9.世界会議
アランと妙な交流を持ったその日、月の宮に戻った紗江は、普段と違う『月の宮』の様子に小首を傾げた。人が住んでいるのかも妖しいほど、しんと静まり返るばかりの『月の宮』の宮内を、多くの人が出入りしているのだ。
大きな白い門は何度も開閉を繰り返し、上等そうな白い衣を来た人たちが馬車に乗ってやって来る。皆同じ着物を着ているのを見ると、制服なのだろう。
彼らは宮の正面入り口から中に入ると、正面の塔の二階に上っていった。『月の宮』の中心にある、『月の滴』までは来ないので、どんな人が来ているのかまでは見えない。紗江は興味本位で、正面の宮に入って行く人が見える位置まで、足を延ばしていた。
門番のロウイも、今はしっかり目を開いて出入りする人を管理している。
紗江は『月の滴』がある中庭を囲んだ回廊の柵にもたれかかり、その正面にある廊下を横切って二階へ上がっていく人たちを眺めているのだ。
白い制服を着た人たちは、到着するなり紗江を見て、軽く目を見張るものの、見て見ぬふりをしてさっと二階へ上がって行った。
アランに見られてはいけないと言われたが、この人たちは紗江を見ても問題ない人たちらしい。紗江を見つけ出したところのソフィアが、珍しく頭に布を着けていないと怒らない。
「凄いお客さんだねえ。何をしてるの?」
瞳を輝かせて見返すと、ソフィアは片眉を下げ、腕に下げた籠を探った。
「……会議ですわ。雪花様と青花様が昨夜、必要だとおっしゃって……」
「ふうん」
白い制服を着た人たちに混ざり、サーファイを見つけ、紗江は手を振った。
「サーファイ!」
分厚い書類を抱えて足早に移動しようとしていた彼は、半目で紗江を睨んだ。
「そんな誰にでも見える場所に座るんじゃない。今日は一般人も来る。」
「ええ、皆『月の宮』の関係者ですから、競りに影響はないのですけれど、お願いいたしますわ」
怒ってはいないが、布は被せる気満々だったらしい。ソフィアは籠の中から白い布を取り出し、紗江の頭にふわりと乗せた。
それは一枚の布で、額に留め具を兼ねている飾りが付けられると、紗江の視界は半透明な膜に覆われてしまう。外からは見えないが、中からは見えるように加工された布だそうだ。顔の中央で布の合わせが僅かに開いているので、外からは紗江の口元だけ見えるようになっている。
邪魔だが文句を言うとソフィアが笑顔で怒るので、紗江はされるがまま大人しく従った。
「何の会議をしているの?」
「お前の会議だよ。」
紗江がウキウキと尋ねると、サーファイはそっけなく答えて、二階へ上がってしまった。紗江はソフィアを見る。
「見に行ってもいいかな……?」
自分について何を話しているのか聞きたいなあ、と思ったのだが、ソフィアはにっこりと笑んだ。
「ダメです」
「……そっか」
紗江は笑顔で頷いた。
ソフィアに反抗はしなかったものの、紗江はソフィア昼食の準備をしてくると離れた隙をついて、皆がいるだろう二階へ向かった。階段を上りきったところで、右手の扉から一声がして、会議の場所が知れる。重そうな白い石の扉の向こうに、人の気配がした。
紗江はそっと足音を忍ばせて近づき、扉に耳をそばだてた。
物音はするが、会話の内容までは聞こえない。
――聞きたいなあ……。
そう思うだけで良かった。聞きたいと思うと同時に、紗江の鼓膜には明瞭に、室内の会話が聞き取れるようになっていた。人々の声は、やや緊張していた。
『これでは話にならない』
『元より話し合いの必要もない案件であろうが』
青花か雪花のどちらかの声が聞こえる。次いで、聞き覚えのない男性の声がした。
『ハーマン王国とドイル王国からも、神子をいただきたいと手が挙がっております』
『それだけではない。エルカ公国までも名乗りを上げている。エルカは四大共和国の一国だと言うのに、則を乱すことさえ厭わない勢いです』
『この月の宮はルキア、ガイナ、ゾルテの所属であると再三通達しておりますが、いっかな引こうといたしません』
『頑迷な……』
『――ガイナは動かんのか?』
『現在身内間での論争が紛糾している模様で、他国を干渉する余裕は無いようです』
『何をしているのだ、あの青二才は……』
紗江は瞬く。自分についての会議だとサーファイが言っていたので、この会話は紗江について――『月の神子』についてなのだろう。
雰囲気から察するに、予定以上の国が神子を買いたいと言い出して、困っているようだ。一番高い金額を提示した国に売れば良いという話でもないらしい。
唸る声の間から、緊張したサーファイの声が聞こえた。
『さしあたって大きな問題は、エルカ公国が武力を匂わせていることです』
青花と雪花が苛立った声を発した。
『――月の宮を攻撃すると言うのか?』
『独立機関である我らを、彼奴らの戦に巻き込もうとは、舐められたものだの』
サーファイは声音を落とす。
『いえ、エルカは現在のところ――月の宮ではなく、競合国の排除を検討しております』
『……浅慮だの』
『戦を厭う我らの気質を知った上での脅しかと。戦にしたくなければ、守護国外も競りに参加させよと……』
──月の宮の人は、戦が嫌いなんだ……。
だからこそ、火種にならないように、彼らの要求を切って捨てようとはしない。
青花か雪花が思案気に言う。
『しかしエルカ公国はそこまで餓えてはおらぬえ?』
『エルカ公の精霊が先月お隠れになったと』
『はて、かの国の精霊はそれほど少なかったかのう。まだ他におっただろう』
『精霊の数で言えばハーマン国の方が少ない。エルカ公の精霊は確か、先代から引き継がれた方。かねてより新しい精霊を欲しておられたと聞き及んでおります』
『年寄りの精霊は扱いにくいからのう……。枯渇で飢えている国はあるかえ』
『ゾルテ王国が最たるものかと』
『ああ……。ゾルテはいまだ、内乱が絶えぬの……。ふむ……』
『こうも早くから神子の降臨を他国に知られると厄介だのう……』
『いっそ競りを公開にしては』
『ならぬ。競り値が吊り上ろうよ』
『競り値については上限を設け、上限を支払える者たちの中からこちらが選ぶというのはいかがか』
『公正性が失われよう』
『しかし……』
どうやって折り合いをつけるつもりだろう。答えが気になり、夢中で聞き入っていた紗江の肩を、誰かが叩いた。ぎくりと肩を強張らせ、振り返る。
「……」
ひんやりした気配をまとったソフィアが、傍らに立っていた。
紗江は、へらっと笑う。
「昼食のお時間ですわ、神子様」
優しい声音だが、怒っているのは明白だ。
「えっと、その……」
どう言い訳しようかと思い、口ごもる。ソフィアは冷えた笑みを湛えた。
「いかがなさいましたか、神子様? 何か悪さでもしていらっしゃったのでしょうか……。この扉は会話を通さぬよう、月の力を施しておりますので、神子様でも内容はお聞き及びではございません。……そうでございましょう?」
「……はい」
「では、お部屋へご案内いたします」
しっかり内容を聞いていましたとは言えず、紗江は素直にソフィアに連行されたのだった。




