Chapter45[魔法姫の日本語]
自分の命を守るために手入れが簡単だというクロガネグモの糸を使った装甲服を二着買って、ドワーフ用のずんぐり体型の服が並んだコーナーを回り、おそらくは試着しろと言っても反抗して突っぱねるだろうと思われるサクラの体に合いそうなものを俺が適当に選んで手早く買い物を済ませてしまう。
道行く人間すべてからジロジロと見られ続けることに嫌気がさしたのか、それともあの雑巾にして酒場の床を磨くくらいしか再利用先の思い当たらないズタ袋もどきには心中穏やかではなかったのか。
背に腹は代えられないと思ったらしいサクラは不承不承というのがよくわかる態度で差し出した服を受け取って指示に従ってくれた。
グリニャード人の作った服なんて着れるかーとかワノクニの民族衣装じゃないと受け取らなーいとか言われるのではないかと危惧していたので拍子抜けした気分だが、かと言って実際にボロイ布の服をずっと愛用されているのはもっと困る。
いわゆる風紀的な問題で。専用の奴隷ってシチュについムラっときて裏路地で襲ってしまったら憲兵のお世話になってしまう。思春期男子の妄想力と性衝動を甘く見てはいけない。
せっかく都合よく言うことを聞いてくれているのだから藪をつついてアナコンダを出すこともない。気分よく流してしまおう。
店に試着コーナーを利用させてもらって着替えさせた後はいくつかの防具屋を回って革の鎧と長剣と円盾を購入した。
できることなら金属プレート製の防具で全身がっちり固めておきたかったのだが、残念なことに服と違って店に置いてある商品の数とバリエーションが圧倒的に少なかった。
十軒余りも見て回ってようやくドワーフ向けの体型をした鎧を見つけてもフランクの体にサイズが合わなかったりしたのだ。
サクラに至ってはそもそもまず背中の空いている鎧が存在しない。
開拓者には女性も多く、人間種用ならありふれているので加工すればどうにかなりそうなものだが、そのために数日ばかり時間がかかるといわれてはあきらめざるを得ない。
「あまり重たい鎧を着こんでいると飛べなくなる」
足りない言葉を補うならば「だから金属製の鎧は嫌だ」とサクラ本人が言ったのでならばとできるだけ頑丈そうな革の鎧に路線を変えた。
ドローレスによると重量のある金属防具を嫌がるのは飛行種の獣人にはよくある傾向であるらしい。
とりわけ、板金のプレートメイルなどは飛行するために必要な柔軟性を著しく奪ってしまうため飛行種の獣人ならば相当な変わり者か、もしくは片翼になるなどして飛べなくなった者でなければ身に着けないとさえ言われるようだ。
種族的特徴として力が強いフランクは軽くて頼りない、反対に軽量性と動作性を求めるサクラは突っ張って邪魔くさいとそれぞれに不評を受けているが、革の防具だって優秀だとドローレスは語る。
まず仕立て直すのが簡単だし、魔獣の革を使ったり鋲を打ちつけていればそれなりの防御力を確保することもできる。
同じデザインにして結束力を高めたりするために加工しやすい革を利用している開拓者チームもいるらしい。
「これなんてどう? わたしも現役のころはオーク革のを使ってたし、使いやすさというか、買い換えやすさは保証するわよ」
牛、馬、豚、羊、ヤギなどの家畜からとったものも多いが、同じくらいに魔獣の革があるのが異世界風。
オークの分厚い革は廉価ながらそこそこ頑丈なため新米開拓者なんかに人気があってたいていの店が取り扱っているんだとか、ドレイクの切り傷や衝撃に強い革は代わりに経年劣化に弱くてそれなりに金を稼ぐ力がないと継続して使い続けられないとか、それぞれの特色を教わりながらひとつひとつ手に取ったりして最終的にオーソドックスなオーク革の鎧にした。
表面のほとんどが金属になっているくらいにビシバシ鋲を打ってあったものを選んだせいで岩石顔のドワーフはまるで世紀末のチンピラのようになってしまっている。
身長が俺の半分くらいしかないので不良っぽさの恐ろしげな雰囲気は滑稽さにとってかわられてしまっていた。
知らなかったが、スタデッドレザーアーマーとかスパイクレザーとか呼ばれているものらしい。
他にも籠手や足を守る鉄の長靴みたいなものを買って敵の攻撃を食い止める壁役としての耐久力を底上げしていく。
また割引きしてくれるかもしれないという下心を抱えて真っ先に向かったローレンの金属防具店で教えてもらった、大黒銅連盟という金属を広く取り扱っていた店ではシュテライトやシルヴァアイゼン、黒鋼、ミスリルのような装備品向きの素材を使ったものが多くそろっていた。
比較的格安で良質な装備が手に入るため、大黒銅連盟の装備だけで全身を固める熱心な顧客さえいるらしい。
全身を板金鎧で固めて背中に二枚も大きな盾を背負っているせいで見た目がゴーレムのようになっている女にも驚いたものだが、まだまだ序の口。
ある軽装の男はブレストプレート以外は全身を雨合羽のようにすっぽりと覆うセパレートタイプの鎖帷子しか身に着けておらず、なんと帷子の下にはアンダーさえ着ていなかった。
一切の布、革の類を拒絶している逆三角体型を見た俺は馬鹿じゃねえのと呆れる反面、あれだけ徹底していると逆に信条を貫く立派な男のようにも見えてくるのがどうにも不思議でならなかった。
どこと言わずともあちこち鎖の隙間から丸見えで見苦しいのに。
皮とか鎖に噛んで痛い思いをしたりしないのかね?
異世界に来たんだから一度は見ておきたいと思っていたファンタジー金属、オリハルコンで作られた剣を見られたことも収穫として大きかったが、特に面白かったのはシェイプアイゼンという合金を使った武器だった。
形状記憶合金の一種で、魔力を流している間とそうでない時とで形を変えることができる鉄合金らしい。
まず魔力を流さずに加工し、そのあと、魔力を流しながら変形後の形を整える。すると、魔力を流すと変形する金属製品になるのだとか。
変形させても体積はほとんど変えられない、形を切り替えるためには魔力のオンオフをつける必要があるなどの欠点はあるものの、大黒銅連盟ではこれを利用して盾を剣に代わるようにした防具やその逆、または剣と槍のような、違う役目を持つ武器を一本で兼ね備えたりさせているようだ。
サクラは刃物の部分が十字に分かれている鍛造の鉄槍を、フランクはレニウムとかいう金属で作られた馬鹿げた重さの大剣が気に入ったようだったがそれぞれ防御面と経済的な理由で棄却し、ショートソードとラウンドシールドで揃えさせた。
剣はドローレスの見立てで広めに作られた両刃剣。
先端に向けて緩やかに中心に向かって細くなり、先端で一気に閉じる形のものだ。
重さはたぶん一三〇〇から増減一〇〇くらいだろう。
ためしに持って何度か素振りをしてみたところ竹刀でやっていたいつもの素振りみたいな速さには到底及ばず、仮に俺が実戦で振ろうと思ったらかなり重たいと思うんじゃないかと感じたが初心者にも勧められるくらいに扱いやすいらしい。
「根元の部分を広くとって頑丈さを確保しながら重心を手元に置いているでしょ? だから剣に振り回されにくいし、振り始めが速くなるから防御に使いやすいのよ。あんたもこの機会に剣持ってみたらどう?」
「やめとくよ。こんな重いの振り回して戦ったら一回のスイングの間に三回は有効打突を打ち込まれるって」
欠点としては破壊力に乏しく打撃力が小さくなるので危険指定種を相手取るなら獣毛の向きに注意しなければ傷を与えられなかったり、鎧を着ているような相手には無力だったりするようだ。
とはいえ、二人が敵を仕留める能力を持っていなくても、敵を倒す攻撃力なら俺が分担しているので構うまい。
魔法を詠唱している間、誰かが攻撃を防いでくれさえすれば状況にカタを付けられる決定的な打撃力こそが俺のチートの強みなのだ。
詠唱の短縮よりも手っ取り早い戦力の確保方法として奴隷を選び、巻き添えにしない精密な魔法のコントロールを練習しているのだから攻撃力よりも防御面を優先するのは当たり前。
逆に言えば、敵の攻撃を防げないのでは容易く全滅するのが俺のパーティなのである。
取り回しを優先して盾は少し小さいかなと思うものにした。
二人ともそろって両手武器を使っていたようなのでどちらも盾の扱いには不慣れだろうし、あまり大きい盾を持たせてもかさばる上に重たくて使いづらいだろう。
いくら扱いやすいと言っても足元まで守れなくて意味がないんじゃないかと思って最初は倍の八〇セードくらいある曲面を付けた長方形の盾にしようとしたのだが、これが自分で試してみると重たいうえに盾を腕に付けると剣が振りにくくてたまらない。
少なくとも俺が盾を使うのは無理だ。ただでさえ重たくて剣が遅くなるうえ、剣道のように全身の力を使うと慣性の力で盾に振り回される。
使うのなら今後要練習といった感じだろうか。
いや、いつかのユヴェルの森でやったように走りながら攻撃を届かせない戦法をとったほうがいいか。
それなりに健脚のつもりはあるし、十分もたたずに追いつかれたとはいえオオカミ相手にそこそこ頑張れるのなら人間にだって健闘できるんじゃないのかね?
機動力で攻撃から逃げるのなら少しでも盾は持たないほうがいいように思うし、念のために自分のぶんの盾も買ったがどうするか悩んでしまう。
接近戦でも邪魔になりにくいギリギリのサイズがこの四〇セードの盾だと言われた。
これでも人間種と鉱人種との身長差でフランクには体の半分が隠れるくらいに大型の盾になっているが、フランクはここでももっと重たいものを欲しがり、軽々と盾を振り回していたのでサクラと同じものを買い与えた。
「まあ、あんまり小さい盾で自分だけ守ってもらっても困るからいいけど。ドローレス。お前凄腕の剣士って触れ込みだったよな。騎士と戦うとしたらどういう風に対処してたんだ?」
「あんたみたいな不良と違って、今も昔もわたしはそもそも騎士と剣を交えることなんてなかったけど? そうね……やっぱり攻撃されるより先に切るでしょうね」
「参考にならねー……」
完全に先に攻撃して相手を切れることが前提になっているじゃないか。
そうだった。この女、どんな状態からでも敵より先に攻撃を当てるっていう実績から『先攻』なんて呼ばれてるんだったっけ。
宿でマイラスの剣を食いちぎってしまったあの攻撃のことを思う限り、どちらかといえば『閃光』の方がしっくりくるように思うんだがね。
しかしドローレスが放ったと思われる伸長した閃光がマイラスの剣を吹き飛ばした時、励起してエネルギー準位が上がった魔力に周囲の魔力が共鳴して揺らぐ現象……俗に「魔法の発動する気配」なんて呼ばれるものを俺が感じなかったのはどういうわけなのだろうか。
そもそも。
「ドローレス。お前、魔法使いだっけ?」
「え? なんで? 違うわよ?」
そういう気配を漏らさないためのコツがあって教えてくれるのなら教えてもらおうと思ったが、これははぐらかされたのだろうか。
弟子をとったときに中国の武術における拝師のようにたとえたけれど、魔法の秘奥も同様に愛弟子にしか伝承せず、それ以外にはたとえ家族であろうとも秘匿するのが魔法使いの通例だと聞いたわけだしここは引き下がっておこう。
レニングヴェシェンでは竹刀に使える品質の竹が売られていないことは既に知っているので、大黒銅連盟から出た俺は手近にあった店で装備に慣れておくために今晩の訓練で打ち合ってもらうための剣士の練習用に売られている木剣を買う。
大した値段でもなかったが、壊すことを前提に十本単位で買い付けて割り引いてもらう。
商品のみならず店の壁や床まで金属で張られている大黒銅連盟には金属製のものしかおいていなかったのだ。
木剣でも怪我をしそうだというのに、刃がついていないだけの頑丈に作られた金属の棒を練習用と言い張るのはいかがなものだろう。
本当は誤って頭に命中させた体で殺すための道具なんじゃないのか?と考えてしまうのは、やはり異世界で命がけの生活をしている人々と、世界大戦の経験を過去のものであるかようになあなあで流して平穏のぬるま湯にどっぷりと肩まで浸かっていた俺との感覚の差が描き出す幻なのだろうか。
ついでに旅路に必要そうな物をかさばらない範囲で揃えたり、持ち運びが面倒そうなものはあらかた店の場所や商品の品ぞろえを覚え終えたので、情報への報酬という名目でスパインに払うと約束していた後金のことを思い出した。
もったいないし知らぬ存ぜぬでばっくれようかという邪念が悪魔の姿をとって耳元でささやきかけるが、約束は約束だ。
ただし、実際に会って渡すとまたパーティへの勧誘をされる公算が大きい。それを回避するための法外な情報料なので、直接スパインに渡しに行っては本末転倒だ。
今なら開拓者同士のもめ事を仲裁してくれるドローレスがいるし、と利用する魂胆全開でギルドに委託するために戻ろうと歩いていると、横に羽の生えた馬が並んできて馬の背に腰かけている女の子に呼び止められた。
「珍しいですね。あなたが男に青あざも作らず骨も折らず縄をかけて引きずるでもなく普通に一緒に歩いているなど、どこで天変地異が起きたのでしょう。リリシアの話では蝶が羽を動かすような些細なことが遠因となって竜巻のような災害を起こすことをバタフライ効果と言うそうですが、あなたがそんな気まぐれを起こしたせいでどこの大陸が沈むのか教えていただけますか?」
「相も変わらずにクソ生意気ね。人を暴れん坊の大猿みたいに言うな。わたしなんかよりあんたのほうがよっぽど手の付けられない猛獣でしょうが。ドラゴン?」
「よく言いますね。お酒を飲みすぎて酒場の主人相手に三時間以上もくだをまいた挙げ句にその酒場で泥酔して喧嘩を始めたゴールドランク二組合わせて十人余りを全治六ヶ月に叩きのめした一件をもう忘れたのでしょうか。その場に居合わせて後でゴリーラズが暴れる酒場があると噂していた開拓者が三日後には神から天啓を得た聖人のように人畜無害になってゴシップを広めなくなった理由を尋ねても?」
「さ……、さあ? もしかしたら本当に護法善神のお告げがあったのかも知れないわよ……?」
「ほう。ゴリラ、ゴリーラズ、ドローレス、年増、熟女、行き遅れ、行かず後家、オールドミス、売れ残りといった単語を聞いたら腹ペコ狼に家を吹き飛ばされた長男仔豚のようにガタガタ震え始めろ、と言う神がいるとは初耳です。どこの邪神ですか?」
呼び止められたのは俺ではなくドローレスだ。
大きな白い羽と長い角を持つ、なんだかペガサスとユニコーンがチャンポンされたような馬に乗っている女の子には俺も見覚えがある。
この世界に来て三日目のこと、奴隷商人の馬車から逃げ出した俺が逃げ込んだユヴェルの森腹を空かせてふらふらしている間にツインテールウルフの群れに見つかって追われていたときのことだ。
ツインテールウルフの女王を退治するために森に入ってきて、たまたま俺の走る先にいたこの女の子が火炎の槍の連射で今にも俺を食い殺しそうだったオオカミの群れを一掃し、過剰な火力のせいで起こりかけた森林火災に何十倍もの重力をかけて力任せに鎮火したという出来事があった。
魔法姫。
レティシア・オーデット。
魔法に詠唱を行わず瞬間的に広範囲を殲滅する、グリニャード王国最強の魔法使いである。
「ッ……!!」
彼女を見た瞬間、本来であれば初めて見る、日本に伝わっているどの幻想生物にも該当しない一本角の生えた翼持つ白馬に夢中になっているべき俺はそれを無視して勢いよく振り返った。
ワノクニ征伐を勝利に導いた結果でグリニャード王国内から英雄として扱われている魔法姫は、ワノクニの人々にとってはきっと血まみれの大量殺戮鬼でしかないはずだ。
チート持ちなのではないのかと疑うほど反則的な速さと法外な威力、攻撃範囲を持つ法撃を以てサクラの祖国を滅ぼした仇敵。
おそらくは彼女が奴隷の身分に落ちた間接要因。
俺も大規模な魔法を使えるから分かる。
彼女の火炎は決死の覚悟を持った戦士団を百メーテルもの範囲でまとめて焼き払い、濁流は国一番の弓取りも初めて弓をとって参戦した新兵も一緒くたに戦場ごと押し流したはずだ。
誰も竜巻とは戦えない。どれだけ武芸を磨いたとしても洪水に太刀打ちができるものか。
平等に勝利のチャンスを与えられる決闘ならばいざ知らず、ルール無用の戦場における俺たちは天災に等しい。
ワノクニ征伐での魔法姫の振る舞いは戦士が誇りに思うような尋常なる剣技の競い合いとは程遠い、ごみ処理工場のベルトコンベアに生ごみの塊を流して焼却炉にクレーンで放り込むような一方的な殲滅だったことだろう。
奴隷に身をやつしてさえ我が身を顧みず決して軽くはないはずの隷属の呪印による苦痛のペナルティを受けてもグリニャード人の主人にはつかえようとしない。ここまで強靭な反骨精神を持つサクラならたとえ白昼の往来でも飛び掛かったってまったく不思議はない。
想像を助長するように、おあつらえ向きにも大黒銅連盟買い物の直後でサクラの手元にはドローレスのおすすめ、初心者にも扱いやすい刃のついた凶器があるじゃないか……ッ!!
「フランクッ!! サクラを取り押さ……え、あれ?」
切りかかった時の結末を予想した未来はどれも凄惨な死体だ。
俺がもらった能力はマジックブースト。魔法の威力では人後に劣らない自覚はあるけれど、ユヴェルの森で見た魔法は発動までのスピードが違いすぎて勝負にもならない。
仮に掠める形であっても魔法姫に刃を当てるビジョンを浮かべることがすでに困難だ。
そうして俺は文字通り実力に訴えてでもデッドエンドフラグをたたき折るために強権を発動してフランクと協力し、なんなら体当たり的に取り押さえて魔法で拘束するまでの手順を組み上げつつ振り返った。
の、だが。
サクラは想像したように刃を振りかざしてはおらず、それどころか剣に手をかけもせずに憎々しげに魔法姫を睨んでいるばかりだった。
それも本気の憎悪ではなく嫌なものを見て気分を害したという程度。
「……なによ」
「あ……いや、……あれ?」
ワノクニ征伐の立役者とも言える人間の登場で俺はサクラが暴れだしやしないかと恐々としながら振り返ったというのに、この異常な状況はどういうことか。
事情を知る者が十人いたらその全てが目を見開き見直すんじゃないだろうか。
「お前、なんで剣抜いてねえの?」
「はあ? こんなところで剣なんて抜いてどうしようっていうのよ」
狐につままれたような気分のまま、間の抜けたことを言ってしまった。
これではまるで剣を抜いて切りかかれと言っているみたいだ。
「いや、だって……」
背後でドローレスとやりあっている戦争の英雄と敗戦国出身の奴隷を交互に、何度も見て確認してしまう。
それで察したのか、ああ、とサクラは納得したように軽くうなずいた。
そして不愉快に双眸を鋭くして言う。
「わたしを狂犬とでも思ってるの? そりゃあ敗戦の恨みはあるけどいまさら魔法姫を殺したってどうなるってものでもないし、別に切りかかったりなんてしないわよ」
復讐心で仇を討ったって死んだ人は蘇らないし、滅んだ国は戻らないのなんてあたりまえのことでしょう、と言ったきりサクラはそっぽを向いてしまった。
どういう心持ちなのか、敗戦国に生まれておきながら敗戦を実際に身で経験していない俺には分からず、恨みの念があるのではないかとしか想像がつかないけれど、どうやらサクラは魔法姫に切りかかるつもりはないらしい。
ならどうしてグリニャード人の主人をことさら嫌がるのか、奴隷なのに反抗的なのかという問題の理由が宙ぶらりんになってしまうのだが……。
ダメだ。さっぱりわからない。
女ゴコロは複雑怪奇です、と早々に理解を諦め、万が一実際にサクラが暴れだしてもこの場にはドローレスがいる。
いざとなれば止めてくれるだろうし仲裁してくれるだろうと無理やりに自分で安心できる材料を見つけて体を戻した。
「それで、前回騎士を連れて侵入した際に写させた壁の模様をリリシアに見せたところ、壁画とともに描かれていた模様が文字である可能性が極めて高いという話を受けました」
「そうなの? なら聖鍵宝窟が攻略されるのも時間の問題なのね」
聖鍵宝窟と聞いて意識がさらわれる。
エリーゼから魔法姫が聖鍵宝窟を攻略しようとして最深到達記録を残していることは聞き及んでいたが、まだ攻略をあきらめていなかったのか。
これは聖鍵宝窟攻略を急いだ方がいいかもしれない。
すっかりヴィクトリアとの勝負を片付けてからにするつもりだったが、三日もすればその間に魔法姫に全部持って行かれるかもしれないことがわかったのだ。
できれば明日……はエリーゼが雑用依頼を効率的にこなせるように用意をしているだろうから、明後日にでも聖鍵宝窟攻略に取りかからなければ。
「それが……リリシアが文字記号らしいことまではあたりをつけたところまではよかったのですが、発見したものはどの国の言語文字とも異なっているのです。あまりに資料が少なく解読が難航しているのが現状ですね」
「『図書館の魔女』様にもわからない文字なんてあるの?」
まずい事なのか、声をひそめてドローレスは尋ねた。
「わたしが同じことを言いましたらリリシアは当たり前と返してきましたよ。時代時代で文字など千変するからすべてを網羅なんてできないとか。どうもワノクニ、ヤマト、ラクヨウ王朝で使われている文字に類似しているようなのでそれを足掛かりに推論と憶測を重ねながら翻訳していただいてはいるのですが……」
魔法姫は目を伏せて言葉を濁した。
リリシアとかいう人物が発見された文字らしきものの解読に手間取っているのは吉報だが、しかし同時に俺が調べても無意味に終わる可能性が出てきた。
文字、語学関係は神からチートを受けた時に自動解読されて、俺が認識しやすいように翻訳されることは【メニュー】の【FAQ】に記されていたが、それはこれまでに農民や貴族として転生する形でこの世界を調査してきた先人たちの功績を借り受けているだけだ。
独自の暗号や古代の文字、未開の地で使われている文字だった場合には通用しない。
「そうなんだ。それで、だったらあんたはこんなところで何をしてるの? 王立図書館は貴族街のはずよ?」
「先日奴隷を購入しましたので教育のための買い物をしていました。メリルがメイドになりたいと言いましたので仕事を覚えさせる練習用の道具が大量に必要なのです。三歩、歩く間に何か壊しますから」
「没落したアヴァラータの家だっけ? 十八日のオークションで次女に十億も出して買ったって聞いたわよ? 四人で十五億くらい?」
「合計十八億一千万です。あの百パー男が競ってこなければもっと安く買えたのですが」
「貴族と正面から資金力で争ったらそれくらいになるのね。竜人種を何人も買えるじゃない。あんたもワケわかんないことするわよね。メイドにするならもっと別の奴隷がいるでしょうに」
「個人資産をほぼ使い切りましたが、見た目が悪くては話になりません。陛下から頂戴しました報償がまるごと残っておりますし、基本、やがて召喚される勇者様にご用意させていただく後宮に入れるためなのです。文にも武にもうとい愚鈍な無能一族であれ、器量美貌は王国屈指。バカさ加減はフォークでもスプーンでもすくえませんが、家族全員、頭が軽すぎて本当に足がふわふわ浮いているのではないかと疑うほど社会不適合者だというのにも関わらず、アヴァラータ家が侯爵という地位まで昇りつめたのは毎日のように舞い込む政略結婚の申し込みによるものです。あの血族は天然のままに異性を夢中にさせる魔性なのですよ。いくらメリルがあっぱらぱーでも寝台上に寝そべり股を開いて天井のシミを眺めるくらいのことはできるでしょう」
「だったら婿養子の父親まで買った理屈が通らないんだけど? お姫様は善意を評価されるのが照れくさいお年頃なのかしらねー☆?」
にまにまと笑う邪悪な表情を隠せていないドローレスは鉄面皮のように表情の変わらない少女をからかっている。
「あ、メイド関係なら商人通りの方にある『ヴィクトリアン・フレンチ』って店が安くていい品揃えよ」
「それはどうも。お返しにわたしも助言しましょう。あまり窓の桟を指でなぞるような事を言っていると年増に見られ男に敬遠されますよ。ただでさえ賞味期限切れて致命傷なのにこれでは腐った死体です」
「黙れクソガキ。ぶつわよ?」
逆鱗をつつかれ、ドローレスが例によってちびりそうなほど強い殺気を放射した。
路地の方で犬猫の悲鳴がして、街を歩いていた開拓者が武器に手をかける。素早い反応をした者は光を当てられた陰虫のように逃げ去ってしまった。
肌を指すような濃密で攻撃的な気配に声も出ない。
思わず反射のように跳びすさった俺の前左右でフランクは脂汗を滲ませながら石になったように硬直して、サクラはガタガタと震えていた。
これを正面から受けながら、怯えだした騎馬のたてがみを優しくなでてあやしている魔法姫の胆力に驚かされる。
いや、こうでなければわずか九歳の子供が戦争で敵を虐殺することなんてできないのか。
唇をとがらせているドローレスの様子に満足したようにふん、と鼻で笑った魔法姫は前開きのローブの内側から紙を取り出してみせた。
「さておき、あなたと会えたなら好都合。このあとギルドで依頼を出そうと思っていたところだったのです。ここに聖鍵宝窟で発見した文字の一部を書き写したものがありますので、掲示板に張り出して読める者がいればすぐに王城に与えられたわたしの私室まで来るように伝達をお願いします」
「おーけー。お城のほうにも話を通しておいてよ?」
「そちらはもう城門に兵士を交代で立たせています」
ドローレスが受け取ったときにわずかに文字が読み取れる。
「私の出遇った事……?」
聖鍵宝窟から出土したというそれは、異世界に来てはじめての日本語だった。




