Chapter28[剣道の経験]
王都レニングヴェシェンの東南南に一直線に延びている聖剣街道を進んだ先にあるユリア渓谷はフェリス山脈の一部で、ユリア渓谷を挟む山々からゴブリンやオーク、ドレイクのような危険指定種が住み着いている。
すでに受けていた七つの依頼については断ると依頼失敗の罰金が科せられるので瞬間芸のごとく完遂してギルドに戻ると、ラナが数枚の依頼書を持ってそれらを退治しようと提案してきた。
鬼退治、と書かれているその依頼書を見て即座に思い浮かんだのは猿と犬と雉を餌付けしてお供にし、鬼の財宝を強奪し村に帰って幸せになった、「日本一」の旗を背負っている桃から生まれた青年の姿だが、別に鬼といってもゴブリンやオークのことで、日本の古き良き鬼のような角は生えていないそうだ。もちろん悪趣味な虎柄の腰巻もつけていない。
ゴブリンは体長一三〇セードくらいの小人種くらいの、耳がとがった人型の危険指定種で、オークは肥満体系の豚の顔をした二メーテルくらいの危険指定種らしい。
こいつらはとりあえず人がいるところならどこにでも生息できる適応力を持っていて、しかも繁殖力が強く、すぐに増えてきて近くの人馬家畜を襲う。
食べるため以外にも、若い女をさらっては自分たちの巣で奴隷のように扱って子どもを産ませる性質まで持っているらしい。
王都周辺なので戦士団が定期的かつ大規模に掃除しているのだが大人の事情で狩りつくすほどのことはされていない。
殺しても殺してもすぐに数が戻るからガラスランクやアイアンランクの主な収入源になっている醜悪な鬼だそうだ。
鬼というと鬼人種という亜人の種族もいるが、こちらはちゃんと角を持っていて、人語を話せるだけの知能を持っているため、間違って殺すと殺人になるので注意が必要だ。
クリシュナムルティ皇国などの一部の国ではひとくくりに魔獣として危険指定種と同じ扱いをされているのが不遇といえば不遇の種族だが、彼らは力が強く、魔力も平均して人よりも多いのでグリニャード王国は共存していく方針らしい。
ともあれ、人を襲う危険な生き物なので狩り殺す必要があるのだが、数匹でも残すとあっという間に増えてしまうので完全に殺滅し尽くすのは事実上不可能で、次善の策として開拓者に、一匹ごとに数十デロー程度の、まるで造花の内職のごとき安い金で間引かせている。
感覚的にはもっと手ごわい相手を倒さなければいけないものを持ってくるかと思っていたが、ラナは故郷でそれなりの期間、開拓者をやっていただけあって冷静だった。
「先生は純魔法使いなので、わたし一人で止められる相手じゃないといけませんから」
失礼だが、普段の元気で明るい様子から頭が軽いイメージを勝手に持っていた俺はそこで弟子を軽んじていたことを反省させられた。
地方で開拓者をしていた時にラナはゴブリンを主に狙って狩り、集団ではオークを狙っていたので、経験的にも生かせるものが多いという判断だそうだ。
聖剣街道を外れると、すぐにオークの集団が見つかった。
「三匹か……やれるか?」
「守りに徹したら一分くらいは引き受けられると思います」
「よし。だったら頼む。その間に俺は魔法を唱えるから、合図をしたらすぐに下がれるようにしておいてくれ」
聖剣街道はユリア渓谷まで一直線に草原をぶち抜いている道で、周囲は草原になっているため、身を隠せる場所がない。
ラナと作戦を練っているのは二言三言までが限界で、俺たちに気が付いたオークたちが咆哮を上げて迫ってくる。
とりあえず確殺できるように威力の大きいやつにしよう。
「天地万物に逃れるもの無き世界の重さ」
ラナが駆け出すと同時に俺も詠唱を始める。
平均して二メーテルを超えているオークたちは膂力において見た目を優に超えているらしいことはすぐに分かった。
持っているものが人間の武器を優に超える大きさを持っているからだ。
人間なら鍛えた戦士が両手で持ってようやく運べるだろう大きさの金属剣や、棍棒の類を片手で振り上げ、そのまま走り寄ってくる姿は顔面の不細工さを埋めて有り余る迫力を持っている。
ラナが一分止めると言っていなければこの時点で踵を返して逃げ帰っている自信があるくらいだ。
「総軍を震わせる開戦の号砲も、山に聳える堅牢なる城塞も、天主の杭を恐れよ」
「見えざる射手たちが風の矢を届ける」
走りながらラナも魔法を使うつもりらしい。あの詠唱はウィンドボルトか。鋭さで相手を貫く風の弩。見えない弾丸。
「彼の槍に逆らえるものはなく」
「奇しきラッパの合図を鳴らせ」
片手にナイフを持ったラナがオークと接近する。
生意気にも突撃してきた小娘の頭蓋を叩き潰す棍棒が二メーテルもあるオークの全体重に十キードはありそうな棍棒を片手で振り回す筋力を上乗せして振り落とされ、身をひるがえして寸前に真横に跳んだラナはそれを回避する。
回避したラナを、棍棒を振り落としたオークは追いかけられない。飛び込んでくることを前提にした粉砕撃を地面に打ち込んで手首にダメージが入ったようで、悔しそうに自分の後ろから仲間が追い越すのをにらみつける。
「彼を縛る鎖はなく」
「空を駆けよ狩猟の大鷲!」
左側のオークの胴体に向けて風の矢が走り、かわそうとしたオークの脇腹に突き刺さる。それで十分だ。ラナの役目は時間稼ぎ。自分の魔法で仕留める必要はなく、よって必殺の急所でなくてもいい。よけにくく、体力を消耗させる胴体を狙って撃ったのはそういう理由。
血をしたたらせて苦痛にうめいたオークをしり目に、無傷の一匹がラナに追いついた。振り落とすものは金属の剣だが、やはり狙いは大上段。
「GGUUUUUUGAAAAAAAAAAAAA!!」
後ろに下がるラナを捕まえるために身を乗り出すようにした片手打ち。腕をまっすぐに伸ばしてさらに射程を延ばす。
だが、ラナはそれを見越していた。必殺の攻撃が振り落とされる寸前に真横に足を入れてまたも真横に跳び、空手のまま握っていた手を開いて何かを投げた。
「グウウウオオオオオ!?」
土だ。正確には土を握り固めただけの泥みたいなもの。それを顔に受けたオークが顔をこする。
目に入ったりはしなかったようだが、ラナを追いかけるスピードが下がった。また泥を投げつけられることを警戒しているのだ。
「彼に縛れぬものはなし」
手首を痛めたオークが魔法を受けたオークと一緒にさらに迫る。ラナにとって左側から、方向がそれぞれ微妙に違う。
腰だめと片手で持ち上げられた姿勢から予想されるのは先駆けて到着した横殴りのスイングと脇腹をかばって斜めに落ちてくる棍棒。
「せぇっ……!」
ラナは斜めに落ちてくる攻撃のオークのほうへと一歩近寄って、あえて到達までの時間を早め、オークたちもそれを狙いなおしてスイングし、
前転して当たりを低くしたラナの真上で互いの武器をぶつけ合った。
「微塵となって砕ける栄華の夢」
その隙をついて足元を走り抜け、ついでに魔法で負傷しているオークの脛を切りつけた。
すぐに離れていくが、反対側の手が握られている。今の間に土を拾ったのか。
さらに攻防が続く。ギリギリで、しかし的確な動きでかわすラナは明らかに実戦慣れしている。ただかわすだけだと返って苦しいようで、時々軽い攻撃をしてオークを牽制する。
さすがに三対一になった戦いの中でまで魔法を唱えられたりはしないようだが、できる限り順番にさばいていける状況を作り出して一対一を連続する。
もっとも、隙を作り出してもすぐにほかのオークが追い付いてくるので決定打を与えられるわけではないらしい。足自体はオークのほうが速いし、やはり三匹というのは長引かせるのは危険か。
「幸いなる海の王。汝は重いがゆえに深く、優しき青に守られている。光の波導。静寂の時を幕に引く。支えよ大地の巨人。……下がれラナ!」
「っ……! はい!」
俺の前でオーク相手に切り結びながら、攻撃をよけることに終始して時間を稼いだラナが攻撃を受けて吹き飛ばされてこちらに飛んでくる。
受け止めることはできない。そうすればラナが一人で稼ぎ出した時間が無駄になる。
「アトモスフェリックパイル!!」
追いすがり、とどめを刺しに来たオークたちに風の瀑布が大空から殴りつける。豪風を配下にひきつれている大気圧の杭はさながら神槍の穂先のごとく術者に仇なすものを一突きにして大地に深く埋没させる。
ロナルドのそれよりも何十倍も大きい空気の杭はそのまま開放してしまうと内包する空気の爆圧で外に広がって俺達まで吹き飛ばす爆弾になるのでもう一度空まで打ち上げてから制御を手放す。
「うお……」
「草原が……」
青々とした草を生やしていた草原のど真ん中にすり鉢状のくぼみが撃ち込まれていた。岩盤も一緒に打ち砕いたようで、地面にひびが入ってガラス片のように散らばっている。
その底のほうに数匹のオークが表現するとZ指定を受けそうな感じにひき肉になった状態で、転がっているというか、広がっている。
「うえ……」
虫でも潰すとキモいのにそれが柔らかい肉を持っている生き物では拍車がかかる。
「さ、さすが……先生です……」
慣れているはずのラナでさえこれだ。俺は生き物を殺す覚悟とかそんなもので悩むようなたちではないが、しかしここまでグチャミソになったものは本能的なところで忌避感を訴えてくる。
「は、剥ぎ取りはしますか?」
「いや、大変すぎる。何か持ってても全部壊れてるだろうし。つーか悪いな。せっかく倒したのにやりすぎた」
オークを狩っても一匹につき一八〇デローしか手に入らないので、さらに収益を上げるために開拓者は倒したオークの持ち物をはぎ取って買い取り商に持っていくのだが、魔法の威力が高すぎて壊してしまった。
「どのくらいの魔法で倒せるもんなのかな」
ラナが一人で時間を稼ぐ役目を請け負ってくれているので、一発で決めようと思ったのだが、どうやら威力過剰すぎた。
ラナがオークの討伐依頼を受けると知ったドローレスが採集系の依頼も一緒にこなすように依頼書を重ねてきたので彼らの皮と肝臓の中にある結石を集めなければいけないのだが、アトモスフェリックパイルで穿ち潰したオークは骨も皮も肉も全部ぺっしゃんこになっていて、どれがどれなのかさっぱりという惨状だ。
「そうですね……。ちゃんと頭とか心臓を貫通したらアロー系やボルト系の魔法で倒せますよ」
「なるほど。わかった。次からはそうしよう」
と言ってウィンドボルトを使ったら頭に風穴があいてグロを展開することになった。
基本的に俺の魔法は全部狙った以上に威力が出やすいようで、貫通力などを意識して使うと大木を貫通するくらいの威力は余裕で出る。
狙い自体は銃弾もかくやというスピードとラナ人形を作って鍛えているコントロールがものを言って、慣れてくるとラナが敵の攻撃圏に入る前に仕留められるようになってきた。
「さすが先生です! 百メーテルも先にいたのに当たりましたよ!」
「まかせろ。二百メーテルまでならアリの巣の入り口にだって当てられるぞ!」
誘導狙撃向きのアロー系には負けるが、弾幕向きのボルト系の魔法もある程度の誘導ができるので、実際、見えているのならどこにだって当てられそうだ。
那須与一がやった小舟の上の波に揺れる扇を射抜いたっていう達人技だって不可能じゃないと思う。
「そんなにですか!? 本当にすごいです……!!」
「そうか? 俺からしたらラナのほうがすごいと思うぞ」
剣道部で三年間、卒業するまでガッツリ部活をやっていたが、ラナのように何匹もゴブリンを引き付けておいたりが自分にできるとは思えない。
竹刀のような棒でも持っていれば、一対一という前提でなら俺もゴブリンと戦えるかもしれないが、オークは無理だ。
二メーテル。
単純な体の大きさという強さで圧殺されるのが戦う前から目に浮かぶ。ほかにも気の強さや荒っぽさという要因もあるが、大体のガキ大将が同級生よりも大柄なように、体が大きいということはそれだけで強さの理由になる。
わかりやすく例えるなら象に踏まれたら人間はまず瀕死確定だが、猫にのしかかられても痛くもないといったところか。
銃器の説明で、高い威力をたたえるために象を殺せるというフレーズが使われたりしているように、俊敏さなら猫は象をはるかに上回っているだろうに、ただ巨体であるという理由だけで象は猫よりも強い攻撃力と防御力を持っているのだ。
それを埋めるための技術として武術や武道、または銃器などの道具が生み出されたわけで、剣道もまたそういった起源をもっているが、部活でしかやったことのない一般人の俺が何でもありのステージで二メーテルもあるオークに勝てるとは思えない。
まあ、剣道でも一番になれなかった俺が言えることではないのかもしれないが。
男子の中では負けたことはなかったが、それでも同じ部に入っていた同級生の女子には一度も勝てたことがない。
四分の一くらいの力で戦ってたらしいと後で知って散々勝負を仕掛けたけど一度もだ。
どうにか半分の力を引き出せたけど、一本も取れたことはないのでそんなのは自慢できないだろう。
我ながら単純というか、それでムキになるうちに好きになって卒業式に告白したのだが、見事にフラれて、向こうはその日に事故で死んでしまって、そのまま俺は中学卒業してしまったので完璧に負け越しである。
これ以上もない。




