序章
桜が咲く季節には、故郷のことを思い出してしまいそうになる。僕の故郷では、珍しく桜が咲き始めるころに、大きな祭りが行われていた。もう地元の北海道を離れ、関東に住んで長い。子供の頃にはこの時期になると胸を踊らせたものだが、今ではその気持ちを思い出すことさえできなくなってしまった。
桜という花は、僕にとってはある人を象徴する花でもある。桜を見ると、彼女との思い出が蘇りそうになる。しかし、彼女はもういない。現在の僕には、それは辛い記憶となってしまった。
いつの日からか僕は、かつて大事だったものをすべて忘れようとしていた。そのまま無機質な社会の一員としてだけ生きていた。自覚をしていながらも、それを改善しようという気力は、今の僕にはない。
春だというのに、照りつける太陽が僕のうなじを容赦なく焼き焦がす。それがただでさえ色褪せた日常に嫌なアクセントを加えてくる。つい最近まではコートを手放せないほど寒かったのに、最近の季節は夏と冬の二つしかなくなってしまったのではないかという錯覚を覚えそうだ。
今日はまだ五月九日。俗にいう温暖化の影響だろうか、僕は春の陽気は全く感じない。それとも、僕が明るいものを視界に入れないようにしているせいだろうか。
都会では当たり前の、どこまでも続く灰色の景色の中を、同じくどこまでも変わらない毎日の中で歩き続ける。目標も夢もない、変わり映えのしない毎日。行く先には希望も絶望もない。きっといつの間にか奈落の底にでも落ちて行くのだろう。
ただ日々の仕事をロボットのようにこなすだけ。いや、ロボットならまだいいだろう。機械は滅多にミスをしない。僕よりはずっと役に立つ。全てに興味が無くなってしまった僕は人間の抜け殻であり、壊れかけた機会に過ぎない。こんな無気力で憂鬱な毎日がこれからもずっと続くのだろう。
そう、思っていた。