爪デ引キ裂イテヤロウカト思ッタガ、『死王』ト同格デアレバ致シ方ナイ。我ト手ヲ組ム事ヲ許スゾ、人間』
「お、おぅ……」
なんかよく分からない内に竜の中では俺が人類最強の存在になっていた。
どうしよう、メッキが剥がれる予感しかしないんだけど……。うん、そうだな。今の内に正直に話して――
『無論、嘘デアレバ、即同盟ハ却下ダ。良イナ?』
「ヨロシクオネガイシマース」
うん、アレだな。前向きに考えよう。せっかくモモたちが頑張って説得してくれたんだ。なんとか俺もその期待に応えないといけないよな。
「と、とりあえず今後の事について話そう。まず今後の予定なんだが――」
ともかくモモたちが上手く?説得してくれたおかげで、俺は竜とのファーストコンタクトに成功するのだった。
……胃が痛い。




