7月2日 雌伏の時
クラスでの立ち位置だとか、理不尽な教師だとか、ボタンを掛け違えるように拗れてしまった友人関係とか、そーゆーあたしにとっては些細ではない小さな出来事が幾つも積み重なってなんだかとても叫び出したい気分だった。何かこう、手を打つべきことのは分かっているのだけれど、一体何から始めればいいのだか――。熱っぽい耳を触りながら、あたしは屋上に寝っ転がっていて、欠伸や焦燥や怒りや憂鬱を噛み殺して空を見上げた。
あぁ、いいよなあ、空は。呑気そうで。
青空人間になりたいなあ。
なんて思って――、あ、今、あたしすっごいウパニシャッドしてんな、と思わず噴き出した。
がしゃん。
混迷する思索を破る闖入者の扉が開く音がした。
「おやおやぁ? 学校の屋上に人が来るとは珍しい」
あたしはよいしょっと起き上がる。もうまったく、折角の黄昏タイムを邪魔しないで欲しものだね。てゆーかあんた達校則を知らんのかね校則を! 屋上は立ち入り禁止なんですよ!?
と思っていたら二人はこちらに来やがった。
「ほぅらやっぱりいたやん? 姫花ちゃん」
「そうね。流石はわたしの妹だわっ」
見たことがある。学校の随一の知名度を誇るの双子姉妹だ。片方のほわほわーっとした雰囲気を放っている関西弁リボンガールちゃんは生徒会長。もう片方のキツイ眼差しのツインテールさんは確か風紀委員長でしたっけ? こいつらが役員に就任して以来、レーニンのプロレタリアート独裁以上の専制政治か敷かれ、結果、現在進行形で校則が厳しくなっていて、あたしら一般生徒に血統独裁の危うさをしかと教えてくれたことは記憶に新しい。今まで開放されていた屋上を封鎖されたのもこいつらの校則が原因だったはずだ。
「なあなあ、ちょっとええかなぁー?」
今は罷らむさようならと、ゴキブリのようにこそこそ逃げようとしていたあたしの正面に立ちはだかって、リボンガールは斯く言った。そして、ツインテールも、
「少し話があるんだけど」
な、何ですかっ!? 二人してあたしを囲んだりしてっ――気分は牛頭馬頭に囲まれた地獄の亡者、いやいや怖い怖い怖いってさあ! まさか取って食う気ですかぁ?
きゅーぐるるぅー。
うわっ、お腹が鳴った! リボンガールの! まさかほんとに――。
「美味しくないです美味しくないです! あたしタバコ吸ってるし、不健康だし、痩せてるし!」
すると、二人揃ってきょとんと首を傾げる。……あれ? 勘違いですか?
「あんたさぁー、煙草なんか吸ってんの? 今時不良でも喫煙なんてないわよ?」
べ、別にいいだろ? あたしの身体なんだからっ、セルフデターミネーションだっ! 自己決定権だ!
「そ、それよりあんたらあたしの屋上に何の用なんだよっ」
「「あたしのぉ?」」
どうやら風紀委員スイッチと、生徒会長スイッチを同時に刺激してしまったらしく、蛇のように睨んでくる二人。いや、その正義感があるのはいいけど、怖いですって……。
「みんなの……、です」あんたらの所為で封鎖されてるから使えないけど。
「って、そんなことはどうでもいいだろぉ!」
一番の疑問点は何故禁じられた場所に、模範的優等生のお二人さんがやって来たのかってことだ。まさかうだつの上がらない連中の中でも最高にうだつを上げられない模範的不良であるこのあたしに何か話があるというわけでもないだろう。
「かがみん、あんたに話があるんやで?」
え……。
「名前、知ってたの?」
「なんでそんなにびっくりしとるん? 目ぇ丸くし過ぎやし――ボビーオロゴンやん。うちらクラスメートやで? 名前ぐらいフツーやろ?」
いやいや普通じゃないって、現にあたしあんたの名前よく知らないし。とは口が裂けても言わないし言えないが、まともに授業に出ないあたしをクラスメートとして認知していたことが意外だった。しかし、もしかすると不良ってことで目を付けられているだけなのかもしれなかった。
「それで? 授業に出ろとか、宿題出せとか、説教なら聞かないよ」
そう言って、俄かにポケットから煙草を取り出して火を付けると、一服吸ってそれからすぐに、わざと煙草を二人の足元にポイ捨てしてみた。反抗というか、軽い挑発のつもりだった。けれど二人は怒らない。リボンガールは相変わらずニコニコしているし、ツインテールは頬を染めて恥ずかしそうにニコニコしている。
「ほほぅ、これはこれは……」
怒られないと逆に怖い、という真実をあたしは身をもって体験していた。
いやいやだって風紀委員長だぜ? フツー怒んだろ? ちょっとあんた拾いないさいよっ、拾わないと死刑よっ! とか、そういう横暴なことを言いだして、いやいやお前が一番風紀を乱しているからってのが風紀委員ってもんだろぉ?
「ほら姉ちゃん、言うなら今やで」
「う、うん」
な、なんだ?
頭から湯気が上るのが見えるくらいに顔を真っ赤にして、ツインテールは一歩進み出た。小さく開きかけた口は歯がカチャカチャとぶつかるくらいに震えている。
な、なんでしょうかぁ――。あははっ、今にも告白しそうなくらいに緊張してどうしたっていうのさ? ね? いや――、まっさかぁーだよね。あはは、ははっ……、そりゃないって。
「キス……とか、したくない?」
世界の端っこがボロボロと崩れていく音がした。……あーあ。
「っはぁ……。……じゃあ、もし、さ――。イヤって言ったらどうするの?」
「そ、それは……」
「無理矢理キスしちゃう? そんなのでいいの?」
「ぅ……う……」
「言っとくけどあたし結構腕力には自信があるから――、あと、彼氏もいるから(大嘘)」
「そ、そんな――」
「てゆーかあたしいい年してツインテールの女って嫌いなんだよね。なに? 男受け狙い?」
ポキリ。そんな音が聞こえた。折ったな。心を折った、その確信があった。
自慢じゃないが――っていうかホントに何の自慢にもなりゃしないけど、あたしはこの手の女子から年に数度は告白される。モテモテなのだ――全然嬉しくないけどさ……。全然嬉しくないっていうかむしろムカつくので、あたしは毎度バキバキに心を叩き折って帰すことにしている。誰にでも八方美人なモテモテイケメンくんのように傷付かないように断るなんてことはしない、なんたってあたしは不良だからな。ワルなのだ。ガハハ。
「諦めたらダメやで! 姫花ちゃん!」
余計なことを言うなぁあっ!
あたしはそいつを鬼の形相で睨んだ、けれど怯まない。あたしに憤慨していて、許せないと言った眼差しでわたしを睨み返していた。握り締めた拳は震えていた。けれどそれはきっと怒りだ。恐怖ではなく。
「は……、初めてみたときから、好きだったわ。あんたのことが好きで堪らないの。って、女の子なのに、あははは……、おかしいよね。でも別にレズってワケじゃあないのよ。だって他の女の子は全然だし……あんただけは特別なのよっ!」
「そ、そりゃあれだよ。マンガの読み過ぎだ、ゆるゆりの読み過ぎだって――」
「ち、違うわよっ」
ダメだ。もう何を言っても無駄だ。
「と――、まぁ、そぉゆーわけやから、ちょっとだけキスしてやってや。ウチからもほんま頼むし。ほんのちょっと、先っぽだけでええから」
こんな事態を引き起こしてしまった張本人は、お気楽な口調でそう言う。ふざけんなっ、先っぽだけとかマジで意味分かんねーからっ! っていうか、キスはマジでダメ。握手ならいいけど。あたしだって女子だぜ? キスは特別なんだよ!
「そう――」
急にクールダウンした。ぞっとした。そして続く言葉はあたしをもっとぞっとさせた。
「あんなぁ、うちら三歳の頃から柔道習っとってん。黒帯やねん」
戦線離脱ッ。危険を察知したあたしは屋上のフェンスを蹴っ飛ばして、ロケットスタートで最短距離に鉄扉を目指す――が、ふわり、とまるで背中に天使の翼が生えたみたいに身体が軽くなったかと思えば――地球には偉大なるニュートン先生が発見なさった万有引力があるわけで――。墜落した。投げ飛ばされた。押さえ込まれた。
「ひ、卑怯だ! 二対一なんて!」
「ごめんなぁ、ホントはこんなことしたなかったんやけど――きっちり責任は取ってもらうな」
「大丈夫、空の雲を数えている間に終わるわよ」
けれどそれは全くの嘘だった(過去形)――、ということを、矛盾しているようだが、あたしはその時点で分かった。七月二日、本日は快晴なり。
くすんだ飛行機雲。
円弧を描くウミネコ。
終末を告げる少女。
傍観者気取りのきみ。
ねえ、どうしてそんなに希望のない顔をしているの? もしかして雲は雲で、ウミネコはウミネコで、彼女は彼女で、きみはきみで。そんな相互不可侵は当たり前だって思っている? あの雲を動かすにはあまりにも無力だ、あのウミネコを叩き落とすにはあまりに微力だ、彼女の人生を変えるにはきみはあまりにも遠い、そう思っているの?
確かにそうかもね。
きみには何の力もない。何もできない。
だけど、ほら、見上げてごらん。
無粋にも天を二分する飛行機雲はやがて消えて行く。空の透明さに吸い込まれるように。
鳴きくたびれて、飛び疲れたウミネコはそっと羽休めに降りる。
雲とウミネコと少女ときみと。時間はおんなじに進んで行く。みんな同じ時間を生きているんだ。みんなみんな同じ世界に生きているんだ。ほらね。希望はどこにだってあるんだよ? さあ、一歩踏み出して――。
…………。
――やれやれ。
ぼくは屋上の縁から引き返し、フェンスの隙間を通って甘夏の元へ戻った。
コバルトブルーに縁取られた真っ白なセーラー服の甘夏は花占いをしていた。
「すき……、きらい……、すき……、きらい……、すき! や、やりましたぁ! すきです! 好きが出ましたよぉ、東堂さん。えへへ」
つまり今日こそが七月二日の月曜日だということはこの国の誰もが知っている当然のことだとして、きみ達だけしか知らないことといえばここは中学校の屋上で、そして、甘夏と二人っきりなのだった。
七月二日といえば七夕の季節、だから今日からサラダ記念日の翌日までだけ特別に屋上に笹が飾られて、きみ達生徒が思い思いに願い事を掲げられるってわけだ。
「もぉ、聞いてますか? すきだって言ってるのにぃ……」
「うん、聞いてる聞いてる、おめでとう。でも、笹の葉で花占いするのはやめよっか」
甘夏は見せびらかすように軸だけになった笹の小枝をゆらゆらしていたのだけれど、きみの指摘を受けて、びくんっ、罰が悪そうな表情になった。そして、あたかも割れ物かのように小枝を置き、ぴったりとお膝の上に両手を揃え、ガラス製の橋を叩いて渡るような声音で、
「だ、ダメですよね、やっぱり……」と、不躾を恥じた。
「うん、だめだ」
と、きみは、しゃがんだまま頬杖を突き、きっぱり言うものだから、甘夏は一層項垂れる。
その、お辞儀草のような従順さも確かに可愛いと言えば可愛いのだけれど、きみは上の空で、それはきっと花占いの所為に違いなかった。
花占いを含む恋占い全般というのはすべからく意中の相手がいてこそのものなのだから。つまり甘夏にも誰か思いを寄せている人がいるってことだ。それはきみにとって意外であった。意外というか――驚き?
色恋沙汰には一切の興味を示さなかった天真爛漫のあいつが、誰かを好きになる? 俄かには信じ難い。そう、この気持ちは言うなれば、自分の娘にいつの間にかボーイフレンドができていたと気付いたときの父親の気分だ。ああ、こんな思いをするくらいなら娘など。
――いや、こいつに落ち度はないさ。そう思い直しかぶりを振る。
周防甘夏という人間は生まれて此の方十四年、深窓の令嬢で、天衣無縫の常識知らずで、あり続けて――彼女が何者であり続けたか、あり続けるのか、それは問題とならない。それよりもこんな純粋無垢な甘夏をたぶらかした悪い虫こそ問題だ。甘夏の人間性に付け込んで勾引かそうとする害虫こそ――。
――殺してやる。
甘夏に指の一本でも触れてみろ。
ズタズタの寸刻みに引き裂いてやる。
「ご、ごめんなさいっ!」
「え?」
な、なんだ?
「どっ、どうしたんだよ? そんなに深々と頭を下げちゃって――」
「へ? 怒ってないんですか?」
なるほどね、ときみは気付いた。
どうやらぼくはどこかの害虫への憎悪の所為で、知らぬ間に随分と怖い顔をしていたらしい。だから、もしかしてぼくを怒らせてしまったのかなって、甘夏ちゃんは考えてしまったってわけだ。本当に優しいなあ、甘夏は。
「ごめんね、誤解させちゃって。――そうだ、放課後は鯛焼き食べに行こっか?」
「たいやきっ!?」
くわっ、と普段は温和な眼が大きく見開かれて、らんらん光っていた。好きなんだよね、鯛焼き。
「はぅう、たいやき、たいやきですかぁ……じゅる――って、あわわ、はしたないですよね。――じゃなくてっ、あの……是非是非、東堂さんを連れて行きたいたいやき屋さんがあるんですけど、いいですか?」
「もちろん」
と、きみは快諾して、甘夏からどこかへ誘うなんて珍しいな、と思う。でも、そうやって積極的になってくれたことは嬉しいことだ。もっと甘夏のお願いは聞いてあげたいしね。
「あ――っ、でも今日じゃなくて明日の方が都合がいいかもです」
「じゃあ明日ね」
「はいっ、明日の放課後っ」
「うぇーっ、おげええええーっ……はぁ、はぁ」
あいつッ、キスの時、唾液まで飲ませてきやがったッ。畜生。畜生。畜生ッ。
あたしはトイレの水道で口を、舌を、喉を洗っていた。喉の奥まで指を突っ込んで胃の内容物を掻き出す勢いで洗浄する。まったくアレは屈辱的な体験だった。このあたしが女子相手に力負けして、挙句腰砕けになるまで熱烈な接吻をされたこと。耳を噛まれて悶えてしまったこと。それから、パンツを持ってかれたこと。――思い出すだけでも目頭が熱くなるほど悔しくて、あたしは目を赤くしたあたしの映る鏡を叩いた。冷たい水がパシャリと跳ねた。
してやられた。と思う。
あたしは被害を訴えることさえできない。なんたって片や生徒会役員方々、片や極ミニスカートの不良女子である。どちらの言い分に軍配が上がるかは考えてみるまでもないことだ。
ならば耐えるしかない。
いつもに増してお気に入りの黒ワンピのスカートの中がスースーするが耐えるしかない。
だがしかし、今に見ていろ。けちょんけちょんのこてんぱんのぼこぼこりんッにしてやるからなッ! だから――
「おいおい、泣くなよ。涙に濡れたあたしの顔なんてらしくないぜ?」
まあ、下は濡れてるんですけどね。という下品なネタを咄嗟に思いついて死にたくなった。
いや、濡れるのは単なる防衛本能だからなッ! 絶ッッ対に感じたわけじゃないからなッ!
でもまあ。
濡れたにせよ濡れてないにせよ、パンツがなければ午後の授業を受けるのは無理ってか、そもそも午後の授業なんて受ける気はさらさらないので帰ることにした。勉強道具も持ってきてないので荷物はスマホと財布と日焼け止めだけ。身軽なものである。
学校外へ食事を買いに行っていた連中の波に逆走し、スカートを手で押さえながら階段を下り、玄関で日焼け止めを塗りたくってから外へ出る。日差しが痛い。真っ白な飛行機雲が目線の高さに濃く濃く残っていた。
いつもは自電車通学のあたしなのだが、さすがに今現在の下半身事情を鑑みた場合、この著しく防御力の低い状態で自転車を扱ぐのは痴女以外の何者でもないし、明日の不審者情報に載るつもりも毛頭ないので、自転車小屋には向かわず真っ直ぐ校門へ向かった。
さて、これからどうしよう。
あのクソババアのところに行くにはまだ早すぎる。とは言え、この格好のまま街をふらふらするほどの綱渡りをする気はない。さすがに逮捕歴を作るのはこの御時勢中々厳しいものがあるからな。いやまあ、ノーパン外出ってだけで十分綱渡りではあるけれど。
鼓動はスリル! 気分はサスペンス!
というわけでなんやかんや、目的地は河川敷に決定した。人通りもさして多くはないし、物陰もあるからノーパンで過ごすには悪くない場所だろう。――ぁあ、こうして河川敷にはホームレス、痴漢、ノーパン女などのヘンな連中が集まるんだなあと思った。
と――。
ドキリ、とする。
一歩
二歩
三歩。――ッ!
四歩
五歩
六歩、七歩、八歩、九歩、十歩。
立ち止まる。
いや、別に。そんな義務なんてあたしには存在しないし、この世界の誰にだって存在しない。でも――その権利があるのはきっと世界にあたしだけだったし、避け難くも幸か不幸か、いやきっと不幸に、あたしは何者(、、)かである人間なのだ。何もできない有象無象の制服少女とは違い、何かができてしまう不良少女なのである。だから、義務とか権利とか書き散らしたけれど、ノブレス・オブリージなんてことも過ぎったけれど、ぁあこれは運命なんだってそう確信し、韋駄天の首筋を駆け抜ける勢いで振り返って――。
「どぉおりやぁあああーっ!!」
三人衆の真ん中に飛び蹴りを食らわした。制服に身を包んだ、コンビニ帰りの少女の側頭部に足の甲を叩き込む。ぐぎょ、と、首から危険な音がして少女はゴミ収集所へ吹き飛ばされた。
「ぇえ……っ」
「ふぇ?」
突如として友人がゴミ収集所に突っ込んだことに頭の処理能力が追い付かず素っ頓狂な声を上げる二人――。だが。敵の襲来、背後からの襲撃、そのことに気付くと、恐怖と憤りの表情で振り返り、小型犬のような勢いで噛み付いてくる。
「ちょっ、みっちに何すんのさ!?」
「け、警察呼びますよ?」
「ねえ! 大丈夫、みっち?」
「うわぁああ! しっかりしてよ、みっち! みっちぃ、死んじゃいやだよぉう……」
あーぁ。だから嫌なのだ。この瞬間が死ぬほど嫌いだ。このあたしがまるで凶悪犯罪者のような。極悪人のような。そんな扱いしやがって――。
「誰だか知らないけど。絶対許さないから、もう警察呼ぶからねっ」
恐怖の最中にもよくしゃべる子なのだなと感心しつつも、そんな恫喝してる場合じゃないんじゃないかなーなんてぼんやり思っていると――
ゴッシャアアアアアアアアアアアアアアッア! パキパキパキパキパキ、パンッ!
「え?」
その凄まじいまでの破砕音も破壊を予期していたあたしにとっては物足りなくすらあった。ああ、そう。つまりはスピードを出し過ぎたコンクリート車が交差点のカーブで横転し、電柱ごと薙ぎ倒して歩道へダイブしたのだ。一台巻き込まれた乗用車から投げ出された男性が頭蓋骨を街灯にめり込ませていて、くの字になって、腰骨が砕けていた。
トラックからバラバラに千切れながら飛びだした男性の身体は電線に引っ掛かり、バチバチと火花を散らしながら焦げ臭い煙を上げていた。
酸鼻極まる光景だった。テレビの向こうの紛争地帯とかテロ現場でもない限り、大凡平和なこの国ではまず見ることのない凄惨な現場。
そして、恐る恐る通行する乗用車の砕けたフロントガラスを踏むカンシャク玉の爆ぜるような音以外はなにもなく世界は静止していた。
「ぁあ……ああ」
言葉も出ないみたいだ。腰が抜けて立てず、二人ともへたり込んでいる。
「じゃあ――、礼はいらないから」
あたしは蹴っ飛ばした少女がうゥーんと唸りながら立ち上がったのを確認して、そののちに威風堂々と立ち去るつもりだった。多くは語らぬスーパーヒーロー、ヒロインのように。
だが、その瞬間世界は再び動き出した。
というのはつまり地球の自転の所為であり、このところ日本列島を覆う高気圧の所為であり、あるいは背後を勢い良く駆け抜けた自転車の所為でもあるのかもしれないのだが、要するに風だった。一陣の風が吹いた。茹だるような暑さの中を吹き抜ける清涼な風は、一方あたしにとっては等活地獄に吹く涼風のように恐ろしい、殺人的な風だった。
踵を返して、わざとらしく気だるげに肩を揉みながら歩き出したその瞬間。ふわり、風に捲られるスカート――。と、世界は再びそこで停止――、
「き、きゃあああああああああああああ!」
痛いくらいの羞恥が炎のように爪先から上ってきて一瞬にして我が身を包んだ。ガソリンを掛けられて引火したかのごとく一瞬で――。うゎああああ、死ぬッ。恥ずか死ぬってマジでッ!ねえなんでっ? なんでこのタイミングで風が!?
「え……な……」
「クソッ、何見てんだよこのバーカ! 見るんじゃねええ!!」
脱兎のごとく逃走した。
死に瀕した人間の死期と死亡原因の見える能力――そんなのは結局のところあたしにとって風にあおられるスカートを抑えるのにも役立たないのだ。
後日談。
不審者情報。本桜町コンビニエンスストア前に於いて、若い十代と思われる女が下半身を露出した。高校一年生の女子生徒三人がコンビニエンスストアで昼食を買い高校へ戻る途中、女は突如として背後から生徒一人を蹴り飛ばしたのちに、下半身を露出して「何見ているんだ、馬鹿」と叫び、北方向へ逃走した。女は金髪で、黒っぽい丈の短いワンピースを着ており、下着は身につけていなかった。