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月の精霊~異世界って結構厳しいです~  作者: 鬼頭鬼灯
ゾルテの精霊― 一章
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10.転機


 どうするつもりなのだろう。

 晴れた月夜、紗江はテラスで呑気にステップを踏んでいた。夜着は昼間の着物と違い、軽くて楽だ。裾がひらひらと揺れるのが、可愛い。

 夜は金色の蝶々が自分の周りを飛ぶし、不思議な声の鳥が鳴いているし、月影を飲めば体が満たされる。――最高の時間だ。

 サーファイは、夜になると、時折テラスを訪ねてくるようになった。紗江の競りに関して忙しそうだった彼は、今夜もひょっこりと顔を出す。空を飛べるからか、登場方法はいろいろだ。空から降りて来たり、森から来たり。今日は珍しく、宮の廊下を歩いてやってきた。

「よお、神子様。ご機嫌そうだな」

 粗雑な物言いをして、サーファイはどかりと、紗江の近くにあった椅子に腰かける。疲れた表情で、机に置いていた紗江の酒を勝手に飲んだ。

「大丈夫?」

 床を引きずるほど裾が長い衣装のため、紗江は着物の端を摘まんで近寄った。サーファイの横に立って首を傾げると、彼は紗江を見上げてくしゃりと顔を歪めた。

「競りが早まるぜ」

「……一か月、経ってないよ?」

 まだ一週間と少しといったところだ。ソフィアには『月の精霊』は一か月喪に服するものと聞かされていたので、純粋に不思議に思っただけなのだが、彼は項垂れる。

「……すまない。お前にもう少し時間をやりたかったが、これ以上他国が干渉してくると、こちらの均衡が崩れてしまうそうだ」

「謝らなくても、いいよ。嫌なわけじゃないから」

 一か月喪に服そうと早まろうと、誰かに買い取られる運命は変えられないようなので、大した抵抗感は無い。

 不安といえば、自分の主人という存在の想像ができない事だろうか。かつての会社の上司ほど、気を遣わないといけないような人間が主人でないことを祈るばかりだ。

 サーファイは、紗江の本心を探るように目を覗き込み、そしてそっと紗江の手を取った。連れ去られた時よりも白く、滑らかになった肌を、親指が撫でる。

「……お前は、泣かないんだな……。今までの精霊達は、月の宮を出ていくことをとても嫌がった。泣いてすがる。怖いと。離れたくないと」

 紗江は軽く微笑んで、首を傾げる。

「……それはきっと、みんな子どもだったからじゃないかな。知らない世界に行くのは不安だもの。優しくしてくれた世界から離れたくないと思うのは、普通よ。サーファイは、辛かったでしょうね」

 見てくれは幼くなっていても、実年齢は二十一歳だ。両親を失い、一人で生きる経験をしている紗江は、現実を少なからず理解できる。

 幼い子供たちには抱えきれない不安も、胸に留めて、抑えられる。

 サーファイは視線を落とし、息を吐いて笑った。

「そうだな……。だがいつも、泣かないでくれと思わずにはいられない。どうかこの世界で、幸福になってくれと願う。――お前も」

「……割と幸せな方じゃないかな。神様と同じように扱ってもらえるなら、大事にしてくれる人ばかりでしょう……? 嫌になったら、元の世界に戻れるらしいし。大丈夫よ。皆、不幸になんてなっていないわ」

 哀愁漂う雰囲気を、紗江はあえて笑い飛ばす。楽観的に考えればいいだけだ。嫌になったら元の世界に戻れるなら、問題は無い。主人が嫌なら逃げればいい。逃げたら主人は死ぬが、郷に入っては郷に従うだけだ。

 にこ、と笑って見下ろすと、サーファイは酷く眩しそうに笑んだ。綺麗な青い瞳の端が濡れていたのは、気付かなかったことにした。

「――お前とは、また会いたいと思うよ。」

 紗江はふわっと笑った。

「会いに来れば良いじゃない。神様の友達なんだもの。主人も拒否なんてできるはずが無いわ」

 涙一つ零さない紗江を、青い目がじっと見つめ続けた。



 競り当日、サーファイは眉根を寄せた。

 各国から配された馬車が、月の宮へ次々に入って行く。神子がしでかした花畑と桜の森を通り抜ける行列は、華美になり過ぎない、普段の競りと変わらぬ様子だ。だが、それぞれの馬車がいただく紋章は、各国王室を示しており、予想していたよりも、その数は多い。

「なんだこりゃ……」

 競りは月の宮の中央──月の滴を囲んで執り行われる。競りのために用意された椅子の数は、十五にも上った。紗江を治める月の宮が所属している三国からは、ガイナ、ルキア、ゾルテの王家代表者と、ガイナ王国内では二人目の希望者となる、アラン王子が参加している。

 これに周辺各国の使者が加えられるのだが、事前に競りへの参加を希望した国だけにとどまらず、神子の降臨を知らない筈の、周辺小国までもが参加する有様だった。

 更に、それぞれの参加者の背後に側近と護衛の兵士が立ち並ぶものだから、競りの会場はお世辞にも穏やかな雰囲気とはいい難い。


 ガイナ王国の代表は、ガイナ王の弟であるサバトだった。黒い軍服に身を包み、胸に輝くのは巨大な宝石。陽に焼けた肌の壮年男性──ガイナ王国軍の将軍をいただいているサバトは、厳つい顔を顰め、隣に座っているアラン王子を睨んだ。

「どういうつもりだアラン。お前まさか本気で手に入れようと考えているわけではあるまいな」

 黒い衣を身に着けたアランは、珍しく頭にも布を被り、他者から顔が見えないようにしていた。彼は布越しに、皮肉気な笑い声を漏らす。

「これは異なことをおっしゃいますね、叔父上。ここに座っている以上、もちろん競り落とすつもりですとも」

「――貴様、国政を妨害するつもりか」

 アラン王子は鼻を鳴らした。

「おやおや……。将軍は、月の精霊に政治をさせるおつもりですか?」

「揚げ足を取るな、馬鹿者!」

 ガイナ王国内の小競り合いを見下ろし、サーファイは首を傾げた。

「ガイナは代表者を統一できなかったのか……?」

「ねーねーサーファイ。降りて来てー」

「げ……っ」

 背後から甘えた声が聞こえ、サーファイは中庭の周囲に張り巡らされた外回廊の、その屋根から慌てて飛び降りた。競りの対象である本人が、回廊の外側からサーファイを呼んだのだ。『月の滴』の周囲の回廊は、中庭側は壁がないが、外側は壁で覆われ、中が見えない。

 参加者に彼女の姿は見えなかったはずだが、彼女の澄んだ高い声は、明らかに庭に響いた。

 アラン王子が背後の屋根を見上げ、くすりと笑う。

「――相変わらず、愛らしい声だ」

 サバトが怪訝に背後を振り返った。幼い少女が事態を理解せず、呑気に話す声が壁の向こうから聞こえた。



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