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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 三章
21/112

21.奪われるべき者


 紗江は、自分が情けなかった。

 自分という存在について、考えているつもりだった。あちらの世界と、こちらの世界は違う。連れてこられた当初から、侍女が付き、傅かれる毎日。

 こちらの世には、身分というものがあり、自分はその中でも、『神』に近いのだと。

 ――頭では、分かっているつもりだった。

 豪華な服を着せられ、上等な部屋を与えられ、毎日よい食事をふるまわれるのは、アランの善意ではない。

 贅を尽くした生活の代償として、『月の力』を支払うからだ。

 月の力が、この世界での、紗江の身分を確立している。

 だからこそ、力を分けようと思った。アランが疲れているのなら、疲れを取り、彼の母が苦しそうなら、楽にしてあげよう。

 深く考えず――そう思って、行動した。

 自分が、国政に関わる程の、危うい立場にいるとも気付かずに。



 アランは、時折、苦しそうに紗江を抱きしめる。

 それは、言い出せない願いがあるからだと考えていた。しかしよく考えれば、紗江が力を失い、この世から消えれば、彼は殺されるのではないだろうか。

 精霊を大切にしなかった主として、罰せられるのでは――?

 一国の王子が、精霊を買い取るのは、とてもリスクが高いのだ。

 だからこそ、王妃は紗江との結婚を進めさせ、精霊を手放さないよう、采配しているのでは。

 その采配に引きずられる紗江を、彼は憐れんでいるのか、――恐れているのか。



 意気消沈してアランの城に戻った紗江は、自室のテラスにでていた。白い石造りの円卓と、椅子が二つ備え付けられている。椅子の一つに腰かけると、室内から侍女が声をかけた。

「飲み物をご用意いたしましょうか、神子様?」

 紗江の一挙手一動を見守り、心地よく過ごせるよう配慮してくれる侍女アリアに、頷く。

「はい、紅茶を……」

「畏まりました。少々お待ちくださいませ」

 月の神子を受け入れるに当たり、この城の侍女たちは、あちらの言葉のほとんどを学んでいた。こちらにはない単語も、アリアとルーアにかかれば、こちらの代替品に適用される。

 テラスから見渡せる下界は、柔らかな橙色の灯火で照らされていた。あちらの世界よりも暗い景色だが、温かみのある色合いだ。白い外壁とこげ茶色の屋根の家がほとんどのため、夜になると家の外壁だけが白く浮かび上がって見える。

 宝石が蓄積された大地を多く抱え、川に生息する特殊な貝から希少な宝玉を採取できる繁栄の国。一方で、大地は栄養を蓄積できず、植物は育たない。

 これが、紗江が力を分け与えるべき、国家だ。

 もう一人の侍女、ルーアは寝室の準備をしてくると、傍を離れた。

 一人になった紗江は、月を見上げる。闇の中に、完全な満月があった。

 視界の端を、蝶々が舞う。

 こちらの世界には、夜だけ目覚める蝶々がいた。羽は月の光を取り込ん出ような金色で、妖しく光を放つ。

「……途方に暮れるなあ」

 自分では、何の方針も立てられない。国政を理解していない以上、アランの言うことを聞く以外できない。

 この状態は、まさに人形だった。アランが紗江を人形扱いするのも、理にかなっている。

 ──少しずつ、この国について勉強したら……。

「そうしたら、少しくらい、アラン様を安心させられるかな……」

 不安そうな王子様。せっかく紗江を買い取ったのだから、彼にその代償を支払えれば、いいと思う。

 一人、ぽそっと呟いたとき、紗江の視界が闇色に染まった。月が一瞬でかき消され、冷えた風が全身を襲う。

「……え」

 布が揺れる音が聞こえ、焦点を失った目が、視界を覆う闇色の正体を、正確に把握した。月光を背に受け、中空に浮かび上がっているのは――人だ。

 短い赤髪が、背後から舞い上がる風に揺らめいた。月を映し込んだような、金色の瞳が、上空から紗江を見据える。

 紗江は真っ直ぐに、を見返す。

 十五、六歳の、少年に見えた。彼の全身を覆うローブごしにでも、彼の華奢な体つきが分かった。

 少年は首を傾げ、壊れた機械のような、高く、町立の取れていない言葉を発した。

「――お前、ダレ? オレ、月の神子、探シテル」

「…………」

 紗江は、判断を迷った。素直に自分が神子だと答えるのは、不味い気がする。しかし黙っているのも、勘繰られるだろう。

 逡巡した後、紗江は尋ね返した。

「あなたは、守り人……?」

 少年は、紗江を凝視する。

 こちらの世界でも、空を飛べる人間は珍しいと聞いた。空を飛ぶのは、多くが守り人だとも。

 小さな顔に、つぶらな瞳だ。口の端から八重歯が覗いているのは、彼が少し笑っているからだ。少年は素直に、答えた。

「俺、ロイ。守り人ジャない。神子見ツケル、俺の仕事。お前、ダレ?」

 ますます、妖しい物言いだ。

 紗江は慎重に、答えた。

「私は……紗江というの」

 つぶらな瞳が大きく見開かれる。何に驚いたのか分からないが、彼は両足をぴんと伸ばし、手のひらを力いっぱい開いた。猫が驚いた時と、似ている。

「おまえ、サエ。紗江、ココデお前、何シテル?」

 紗江は至高を巡らせた。この少年は、ここに神子がいると聞いてきたのだ。それは、神子に用事があるからで、ロイは紗江に何らかの救いを求めて来たということだろうか。

 だが、紗江は安易に応じなかった。

 ──私は神子だけど、みんなを救えるわけじゃない。

 アランの許可を得て、力を使わねばならない立場だ。

 ずるいやり方だと分かりながら、紗江は優しい表情で、ロイに尋ねた。

「ロイ君は、どうして神子様に会いたいの?」

 ロイは自分の顎に手をかけ、首を捻る。

「俺、ベツニ神子に会イタイ、ジャナイ。神子、探ス。俺の仕事。ソレダケ」

「……ロイ君は神子を探していないの?」

 ロイは頷く。

「神子、見ツケル。コノ辺ッテ聞イタ。神子、連レテク。俺褒めラレる。あいつ、喜ブ」

 ──どういう意味?

 紗江の脳天から、すう、と血の気が下がっていった。

 まるで、誰かに雇われた人間だ。

 誰かに神子の居場所を探し、連れ去るよう命じられた、子供。

 鼓動が早くなる。紗江は胸を抑え、俯く。落ち着け、と自分に言い聞かせた。

 彼は神子が誰なのか、知らない。そのまま、上手くこの場を逃げなければいけない。

 神子を許可も得ず、連れ去っていい人間など、この世にはいない。

「…………」

 ロイの視線が、頭に辞意、と注がれているのを感じた。

 焦燥を気取られてはならない。

 紗江はできるだけゆっくりと、微笑み、彼を見上げた。

「神子様は、お約束をしてからじゃないと、会えないんじゃないかな」

 ロイは金色の瞳をらんらんと輝かせ、紗江を見つめる。

「俺――今、会イタイ」

「……神子様? どなたとお話を……」

 部屋の中から、ルーアの声が届くと同時に、紗江は金色の瞳の中──少年の瞳孔が、猫のように大きく開くのを見た。

 テラスの出入り口に、ルーアが顔を出す。振り返ると同時に、喉を何かに絞められた。

「ぐ──っ」

「――ミツケタ」

 紗江は呼吸を奪われ、喉に絡まる何かに爪を立てる。縄だ。そのまま無造作に、紗江の体は空中に引っ張り上げられた。

 ――死ぬ……っ!

 ロイの手に、十五センチほどの、鈍く光る刀があるのを見て、紗江はとっさにテラスに目を向ける。

「神子様……! 貴様、離さぬか!」

 ルーアが照らすまで駆け出し、形相を変え、恫喝した。ロイはケラケラと笑いながら、彼女に向けて刀を投げつけた。

 紗江は、手のひらを彼女の方へ伸ばした。逃げてと、言うために。

 ルーアは俊敏に刀をかわし、着物の袖口から、大きな針のようなものを取り出す。

「ロイ、神子持ッテ帰ル。邪魔する奴、殺シテイイ」

「貴様が殺される側だ……!」

 ルーアが叫び、針を投げつけた。ロイは紗江の首に巻いた縄を、引っ張る。

 空気を求め天を仰いだ口が、掠れた音を漏らした。

「……かっ」」

「神子様!」

「あ。間違ッタ」

 ロイは紗江の首から縄を外した。月の力を使っているのか、縄は蛇のように勝手に蠢き、紗江の体に巻き直される。

「っごほ……っひゅ……っ」

 突然呼吸が戻り、紗江は咳き込んだ。反射で涙が頬を伝っている。

 何度か咳を繰り返し、呼吸が落ち着いてやっと、紗江は自分がミノムシのようにぐるぐる巻きにされ、宙に吊り下げられているのだと気付いた。

 闇の中を、針が光を反射しながら、ロイに打ち込まれていく。ロイは軽やかに身をひるがえ、またどこから出しているのが、数多の刀を取り出し、ルーアめがけて投げつける。

「――っ」

 ルーアの左腕が深く切り裂かれ、血がばたばたと床の上にしたたり落ちた。金色の蝶々が、刃の間をひらひらと舞い踊る。

 紗江の体が、また高い場所へ持ち上げれる。このままではまずいと思うものの、紗江は触れることでしか、力を使えない。

 陶器が砕け散る雑音に目を向けると、茶を運んできたアリアが、荷台を倒した様子だった。彼女は素早い身のこなしで、駆け出てくる。

「神子様! 貴様、汚らわしいその縄を離せ……!」

 言うや否や、アリアはテラスにあった椅子から机に駆け上り、ロイ目がけて宙に飛び上がった。

「わっ! 飛ぶ奴、キライ」

 アリアの動きは素早かった。腰辺りから大ぶりの刀を取り出し、ロイよりも高い位置に飛び上がる。上空から両手で刀を構え、狙いを定めて降下した。

「やあああああ!」

 普段のアリアから想像のできない雄叫びと共に、刀がロイを狙ったが、空中戦は間合いが取りやすい。ロイは身軽にその刀を避け、己の獲物をアリアに向けて投げつけた。彼女の頬と右腕に、赤い切り傷が入り、血が飛散する。

「バーカ」

 あざ笑ったロイに対し、アリアは口の端を上げた。

「馬鹿は貴様だ」

「あ……!」

 ロイを捉え損ねた刃は、ぶつりとロイと紗江を繋ぐ縄を切り裂いた。同時にルーアの針が、ロイの腕と太ももを貫く。

「──っ」

 紗江は声にならない悲鳴を上げた。縄が切れ、紗江は地面に向かって落下しはじめたのだ。

 地上五階の、更に上空から落下した人間が、無事で済むはずもない。

 石が敷き詰められたガイナ―家の地面を思い出し、紗江は暗澹たる思いで目を閉じた。紗江の体は、石に強打され、形を失うだろう。どうしようもなく、運命を受け入れようとした刹那、紗江の体は何かにがしりと抱え込まれた。体が砕けるほどの痛みは無かったが、落下速度を受け止める衝撃を受け、全身に痛みが走る。

「──く……っ」

 呻き声を上げたのは、紗江ではなかった。目の間で、赤茶色の髪がぱらりと揺れる。痛みに歪んた、特務曹長の顔がそこにあった。

 彼は一拍、痛みを堪える表情して、直ぐに紗江に笑いかける。

「……ご無事でしょうか、神子様」

 声が揺れているのは、表情では取り繕えない、痛みが襲っているからだ。五階から落下した人間を、軽く抱き留められるはずもない。

 体のどこかに、無理をさせていることを感じるのに、紗江は彼の腕の中で、無様な声しか発せられなかった。

「あ、あ……」

「もう、大丈夫ですよ」

 彼は柔らかく言うと、片腕で紗江の体を支え、ゆっくりと地面に降ろしてくれる。しかし紗江は足に力が入らず、その場にへたり込んだ。

 クロスは背後に目を向け、声を張った。

「ソラ!」

「神子様……! クロス曹長、ご無事ですか……っ」

 その声に応じ、城の中から若い兵士がかけ寄って来る。甲冑がこすれる音があちこちから聞こえた。城内に配備されていた兵士達が、こちらに集まってきているようだった。

 クロスは集まりつつある兵士たちに命じる。

「侵入者だ! 敵は中央塔上空! 第三部隊は敵の追撃、第一部隊は殿下および神子様の安全確保に分かれろ! 第二部隊、更なる敵襲へ備えよ!」

「――は!」

 明確な返事が複数個所から上がり、機敏に動き始めた。ソラが、クロスの腕から紗江を引き受ける。

 片腕で紗江を支えるクロスを、ソラは訝しく見やり、そして目を見開いた。クロスの右腕は、だらりと地に垂れていた。

「クロス様、腕を……」

「神子様を早くお運びしろ」

 クロスの額に、汗が滲んでいる。ソラが慌てて紗江の体を抱き上げようとしたが、紗江は震えながら、クロスの腕に触れた。

 ──腕が。腕が折れている。

 ──こんな目に合わせるつもりじゃなかった。

 ──どうして、こんなことに。

 言葉は、声にならなかった。体の震えが、止まらない。

 突然首を絞められ、中空に吊り上げられ、侍女たちは血だらけで死闘を繰り広げ、自身は空から地面へ投げ出された。

 鼓動は狂った速度のまま、治まらない。

 紗江の指先は、かたかたと震えていた。

 クロスはその手を撫で、穏やかに笑う。

「神子様、ご安心ください。私なら大事ありません。どうか今は、安全な場所へ」

 兵士が腕を折っては──。

 治さなくちゃと思うのに、指先に集中できない。頭の中で、重い鐘が鳴り響いている。

 彼を救わなくちゃいけないのに――力が。

 紗江の耳は、風を切る音を拾った。そして耳鳴りがするほどの、甲高い音が闇夜を切り裂く。

「ミコォオオオオ――!」

 反射的に空を見上げ、紗江は瞠目した。

 金色の瞳を持つ少年が、空から一直線に落下してくる。

 助かってなどいない。

 自分はまだ、窮地を脱してなどいなかった。

 金色の瞳孔は、限りなく開き、彼が獲物を狙い定めているのは明白だ。

 紗江は、彼の体を染める、赤黒い液体を視界に収め、震える。

「ロイ――」

 血が――流れ過ぎてる……。

 けれど、駄目だ。

 弾丸のごとく紗江を目がけて落下してきた彼を、止められる者はいなかった。

 血だらけの少年が望むものを、紗江は知っていた。けれど、夜陰に乗じて奇襲をかけてきた彼は、アランの敵。

 ――間違えてはいけない。けれど。

 ほんの僅か。ほんの僅かな心の動揺が、紗江の意識を支配した。

 ――血を、とめなくては。

 紗江の全身を、光の粒子が包み込む。

 瞳に、涙が浮かんだ。

 ――ああどうか、どうか死なないで。

 紗江は両腕を広げる。

 命がけの特攻を、神子は光と共に受け入れた。

「神子様――!」

 驚愕の声を聞きながら、紗江は少年を抱き留め、そして目を見開く。

「あ……っ」

 ――力が……奪われる……っ。

 指先から、燐光が放たれた。紗江は、己の姿が崩れるのを自覚した。

 抵抗しようのない、強い願いに引きずられ、紗江は呻く。涙が頬を伝い、紗江は主の名を呼んだ。

「ア、ラン様……っ……」

 ――こんなつもりじゃ、なかったのに――。

 少年の特攻と共に、発せられた閃光が、彼女の声とその全てを掻き消した。


 ――必ず――あなたの元へ、戻るから。



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