第7話 後輩との密会
五時間目が終わった後の休み時間、慧は一年生のクラスの前に立っていた。
「あの……僕に何か用ですか?」
慧の目の前のクラスから出てくるなり青年はそう言ってくる。
当たり前だろう。
慧は五時間目が終わった後、当夜から情報を聞きこのクラスまで走ってきたのだから。
そして、クラスの人間に頼んで目の前の青年を呼んだ。
ボクシング部の後輩いびりの被害者だった青年───────いや、黒鉄将輝の友人だった青年を。
「聞きたいことがあるんだ……悪いが、放課後に屋上まで来てくれないか?」
その言葉に青年の体がわずかに震えたのを慧は見逃さなかった。
目の前の青年─────当夜の情報によると『坂井直人』という名の後輩はボクシング部の先輩によっていびられていた。
慧とボクシング部の先輩との間に関係がないなんて分からないだろう。
だからこそ、慧は静かに言葉を呟いていく。
「黒鉄……将輝。この男について聞きたいんだ」
その言葉に青年の体は更に大きく震えた。
開けてはいけない扉を開こうとしている────そう、慧はすぐに察した。
「どうして……?」
「どうしてなんだろうな……」
青年の───坂井直人の言葉に慧はうまく答えることができなかった。
はぐらかしているつもりはない。
本当に自分でも分からないのだ。
ただ、言えることは一つ。
「ただ、言えるとしたら……目の前に泣いている奴がいるから……かな?」
「泣いている? ……黒鉄がですか?」
「あぁ。だが、泣いてるのはソイツだけじゃない……君も泣いてるんじゃないか?」
その言葉に直人はあっけにとられた表情をした。
当夜から黒鉄将輝の話を聞いた時から思っていた。
どうして、坂井直人は黒鉄将輝を見放したのか?
単純に黒鉄将輝という存在が邪魔になっただけなのかもしれない。
もしくは、自分のためとはいえ、先輩たちを倒した黒鉄将輝が恐ろしくなったのかもしれない。
理由はいくらでも考えられる。
だが、慧はそれらの理由の中でも一つの『可能性』を見つけた。
黒鉄将輝をわずかでも救うことができる『可能性』を。
「とりあえず、放課後に屋上で待っている。────────来てくれると嬉しい」
そう言うと、慧は直人の返事も待たずに退散した。
当夜の情報によるとこのクラスには黒鉄将輝も在席しているからだ。
休み時間終了ギリギリの時間に慧が教室に戻ってくるとすぐに携帯が着信を知らせてきた。
『黒鉄将輝という名の人物が能力者なの?』
文面を確認すると慧はすぐにメールの発信者である結佳の方を見る。
結佳はクラスの女子に囲まれながら楽しそうに話をしている。
だが、時折その視線が慧の方に向いていた。
慧は『まだ、分からない』という文面のメールを書くと結佳に送信した。
能力者に遭遇した時の結佳の対応が分からないから言うわけにはいかないのだ。
自分のように仲間に誘うのならまだいい。
だが、もしソレと逆の方向性なら───────絶対に知らせるわけには行かない。
「よぉ、情報は役に立ったか?」
「あぁ、お前には感謝してるよ。友人にもお礼を言っておいてくれ」
「りょう~かい! んで、なんでお前は黒鉄将輝の友人について聞いたんだ? あまり言いたくはないが、あまり関わると怪我するぞ? って、チャイムだ。またな!」
慧が席に着いた瞬間、嵐のように向かってきた当夜は六時間目開始のチャイムと同時に再度嵐のように去っていく。
そんな、忙しそうな友人の姿を見ながら慧は小さく最後に残された質問に答えた。
「────────ただの……お節介さ」
帰りのホームルームが終わると同時に、坂井直人は教室を出て行った。
自分を避けているのか?
そう、考えながら黒鉄将輝はすでに直人が出ていきほかのクラスメイトも出て行っている出口のほうを眺めていた。
いつもだったら、二人で部活に行くためにくぐっていた扉。
なのに、今はお互いに歩くどころか話をすることすらしていなかった。
「………なんで……なんだよ」
小さく……弱いつぶやきが将輝の口から洩れる。
停学中、将輝は何度も直人に電話やメールをしていた。
どうしても、話し合いたかったのだ。
だが、直人は電話には出ないしメールの返事が来ることもなかった。
だから、今日こそは話そうと思っていた。
だが、結局直人は無視を続けた。
将輝と直人の席は若干離れている。
だから、将輝が近づくと直人はすぐに席を離れたのだ。
なんとか話しかけようとしても何も聞こえないかのように無視された。
何度も手をつかんで無理やりにでも話を聞かせようと思った。
だが、できなかった。
そうしようと思うたびにあの日のことを思い出すからだ。
自分が能力を得ると同時に友人を失った日を。
「そういえば……結局、アイツはなんだったんだ?」
思い出すのは昼休みに突然現れた一人の青年。
自分と同じ異常の力を持っていた人間。
「……気にしても仕方がないか」
そう、自分を納得させると将輝はバッグを持って教室を出て行く。
いつもなら、直人と一緒にこのままボクシング部の部室にまで行くのだが、今はもう一緒に行く友人も行く場所もない。
────────全て、失われてしまったのだから。
納得している────と言ったらうそになる。
だが、ボクシングだったら部活に入らなくても続ける方法などいくらでもある。
停学中、将輝はいつも自分にそう言い聞かせていた。
幸い、近くにボクシングジムがあることも心の支えになった。
なのに、将輝は完全に吹っ切れることはできない。
自分に言い聞かせるたびに────────ボクシングは続けられると考えるたびに考えてしまうのだ。
アイツとの友情はもう、続けられないのだと。
下駄箱で靴を履き替え通学用の自転車を取りに行くために駐輪場まで歩いていた将輝の足は不意に動きを止める。
駐輪場に大の男が集団で待っていたからだ。
数にして十三人。
「これはこれは……随分と犠牲者を増やしますね~先輩」
「はっ……ほざけ。この人数だったらさすがのお前も終わりだろう?」
意地の悪い笑みを浮かべながらそう将輝に対し、昼休みに将輝によって一度ボロボロにされた男が同じく意地の悪い笑みを浮かべながらそう言う。
その言葉に将輝は笑った。
心底おかしそうに。
「何がおかしい?」
「チリが積もれば山となるというけどな……クズはどんなに集まってもゴミにしかならねえんだよ!」
「このやろ─────」
「待て! ここでやるのはまずい……場所を変えようぜ?」
「どこでもどうぞ」
昼休みにボロボロにした男の提案を快く受けると将輝は男たちとともに昼休みと同じように校舎裏に向かう。
それぞれ武器を手にしている男たちに囲まれながら将輝は笑っていた。
まるで、これから行われることを楽しみにしているかのように。
屋上の扉が開く音を聞いて慧は目を覚ました。
「……寝ていたのか?」
放課後になると同時に教室を飛び出して屋上に来てからそう時間は経っていない。
にも関わらず、眠っていたことに慧はわずかに溜息をついた。
睡眠はちゃんととっている。
だが、やはり、バイトなどの疲れは一日の睡眠だけじゃ処理しきれないらしい。
「あの……?」
唐突に聞こえてきた小さな呟きに慧はやっと、自身の睡眠時間についての考えを一旦止め、自分がここに来た理由を思い出した。
寝起きのせいで少しぼんやりする顔を上げるとそこには、一人の青年が慧を見下ろしていた。
「すいません……待たせてしまいましたか?」
「いや、そんなに待っていない。悪いな……わざわざ、来てもらったのに寝ていて」
「いえ……それより、あなたは僕と黒鉄が泣いていると言いました……なんで、そう思うんですか?」
青年─────坂井直人は小さい声だがはっきりとそう聞く。
慧は一度軽くあくびをすると立ち上がって直人の目を見る。
直人の表情は遠目からでも分かるほど強張っていた。
目の前にいるのは自分を退部にまで追い詰めた人たちとは違うとはいえ、同じ『先輩』であることには変わりはない。
おそらく、ここに来るのも今、慧の目の前に退治しているのも相当の覚悟を必要としているのだろう。
それを分かっているからこそ慧は申し訳なく思う。
だが、だからといって話を終わらせる気はなかった。
「俺が答える前に一つだけ教えてくれないか? ───────お前は黒鉄将輝を憎んでいるのか? 絶交したいほどに」
その言葉に直人の体は大きく震えた。
目を見開きながら慧の方を見る。
まるで、隠していた真実を見破られたかのように。
「俺は黒鉄将輝の友人でもなければ君の友人でもない。……本当に無関係だ。だから、答えたくないんだったら答えなくたっていい。だけど、もしかしたら……君は今の状況を悲しんでいるんじゃないか?」
慧の言葉に直人は下を向いたまま何も言わなかった。
否定も肯定もしない。
だが、その沈黙は一つの答えだと慧は考えていた。
「僕は……」
わずかな沈黙が過ぎると、下を向いたままの直人の口から小さく言葉が発せられ始めた。
苦しそうに、悲しそうに、つらそうに、直人は言葉を発していく。
「……最初、ボクシングをやろうだなんて考えていませんでした。ただ、体を鍛えたくて……それで、クラスで仲良くなったアイツに誘われる形で入ったんです」
その言葉に慧はさほど驚きはしなかった。
直人と初めて会った時、慧は一瞬だが考えてしまったのだ。
坂井直人は本当にボクシング部だったのかと。
坂井直人という青年を見たとき、慧はすぐに文化系だと感じた。
特に筋肉が発達してるわけでもなければどこか気の弱そうな雰囲気がしていたからだ。
慧は何も言わずに直人に続きを促した。
慧が何も言わないことを確認して直人の言葉は続く。
「最初は人を殴るという行為に恐怖を感じていました。だけど、そんな人は僕だけじゃなかったのと……僕たちの部活が始まると同時に部長が言ったんです『強くなれば将来好きになった女性を守ることができるし友人や自分を守ることもできる……人を殴ることに恐怖を覚えるかもしれないが、それでいいんだ。恐怖を知っているからこそ俺たちは強くなれるしなりたいと思うからな』っと、その言葉に僕たちは必死に頑張りました。理由はどうあれ、一度入部したからには全力を出したかったんです」
そこまで言って、直人は一度呼吸を整える。
一度に喋りすぎたせいで酸素不足になったのだ。
「黒鉄は……僕たち新入生の中では最も成長が早くすぐに強くなっていきました。だけど、その強さの裏では努力をしていることも知っていたので僕たちも頑張って黒鉄に追いつこうとしたんです」
直人の言葉に慧は静かに拳を強く握っていた。
静かに話されていく内容は部活のもの。
話を聞いていれば分かる。
直人は部活を楽しんでいた。
そして、それを自分と同じ『先輩』が奪った。
どうして、目の前の青年が対象に選ばれたのかは知らない。
もしかしたら、他の新入生も後輩いびりの対象に入ってるのかもしれない。
ボクシング部について慧は分からないことばかりだった。
当然だ。
慧はボクシング部とは何の関係もない。
友人がいるわけでも、ボクシングに興味があるわけでもないのだ。
だが、それでも慧は怒りを感じずにはいられなかった。
ボクシング部での上下関係はある意味、長年続いてきた伝統なのかもしれない。
かつて、自分たちが受けてきた理不尽なつらさを後輩に押し付けたくなるかもしれない。
だけど、それらの理由は決して後輩を泣かせても良い理由にはならない。
「僕と黒鉄は自然と親しくなっていきました。考えてみれば当然ですよね……アイツに誘われるような形でボクシングを始めたんですから」
儚げな笑みを浮かべながらそう言う直人。
慧はその笑みからどうしても黒鉄将輝への怒りや憎しみを感じることができなかった。
感じるのはボクシングをやめてしまったことへの───────一度、全力を出すと決めた場所を失ったことへの未練だけだった。
「アイツとは本当に親しかったんですよ……練習相手になってもらったり、一緒に飯を食ったりもしました。本当に一日一日が楽しかったんです…………なのに、ソレは長く続かなかった」
これ以上、聞きたくないと慧は叫びそうになった。
これ以上先にあるのはもう、楽しかった思い出ではない。
悲劇の─────始まりなのだ。
「他の部員に比べてやたらと先輩とのスパーリングをやらされたり、放課後に毎回名指しで後片付けを頼まれたり────────そんなことばかりがありましたが、何とか気にしないように頑張ってきました。スパーリングはともかくとして後片付けやほかのことは黒鉄たちが手伝ってくれたので。なのに───────」
慧に直人の言葉を止めることはできなかった。
直人は悲しそうに─────過去の思い出を思い出しながら語っている。
ソレをさせているのは誰でもない────自分自身。
ここで、話を終わらせるのはあまりにも都合がいい。
だから、慧は黙って聞いていた。
「──────あの事件が起きた」
「ッ!?」
直人のその言葉に慧は絶句した。
あの事件。
言われなくても分かっている。
ソレは黒鉄将輝にとって─────同時に、目の前にいる坂井直人にとっては決して忘れられない事件だろう。
「いつものように部活終了後の片づけをしていたんです。それで、もう少しで終わりそうだったので黒鉄に門の前で待ってもらう言い、僕は片づけを続けました。そして、片づけが終わり外に出た瞬間────先輩たちが待ち伏せいていたんです」
慧は何も言わない。
言うことなどできない。
ソイツらが何のために待ち伏せをしていたのかは知らない。
だが、そのあとに起こることは知っている。
「『これから遊びに行くから金を貸してくれ』……先輩たちは笑いながらそう言ってきました。そして、ソレを断った瞬間腹を殴られたんです……」
乾いた声だった。
まるで、第三者が発しているかのように。
だが、慧は知っている。
感情を込めて言ってしまえばいやでもその日のつらさや痛みが脳裏に浮かんでしまう。
だから、感情を込めない。
少しでも、自分へのダメージを減らすために。
「─────そしたら、アイツが戻ってきたんです。おそらく、僕が片付けに手間取ってると思って手伝おうと思ってきたんでしょうが……現実は違った」
友人を手伝おうと戻ったらその友人は恐喝に合っていた場合、果たして人はどう考えるだろうか?
─────どう、行動するだろうか?
友人を見捨てて逃げるかもしれない。
学校に残った教師を呼びに行くかもしれない。
だが────────
「アイツはすぐに先輩たちに挑みましたよ。だけど、人数差があってすぐに劣勢になりました。そしたら、黒鉄は突然叫びだし……叫び終えると、左目が銀色に染まっていたんです。すると、一気に先輩たちは黒鉄に倒されていきました。正直、僕には何が起きたのか分からなかったですけどね」
────黒鉄将輝は友人を助けることを選んだ。
乾いた笑みを浮かべながらそう言う直人に慧はなんと言ってやればいいのか分からなかった。
これで、あの日に起きたことはすべて分かった。
だが、だからと言ってすべてを知ったわけではない。
坂井直人は突然先輩たちを倒すほど強くなった黒鉄将輝を見て何を考えたか?
突然、左目が変わったことに何を想ったのか?
慧は知らない。
正直、慧は安心していた。
黒鉄将輝もまた、誰かを救うために能力を手に入れたんだと分かったからだ。
だからこそ、救ってやりたい。
「なぁ────────────────────」
「あんたは僕が黒鉄を憎んでいるかどうか聞きましたね? その質問に今、答えます。……憎んでいるはずがないじゃないですか!! ……助けてもらったから、うれしかったから───────僕はアイツと離れないと行けなかったんです!」
慧の言葉は直人の叫びにかき消された。
長く辛い話の後に隠された青年の本音。
慧は一瞬、絶句した後、心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり……君は黒鉄将輝を憎んでいたんじゃない。 ─────────彼を救いたかったんだな」
黒鉄将輝を救うことのできる『可能性』は失われていなかった。
まだ、救うことができる。
だったら、動くしかない。
影野慧と坂井直人──────『先輩』と『後輩』の話はまだ、続いていく──────。
校舎裏に黒鉄将輝は立っていた。
側には十三人の倒れた男たちと、金属バット─────それと、得意のボクシングなら勝てるとでも思ったのであろうボクシンググローブ。
「やっぱり……ここで潰しとくか」
黒鉄将輝は感情のこもっていない声でそう呟くとたった今、倒したばかりの男たちのところに向かう。
「こいつらのせいで……俺はすべてを失ったんだ」
言いながら、男の一人の胸倉をつかむとその体を持ち上げる。
男の方は意識がすでにないため叫ぶことも許しを請うこともしない。
「だから……お前らをすべてを失えよ」
そんな、非常な言葉ととともに鉄拳は男の顔面に向かう。
「───────まったく、何が『まだ、分からない』よ。本当に分からなかったのかしら……?」
将輝の拳は男の顔面に当たる前にその動きを止めた。
女の声が聞こえた。
振り向くと同時に将輝は笑みを浮かべた。
予想通り、その場には女がいた。
茶色の髪をしたその女は将輝の目から見ても間違いなく『美少女』の部類に入る。
だが、女の容姿以上に将輝は女の─────瞳にくぎ付けになった。
その、赤と茶色のオッドアイに。
「………あなたは黒鉄将輝君……ってことで合ってるのかな?」
その少女『香椎結佳』は十三人の男が倒れている状況に動揺すらせずに将輝に向けてそう聞いてきた。
少しずつ話が進んでいます。
……てか、本当に少しずつしか進んでませんね。
黒鉄将輝の話は何話続くのか自分でも分からないですがまぁ、温かい目で見てくださると嬉しいです。
次回は結佳と将輝の戦い。
そして、二体目のダストも─────。