135.市役所攻防戦 その3
きっかけは六花ちゃんの一言だった。
「何を迷ってるの、おにーさん?」
「え?」
並走しながら、六花ちゃんは俺にだけ聴こえる位の声量で訊ねてきた。
「迷ってる? 俺がですか?」
「うん、だってさっきから全然戦いに集中出来てないじゃん。それになんかソワソワしてるし、どうしたんだろうなーって」
「いえ、それは―――」
何か言い返そうとしても、言葉が出なかった。
確かに六花ちゃんの言う通り、俺は戦いに集中できていない。
理由は分かっている。
清水チーフたちの居る方向から感じる『嫌な気配』だ。
これがどうにも気になってしまい、目の前の戦いに集中できないでいる。
「もしかしてあの同僚さんたちの事?」
「ッ……」
「あー、分かり易いね。そーゆーところはナッつんにそっくり」
クスクスと六花ちゃんは笑う。
だが、次の瞬間には酷く真面目な表情になった。
「……気になるんなら行った方が良いよ?」
「えっ? いや、でも今は作戦中ですよ? 勝手に抜けるわけには――」
「うん。……でもねおにーさん、迷って結局何もしないって、後で凄く後悔するんだよ? 全部が終わった後に、ああこうすれば良かったのかなーって、ずっとずっと後悔すんの」
その言葉にはひどく実感がこもっていた。
おそらく彼女自身の実体験なのだろう。
一之瀬さんがいじめられていた時、何もできなかった自分の。
「だからさ、やらないで後悔するよりも、やって後悔した方が良いんだよ。自分の為にも、相手の為にも、さ―――おりゃあっ!」
六花ちゃんは手に持った鉈を振りかざす。
目の前に迫っていたソルジャー・アントを袈裟切りにする。
「ギァ……!?」
仕留めきれてはいない。
止めを刺すために俺は引き金を引いた。
―――ずっと貴方を待ってます。
そう言えば、アイツはそんな事を言ってたな。
大して親しくも無かったのに……。
「……」
蟻の頭が吹き飛んだ。
経験値獲得を告げるアナウンスが頭の中に響く。
……そうだな。迷って後悔するくらいなら、さっさと行ってケリをつけてきた方が良いか。
「相坂さん」
「んー?」
「ありがとうございます」
「別にいーって、んじゃ、作戦変更だね。ニッシー!」
六花ちゃんは後ろを走る西野君へ声をかける。
「どうした?」
「西野君、実は少々気になる事がありまして―――」
そして―――。
俺は現在、井上さんを殴り飛ばしていた。
これは……どういう状況なのだろう?
いや、見ればわかる。
井上さんとその仲間が、清水チーフたちを罠にはめて殺そうとしている。
そんなところだろう。
起き上がった井上さんは鬼の形相で俺を睨み付けてくる。
「テメェ……クドウか? 生きてたのかよ?」
「えっ、ああ、はい、お久しぶりです井上さん」
「クソが……邪魔しやがって」
ぺっと血を吐く。
どうやら取り繕う気も無いらしい。
というか井上さん、あんた何やってんだよ、この緊急時に……。
「クドウ君……アナタ、本当にクドウ君なの?」
清水チーフや元同僚たちが驚いた顔でこちらを見ている。
あのー、もしかしてみんな俺が死んだとか思ってたクチですか?
いや、まあ、別にいいけどさ。
「えっと、清水チーフもお久しぶりです」
「お久しぶりってアナタ……ッ、後ろ!」
「えっ?」
振り向けば、井上さんがナイフを振りかざしながら迫っていた。
「死ねえええええええ! クドオオオオオオオオ!」
ああ、気付いていたよ。
『危機感知』や『敵意感知』がさっきからずっと反応してたからな。
でも……、
(井上さん、アンタ本気で俺を殺す気なんだな……)
碌な思い出ないけど、それでも顔見知りに殺意を向けられるってやっぱり堪えるもんだな。
≪熟練度が一定に達しました≫
≪精神苦痛耐性がLV4から5に上がりました≫
≪熟練度が一定に達しました≫
≪演技がLV3から4に上がりました≫
すぅっと心が冷えていくのを感じた。
迫ってくる井上さんの攻撃を横へ飛んで躱す。
そのままカウンターで『操影』を発動。
井上さんと、ついでに元同僚たちを拘束する。
「ッ……! な、なんだこりゃっ!?」
「黒い変なのが体に巻き付いて……!」
「う、動けない……!?」
この『操影』を破れないレベルか……。
それで大体レベルが分かる。
よくその程度でこんな馬鹿な事しようと思ったな。
余りにもあっさりと無力化出来てしまい逆に拍子抜けする。
いや油断は禁物だ。
そのまま拘束を強めると、彼らに捕まっていた清水チーフと二条が解放された。
二人はその場に倒れ込む。……動けないのか?
「お二人とも、大丈夫ですか?」
「ク、クドウ君……これってもしかして君のスキルなの?」
「ええ、そうです。それよりも立てますか?」
清水チーフは首を横に振る。
「ごめんなさい。まだ体が痺れて動けないの……」
「痺れて……?」
ふと、彼女の足元に転がるペットボトルを見ると、『嫌な気配』がした。
もしかしてこれに毒を盛ったのか……?
麻痺毒……もしかして柴田君の『薬品生成』と似たようなスキルだろうか?
(―――収納)
確認の為に俺は二人に気付かれぬよう毒入りペットボトルをアイテムボックスに収納する。
リストには『麻痺毒入りの水250ml×1本』と表示された。
やはり毒が入っていたようだ。
「二条も大丈夫か?」
「先輩……がずどじぇんばぁぁいぃぃ……」
「お、おう……とりあえず、ほらこれで顔拭け。凄い事になってるぞ」
涙と鼻水、それと殴られた痣と血で二条の顔は酷い事になっていた。
ここへ来る前に彼らにひどい暴行を受けたのだろう。
もう少し早く来ていれば……いや、たらればだなそんなの。
「……ごめんな」
「……?」
首をかしげる二条。
代わりに口を開いたのは清水チーフだ。
「ありがとう、クドウ君。君には感謝してもしきれないわね」
「お礼なら、俺じゃなくて西野君や相坂さんへお願いします。……彼らが、俺の背中を押してくれたんで」
「……?」
「それに……」
俺は血塗れで倒れている二人の同僚を見つめる。
池田さんと鹿内さん。
会社に勤めていた頃は、そこそこお世話になった人たちだ。
(……すいませんでした)
謝ってもどうにもならない事は分かってる。
この謝罪が勝手な自己満足だってのも分かってる。
それでも、謝らずにはいられなかった。
「おいっ! クドウ! 今すぐこれをほどけ! おい!聞いてるのか!」
雑音が聞こえた。酷く耳障りな金切声だ。
見れば、俺の『影』によって芋虫のように転がっている井上さんが何かを叫んでいた。
「井上さん……」
「テメェ……なに見下した目で俺を見てんだ! ふざけんじゃねぇぞ高卒のくせによぉ! 早くこれ解け! 大体テメェは会社に居た頃から―――」
その目は血走っており、口からは泡を吹いていた。
会社に居た時も傲慢な人だったが、それでもここまで馬鹿な事をする人じゃなかった筈だ。
(そう言えば、あの娘もこんな目をしていたな……)
あの学校で出会った魔物使いの少女。
彼女も彼らと同じような眼をしていた。
欲望のままに自分の枷を解き放った人間だけが持つ特有の眼。
(俺ももしかしたらこうなってたのかな……)
モモに出会ってなければ、一之瀬さんに出会っていなければ。
俺も彼らと同じように欲望のままに生きて、身を滅ぼしていたのかもしれない。
そう思うとゾッとした。
「……清水チーフ」
「何かしら?」
「清水チーフは彼らをどうしたいですか?」
「……そうね」
清水チーフは少しだけ考え込む。
「私は……出来る事なら彼らに改心して貰いたいと思ってるわ」
「殺されかけたのにですか?」
一瞬、何を言ってるんだこの人はと思ったが、よく見ればその細い体は震えていた。
「ええ、分かってるわ。……でも、それでも彼らがこれまで多くのモンスターと戦って私達を助けてくれたのも事実なのよ。それに……」
「それに?」
「もしこの場で感情のままに彼らを殺せば、そんなの彼らと同じじゃないの……。私は……私はっ……!」
「……」
そう語る清水チーフの瞳には様々な感情が見て取れた。
葛藤、恐怖、それに怒り。
口で言うほど割り切れてはいない筈だ。
仲間も二人死んでいるんだ。自分達だって一歩間違えれば、彼らと同じかもっと酷い目に遭っていたに違いない。
それでもこれからの事を考えて、彼女は必死に飲み込もうとしているのだろう。
(会社に居た頃からホント変わらないなぁ……)
どうしてこの人は、自分から苦労をしょい込もうとするのだろう。
「わ、私は……その……ッ!」
二条は彼らの処遇に対して迷っているようだったが、一瞬その表情が変わった。
その意味が俺にはすぐに分かった。
「あ、あのカズト先輩……早くここから――」
「大丈夫、分かってます。二人とも、麻痺は大分抜けたみたいですね」
「あ、そう言えば……」
まだぎこちないが普通に動く分には問題ないだろう。
「二人とも、俺が合図を出したらすぐに走って下さい」
「「えっ?」」
俺は井上さんたちの方へ向かう。
(―――収納)
皆に気付かれない様に収納を行う。
……どうやら上手くいったようだ。
ならば最後の判断は彼らに任せよう。
「さて、井上さん。話は聞いていましたか? あなた達が反省し、もう二度と同じ過ちを繰り返さないと誓えるのなら、彼女達はアナタ達を許すそうです」
「……分かった。もう二度とこんな事はしない。……本当にすまなかった」
井上さんは謝罪の言葉を口にする。
「ではこれから拘束を解きます。くれぐれも妙な行動は起こさないで下さいよ? でなければ大変なことになりますから」
そう言って、俺は拘束を解いた。
その瞬間――、
「馬鹿がっ!」
井上さんたちは武器を構え、俺たちに襲い掛かろうとした。
そこには何の躊躇も反省も見られなかった。
どす黒い狂気に歪ませたその瞳を見て、俺の心は完全に冷めてしまった。
(やっぱりこうなるよなぁ……)
予想通りだったからこそ、俺はバックステップでそれを躱しつつ、アイテムボックスから取り出した『ソレ』をなんの躊躇もなく彼らに浴びせた。
「ぶはっ!?」
「おまっ……まさか、これ――!?」
大口を開けていた彼らは反射的にそれを飲み込んでしまう。
彼らが仕込んだ―――麻痺毒がたっぷり入った水を。
井上さんは水を吐きだそうとするがもう遅い。
その刹那――大量の蟻達が地面を突き破って現れた。
「なっ――!?」
「二人とも走れっ!」
「「ッ……!」」
二条と清水チーフはすぐさま走り出す。
俺も彼女達の方へ向かう。
そしてその場には、大量の蟻達と、痺れて動けない井上さん達だけが残される。
「キシッ」
「ギシシシ」
「キシッキシッィィイイ」
視認できただけでも四十体以上。上位種も何体か混じっているようだ。
「か、体が痺れてきやがった……くそ、おい殺虫剤! 早く出せ! テメェは耐性スキル持ってただろう!」
「な、無いっ! どういう事だ!? リュックに何も入ってねえぞ!」
「ハァ!? ふざけんな、あんなに大量に準備してただろうが!」
「そう言われても無いんだよ! おい、どうするんだよ! アレが無けりゃ俺たちだけでこの数は……あ、あれ? 武器は? 武器はどこいったんだ! 俺たちがさっきまで使ってた武器もなくなってる!」
「どういう事だよ!? お、おい!助けてくれっ! おい、頼む! 誰か助けてくれええええ!」
「い、嫌だ!死にたくねえっ!くそっ、来るな!近づくなあああああああああ!」
必死に助けを求める彼らの声は誰にも届かない。
欲望のままに生き、弱い者はより強い者の食い物にされる弱肉強食の世界。
それが彼らが望んだ世界だ。
だからこそ、
「クドオおおおお!頼む助けてくれええええええ!くそっ! 離れろっこのっ! あがっ、やめ――……ぁ」
俺たちは彼らに背を向けて走り出した。
二条と清水チーフは悲痛な表情を浮かべていたが、それでも走る事を止めなかった。
もう誰も後ろを振り返ろうとはしなかった。
そしてしばらくして―――井上さんたちの反応が消えた。
さて、早く西野君たちと合流しなきゃな。




