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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 序章
3/112

3.招かれざる客


 サーファイが下ろしてくれたのは、白い柱に囲まれた、中庭のような場所だった。

 四方を囲むのは、自らぼんやりと光を放つ、白い石で造られた、外回廊。それぞれの回廊の先には、大きな建物がある。白い石を重ねて作られた建物の屋根は、ドーム型で、全体の印象は、まるで神殿だ。

 紗江は、隣に立つサーファイを見上げた。

「あの……」

「し……っ」

 一体ここは何の施設ですか、と尋ねる前に、目の前に手のひらを広げられ、制止された。彼は真剣な顔つきで、別の方向を見ている。

 まったく訳が分からない。彼が見ている方に目を向けた紗江は、眉を上げた。

 ――池がある。

 庭の中央に、大きな池があった。随分きれいな水だ。青く澄んだ池の中で、時々金色の何かが煌めいている。

 水の中に、光を弾く魚でもいるのかもしれない。どうでも良い感想を抱いた紗江の隣に立っていたサーファイは、何の前触れもなく、くずおれた。

「えっ」

 ぎょっと顔を向け、大丈夫ですかと声をかけようとしたが、紗江は声を出す寸前で、口を閉じる。

 彼は倒れたのではなかった。紗江の脇で、片膝をついたのだ。深く頭を下げ、明瞭な声を発した。

「太陽の国より、月の精霊をお連れいたしました。お受け取りください」

 ――へ?

 誰に向かって話しているのかわからず、視線を巡らせて、紗江は口を開けた。

 物音一つしなかったから、気付かなかった。池の向こう側に、人が二人いた。

 白い着物を来た女の子が、二人。

 能面のように真っ白な顔に、深い闇色の瞳。二人とも、同じ顔をしている。頭から足先まで目を走らせたが、髪の色が違う以外、全部同じだ。――すごい。

 白い草履、腹の前で重ねられた手のひら、姿勢――微塵も違いがない。

 見た感じ、十五、六歳くらいだろう。お尻まで届く長い髪は、一人が白髪で、もう一人が銀髪だった。彼女たちの額には、サーファイと同じく、石が付いている。

 ――お人形さんみたい。

 一人が、唇を綻ばせる。

「ご苦労だったなサーファイ。此度はいかがだった」

 声を聴いた瞬間、紗江は、びくっと耳を抑えた。この世のものとは思えない、澄んだ声音だった。耳元で発せられたかのように、ぞく、と耳元から首筋までを、震えさせる深い音だ。

 サーファイが、頭を下げたまま応える。

「――重畳かと。強い力を持つ精霊でございます。神子にも匹敵すると思われます」

 二人はさっと紗江の全身に目を走らせると、頷いた。

「確かに、強い力を感じる。月の神子かどうかは定かでないが――良い精霊を見つけてきたな、サーファイ。良くやった」

 銀髪の子が口を開いたが、話し方は長老のようだ。

「恐れ入ります」

「では、早速清めようかの」

「――は」

 応えるなり、サーファイは紗江の腕を掴んだ。紗江は本能的に、両足を踏ん張った。何となく、どこかに連れていかれそうだなと感じたのだ。

 サーファイが片目を眇める。

「ちょっと冷たいだけだよ」

「え、いえ、えっと……何が冷たいの……?」

「あれ」

 サーファイが顎をしゃくって示したのは、目の前に広がる、大きな池だった。

 え、――私、沈められるの?

 紗江は瞳を丸くして、ぶるぶると顔を左右に振る。頭の中では――怪しげな宗教団体の儀式にて、水に沈められ、そのまま溺死する二十一歳OL――という、派手なんだか地味なんだか、という感じの記事を作り上げていた。

「えええええっと、無理です! 無理! あの、あ、そう、着替え! 着替えも無いですし、えっとその……っ」

 まだ話している最中なのに、サーファイは頓着なく、引きずっていく。紗江の目尻に、ちょっぴり涙が滲んだ。

「わああああん! 無理ですってばぁ! 私、まだ死にたくないぃぃぃぃ!」

 つい、本音が漏れてしまった。

 サーファイが胡乱な顔で振り返り、嘆息する。

「殺すわけ、ないだろうが。せっかく見つけて来たのに」

「えっと、でも、あの……池に沈めて、怪しい儀式に使うとかじゃ……ないの?」

 サーファイは、「はあ?」と顔を歪め、池の向こう側では、二人がころころと笑った。白髪の少女が、笑い含みに言う。

「なあに、心配めされるな。あちらから連れて来た精霊たちは、皆、その身に穢れを溜めておってのぉ。月の滴を浴びさせて、清めるのさ。」

 次いで銀髪の少女が頷く。

「そう。我らは決して、其方そなたを傷つけぬと約束しよう。ほんのちょっと冷たいが、痛くもかゆくも無いさ。着替えも用意しておるゆえ、そのまま池に。ほれ、その階段から、水底まで、降りて行っておくれ」

 少女が指差した、紗江の足元には、確かに階段があった。水の中に沈んでいく、先の見えない階段が――。

 背筋を悪寒が駆け抜ける。

「ううぅぅう……」

 見知らぬ子供の言い分を鵜呑みにできるほど、紗江は阿呆でも、間抜けでもなかった。

 それなのに、サーファイは背中を押してくる。

「ほれ。全身浸かって来い」

「……っ」

 嫌だよ──!

「――諦めろ」

 サーファイは、綺麗な顔に似合わず、強引だった。

 心の声を口にする前に、彼は、紗江の背中を、どん、と突き飛ばしたのだった。

「うっひゃぁあっ!」

 甲高い声と共に、紗江は勢いよく、池の中へ沈んだ。

 派手な水しぶきの音が、どこか遠くに聞こえた。

 水に沈みながら、紗江は妙な感触に気付く。――これは、水なのだろうか。

 指の間を通り抜けた水は、片栗粉を薄く混ぜたような、とろりとした感触だったのだ。

 何となく恐ろしくて、しっかりと目を閉じていたが、瞼の裏に、かすかな光を感じた。光に誘われて、そっと目を開けた紗江は、その光景に瞠目する。

 青い、青い水の中に、無数の金色の粒子が、煌めきを放ちながら、瞬いていた。

 上と思われる方向に目を向けると、揺らめく水面の向こうに、大きな月が見える。金の粒子は、どんどん数を増やしていき、一斉に月へ向かって登っていった。

「──わっぐぅ……っ」

 あまりの美しさに、「わあ、綺麗」なんて感想を述べそうになったが、水の中なのを忘れていた。口から水が入り込む。紗江の喉がぐう、と音を立てた。器官に水が入った。――まずい。咳き込みたいが、水の中。空気はない。

「ぐ……っぅ……!」

 ――死ぬうぅぅ!

 確実に呼吸困難で死ねる。紗江は血眼になって、水上を目指した。焦ったせいか、逆に時間がかかってしまった。

「ぷはぁ! ……ぅげほっ」

 何とか水面に顔を出せた紗江は、丁度、近くにあった、池の淵に両腕をついた。しばらく咳き込み、長いため息を吐き出す。

「げほっ……はー……」

 確かに殺されるわけではなかったが、死ぬところだった。――主に間抜けな自分の過失で。

「――っ」

 誰かの息を飲む音に、顔を上げる。

 サーファイがすぐ傍に立っていた。彼は空を見上げ、口角を上げる。

「すげえ……」

 彼の視線を追って、空を見上げた紗江は、瞬いた。

 小さな光の粒が、月へ向かって舞い上がっていく。どこから、と目を彷徨わせれば、光は、池から――特に、紗江の周囲の水から、無数に湧き上がっていた。

「……なに、これ」

 まるで何万匹もの蛍が、一斉に生まれ、飛び立っていくかのような光景だ。

 池の反対側にいる少女たちが、空を見上げて、満足げに呟く。

「――これは、見事なことよ」

「ほんに。何千年ぶりに見たのか……久方ぶりじゃの」

 サーファイは、どこか気の抜けた声を漏らした。

「本当に……神子だったのか……」

 それぞれが、どうも驚いているらしい。そんな中、彼らの感動を今一つ理解できない紗江は、のっそりと地上へ上がった。

 服が水を吸って重いし、体にへばりついて気持ち悪い。

「はー……なんか……」

 ――体が、変な気がする。

 何となく体の中が軽くなったような、違和感を覚えつつ、ブラウスの裾を引っ張る。水気を絞ろうと、布を掴んだ指を見て、動きを止めた。

 ――なんだか、指が、違う。

 何が違うのかまでは分からず、じい、と見つめること数秒。紗江は脳内で指を鳴らした。

 爪に塗っていたネイルアートが、全て綺麗に取れてしまっているのだ。ちょっとやそっとじゃ剥がれないものだったのに、どうして取れたのだろう、と爪を撫でる。妙につるつるで、おまけに艶が出ている。

 ――池の水? ……ううん、まさかね。

 池の水は、普通ではなかった。だがネイルアートを溶かしてしまうような成分なら、自分の肌や目は、とうの昔にダメになっているはずだ。

 でも、気付いていないだけで、肌が溶けていたらどうしよう。

 慌てて頬を撫でてみるが、痛くはなかった。

 紗江は、ほっと息を吐く。

 ――皮膚が溶けて血が出たりしていたらどうしようかと思った。

 痛みどころか、肌も、滑らかになっている気がした。おでこを撫でると、吹き出物の感触がなくなっている。

「……」

 なんだろう。――美肌効果抜群の池とかなのかな?

 池を振り返ると、頭の上から、何かが落ちて来た。

「うっ」

「お疲れさん」

 サーファイの声だ。頭に乗ったものは、タオルのような、大きな布だった。これで体を拭けという意味らしい。

 紗江は小さく頭を下げる。

「あ、どうもありがとう」

 サーファイは、なぜだか片眉を下げて、苦笑した。

「ま、礼儀はおいおいだな」

「……?」

 頭を下げてお礼を言ったのだから、礼儀正しいと思うのだが、彼にとっては今一つだったようだ。

 ――あ、こっちの世界では、お礼は跪いてするものなのかも。

 彼が女の子たちに挨拶をした時を思い出し、紗江は勝手に納得した。

 サーファイは、四方を囲む建物のうちの一つを指さす。

「じゃあ、『風香殿』で着替え……を」

 顔を上げて建物を見た紗江を、ちら、と見たサーファイは、視線を逸らそうとして、勢いよく紗江の顔を見直した。

「おぉおお!?」

 あんぐりと口を開け、まじまじと紗江の顔を覗き込む。

 紗江はぎく、と両手で頬を覆った。やっぱり、水の影響で、顔がどうかしたのだろうか。

 サーファイは、紗江の両肩をがっしりと掴んだ。

「どうした! おい! 顔が違うぞ!」

「へ? え? わわわわわっ」

 力強く揺さぶられて、頭ががくがくと揺れる。おかげで、上手く物を考えられない。

 目を白黒されるばかりの紗江の耳に、低く、穏やかな声が聞こえた。

「月の滴で清めたのだ。顔も体も、元の姿に戻っただけだろう」

 声が聞こえた方向に目を向けると、外回廊の一角に、人影があった。

 紗江は目を丸くする。

 背の高い青年が、回廊の、白い柱に軽くもたれて、こちらを見ていた。

 濃紺の着物だ。服の形はサーファイの着物と同じようだが、見るからに、上等そうな、豪華な刺繍が入っている。

 耳には赤い飾り紐が付いた、金色のピアス。鍛えていそうな、立派な体躯。白銀の髪に、凛々しい眉、高い鼻筋。猛禽類を思わせる、鋭い瞳は――なんと、赤色。

 目が赤い点を除けば、完璧じゃないかと思われる美丈夫が、紗江を見て、笑んだ。

「……なるほど、美しいな」

 その感想に、紗江は内心、頷く。光の粒子は、いまだ池からあふれ出ており、とても美しい光景だ。

 サーファイが、「げっ」と声を漏らし、慌てて紗江をその背に庇う。

「アラン様……! なんだってこんな日に!?」

 どうも、非難している調子だ。

 池の向こうにいる少女たちも、声を荒げる。

「アラン! 満月の夜の儀式は、何人たりとも侵入を許可しておらぬぞ!」

「月の精霊にまみえるは、みな等しく降臨の一月後と定めておろう! どうやって入った!」

 とっても怒っている。

 あんなにご立派な身なりなのに、年下そうな女の子たち――話し方はかなりのお婆さん節だけれど――よりも、立場が弱いのだろうか。

 サーファイの背中から、ちょこん、と顔を出して覗き見ると、怒られている彼は、堪えた様子もなく、おおらかに微笑んだ。

「ご機嫌麗しゅう、雪花せっか様、青花あおはな様。しかし、それは言いがかりというもの。私は今夜、月の精霊がもたらされるなど存じ上げておりませんでした。……ただ、満月の夜に、この『月の滴』に映る月を愛でるのも一興かと思い、参っただけのこと。月の精霊の儀式が行われてようとは、夢にも思っておりませんでしたとも。……しかし不思議ですね。儀式の折は、門戸が閉ざされますものを。――本日は、常と変わりなく、解放されておりました」

 彼女たちの名前は、雪花と青花らしい。どちらがどちらかよく分からないけれど、と再び彼女たちの姿に目を走らせ、紗江は小さな違いに目を留めた。

 ──袖括りが青と白だ。でもどっちがどっちだろう?

 名前について思案している紗江の目の前で、双子は同時に顔を顰める。

「なんと! またロウイは出歩いておるのか!?」

「知らぬ……だが、居眠りくらいはしていそうだな」

 ロウイは職務怠慢な人らしい。

 紗江は寒気を感じ、身震いした。春の気温とはいえ、濡れたままでいると冷える。

 アランは、さっとサーファイに目配せした。

「問答も結構ですが、大事な月の精霊が風邪を引きそうですよ。守り人は速やかに風香殿へご案内するべきでは?」

 サーファイが我に返ったように、振り返った。

「おっと、悪い! さ、早く風香殿に行こう。案内する」

「あ、うん」

 風香殿がいったい何の施設なのかは計りかねたが、付いて行くのが正しいようだ。

 紗江は、いつもの癖で、その場にいる人に挨拶をする。まず、一番身分が高そうな、雪花と青花に頭を下げた。

「失礼します……」

 雪花と青花は、同時に頷いた。

「「ゆるりと休まれよ」」

 一言一句違わず、声が重なる。次に、アランだな、と目を向けると、彼は赤い目をにい、と細めた。ぞくりと肌が泡立った。

「またお会いしよう……月の神子(・・・・)殿」

 雪花と青花が息を飲んだ。

 その意味に想像を巡らせられる知識もない紗江は、ぺこ、と頭を下げて、サーファイの後に続いた。


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