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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ガイナの神子─ 六章
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温もり


 すやすやと眠る弟の表情は非常に穏やかだった。州城の医療室は薬品の匂いが充満しており、清潔な布団の中で眠る人間は弟だけだ。病室にいくつもある寝床を使う人はいない。普段はがらん堂の状態なのだろう。よほどの大怪我でもない限り、州城の病院を使う人間はほとんどいない。

「お姉さんと別れた後でしょう。大通りの中央で突然心臓を突かれたそうです。心臓を潰されて出血がひどかったので、まだ目覚めてはおりません」

「はあ……心臓……」

 弟の胸は上下している。病室まで付き添ってくれた紫紺の髪の官吏を見上げる。彼は困ったような顔をし続けていた。

「あの……普通心臓がつぶれたら……死にませんか……?」

 腎臓などの間違いではないかと思った。弟が眠る寝台の反対側に立っていた医者が軽く笑った。

「死ぬよ。普通心臓が潰れちゃうと、ここの医療従事者が束になって力を注いだって死ぬね」

「……ですよね」

 やはり心臓ではなく別の内臓の話だったのかとぎこちなく笑い返そうとしたが、翡翠色の髪と焦げ茶色の瞳が綺麗なその若い医者は、話を続けた。

「医療機関に神子様常駐とかできないかと思っちゃうよ。そうしたら、きっと死亡率が格段に下がる」

 快活に笑う。彼の背後に広がる快晴の空のような笑顔だった。ティナは瞳を大きくした。

「神子様……ですか?」

「不敬ですよ、院長」

 官吏が不快気に眉を潜める。話の内容がよく分からない。事情を全く知らされていないティナを見おろし、院長は笑ったまま言った。

「君の弟は本当に幸運だよ。神子様と知り合いみたいだね?」

「え?」

 知り合いという意味不明な単語に首を傾げる。院長は弟の着物をくつろげ、彼の肌を見せる。

「ほら、綺麗な物だろう。傷一つ残らない御業。殺人鬼に心臓を潰されたそうだ。太い腕を突き立てられ、この胸には一度穴が開いた。大通りに出血量を確認しに行ったが、大量だった。即死する勢いの出血だよ」

「殺人鬼に襲われたのですか!」

 全身が震えた。ルトの街で人を殺して回る殺人鬼の噂は残虐で、冷酷無慈悲だった。内臓を抉られ、放り捨てられる。弟もそんな目に合っていたなんて、信じられなかった。

「うん。でも心臓を取られる前に神子様が御力を注いでくださったんだよ。すごいよねえ。潰れたはずの心臓が、今もここで鼓動を打っている音がするんだ。たった一人で、しかも力を使い切るまでもなく。人一人の命を救うに余りある月の力をお持ちなんだなあと思うと、羨ましい限りだよ」

「院長……」

 官吏にとって院長の物言いはひたすらに癇に障るようだ。

 ティナは唇を触る。

 シャグナが連行されたのは絶対に間違いだと思った。なぜなら、昨夜シャグナはティナと一緒に店に戻ったのだ。ずっと一緒だったのだから、彼が弟を殺そうとするはずが無い。

 けれどなぜ、弟が殺人鬼に襲われなければならなかったのだろう。

 院長は官吏の声など耳に入らない様子で肩を竦める。

「まあ、さすがの神子様でも、その後に死に掛けの殿下を救ったら、限界が来たようだけれどねえ」

 聞きなれない言葉にぽかんとする。

「殿下?」

 院長はからりと笑う。

「殺人鬼の討伐は殿下の御仕事だからねえ。よほど殺人鬼をこの世から葬りたかったのだろうねえ。無理に月の力を使って飛行までされるとは、王族ってのはやることが大胆だよ」

 官吏の眉間に深い皺が寄った。

「院長……」

 院長はティナに説明をすると言うより、何かを語りたくてたまらないだけのようだった。視線を背後の窓に向ける。

「いくら殿下でも、飛べない人間が無理やり飛行しちゃあ駄目だよ。月の力は生まれ持った時点で保有できる量に違いがあるのだから。自殺行為だね。月の力を失っちゃあ死ぬのに。分かっていないはずも無いだろうに」

「院長」

 官吏の声が尖る。院長は振り返らず窓から見える街を見下ろした。

「神子様がいてよかったよね。殿下も救ってくれた。あの方がこの世からいなくなったら、民は絶望する」

「院長……いい加減にその軽い口を閉じていただけませんか」

 院長はやっとこちらを振り返った。どうして?と尋ねかねない表情で首を傾げた。

「だって、このお姉さんは事情を知らないでしょ。教えてあげなくちゃいけないよ。いかにこの子供が幸運に見舞われたのか。そしてどれだけの代償を王子と神子がこの子供の為に支払ったのかを」

「――」

 血の気が下がった。軽く語っている調子で、この院長は自分たちを責めていたのだ。快活な態度で彼はティナを見下ろす。

「分かるかい? 夜中に十歳の子供が、酔客で溢れかえる歓楽街を歩くなんてどうかしている。しかも歓楽街の中でも最悪な、色町だ。本当なら君の弟は死んでいたんだ。だけど幸運にも傍に神子様がいた。だから偶然力を注いでいただけた」

「……」

 ティナは返答ができない。

 彼は口角を上げたまま続ける。

「心臓を取られなかったのは、偶然王子が討伐にいらっしゃっていたから。抉る時間が無かっただけなんだよ。心臓を取られていたら、神子様でも救い上げることは出来なかったはずだ」

 最悪の結末を想像し、肩が強張った。

 彼は首を傾げる。

「いいかい? 事実がどうであれ、君の弟妹はね、ガイナ王国の次期国王とその妻となる神子様の命を代償に救われた、罪深い子供となりかけたというわけなんだよ。よかったよね。お二人ともご健在で」

 笑っていない瞳が恐ろしかった。喉が強張り、瞳に涙が滲んだ。

「申し訳……ありませんでした……」

 声が震えた。

 院長はあっさりと頷いた。

「うん。もう少し考えないとね。生活の為に雑技団をしているのだろうから、夜の街にいるのは仕方ないにしても、いつも大人と一緒にいるように躾けてあげなくては。可哀想だろう。まだ子供なのに、自分一人で立つことができるなんて思いあがってはいけないんだよ。子供であるべき時期に大人に甘えておかなければ、感覚が摩耗して、気付いたら心が壊れてしまっている。そういうこともあるのだからね」

「はい……」

 隣の官吏が溜息を落とした。

「院長。彼女だって十五歳の未成年です。大人げなくそう責めないでください」

「あれ、そうなの? 君もあの色町で働いている子供?」

「はい……」

 色町も色町。遊女を扱うジ州最高級店の下女である自分が、この男にどう思われるのか恐ろしい。

 官吏は眉間を押さえながら呆れた声で言った。

「彼女は桜花蒼姫の下女です。貴方の言うような理想論だけでは、この世は生きていけないのです」

 院長はからからと笑った。

「そうかそうか。君も哀れな子供か。毎夜女を売るような場所で、働かせて良い年齢ではないね」

 唇が震える。自分を哀れと言われることが、屈辱だった。一生懸命働いている自負があり、決してあの店が汚らわしいだけの場所ではないと思い始めていたからこそ、泣きたくなった。

「あなたの主観的な持論を押し付けてはいけませんよ。彼女の労働は法の下に許可されているのですから」

 院長はティナの顔を見おろし、全てを見透かすような目で言った。

「でも辛いでしょ」

「……」

 辛くないはずはなかった。続けたかった勉強もできず、毎日へとへとになるまで働きづめで、夢も何もない毎日。何が楽しいのか。

 官吏は鼻を鳴らした。

「あなたに何かできるのですか? 彼女に無償で生活費を差し上げるとでも?」

 院長は笑った。

「そうだねえ、それは無理か。じゃあ私が、今この時だけは君を甘やかしてあげよう」

 そう言って、院長は寝床を回りティナの目の前に立った。何が起こるのかと見上げると同時に、彼の白衣が視界一杯に広がった。次いで体を締め付けられる感覚に、唖然とした。

「院長!」

 官吏が怒声を上げた。彼は緩すぎず、きつ過ぎない丁度良い力でティナを抱きしめて笑った。

「人の体温は安心するだろう? 心がささくれ立った可愛い娘の為に、父となってお慰めしてあげているんじゃないか」

 彼は穏やかに、そして優しく言った。

「……よく頑張っているねえ。大丈夫だよ。弟も妹も、すぐに良くなる。安心しなさい」

「……」

 両親に抱きしめられた記憶が蘇る。もうずっと昔の、子供の頃にだけ許された人肌の温もりに全身を包みこまれ、不覚にもティナは瞳から涙をこぼしていた。

 ちり、とシャグナの黒い瞳が脳裏を過ぎった。



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