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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 六章
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月夜


 戻る場所など、ここ以外にはない。

 元の世界になど、戻りたくない。

 ここには母が生きていた。そして今、父がいて、大切な人がいる。身勝手にこの力を使い切ってしまおうなんて思ってもいなかった。力を失い切らないよう、ぎりぎりで動いていた。それでもこの体は力を満たしておかなければ、動かなくなる。

 この世にありたいのなら、力を溜め続けろと月に監視されているようだった。月は言うのだ。力がないならお前なんかいらない。

 この世は残酷だ。力が無いのなら、排除されるのだから。

 この世から消えることを恐れたテトラ州の精霊の恐怖が、今更分かった。この世に大切な人ができてしまえば、戻ることなど望めない。あり続けようと努力するしかないのだ。

「……っ」

 泣き声が聞こえた。密やかな泣き声はしばらく続いた後、ぴたりと止んだ。衣擦れの音が、扉が閉まる音と共に消えた。辺りは静まり返った。

 誰が泣いていたのだろう。

 ゆったりと開いた瞳に月が映りこんだ。眠っている間は雪が降り積もるようだった力が、滝のように体中に注ぎ込まれていく。瞳に月の光を映し込むと、力の吸収は止まらなかった。空っぽの空洞を埋めるためか、怒涛の勢いで水が体に注ぎ込まれる錯覚を覚え、呼吸が苦しくなった。

「く……っ」

 紗江は瞳を閉じて、上半身を起こした。胸を押さえ口を開くと、苦しそうな息が漏れた。鼓動の速さが尋常でない。この体はどんどん変わっていく。この世で過ごせば過ごすほどに、月の力の吸収力が上がっている。昔は月の力が体に溜めきれず零れ落ちることなどなかった。

 ――怖い。

 漠然と恐怖を感じた。力を吸収していく体。かつてよりも早く、力を吸い込んでいく。その負荷を感じる。心臓が無理をしていると言っていた。

 力を失いすぎてはいけない。力を失えば、心臓に負荷がかかる。これ以上の力を使ったあとの吸収では、心臓が弾けるのではないだろうか。あり得ないと思いながらも、呼吸が苦しい。声も出せない状態で、それを笑う気持ちにはならなかった。

 紗江は布団に顔を押し付ける。体が勝手に力を吸い込んでいる。こちらの方がずっと楽だった。

 瞳を閉じて力の補充を感じていた紗江は、ずいぶん経ってから扉が開く音に目を開けた。

 夜着に身を包んだアランが、紗江の顔を見て立ち尽くした。疲労の濃い目の下の隈が可愛そうな顔だった。

「紗江……」

 誰も知らない弱い声を上げる。紗江は精一杯甘い笑みを浮かべた。

「おはようございます」

 アランは笑んだ。

「もう夜だぞ」

「何日目の夜ですか?」

「……一年」

「え!」

 驚いた声を上げると、アランは傍に来ながらはは、と笑った。

「嘘だ。二日だよ。眠りすぎだ」

 寝床の脇に立ち紗江の頬を大きな手が撫でた。目の下を撫でて、瞼の上を撫でる。冷やりとした感触に、眉を上げた。

「濡れてる……?」

 アランはそっと言った。

「ずっと泣いていた……」

「誰が?」

 きょとりと見上げる。そう言えば、寝ている間に泣き声が聞こえた気がした。傍で誰かが泣いていた。

 アランは酷く優しい眼差しで紗江を見つめおろした。

「お前だ」

「……」

 紗江は目を見開いた。

「嘘」

 また嘘かと思ったが、彼は苦笑する。紗江の横に腰をおろし、体を抱き寄せた。

「ずっと泣くから、どこか痛いのかと心配だった。医者に見せてもどこも悪くないと言う。じゃあなぜ泣くのだと怒鳴りつけてしまった」

「……本当に?」

「怖いと言っていた。もう怖くなくなったか?」

 彼は紗江の体を抱きしめて、笑い含みに尋ねる。彼の胸の中で、紗江は目を見開いた。戻りたくないと、ずっと夢を見ていた。そんな寝言を言っていたとしたら――。

 恥ずかしい。

 真っ赤に染まった頬に唇が落ちた。

「あ、の……」

 他に寝言を言っていなかったか確かめたかったが、アランが酷く甘く見下ろすので、言葉を見失ってしまった。

「お前もこの世にあり続けたいと思うのだな……」

「──!」

 かっと血が上った。とっさに開いた口から、情けない空気が漏れる音が上がる。寝言は言っていたらしい。しかもアランはしっかりと聞いている。

 彼はにっと笑った。

「お前が泣くのが気になって眠れんかったからな。寝言も全部聞いていた。何度も何度も名を呼ばれ、悪い気はしなかった」

「き……聞いていないふりをしてくださいっ。ひどい……っ」

 紗江は両手で顔を覆って俯いた。零れた髪の間に覗いた首に口付けが落ち、体がびくりと跳ねる。

「だが俺が好きだろう?」

 恥ずかしさに紗江は悲鳴を上げた。楽しそうに彼の手が腹を撫でる。

「えっ」

 首筋に顔を埋めたまま、アランの大きな体が紗江を押し倒した。

「待っ」

「別にいいだろう。もう悲鳴をあげられるくらいには元気なのだろう?」

「だめ! 色んな意味で駄目です!」

 二日も寝たままだなんて、絶対に無理ですと叫んだ時、悲鳴を聞きつけた侍女が駆け付けた。

「神子様、ご無事ですか!」

 ルーアの焦った顔が、瞬時に真顔に変わった。紗江の衣はほとんど意味をなしていなかった。ルーアの後に続いたルキアが眼鏡の下で冷たくアランを見据えた。

「殿下……」

「冗談だ、冗談」

 冗談だと言いながら、手は動きを止めない。二人の目を全く気にした様子も無く、合わせの中に顔を埋め、胸元に口付けを落とす。

「ひゃう!」

 紗江が声を上げると、ルーアが怒鳴った。

「殿下! 神子様はまだ目を覚まされたばかりですわ!」

「わかった、わかった」

 物足りなさそうな表情で紗江の着物をかき合わせると、彼は堂々と唇を重ねた。視界いっぱいに広がる赤い目が潤んでいる。驚いて確かめる間もなく、彼はそっと唇を離すと濡れた紗江の唇をもう一度吸い、立ち上がった。

「アラン様……?」

 雰囲気に違和感を覚えて声を掛けると、彼は艶のある笑みで耳元から首筋を撫でおろした。思わず目を瞑ってしまう。

「……っ」

 彼は軽く笑って離れて行った。

「湯あみでもなんでも好きにしてくれて良いぞ。用意が済んだら呼べ」

 意味深な物言いに硬直した。ルーアがぷりぷりと怒る。

「数日はお控えくださいませ! 全く、これだから殿方は……」

「や……あの……」

ひとず医者をお呼びいたしますね」

 慈悲深い微笑みを浮かべた侍女に、紗江は言葉も見つからずただ頷いた。



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