プロローグ 復讐の時間の始まり
《だいたいぜんぶ社会がわるい》
なんてことを思春期少女である「わたし」はぼんやりぃと思ってみたのだが、しかしまぁそれは相対的な見方だ。「わたし」にとって社会が途轍もなく最低のものであるからと言って、誰かにとって最高でないとは限らないのだから、斯くの如き物言いはある意味傲慢であるともいえる。とはいえ、「わたし」以外の誰かが仮に「わたし」と同じような立場に置かれたとしても、きっと同じように社会を恨むだろうし、憎むだろうし――そういう意味では「わたし」が思うに於いて、社会というのは絶対悪なのだ。
社会、と言ったが、環境あるいは世界と言い換えた方がいいかもしれない。
うん、きっとその方が正確だよねっ。ふひひっ!
自分を取り巻く全て――「わたし」の世界を構築するモノ。世界を作り上げるモノ――世界を認識するモノ、ありとあらゆる全てを経験するモノ――知覚。「わたし」は世界を恨むと同時に「わたし」を恨んだ。悪を憎み、悪を憎むが故に「わたし」を憎んだ。
なんだかぁもぅ、いやなんだよねぇ、何もかもがぁ。
だから、ぜんぶ壊すことにした。
なんて――こんなのは心底わがままだとおもう。壊される側からしたらたまったもんじゃない。でもこの世に理由なき戦争はないのだ。
わたしは戦う、わたしの為に。彼等は戦う、彼らの為に。
帝国主義戦争も、革命戦争も、宗教戦争も、民族戦争も、そのときにはそれなりに事情があった。彼等にとって戦争を選択することこそが正解だった。後の世からあの戦争は避けられたというのはかつての複雑な事情を鑑みない、まったく無責任な戯言だ。
そういうわけで全面戦争――あるいは破壊という、「わたし」の選択は、ごちゃごちゃと色々考えた結果として「わたし」にとって絶対的に正しいのだった。
これは――。
つまり復讐の物語であると同時に、自己愛を取り戻す物語なのだ。
否定され続けたわたしを正当化する物語。
そして愛の革命――醜い世界へ送る愛の反逆なのだ。
さぁっ、くたばれ世界! 滾れ「わたし」! うぉおおおおお滾るぜ! 燃えてきたあぁああああああああ! ぶっ殺す、ぶっ殺す、ぶっ殺してやるぜぃイィイイイイイヤアアアッ!