102.耐性
「はっ……はは……」
気づけば俺は笑っていた。
人間、理解が出来ない事を前にすると、不思議に笑ってしまうもんだよな。
モンスターがあふれる世界となって五日目。
もうこれ以上驚く事はないと思っていたけど、どうやらまだ認識が甘かったらしい。
「―――ルゥゥウウ……ゥゥウウ……」
それは果たして鳴き声なのか。
巨大な岩の巨人―――ゴーレムはゆらゆらとその巨体を揺らしながら、足を前に踏み出した。
ズズンッ!!!と。
それだけで大地が揺れた。
一瞬、体が浮いた。
思わず体勢を崩しそうになる。
「ッ……」
いかん、飲まれるな。
走れ。動くんだ足!
全速力で駆ける。
周囲一帯は先ほどの『叫び』で瓦礫の山だ。
『索敵』を使い、イチノセさんと六花ちゃんを探す。
周囲にはモンスターや籠城していた人達も居たのだろう。
瓦礫の下から複数の気配を感じる。
強化された聴覚は「痛い」、「誰か助けて」、「ギギィィ」だのそんな言葉を拾う。
「……知ったことかよ」
そんなのに構ってる余裕なんてない。
とにかく走る。
二人の気配のする方へひたすら走る。
―――居た。
前方二十メートル程。
瓦礫の中にイチノセさんと六花ちゃんの姿を発見する。
良かった、無事だった。
彼女達の傍には、野球ボールほどの小さなアカの分身体が見える。
弱体化した状態でも、彼女達を守ってくれたようだ。
グッジョブ、アカ。
後でめっちゃ褒めなければ。
「……(ふるふる)」
そんな気持ちが伝わったのか、フードに擬態したアカが嬉しそうに小さく震えた。
フードを擦りながら、二人の下へ向かう。
「二人とも、大丈夫ですか?」
「痛っ……な、なんとか無事かな―……」
「だ、大丈夫、です……」
アイテムボックスで二人の周囲の瓦礫を撤去する。
二人とも軽症で済んだみたいだな。
武器も無事の様だ。
「なんなんですか、あの化け物は……何で急にあんなのが……」
「分かりません。ですが、こうなった以上逃げる以外に選択肢はありません」
「そだね。あれはどう足掻いたって無理っぽいし」
アイテムボックスの質量攻撃も、『影』による搦め手も、忍術による攻撃も、あの巨体相手じゃ効果が薄いだろう。
それはイチノセさんの狙撃も、六花ちゃんの斬撃も同じだ。
戦うには分が悪すぎる。
というかスケールが違いすぎる。
「ええ、なので二人とも、ちょっと失礼します……」
「え?」
「へ?」
俺は六花ちゃんを左脇に抱え、イチノセさんを右肩に担いだ。
「え、ちょ、おにーさん!?」
「ふぁ、カ、カカカカカカカズトさ、クドウさん!?」
「すいませんがじっとしていて下さい」
悪いけど、苦情は受け付けない。
今は余裕がないんだ。
今の俺のステータスなら、二人くらい抱えたところで問題はない。
イチノセさんはもとより、六花ちゃんとも敏捷が離れすぎてるから、こうして移動した方が速いんだよ。
というか、二人とも軽いな、おい。
女の子って何でこんなに軽くて柔らかいのだろうか?
いや、そんな事考えてる暇はない。
すぐさまダッシュ。
300越えの敏捷と『逃走』をフルに使った逃げ足だ。
ぐんぐんスピードは上がり、みるみる距離を稼いでゆく。
「ッ……駄目か」
でも消えない。
『嫌な気配』が、寒気が一向に収まらない。
「……なに、アレ……?」
そうぽつりと呟いたのはイチノセさんだ。
頭が後ろを向くように担いでいるから、彼女には後方に居るゴーレムがよく見えるのだろう。
そして、背後から何かを壊すような、何かを剥がすような不気味な音が聞こえてくる。
「え、う、うそ、そんなの投げれる訳―――」
「ッ……」
その言葉で、何となくだが予想が付いた。
本能とスキルが警鐘を最大に鳴らす。
とっさに急ブレーキ。
ビキリと、反動に骨が軋む激痛に耐えながら、俺は右へ飛んだ。
次の瞬間、ゴウッと。
俺たちのいた場所を、恐るべき速度を伴って『ビル』が通り過ぎて行った。
「―――は?」
ドゴォォォンッッ!! という轟音が鳴り響いた。
複数の建物が、まるで紙屑のように崩壊してゆく。
灰色の粉塵が舞い、視界を覆い尽くす。
もうもうと立ちこめる粉塵の中、俺は何が起こったのか理解出来ないでいた。
「なに、が……?」
ギギギと、錆びた機械のように首を動かす。
視界が徐々に晴れてゆく。
そこには巨大なゴーレムが、投球を終えたピッチャーの様な姿勢になっていた。
「ルゥゥゥ……」
それで俺はようやく理解した。
ああ、そうか。
投げたのか。
その馬鹿でかい手で、馬鹿でかいビルを砕いて、俺たちに向かって投げたのか。
たったそれだけ。
実にシンプル。
「化け物め……!」
なんだよこれ。
規模が違う。
スケールが違いすぎる。
出鱈目にも程がある。
「ルゥゥ……」
ゴーレムは今度は足元にあった瓦礫の山を掬い取る。
まさか……今度はアレを投げる気か?
不味いぞ。
巨大な質量も厄介だが、『数』を投げられたら避けきれる自信がない。
あんなの一発でも喰らったら即アウトだ。
抱えるイチノセさんも六花ちゃんも絶望的な表情を浮かべる。
だが、ゴーレムの取った行動は違った。
「は……?」
今度こそ。
俺の思考は理解を拒んだ。
食っているのだ。
瓦礫を。
ザラザラとつまみのピーナッツでも流し込むように。
「ルゥゥ……ウグ……アグ……ゥゥゥ」
ボリボリと響く不気味な咀嚼音。
ごくりと飲み込み、奴は再び足元の瓦礫を掬い食べる。
攻撃……してこないのか?
どうして?
「あ……」
そこですぐに逃げればいいのに。
俺は、『その光景』を見てしまった。
強化された視覚は、瓦礫に挟まれた人間の姿をはっきり捉えた。
強化された聴覚は、『彼ら』の悲鳴や命乞いをはっきりと聞き取った。
嫌だ、止めて、誰か助けて、死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない。
それらを無視して、ゴーレムは『食事』を続ける。
瓦礫が砕ける音に混じって聞こえる、何かがミンチになる不気味な音。
ボリボリ、グチャグチャ。
ボリボリ、グチャグチャ。
ボリボリ、グチャグチャ。ボリボリ、グチャグチャ。
ボリボリ、グチャグチャ。ボリボリ、グチャグチャ。
ボリボリ、グチャグチャ。ボリボリ、グチャグチャ、と。
「うっぷ……」
思わず吐きそうになった。
気持ち悪い。
グロすぎる。
モンスターに人が襲われたり殺される場面はまだ耐える事が出来た。
でも、『喰われる』光景が、これ程おぞましいものだとは思わなかった。
俺の精神が耐え切れなかったのだろう。
頭の中に声が響いた。
≪熟練度が一定に達しました≫
≪ストレス耐性がLV9からLV10に上がりました≫
≪ストレス耐性のLVが上限に達しました≫
≪条件を満たしました≫
≪スキル『精神苦痛耐性』を獲得しました≫
≪スキル『ストレス耐性』は『精神苦痛耐性』に統合されます≫
≪スキル『精神苦痛耐性』のLVが1から2に上がりました≫
≪スキル『恐怖耐性』は『精神苦痛耐性』に統合されます≫
≪スキル『精神苦痛耐性』のLVが2から3に上がりました≫
≪スキル『あおり耐性』は『精神苦痛耐性』に統合されます≫
≪スキル『精神苦痛耐性』のLVが3から4に上がりました≫
その瞬間、心が軽くなるのを感じた。
今まで何を苦しんでいたんだろうかと思うくらいに、思考が平常に戻ってゆく。
おお、やった。『ストレス耐性』、カンストしたんだな。
んで、その上位スキルが『精神苦痛耐性』って訳か。
しかも他二つのスキルも統合され、一気にレベルが上がったようだ。
良かった、助かった。
これで落ち着いて行動できる。
「ははっ……」
思わず笑みがこぼれる。
「ど、どうしたんですか、クドウさん?」
イチノセさんが心配そうに問いかけてくる。
「何でもないですよ。少し動揺していただけです。さあ、早く逃げましょう」
二人を持つ手に力を入れ、俺は再び『逃走』を図る。
背後からは未だに誰かの悲鳴が聞こえる。
何かが潰れる音も聞こえる。
でも、もう気にならなくなっていた。
そうしてヤツが『食事』を続けている内に、俺たちは無事に安全圏まで逃げ切る事が出来たのだった。




