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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 一章
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7.守り人


 夜になると、テラスに用意された席で月見をする。それがここのところ、紗江の習慣になった。

 紗江は不思議な鳥の声を聞きながら、机の上に用意されたランプを見やる。ランプの周りを奇妙な蝶々が飛んでいる。羽が虹色に瞬くのだ。

「……夜なのに鳥が鳴いて、変わった色の蝶々が飛ぶ……」

 変なの、と内心呟く。

 紗江の目の前には、青いグラスに満たされた酒とボトル、そして手元を照らすためのランプがあった。月見の習慣だけは何となく継続したくて、お願いした結果だ。

 元の世界では、夜は酒を飲みながら月見をしていたので、可能なら月見酒をしたいと告げると、ソフィアは嬉々として甘い酒を用意してくれた。彼女にとって月の神子が月光を浴びるのは、とても嬉しいことらしい。ただし、傍で甲斐甲斐しく世話を焼こうとするので、それは丁重に断った。月見は一人でしたい。

 グラスに満たされた酒に、月影を落としこみ、少し揺らして溶かす。月影が形を崩して、酒に溶けた。軽く酒をあおった紗江は、まとやかな舌触りに、満足気に笑んで、喉を鳴らす。腹から胸にかけて、じわりと暖かな感覚が広がった。

「……こっちで飲む方が、ずっと気持ちいい……」

 元の世界では、酒を飲むと自分の穢れを浄化してくれている気がしていたが、こちらの世界では、体の中心が満たされる気がする。

「そりゃあ、お前の力が満たされるんだから、気持ち良いだろう」

「ん?」

 聞き覚えのある声は森の方向から聞こえた。紗江が花咲かせ、桜の森となってしまったテラス前の森から、サーファイがこちらに向かってくるところだった。相変わらず綺麗な顔に今日は青い服を着ている。

「サーファイ、久しぶりね。……何日ぶりかな」

 サーファイは髪を掻き上げ、テラスの囲いを身軽に飛び越えて入って来た。

「五日ぶりだ。こちらの世界には、馴染んだか?」

「……」

 紗江は質問には答えず、サーファイの腕の中に視線を注いだ。白い毛玉が蠢いている。ひこひこと、鼻先が辺りを窺い、長い耳が揺れた。

「……ウサギ。それ、この間逃げちゃったウサギ? もう戻らないと思ってた」

 サーファイが目の前に持ってくるので、紗江は何の気なしにウサギの頭を撫でる。巨大なサイズでも可愛かったなと思ったところ、ぽんと音が鳴った。同時にサーファイが呻き声を上げ、ぼたりと思い塊が床に落ちる音が聞こえた。

 紗江は、はっとウサギから手を離したが、既にウサギは紗江が想像した、小熊サイズに変化していた。

 サーファイが眉間に皺を寄せ、拳を握る。

「――お前……っ。お前はそんなに、ウサギを巨大にするのが好きなのか!?」

 ウサギは再び顔を巡らせると、風の速さでテラス周りの柵を飛び越え、森の中へ消えた。

「だあ! せっかく見つけたのに!」

「……ご、ごめんなさい……」

 わざとではないのだ。ちょっと触っただけで、ほんのちょっと大きいとぬいぐるみみたいで可愛いだろうな、と思っただけだ。

 サーファイは紗江をねめつけたものの、諦めたように紗江の向かいに腰かけた。

「……力のコントロールがまだできないんだ、仕方ない……」

 明らかに自分にそう言い聞かせ、机の上に並んでいた空いたグラスを取り、酒を注ぎ始める。

「全く。お前が、月の宮の周辺を花まみれにしてくれたおかげで、すっかり各国は神子の降臨に浮足立ってる」

「……あー……何とお詫びすればいいか……」

 酒をあおったサーファイは、顔を顰めた。

「相変わらずこんな甘ったるい酒が好みなのか。まったく、気が知れん」

「……甘いお酒じゃないと飲めないから」

「ガキめ」

 紗江はグラスに残った酒を一気に煽った。一人で酒を飲みながら、考えていたことを口にする。

「ねえ、サーファイ。アラン様ってどんな人……?」

 アランという人が、どんな人なのか、無性に気になった。好意ではなく、彼自身がどんな人なのか――それが気になる。

 自分がどうしてそう思うのか、その理由はよく分からないけれど。

 サーファイは片眉を上げた。

「どうした。あの色男ならすぐお前を迎えに来るさ。資金力だけは折り紙付きだからな」

 とくり、と心臓が跳ねる。紗江は軽く目を見張り、首を傾げた。

「……アラン様が、私を買い取るの?」

 サーファイは鼻を鳴らす。

「あいつはそういう奴だ。欲しいものは絶対に手に入れる」

「サーファイはアラン様が嫌いなの?」

 彼の声音には、アランへの侮蔑が滲んでいるようだった。

 サーファイがぴく、と動きを止め、手元のグラスに視線を注いだ。

「……いいや。特にあのお方が嫌いなわけじゃない。ただ俺は……何かを支配している人間が嫌いなだけだ。あの方は、支配者だ。どんなに賢者でも……俺はああいう輩と関わりたくない。支配されるのは、好きじゃない」

「だから、遊民をしているの……?」

「……」

 青い水のような瞳が紗江を見返す。どんな感情もない、澄んだ瞳が、ふわりと細められた。

「そうだよ。この世のどこにも、俺が安らげる場所はなかった。この力がある限り、俺に居場所はなく、この力があるからこそ、俺はここにいる」

「……」

 分かりにくい受け答えだ。しかし紗江は、尋ね返さなかった。

 彼の表情が、『分かってくれるな』と言っている気がしたから、紗江は目を細めて、ただ、笑む。

 サーファイは、紗江に気取られぬよう、ひっそりと、その瞳に魅入った。

 それは本人すら知らない変化だった。

 彼女の漆黒の瞳は、月の光が射しこむと、金色に変色する。月の神子となるべきものが持つ、月の光を瞳に湛えた者の変貌。

 サーファイは視線を逸らし、酒を口に運んだ。

「お前も、月を飼う(・・・・)者だな……」

 紗江は眉を上げた。サーファイは口角を上げ、紗江に笑う。

「幸福になれ。――月を宿す、愛されし神子」

「……」

 紗江は首を傾げ、ただ見返す。

 サーファイの笑顔は、少し寂しそうで、そしてとても綺麗だった。

 月の宮のテラスを、暖かな風が通り抜ける。

 紗江は内心、呟いた。

 ――ねえ、サーファイ。あなた、とても寂しそうね……。



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