第二章 旧友たち (3)
「どうした?暗い顔して」
「あ、いやごめん。なんでもないよ」
大隅の声に僕は我に返った。心配そうに覗き込む大隅の顔に笑って見せる。大隅は「そうか」とだけつぶやくと一口ビールをすすった。
「気分が悪いなら僕に言ってくれよ」
中津川がそう言って焼きとりを一口食む。僕は「大丈夫」とだけ答えると、眼の前のフライドポテトに手を伸ばした。どうやら無意識のうちに浮かない表情をしていたらしい。三人が心配そうな顔で僕を見ている。気恥しくなり、話題をそらすために口を開く。
「中津川は内科?外科?」
「一応内科だよ」
中津川は少し嬉しそうな顔になって答えた。彼は昔から自分の興味分野についての話題になると別人のようになる。普段はあまりしゃべらないおとなしい、悪く言えば影の薄い男なのだが、その手の話題になると止まらなくなることがあった。さすがにこの歳なので昔ほどではないようだが。
「じゃああたし、妊娠したとき頼りにしてるから~」
秋野が口をはさんだ。もう大分酒が回っているのか、ほんのり顔が紅潮している。
「まあ僕産婦人科じゃないんだけどね」
「でもある程度はわかるでしょ。最近金欠なのよ」
「そういうのはケチっちゃだめだよ。ちゃんと病院へ行かなきゃ」
「冗談よ、冗談」
秋野は笑ってまた一口ビールを飲んだ。
「それにしてもお前が結婚なんてな~。まだ信じられんぜ」
大隅が呟くように言った。秋野が彼の方を睨む。
「何よ、あんたも結婚式きたでしょ~」
「ああ、旦那に同情したもんだ」
大隅がそう言ってけらけらと笑った。秋野も笑顔で彼を小突くような仕草をする。
「なんですってー」
僕も中津川も笑いながら彼らを見ていた。秋野の結婚、これは僕にも予想外だった。あんなに男っ気が無かった秋野が一番最初に嫁に行くなんて思ってもみなかった。
僕は一年ほど前になる、彼女の結婚式を思い出した。ウェディングドレスに身を包んだ秋野と、その横に立つ気の弱そうな彼女の夫。これは尻に引かれるなと思っていたが、案の定そうなったらしい。しかし、二人ならんだ幸せそうな写真が今年の年賀状にプリントされていたので、仲は良いのだろう。それでなによりだ。
「いいよな。専業主婦だろ~」
大隅が言った。僕はその言葉に驚いて、秋野の方を見た。
「秋野仕事辞めたんだ」
「あら、知らなかったの穗村」
秋野が意外そうに僕に言う。確か彼女は、大学を卒業してすぐ化粧品の販売員をやっていたはずだ。その仕事を生きがいにしていたような感じがしたので、辞めたというのは予想外だった。それにこの不況だ。彼女の旦那はそれなりに稼ぎがいいのだろう。
「旦那さんは何をしているの?」
そう聞くのは中津川。
「銀行員よ。まだまだ平だけどね」
秋野が自嘲気味に笑った。平社員とは言っても、一人を養うだけの給料があるのだから、それなりだろう。僕のゴミみたい薄給とは大違いだ。
そんなことを考えていたとき、大隅が僕に話しかけてきた。その声には何故か、緊張が混じっているような感じがした。まるで、なにか言いたくないことを言わ無ねばならないときのような感じがした。
「なあ穗村、お前最近こっちに帰って来ないようだけど、たまに帰ってこいよ。おふくろさんも心配してるぞ」
僕は杯を口に持っていくのをやめて、テーブルの上に置いた。それは、あまり触れてほしくない話題だった。