5.侍女の厄日
眩しい。顔に注がれる鮮やかな日の光に、紗江は眉根を寄せた。
夏か、と文句を言いたくなるくらいに、眩しい。紗江は、ほんの少し苛立ちを覚えつつ、目を開けた。
――白い。
太陽の方に向いている自分の視界は、一面真っ白だった。どうした、目がおかしくなったか、と自問し、瞬きを繰り返し、やっとそれが何か理解する。
「ぬ……の……?」
確認がてら呟いた声は、寝起きのため、掠れていた。自分のベッド周りには、布なんかなかったはずだけれど、と手を伸ばてみる。間違いなく、布だった。かなり滑らかな手触りだ。
「…………」
しばし無言で布を見つめ、紗江は寝返りを打った。見慣れぬ天井が、そこにあった。青い石でできている、つるりとした天井だ。反対側に寝返りを打てば、また布。
――おかしい。
寝ぼけた脳は、昨夜、壮大な経験をし、ベッドにもぐりこんで、ご就寝するまでを鮮明によみがえらせた。
特に深く考えず、ぐっすりとお休みした自分も自分だと思う。
――だけど普通、夢の中の物語というのは、寝て、起きたら終わりでしょう?
誰に対する問いかけかもわからない確認をしたところで、自分の脳内に応えてくれる存在は、やはり居なかった。
紗江は、若干汗ばんだ手のひらで、ベッドを囲んでいる天蓋をめくった。
「う……っ」
眩しい。太陽が急に寄って来たの? 寄りすぎだよ。と世界に文句を言いたくなるくらいに、鮮やかな朝日が差し込んでいた。
瞬きを繰り返し、景色を確認すれば、大きな一枚ガラスの窓の向こうに、広大な庭が見える。
紗江は目を据えた。
昨夜見た、池にかかる赤い橋は、明るい日差しの中で見ると――宙に浮いていた。
「夢か……。いや、ううん……うーん……」
――どっちだろう……。
起きたばかりの紗江には、判然としない。
とにかく、奇天烈な光景だ。ぼす、と柔らかな枕に顔を押し付ける。どこからか、とても美しい鳥の声が響いてきた。チュンチュン、じゃない。どちらかというと、フルートみたいな、ルールルル、ピョルル。
「……仕事……に、行けない」
毎朝毎朝、陰鬱な事務所に通い、上司の嫌味に薄ら笑いを浮かべ、後輩のへまに笑顔で苛立ち、定刻はとうの昔に過ぎた時間に帰宅する。そんな日々を愛していたわけではない。
だが、現実的に考えて、仕事は大事だ。
紗江の場合、無断欠勤をすると、順当に会社が確認を取るべき、実家というものが無いのだ。もともと母と一緒に住んでいた部屋は、賃貸で、既に退去している。親戚もいない。
だから、無断欠勤が続けば、自ずと仕事はクビになるし、今現在借りている、アパートの支払いも滞り、時間が経てば経つほど、困る。
──夢……じゃないのかなあ?
ほとほと困惑して、紗江は上半身を起こし直した。もう一度、庭を見てみるが、同じ光景だ。
べたに頬を抓ると、痛い。でも夢の場合、痛覚も脳が再現したりするらしいので、意味はない。
紗江は状況の判断に迷いつつ、ベッドから降り立った。ふか、と毛足の長い絨毯が、足の指の間に入り込み、気持ちが良い。
体は、倦怠感など一切なく、むしろ軽く感じられる。
ベッドの正面にあるソファ越しに、昨夜と変わらず、姿見があった。
紗江は意味もなく腕を組んで、うむ、と頷く。
「……若い」
鏡の中には、やっぱり十五、六歳くらいの、幼い自分がいた。なんとも無垢そうな顔だ。白い肌に、大きな黒い瞳、腰まである黒髪は、当時よりも艶やかで、寝起きなのに、寝癖一つ付いていない。
寝癖が付かないなんて、おかしい。やはりまだ夢の中なのでは、と眉根を寄せた時、凛とした声が、ぼんやりしている紗江の鼓膜を貫いた。
「――神子様。お目覚めでしょうか?」
「ひゃっ」
びくっと肩を跳ね上げて、声が聞こえた方向に目を向ける。すぐ傍に誰かがいるのかと思ったが、室内には誰もいなかった。
昨夜サーファイが出て行った扉の向こう側から、もう一度声をかけてくれる。
「お目覚めでございましょうか? 本日より、傍仕えをいたします、ソフィアでございます。――参りました」
「あっはい、はい!」
紗江は慌てて、ドアノブを回した。
扉を開くと、そこには、青い着物を着た女の子が、ちょっと目を丸くして、自分を見返していた。
着物の袖は狩衣と似た形をしていて、袖括りの紐が三色絡んで、袖の下で纏められ、残りは垂らしている。
こちらの世界の人は、みんな着物っぽいものを着ているのに、扉や家具は洋風で、統一感がないな――と、どうでもいいことを思う。
灰色の髪を、頭の高いところでお団子にした少女は、紗江の顔から足先まで視線を動かした。
紗江は自分を見下ろし、苦く笑う。着物のあわせは無残に開き、せっかく可愛くしてもらった帯も、ほとんど解けていた。
「あ……こんな恰好で、すみません……」
見苦しくて申し訳ない、と頭を下げると、彼女ははっと顔を上げ、慌てて首を振った。
「いいえ! 神子様が謝罪される必要はございません。私こそ、不躾に御身を確認してしまい、申し訳ございません」
「いえ、その……えっと、みこさま?」
『みこさま』とは――なんだったっけ。
彼女は、よくわかっていない紗江に、穏やかな微笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
「本日よりお傍仕えとして配置されました、ソフィア・ルーと申します。『月の神子様』のお傍に侍る、一の侍女でございます。誠心誠意、お努め申し上げますので、どうぞよろしくお願いいたします。……さっそくですけれど、お召替えをお手伝い致しますね、神子様」
ソフィアはにっこりと笑って、部屋の中に入ってくる。
どうやら『月の神子』とは自分らしい。紗江はもう一度、頭を下げた。
「あ、私、水野紗江といいます。よろしくお願いします」
ソフィアは、とても柔らかく笑った。
「神子様御自らご挨拶いただけるなんて、身に余る光栄でございますわ。――ですけれど、『月の精霊』は、主以外の何人にも頭を下げない、という規則がございます。以降、二度と、主以外の誰にも、頭を下げられませぬよう、お願い申し上げます」
「あ、はい。ん? え?」
とりあえず頷いたものの、言われた意味が分からず、聞き返す。ソフィアはそれには答えず、そっと紗江の手を引いて、部屋の奥に誘導した。
「まずは、ご洗顔をいたしましょう」
「えっと……はい」
長いものには巻かれよう、というタイプの紗江は、特にしつこく聞き返すのを諦めた。ソフィアは姿見の隣にある扉を開け、中の設備の使い方を教えてくれた。言われるまま顔を洗い、戻れば、鏡の前に椅子を用意してくれていて、化粧をしてくれる。
化粧が終われば、どこから持ってきたのか、綺麗に折りたたまれた着物を、順当に着付けて行ってくれた。
襦袢の上に、金の襟の着物を着て、最後に赤と金の糸で刺繍されている上着をかけられる。刺繍の模様は、鳥の羽の形と蔦植物の形だった。ソフィアが来ている着物よりも、一枚多く見えたが、いろいろ聞く前に、お礼を言っておく。
「えっと、全部していただいて、ありがとうございました、ソフィアさん」
サーファイが着付けを覚えろと言っていたが、覚える暇もなかった。
ソフィアは眉を上げ、僅かに口の端を上げた。
「敬語は必要ございませんわ、神子様。私のことはソフィアとお呼び捨てください。私は神子様のお傍仕え。敬われるべきは、神子様であり、この世において、神子様が敬うべきは、神子様の主お一人のみでございます。お心に留め置かれていただければ、幸いです」
「……あ……はい」
鳩が豆鉄砲をくらった時って、こんな感じじゃないだろうか。
紗江は目を真ん丸にして、意味の分からない説明に、ただ頷くしかできなかった。聞き返すにも、どこから確認していけばいいのか、頭がこんがらがって分からない。
紗江の反応を、理解したと判断したのか、ソフィアは良い笑顔で話を続けた。
「私は、神子様の身の回りのお世話に加え、こちらの世界の理と、必要な知識をお教えする立場を仰せつかっております。分からないことがあれば、なんなりとおっしゃってください」
「あー……」
つまり彼女は、お勉強の先生ということだ。
本当に嫌いな勉強を強いられるとは――辛い。
「では、外をご案内いたしますわ」
勉強、嫌だな……と思っている紗江の手を取り、彼女はさっさと外へ向かった。
『月の宮』という施設の正面から外に出ると、森に囲まれた一本道しかなかった。さわさわと木々が揺れる音が、耳に心地よい。石で舗装された道に木漏れ日が落ちて、綺麗だ。
ソフィアは紗江の隣を歩きながら、お話をする。
「『月の宮』は、あちらの世界からご降臨いただく、『月の精霊』様専用の施設です。ここでひと月、誰の目にも触れず、精霊様にご療養と、世界の知識、力の使い方を学んでいただくためだけの、建物なのです」
「へえ……」
彼女は、仕事熱心な人らしい。さっそくお勉強会が始まってしまった。興味のあるもの以外、まったく記憶できない紗江の脳は、既に知識の吸収を拒否している。
そんなことより、着物の裾が地面に垂れているのが、気になる。大理石のような色合いの石で舗装された道は、確かにきれいだが、白い着物が汚れてしまわないのだろうか。
ぺら、と指先で着物をめくってみる。
「わあ……」
まったく汚れていなかった。
紗江が声を上げたのに気付いたソフィアは、くす、と微笑む。
「この地は、常に雪花様と青花様が清めていらっしゃるので、着物は汚れません」
紗江は、その話題には興味があった。
「あの、あのお二人って、どっちか雪花様で、どっちが青花様ですか?」
「敬語は使わないでくださいまし、神子様」
「あ。はい、すみません」
ぴし、と釘を刺され、紗江は頭を下げてしまう。それを見たソフィアは、頬に手を添えて、困り顔だ。
「頭を下げてはならないと申し上げましたでしょう、神子様」
「え、あ、はい……」
紗江も困り顔になった。日本人として培われてきた礼儀をやめろと言われるのは、とても難儀だ。
ソフィアは苦笑して、教えてくれる。
「御髪が白い方が、雪花様。御髪が銀色の方が、青花様でございます。お二人のことは、総称して『月の宮』と呼ぶこともございます」
「建物の名前で……名前、よね?」
敬語を使わない、という指示を思い出し、なんとかため口をきいてみる。自分の中では強烈な違和感だが、ソフィアにとってはその方が落ち着くのか、彼女の顔は、見る間に緩んだ。
「『月の宮』は他国不可侵を貫く、独立施設です。いかなる国家権力も、介入を許さない、誇り高き『月の宮』。『月の宮』を名乗ることを許されているのは、その元首のみ。ゆえに、お二人を、『月の宮』とお呼びすることは、御名を呼ぶのと同義なのです」
「なるほど……」
すごく堅苦しい話だなあ、と視線を逸らすと、景色が変わっていた。道はずっと森の中にあるが、カーブになっているところだけ木が生えておらず、広大な草原が視界いっぱいに広がる。
「すごい、広い……!」
見渡す限り、青々とした芝生だ。何も考えず草原の中に進むと、ソフィアが後ろからついて来て、説明する。
「ここはサイの草原ですわ」
「芝生じゃなくて?」
「こちらでは、サイと呼ぶのですわ。あちらとこちらは、とても似ておりますので、同じ名称の物も多くございますが、ところどころ、やはり違っているのです」
「そっか……」
どう見ても芝生の草原を見渡し、紗江は嘆息した。
歩いたせいで、少し疲労を感じる。ソフィアの説明は、ちんぷんかんぷん。少し顎を上げて嗅いだ風の匂いは、どこか懐かしい。
――夢だ……。
「この辺りで休憩いたしましょうか、神子様?」
自分を、『神子様』と呼ぶ人。
紗江は、くるりと振り返った。
漆黒の髪が弧を描いて、さらりと背中に流れる。
少し変わった形の着物を着た少女が、至極やさしい顔で、自分を見返す。
卵のような形の顔に、短めの、黒い眉。灰色の髪に、オレンジ色の綺麗な目。
どんなに考えても、自分の記憶にない、見知らぬ少女だった。
「ねえ、ソフィアさん。私、夢を見ているのよね?」
「――……」
ソフィアは目を見開いた。きちんと紅をひいた唇が、薄く開いた後、きゅっと引き結ばれた。
紗江は笑う。
「ねえ、これはおとぎ話でしょう? 私の想像が創った、ちょっと長めの夢物語」
「――神子様」
ソフィアの眉尻が、どうしてか、悲しげに下がった。そして彼女は可愛そうなものを見るような、慈悲深い眼差しで、紗江を見つめ返す。
「いいえ――。いいえ、神子様。これは、夢ではございません。神子様――あなた様は、二度とあちらへお戻りにはなれぬ、とお考えください」
「…………」
紗江は少女を見つめ返した。彼女は、まるで野良猫を捕まえに来た人間のように、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「神子様……お気持ちは、お気持ちは……。分かる、とは申し上げられません。ですが、どうか……お分かりください。この世には、『月の精霊』が必要なのです。『月の力』に支配された、この乾いた世を救う者が、必要なのです」
「意味が……わからない」
――『月の力』ってなに? 救う者だなんて、大げさね。それって『救世主』ってこと? おかしなこと言わないで。私は、何も持ってないわ。誰も救えない。
どうしてだか、紗江の目尻に涙が滲んだ。
「ね、みんなして、私をからかってるだけでしょ? 『月の力』なんて、私、持ってないよ。『月の精霊』なんかじゃない。私なんかが、誰かを救えるわけない」
――身内一人、助けられなかった私に、何ができるっていうの?
無理やり笑顔を浮かべた紗江を見たソフィアは、痛ましげに顔を歪めた。
「お願いでございます。どうかこの世の民を、お救いください。この世は不平等でございます。財力あるものが、『精霊』を得られ、その祝福をうけます。ですが、それでも、必要なのです。今なお、いずれの国家も、幸福に満ちておりません」
「……難しい話、しないで……」
ソフィアは、堰を切ったように、訴えかける。
「いいえ、どうか、どうかお分かりください……! 神子様がご降臨された、この『月の宮』は、三国を守護しております。西のガイナ王国、東のルキア王国、南のゾルテ王国です」
「待って……」
「ガイナ王国は、宝玉や玉石が特産で、三国一豊かな国ではありますが、大地は栄養を蓄えられず、農作物は育ちません」
「あの……」
「東のルキア王国は、農業、酪農などの国ですが、大地の栄養はガイナ王国ほどではないものの、やはり不足していました。国民全員が食べられる、ぎりぎりの収穫で、常に豊かではなかった。この国は、先だってご降臨された、『月の精霊』様の『祝福』のおかげで、花の産地となりつつある、発展途上の国です」
「ソフィ……」
「南のゾルテ王国は高度な刺繍技術と布の量産ができる国で、月の宮で取り扱っている布は全てゾルテ生産のものばかり。けれど、この国は民が少なく、決して幸福ではありません……!」
「…………」
勢い込んで説明をされ、必死の形相をしているソフィアから視線を逸らせないまま、紗江は頭を抱えた。情けなくも、泣きそうだ。
「待って……そんなに一杯、急に教えられても……私」
――わからない。
ソフィアが膝を折り、草原の中で正座をする。ぎょっとするも、彼女は真剣な眼差しで言った。
「神子様……。神子様には、『月の力』がございます。『月の滴』が反応したのは、あなた様の身の内に、力を見出したからこそ。お力については、おいおいご説明申し上げます。ですがどうか……どうか、この地に留まり、民をお救いくださいまし……!」
「ソ、ソフィア……っ」
――やめて!
ソフィアは、紗江が制止もできない素早さで、膝の前に両手を付き、首を垂れた。
ぐっと、紗江の喉が強張った。
「やめて、ソフィア」
「いいえ……! どうかお分かりくださいませ……!」
「……」
紗江はすう、と息を吸い込み、歯を食いしばる。誰かに土下座なんて、された経験はなかった。
人に頭を下げることには、慣れていたけれど、頭を下げられる立場は、すごく嫌なものなのだと、今知った。
紗江は悲しいのか、悔しいのか、訳が分からないまま、ソフィアの前に座り込んだ。
ソフィアが驚いて顔を上げたが、その表情は、紗江には見えなかった。
紗江は、目にたまった涙を見せたくなくて、草原に突っ伏す。
「……神子様……?」
自分を落ち着かせるために、紗江は大きく息を吸い込んだ。草の匂いが、胸いっぱいに広がった。やはり、どこか懐かしい香りだった。
紗江はぎゅっと、唇を引き結ぶ。
――泣くもんか。
瞼を閉じて、自分に言い聞かせた。
――泣いたら負けだ。あの日からずっと、我慢してきたんだから。こんなところで、泣くもんか。
ソフィアの説明は、理解しきれなかった。でも、言いたいことは分かる。
この世界は幸福じゃなくて、幸福になりたくて、紗江をあちら側から連れて来たのだ。紗江に帰る術は多分ないし、皆自分勝手に、幸せになりたいって思って、紗江に助けてと言っているのだ。
――なんて我儘なの。
そう思うけれど、でも、どうしようもない。紗江は、こちら側に来てしまったし、もう、少なくとも、『月の宮』の人たちには、助けを求められているのだ。
幸福にする方法なんて、ちっとも知らない紗江に――助けを求めている。
紗江はぐっとサイの葉を握りしめた。
世界が不公平にできていることは――どうしてか、昔から、知っていた。
紗江は、顔を上げた。
目の前には、苦しそうで、不安そうに涙ぐむ、女の子がいる。
何も知らない自分に頭を下げ、希う少女だ。
紗江は彼女のために、強張った頬を無理やり動かして、微笑んだ。
笑顔は少なからず、人を幸福にすると知っている。母はいつも、笑っていた。
「……約束はできないけど、できる限りのことは、するよ。――できることが、あるのなら」
紗江がそう言った瞬間、ざわり、と草原が揺らいだ。
揺らぎは瞬きのうちに、草原全体へ広がる。
ソフィアが息を飲んだ。
一際強い風が、二人に襲い掛かった。
「わ……っ」
目を開けていられず、一度目を閉じた紗江が、もう一度目を開いたとき、世界は色を変えた。
「え……」
ふわりと、鼻先を掠めた香りは、とても甘く、芳醇な花のそれ。
「あ……っあ……っ」
ソフィアが両手で頬を包み込み、真っ青になる。
紗江は、瞬きを繰り返した。だが、その景色は、何度瞬いても変わらない。
「……どうしたの、これ……」
尋ねたが、ソフィアは青ざめたまま、凍り付き、答えてくれそうもなかった。
――視界一杯に広がっていた草原が、魔法を掛けられたかのように、ぱっと花畑に変わる――。
「……うーん……魔法」
こちらの世界に連れてこられる時、サーファイは確か、『月の力』は、『魔法』みたいなものだと言っていなかっただろうか。
青々とした芝生は、ほんの一瞬で、地平線まで見事な花畑と化していた。
はらり、と目の前を過った花びらに、視線を上げる。
紗江は感嘆した。
「すごい……」
鬱蒼とした森は、なぜだか、紗江の良く知る、満開の桜並木となっていた。
森も草原も、跡形もなく、見事な花で溢れかえっている。
紗江は、何となく良くない事をした気持ちで、ソフィアに笑んだ。
「……キレイね、ソフィア」
ソフィアは小さな声で応えた。
「はい……神子様……」
ソフィアの声は、震えていた。
「えっと、何か、不味いことなのかな?」
美しさに感動すればよいのか、衝撃に震えれば良いのか分からないといった表情だ。
草原が花畑になって、困る人がいるのだろうかと尋ねると、彼女は項垂れた。
「……これは……私の力では元に戻せませぬ……。これでは神子様のご降臨を、世に報せたようなもの……」
「……これ、私がしたの?」
自覚は一切ないのだけれど。
ソフィアは頷く。
「神子様以外に……このような奇跡を恵まれる方はいらっしゃいません……」
「な、なにか、大変なのかな?」
ソフィアは両手で顔を覆った。とても幸福そうには見えない。どちらかというと――絶望?
「……競りに、影響が……」
「ああ……」
サーファイも、アラン様という人に見られて、なんだかんだと困っていた様子だったが、この花畑現象も、競りに関わる問題のようだ。
助けてあげたいところだけれど、紗江には自覚も無ければ、元に戻す方法なんて、想像もつかない。
紗江は、全てをごまかすべく、明るく笑った。
「うんと、そう。たぶん、大丈夫だよ、ソフィア。全部きっと、上手くいく」
「神子さま……」
根拠のない慰めに、ソフィアは目頭を押さえ、ひっそりと涙ぐんだ。