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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 六章
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見てはならぬ花


 普段はそよ風の音と従者が移動する足音が時折響く程度の物静かな王城は、慌ただしい音が響いている。年に数度の宴の際に使用する、東の端の塔――蒼貴館は普段使用されない。だがこの館が急きょ開かれることとなった。

 清掃は常になされているものの、来賓が使う場合はその清掃が念入りになる。昨日の内に隅々まで一掃され直した塔に、現在は多くの荷が運び込まれていた。それらはこれから蒼貴館の主となる方の荷物であり、彼女がつつがなく過ごせるよう、方々より数多の荷が届き続けている。

 更に王により急きょ警備に配された兵は若手も多く含まれており、準備の雰囲気と相まって浮ついた空気が漂っていた。

「本当に来るのかな……」

 王城の警備兵として配置されるようになって一年にも満たない若い兵は、話が本当であれば必ず賓客が通る外回廊に目を向ける。彼は蒼貴館とその隣にある緑奏館の間の外回廊に面した庭園を一望できる館入口に配置されていた。

「そりゃあ来るだろ」

「わっ」

 突然耳元に野太い声がかかり、彼は文字通り飛び上がった。意地悪く気配を消して近づき、耳元で囁いた男を見上げ、彼は慌てる。こげ茶色の短髪に青い瞳、黒く日に焼けた肌に見上げるほどの体躯。何人男が飛びかかっても片手で捻り潰すと実しやかに囁かれている、王立軍大佐リカドだった。

「大佐……っ。なぜこちらに?」

 王城への配置をされている彼は、リカドの指導を受ける第一部隊に所属している。他部隊の若手よりもリカドを身近に感じているものの、それでも遥か高みにいる男に全身が緊張した。

 リカドは眉を上げ、当たり前のように言う。

「そりゃあ、お前。せっかく神子様が王城に来るんだから、一目麗しいお顔を拝見しようとだな……」

「……訓練は……」

 現在は任務に就いていない兵の訓練時間だった。その指導役であるリカドがここに居ていいのだろうかと思ったが、彼はそれ以上何も言わなかった。リカドは大きく口を開いて笑う。

「そんなもん、むさ苦しい男どもより女神を選ぶに決まっているだろう」

 敢えて聞かなかったのだが、リカドは職務放棄を自ら申告した。

「そうですか……」

「まだ来ないのか? 予定時間は?」

 蒼貴館の主となる方の到着時間は既に大分過ぎていた。予定時刻を数時間過ぎているため、今日は来ないのではないかと思い始めていたところだった。

 兵が応えようとしたところで、さわさわと向かいの館から物音が聞こえ始め、リカドは嬉しそうに言った。

「お、来たんじゃねえか?アランの神子様」

 今日はガイナ王国第一王子の元に降臨した月の神子が王城へ移る日だった。どういう経緯で王城へ移ることになったのか、一切は知らされていないながら、王子の私城に配置されない兵達にとって滅多とない機会に皆やや浮かれている。

 背筋を伸ばして外回廊を見守っていると、程なくして先触れの兵が顔を見せた。その後ろに王城の侍女頭が続き、見覚えのない侍女が二名とその間にカサハを被った少女が垣間見えた。薄い衣を重ねた変わった着物を見て、兵は思わず呟く。

「あれが天女の衣……」

 王子がジ州の大店に特注で作らせた衣は兵の間で噂になっていた。肌が透けるようで全く透けない作りの衣は軽く、風が吹けばたゆたう。そして月の光を受けると虹色に瞬くらしい。神子を賛美する第三部隊から流れる噂は、回り回って天女の衣と称されるようになっていた。

 隣でリカドがぶふ、と笑った。

「天女ねえ……ありゃあ、どっちかってーとアランの好みそのものの格好だなあ。胸がいい感じだ」

 即物的な感想を述べるリカドを思わず睨んでしまった。リカドはにやにやと神子から視線を逸らさない。

「不敬ですよ」

「いいじゃねえか、どうせ聞こえねえよ」

 改めて見ると、確かに神子の胸元の膨らみが強調されており、彼女が神子であると思わなければ触れてしまいたくなる作りではあった。カサハの間から覗く彼女の唇は小さく閉じられていて、全く感情は窺えない。隣でリカドはぶは、と笑う。

「ありゃあご機嫌斜めなんじゃねえかあ?」

「そうでしょうか……」

 風が吹いてカサハが揺れた。風に釣られて庭に目を向けた彼女の顔は、人形のように白く整っており、はっとさせられる魅力があった。

「美しい方ですね……」

 王子の婚約者となるだけはある美しさだった。カサハの間から零れ落ちる銀糸の髪が光を弾く。正に女神そのものだ。

「すげえな。神子ってのは外見も規格外だな」

 外見については同意らしい。ざわりと侍女たちが慌てた声を上げた。

 神子は侍女たちの声を無視して庭に向かい始めた。先触れの兵二名が慌てて彼女の両脇に回るが、神子は気にした様子はない。

「はは。やっぱな。すげえご機嫌斜めだぞ、あれ」

 リカドは可笑しそうに言うが、どこが不機嫌なのか全く分からなかった。

 神子は眉一つ動かしておらず、人形然と足を動かしている。彼女がサイの草原に足を置いた瞬間、息を飲んだ。

 風が一気に庭中を襲った。敵襲かと身構えるほどの圧を感じた。咄嗟に身構えるが、リカドは平然と腕を組みにやにやと笑っている。

「たまらんな」

「え……っ」

 足元を見て愕然とした。それは彼女の周囲にいた者全員に言えることだった。サイの草原となっていた庭園は、今や見たこともない八重の花が群生する花園と化していた。

「え、これ……って」

 視線を巡らせると、回廊の反対側にあった草原まで花園となっており、突然辺り一面に甘い香りが漂い始めた。蜜を想像させる甘い香りが一面を支配し、リカドは肩を揺らす。笑っているのだ。

「面白い女だなあ。やけくそだぞ、あれ」

「は?」

 神子の周囲には金色の粒子が舞っており、これら全てが彼女の御業によるものだと物語っていた。更に、侍女が声を上げる。神子は誰の言うことも聞かず、カサハをむんずと掴み剥ぎ取ってしまった。長い銀糸の髪がふわりと広がり、目を奪われる。彼女はそのまま花園の中に座り込んでしまった。

「……最後の抵抗だなあ」

 侍女たちの呼びかけに、彼女が何かを応える様子はなかったが、彼女たちは急きょ神子の為に茶を用意し始める。このまま館へ案内する予定だったのだが、どうやら彼女はこの庭で過ごすことを希望しているようだ。

「やっぱなあ……分かるわな、よっぽどの阿呆でもなけりゃ」

 リカドが意味深に呟くので、見上げるが、彼は神子から視線を逸らすつもりはないらしい。神子を憐れんだような顔をしていた。

 神子は無表情に渡される茶を受け取り、それを飲むでもなく空を見上げている。風が吹いて露わになった彼女の横顔は、綺麗な人形にしか見えなかった。

「いくらアランが直ぐに迎えに行くって言ってもなあ、大量の着替えと生活用具が運び出されてるの見てりゃあ察するってもんだろ」

 話される内容の意味が分からず黙っていると、リカドは続ける。

「王も意地が悪いよな。婚約までさせておいて、今更主人を宰相に変えろだなんてなあ。可哀想に、泣いてたんじゃねえか?目が赤ぇなあ……」

 内心悲鳴を上げた。聞いてはいけないことを聞いてしまった。これ以上は不味い、と顔を上げた。

「リカド大佐……っそれは……」

「議会はいつごろ終わるかねえ。どっちが迎えに来るのか、見ものだな」

「議会……っ」

 今日は緊急議会が開かれていた。議事内容は当然一兵に知らされていない。だが分かってしまった。今、この王城の敷地内にある議事堂で開かれている議会は、神子様の主の選定についてだったのだ。

 彼は真っ青になった。そして俯いた。

「大佐……その内容は……一般兵には開示されておりません……。極秘かと……」

「え? 本当? 嘘、まずいな。ははは」

 彼は全く悪びれず笑いながら肩を掴んでくる。

「まあいいじゃん。お前が誰にも言わなけりゃいいだけだ。出来るよなあ?」

 一瞬仄暗い眼差しに射抜かれ、全身に鳥肌が立った。

「もちろんであります!」

 命がけで秘密にしなければならないと敬礼を返した時、ざわりとまた向かいの館から音が響いた。

「おっ」

 リカド大佐は直ぐに視線を巡らせ、満面の笑みを浮かべる。館から颯爽と姿を現したのは、アラン王子だった。周囲に護衛が付いていないところを見ると、また置いて来てしまったのだろう。アラン王子は良く護衛を置き去りにして足早に移動してしまう人だった。どんな時も彼について行けるのは第三部隊の兵くらいだ。

「一目散ってとこか。どうなったか知らんが、誰より先に来るのは偉いな」

 アラン王子は蒼貴館を見上げ、すぐに回廊脇へ目を向けた。彼は神子の周囲にいる者に労いの言葉を掛けているのか、軽く手を上げながら彼女の元へ進む。神子の目の前に片膝をついた。

 彼女は人形然とした顔で視線を逸らす。喧嘩でもしているのか、妙に緊迫した空気だった。アラン王子は彼女の雰囲気を気に留めず何事か話しかける。彼女はぼんやりと花を見下ろしながら彼の言葉を聞き、そしてゆっくりと顔を上げた。二人が視線を交わした。

 神子は何かをぽつりとアラン王子に尋ね、王子が笑む。王子が甘く笑む姿など初めて見た。

 彼女の赤い唇が弧を描いた。

 それを見た瞬間、体が強張った。ざわりと背筋を悪寒が走り抜けた。

 彼女は笑みを浮かべた。これまでの人形然とした顔が嘘のようだった。それはとてつもなく甘く、男の欲望を掻き立てる無防備な笑顔だった。

 無意識に拳を握っていた。

 アラン王子は一瞬真顔になり、抑えられないと言わんばかりに情熱的に、彼女の小さな顔を両手で包み込んで唇を奪った。

「なるほどな……」

 くぎ付けになっていた視線を引き剥がす。リカドは目を眇めて親指を噛んでいた。

「……あの女は怖ぇな」

「大佐?」

「――狂う」

「は?」

 リカドは肩を竦めてこちらを見下ろした。そして飄々と笑った。

「お前もこの館の常駐兵に任命されたら、あんま神子様は見るな。あの女は見れば見るほど男を狂わせやがる。あれは殺人鬼の心さえ奪っちまった、怖ぇ女だ」

 並みの男には無理な花だとぼやき、彼は背を向けた。

 神子の姿を見やる。ほんのり上気した頬。口づけのために更に赤くなった唇が艶やかに光る。潤んだ瞳に映るのはアラン王子ただ一人。

 見てはならない。これ以上は見てはならないのだと、兵は視線を辺りへ転じた。

 リカドの助言の意味を彼は理解した。



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