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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 二章
16/112

16.ガイナ王国宰相


 ガイナ王国の北方――王の直轄地である、モノ州の最北に王城はあった。王城には数多の省庁が置かれており、大小様々な塔が歪に入り組んで、一つの城を形成している。その城のほぼ中央に位置する、総務省を納めた中央塔の、磨き上げられた廊下を、アランは足音高く歩いていた。

 廊下の向かいから歩いて来ていた下官達が、自分を目にした途端、慌てて脇に控える。頭を下げる彼らに一つ頷いて通り過ぎ、彼は赤い双眸を廊下の先に向けた。

 先日卸したばかりの、新しい官服の襟首に指先を引っかけ、軽く揺する。首回りを覆う襟は、どうにも好きになれなかった。首を絞められているようで、気持ちが悪い。それにこの官服は、全て特注品で、それぞれ持ち主の体の形に合わせて作られている。聞こえは良いが、体にぴったりと沿って作られた服は、どうにも息苦しさを与えた。新調したばかりだと、尚更だ。

 神子を受け入れるのだから、と新しい制服を新調させた身内を忌々しく思い、つい眉間に深い皺が寄った。己の形相が鬼のようになっているとは気付かないまま、彼は鋭い眼差しで廊下の先にある扉を見る。扉に掲げられた札には『国務管理総務省第一執務室』と記載されていた。

 宰相と宰相の補佐官が利用する部屋だ。アランは扉前に立つと、重厚な扉を軽くノックし、返事も待たず入室した。

 部屋の中央――一面張りのガラスの前にある、上等な机に座っていた男が、顔を上げる。若干三十八歳ながら、王の篤い信頼を得て、異例の出世を経た男――フロキア宰相である。彼は、アランの上官だった。若干二十六歳のアランが、宰相の第一補佐官に任命されていることも異例ではあるが、出自を考えれば、不思議ではない。

 しかし実際のところ、アランを任命したのはフロキアの個人的な采配によるもので、実力主義の彼に名指しされることは、アランの優秀さを周囲に知らしめる、良い材料だった。

 フロキアの机の斜め前には、秘書官の席がある。彼女は、女でありながら、二十八歳という若さで宰相秘書官にまで上りつめており、色々な意味で敬遠されがちな立場だった。

 フロキアは、紫紺の髪をかき上げ、紺色の瞳を細める。

「なんだい、アラン。相変わらず、君は不機嫌そうだねえ……」

「……別に不機嫌では」

 普段通りであると答えようとしたところ、秘書官席に座っていたノラが声を荒げた。

「――返事も待たずに入室するなら、最初からノックをするな! 返事をするのが面倒だろう……!」

 アランは眉を顰める。

「……お前の返事を聞いた記憶はないぞ」

 彼女の方が年上だが、役職の立場はアランの方が上のため、二人は折り合いをつけて、対等な立場としての物言いをし合っていた。

 太陽のように輝く金色の髪に、猫のような吊り上がった青色の瞳を持つノラが、アランを睨み据える。

「返事をする準備をした時間が、惜しいと言っているのだ!」

 彼女は理不尽に怒鳴りつけるだけ怒鳴りつけ、ふん、と机の書類に目を落としした。もう会話をするつもりは無いらしく、彼女の意識は完全に仕事に向けられている。

 返事をする間を惜しんでいる割には、文句を言う間は惜しまない、お前の気持ちがよく分からない――と、内心呟き、アランはフロキアの机の上に、持ってきた書類を置いた。

「宰相宛の確認証書が二件と、先日の収穫調査書です」

 確認証書は薄い封筒だが、収穫調査書は、大地の管理と作物の収穫調整をする国土管理省が制作した、片手でつかめるかどうかという分厚さの書類だ。

 フロキアその冊子を開き、流し読みながら、首を傾げる。

「そうそう……なあ、アラン。テトラ州の鉱石採掘量が、変だと思わないかい?」

 アランは口角を歪めた。

「ご覧になっている書類は、農作物の統計であって、鉱石採掘量を記載した書類ではございません」

 今は鉱石採掘の資料が手元にないので、明言を避けたかったのだが、フロキアは欠片も気にせず、話を続ける。

「たしかテトラ州の州官長は、随分前に月の精霊を頂いていたはずだ。鉱石はまだしも、玉石の採掘も芳しくないのは、なんとも……。月の精霊の祝福があるなら、あれほど採掘量が減るものかねえ……」

『月の精霊』の祝福は、『祝福』と言われるだけあり、派手なものが多い。鉱石のような地味な色合いのものよりも、玉石や宝石類といった、派手な色合いの恵みに、彼らは好んで力を分け与える。

 アランは仕方なく、テトラ州の採掘量を思い出しながら、口先の対応をした。

「月の精霊の祝福にも、限界があります」

「限界ねえ……どうかな……」

 フロキアは紺色の瞳を眇め、あらぬ方向を見やる。しばらく考え込み、パッと笑顔を浮かべる。

「あ! そういや君、最近『月の精霊』を買ったよね。莫大な投資だったと、皆が噂しているよ」

「……」

 アランは答えを濁し、視線を逸らした。アランが『月の神子』を競り落としたのは、即日国中に知らされたことだ。隠すことなど何もない。何もないのだが――やや暴挙に出た自覚があるので、彼女についての話はあまりしたくない。

 怒り心頭で仕事に取り掛かっていたノラまでも、にやりと笑って、顔を上げた。

「そうそう、私も聞いたぞ。幼子に手を出すまで飢えていたとは、非常に残念だ」

 アランの眉間に、深い皺が刻まれる。

「――手は、出していない」

 どうにも自分は、女性に興味がないと噂されていたようだった。

 それなりに女性の経験はあるものの、立場上、人目に付くような真似はしてこなかった。恋愛をするというよりは、互いに割り切った関係を持つだけで、それが余計に噂にならない結果を招き、気付かぬ間に、女に興味がない堅物と思われていたらしい。

 しかし今回だけは、誰に何を言われようとも、アランは譲らなかった。競りの前に神子の姿を見ている事実まで知れ渡ってしまい、此度の『月の神子』は、アランの恋のお相手だと実しやかに語られているのだ。

 自分の信条も相まって、そういった話を否定もできず、このところアランは、口数が減っている。

「それに、彼女は……幼子ではない」

 なけなしの気概で口を開くと、フロキアの瞳が輝いた。

「へえ? お幾つなんだい、月の様は?」

 アランは若干イラつきつつも、応じる。

「月の神子・・です。彼女は……。十五、六歳です、恐らく……」

 本人いわく、二十一歳らしいが、どう見ても少女だ。年齢を詐称する必然性は全く見当たらないが、年嵩に見積もっても、十五、六歳だろう。

 フロキアは小首を傾げ、艶やかに笑った。

「そう……。さぞ可愛らしいお方なのだろうね。かのサバト将軍に喧嘩を売ってまで、所望したんだ。一体どれだけの資産をつかったのやら、涙がちょちょぎれる一途さだね、坊ちゃま(・・・・)

「……」

 アランのこめかみに、青筋が浮かんだ。馬鹿にされるいわれはない。己の立場を考え、将来必要になるからこそ、彼女を競り落としたのだ。少々懐は苦しくなったが、それも一時。彼女がいれば、程なく国家ごと潤っていくはずだ。

 隣の席から、ノラの小馬鹿にした相槌が入る。

「傾国の寵姫とはいったものだな、純情王子」

「……っ」

 拳を握ると同時に、手に持っていたペンが砕け散った。インクがぼたぼたと絨毯の上に零れ落ちる。

「お。怒ったのかい? いいね、青二才!」

 アランの不機嫌など意に介さず、フロキアはやんややんやとはやし立てた。

 アランは大きく息を吸い込み、吐き出す。この人たちのノリに乗ってはいけない。感情的になれば、余計に喜ばせるだけだ。宰相室内では最年少であるアランは、普段とは違う己の立場を呪いつつ、嘆息するに留めた。

 そしてせめてもの矜持で、フロキアに笑んだ。

「怒るはずがないでしょう……。どのように揶揄されようとも、彼女は私の精霊だ。――ご意向通りに進められず、申し訳なく思います、フロキア宰相」

「……」

 フロキアは机の上に肘を付き、絡め合わせた両手の上に、顎を乗せる。

 アランは己の月の力を使い、絨毯に散ったインクを吸い上げた。

「……全く、本当に君は、可愛げが無くて、いけないね」

 フロキアの低い声音に、アランはくつ、と笑う。

「フロキア宰相の代理人である、サバト将軍を負かした際は、とてもすがすがしい心地でした」

 ノラがちろりとフロキアの顔色を伺った。

「……まあ……月の神子は、僕が管理するのが一番だと思ったんだけどね……。仕方ないよね。君が馬鹿みたいに、国庫の上限値を超えた競り値をつけたんだから」

「……」

 決して、胸を張れる行いではない。アランは己の立場をフルに利用して、三大国家一の経済力を誇る、ガイナ王国の国庫さえ凌ぐ値段をつけたのだ。

 フロキアは首を振った。

「歴代最高額の競りだったよね。でも、神子にしては妥当な値がついたと思わないかい、アラン」

「……」

 アランは片眉を上げる。胡乱に見返したフロキアは、したり顔で肩を竦めた。

「月の神子様はね、アラン。この僕が、君にお譲りしたといっても過言ではないんだよ。僕は今回、国家の代表者だった。彼女の主人になるのは、国王ではなく、宰相の僕に、とした方が、私情が絡まずつつがなく物事が進むだろうから」

 アランは視線を逸らす。フロキアは優雅に、己の胸に手を当てた。

「この僕が、他国に競り負けぬだろう最高値を計算して、ガイナ王国の最高額を定めたんだ。そして君がどうしても譲らぬのなら、君自身の懐が崩壊せぬよう、けれど他国には負けぬよう、ギリギリの値段を設定した。僕が何を言いたいか分かるかい、アラン」

「なんですか……」

 何もかも見透かされていたのだと言われ、良い気分になれるはずもなく、アランは渋面になる。フロキアは爽やかに微笑んだ。

「僕は、今回のお礼に、月の神子様との対面を所望するよ」

「それは──……お断りします」

 アランは脳裏に少女を思い描く。

 濡れたような漆黒の髪に、柳のような細い眉。どんな闇よりもずっと深い色をした黒の瞳に、長い睫。紅を刺さずとも赤い唇は、彼女の白い肌をより白く見せ、気を抜くと、手が伸びそうになる。

 彼女が、もしも本当に二十一歳だったら、フロキアは合わせてはならない男だ。いくらアランが主人になっても、精霊自身が恋をして、夫婦になりたい相手を選べる以上、可能性を根絶やしにする必要がある。

 アランは、彼女と恋仲ではなかった。そしてとくに、恋人にしようと画策しているわけでもない。

 しかし何となく、彼女が己以外の男に目を奪われる様は、見たくなかった。

 ましてや、直属の上司に瞳を潤ませる少女の姿など、天地がひっくり返っても見たくない。

 やや複雑な心持ちで、しかし断固拒否する気持ちをありありと見せたところ、フロキアはさらりと提案を流した。

「まあ、いいよ。……ねえ、ノラ。テトラ州の州官長に連絡を取っておくれ。ちょっと確認しないといけないと思う。アランは、数字を精査してくれるかい」

「……わかりました」

 思いのほかあっさりと、月の神子から興味を失ったフロキアを怪訝に思いつつ、アランはフロキアの机を挟んで、ノラの向かいにある、己の机に向かった。インクを絨毯から吸い上げると同時に、修復したペンをくるりと指先で回し、机の背後にある書棚から資料を引き出す。

 テトラ州の州官長は、名をバサト・カルーナといった。テトラ州と周辺地域の採掘量について調べるため、アランは思考を切り替え、業務に没頭する。



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