第1話 流星の幻覚
もともと書き上げていたので1話を更新です。
青年は空を見ていた。
すでに、七時を超えて真っ暗なのだが、残念ながら青年の望むものは見えない。
「お兄ちゃんご飯できたよ~って……また、星を見ていたの?」
「あぁ……といっても、星なんて見えやしないんだけどな」
「そりゃね……。今の時代だと山にでも行かないと見れないんじゃない?」
「そうかもな」
妹の厳しい言葉にそう返すと青年『影野慧』は再び夜空を見始めた。
慧の妹である『影野美奈』はそんな兄の様子に小さくため息をつくと、自分も兄と同じようにベランダに出た。
「五分だけ一緒に空を見てあげる……。でも、五分経ったら夕食だよ?」
「あぁ」
空を見ることに集中しているのか慧からの返事はそっけない上に短いものだった。
だが、美奈は怒るでも悲しむでもなく兄と同じように星の見えない空を見る。
影野 慧が夜に空を見るようになったのは一年ほど前からだ。
今、二人が住んでいる家には二人以外の家族はいない。
一年前に、両親が交通事故で死んだからだ。
死んだ人は星になって自分たちを見ていてくれる。
そんな、迷信は慧も美奈も信じていない。
なのに、慧は時折ふらっと、星の見えない夜空を見る。
自分でも何も見えない夜空に何を求めているのかは分からない。
もしかしたら、信じていないと思っていても心の底では両親が自分たちを見ていてくれると信じているのかもしれない。
だが、例えそうだとしても、慧は絶対にソレを認める気はなかった。
「お前は俺が守るからな」
「─────えっ!? な……なに? 急に?」
「別に……」
突然の慧の言葉に美奈は驚いたように慧に聞き返すが、慧ははぐらかす。
それっきり、再び夜空を見ることに没頭している慧の姿を見ながら美奈は少しだけ、頬を赤くしながら唇を尖らせると慧と一緒に夜空を見る。
星の見えない夜空を見ることのどこが楽しいのか美奈には理解できなかった。
いや、おそらく慧自身も理解していないのだろう。
それを分かっていても美奈は時折、夜空を見上げている慧を見たときはその行動に付き合っていた。
「─────くしゅん!!」
「ふぅ……風邪ひくぞ? お前は部屋の中に入ってろ」
「嫌だ! お兄ちゃんが部屋の中に入るって言うんだったら別だけど」
「……仕方ないな」
本当はもう少し、夜空を見ていたかったのだが慧はそれだけ言うと、部屋に入ろうとする。
自分さえ意味の解らない趣味で妹に風邪をひかせるのは忍びなかったからだ。
「おい? 入らないのか?」
部屋の中に入った慧は振り向きながら美奈にそう聞いた。
くしゃみをしていた当の本人が部屋に入らなければ意味がないのだ。
だが、美奈は慧の言葉が聞こえなかったかのように呆然と立っている。
「美奈!」
「お兄ちゃん……あれ?」
美奈を部屋に戻すために少し声を荒げて妹の名を呼んだ慧だが、兄である慧に名を呼ばれた美奈自身はゆっくりと、人差し指を何もないはずの夜空に向けていた。
妹の行動を不審に思った慧は再びベランダに出ると美奈の隣に立って夜空を見上げる。
その瞬間、慧は目を見張った。
何もないはずの夜空からは星が流れるように落ちていたのだ。
「流れ星? ……いや、違う。流星群だ!!」
突然の流星群。
そんな、あり得ない光景に慧も美奈も目を奪われていた─────
「──────ッッ!?」
「お兄ちゃん!?」
─────はずだった。
だが、流星群を見ていた慧は突然頭を抱えだしそれを見た美奈は流星群を放置して兄の介護を始めた。
「どうしたの? お兄ちゃん……ねぇ、どうしたの!?」
「うぅ……頭が……」
「頭が痛いの? 救急車を呼ぶ?」
美奈の言葉はほとんど、慧に伝わっていなかった。
理由は分からないが、まるで頭の中に何かが入り込んでいるかのような激痛が慧を襲っているのだ。
頭の激痛を我慢しながらも美奈を安心させるために慧は美奈の方を見る。
「──────なんだ……これは?」
その瞬間、慧は自身の体の異変に気付かざるを得なかった。
慧の視線は間違いなく美奈を捉えている。
だが、実際に美奈を見ているのは慧の右目だけだった。
左目に映っているのはさっきまで見ていた流星群。
妹の顔を見ている慧にとってそれはありえない光景だった。
「お兄ちゃん……待ってて! すぐに、救急車を呼んでくるからね」
どんなに話しかけても、返事をしてくれない慧を救うために美奈は急いでリビングに戻っていく。
リビングのテーブルの上に携帯を置いてあるからだ。
「─────待て! 美奈!」
慧の叫びで美奈の行動は止まった。
慌てて振り向いた美奈の目に映ったのは汗だくになりながらもしっかり立っている慧の姿だった。
「もう、大丈夫だ」
慧はそう言って、笑った。
実際に、もう頭痛も無ければ左目に流星群の景色が映ることもなかった。
突然、始まった激痛は同じように突然終わったのだ。
「おにいちゃああああああああああああああああああああああん!!!!」
いつも通りの兄に戻ったことに安心した美奈は目元に涙を浮かべながら兄に抱きついた。
突然、抱きつかれた慧はバランスを崩して再び倒れ込む。
「おい……危ないだろうが! 危うく、ベランダから落ちるかと思ったぞ?」
「うるさい! お兄ちゃんの馬鹿!! 心配したじゃん……お父さんとお母さんみたいに私を置いていなくなるのかと思って!! 馬鹿!! ……本当に馬鹿!! 馬鹿ああああああああああああああ!!!」
馬鹿を連呼しながら美奈は慧の胸で泣いた。
慧はそんな美奈の様子を優しい眼で見ると、その頭をなでる。
「ごめんな……心配かけさせて」
慧はそれだけ言った。
……それしか、言えなかった。
美奈は更に声を荒げると慧にしがみつく力を強める。
慧は抵抗せず、されるがままになって美奈が泣き止むのを待っていた。
結局、美奈が泣き止むのはそれから10分ほど後のことだった。
「とりあえず、飯の前に風呂に入ってくる」
「う……うん。ごめんね……服汚しちゃって」
「気にするな」
気にするなと言われても美奈の方はそっぽを向いて慧の方を見ようとはしなかった。
具体的に言えば、慧の服を見ようとしていないのだが。
慧の胸の中で思いっきり泣いたせいで、ただでさえ、汗まみれだった慧の服には美奈の涙や鼻水がついてとてもではないが、着ていられる状態ではなくなったのだ。
「本当にごめんなさい……」
「だから、気にするなって」
「うん……ご飯、温めて待ってるね」
「あぁ」
風呂場に向かっていく慧を見送ると、美奈はすっかり冷めてしまった料理を電子レンジに入れる。
電子レンジが起動したのを確認すると、美奈は電子レンジの前で立ちながらさっきの出来事を考える。
「お兄ちゃん……大丈夫かな?」
慧はアレルギーをもっていなければ、持病も持っていない。
なのに、突然体に異常が起きた。
「明日、病院に行ってもらお」
慧が風呂から出たら、そう説得することを心に決めて美奈は電子レンジの中で温められている料理を見た。
その頃、慧の方も湯船に浸かりながら、ほんの十分ほど前に自分の体に起きた異常について考えていた。
「病気……なのか?」
浴場という狭い空間の中、慧の言葉は反響されて響き渡るが慧自身がその言葉を最も否定していた。
理屈は何もない。
ただ、そんな気がするのだ。
考えても全く分からない慧は右手を動かすとゆっくりと自身の右目を覆った。
左目に映るのは浴場の壁。
決して、流星群などではない。
(初めて見た流星群が目に焼き付いていた? ……だったら、どうして左目だけなんだ?)
あの時に見えた流星群の光景について、必死に考えるが突然体に起きた異常同様理由は全く分からない。
もし、あの時に見えていた光景が流星群のみだったら、幻覚で片づけていただろう。
だが、あの時に見えた光景は泣き叫ぶ妹と流星群……両方だ。
(美奈が泣いていたのは幻覚じゃない……あり得るのか? 現実を見ながら幻覚を見ることなんて?)
……あり得ない。
慧は即座に自分の意見を否定した。
「……出よう」
考えてもわからない。
そのことを完全に理解した慧は妹と夕飯が待っているリビングに引き返すために浴場から出た。
浴場から出た慧を出迎えるのは妹である美奈─────というわけではなく、洗面所に設置された鏡に映る自分自身だ。
適当に体と髪をバスタオルで拭いてパジャマに着替えると慧は顔を鏡に近づかせて自分の左目を見た。
鏡に映るのはいつも通りの黒い瞳。
何の異常もない。
「……やっぱり、幻覚だったのか?」
心配は杞憂に終わった。
そう、納得して鏡から離れようとした慧だったが、その動きは唐突に止まった。
「今……?」
一瞬……。
本当に一瞬だけ……黒いはずの慧の左目が青く染まった気がしたのだ。
「……気のせいだ。疲れてるんだな……今日は早く寝るとするか」
自分に言い聞かせるように声に出してそう言うと、慧は洗面所を出た。
疲れていて変な幻覚を見てしまった……。
そう、自分を納得させて。
「お兄ちゃん!!」
「なんだ?」
突然、美奈に名を呼ばれたことで慧は一旦箸を置いて美奈の方を見た。
慧が風呂から出ると、二人はあえてさっきの出来事を会話にせず食事を始めた。
それで良いと慧は思った。
体に疲れがたまっていたため頭痛と変な幻覚を見た。
それで、べランダでの異常は説明できる。
「明日、私と一緒に病院に行って!!」
だが、美奈の方はそうもいかない。
慧が幻覚を見たことを美奈は知らない。
美奈にとってベランダでの出来事は兄が突然頭を抱えて苦しみだしたようにしか考えられないのだ。
何でもないのかもしれない。
だが、逆に言えば何かがあるのかもしれない。
予想通りの美奈の言葉に慧は顔をしかめた。
慧もそうなのだが、美奈は両親を失ったせいか心配性なところがある。
そのため、慧がここでどんなに病院には行かないと言っても美奈が譲らないのは明白だ。
「ふぅ……分かった。明日病院に行く……ただし、俺が一人で行ってくるからお前は家で待ってろ」
「どうして!? 私も行くよ」
「はぁ……中学と高校じゃ終わる時間が違うだろ? 大体、俺は明日バイトだ。病院に行ったらそのままバイトに行くからお前と一緒に病院に行ってもお前と一緒に帰ることはできないんだよ」
「それでも……私はお兄ちゃんと一緒に病院に行きたいよ! お兄ちゃん……大きな病気にかかったとしても絶対に言わないでしょ? 心配だよ……どうしても、ダメって言うんだったら明日は学校を休んでお兄ちゃんの高校が終わるのを待ってる!!」
「おいおい……一年生の分際で学校をさぼるとか将来が心配になるだろうがよ」
「私はお兄ちゃんが心配なの!!」
机に手を乗せながら、美奈は慧に詰め寄った。
その瞳には兄を心配するような弱さと明日は絶対についていくという強さが混じったような光が宿っている。
慧は思わずため息をついた。
普段の美奈は決して我が侭ではない。
それは両親が死ぬ一年前から変わらない事実だった。
だからこそ……慧は頷いた。
「分かった……。明日はバイトに行く前に一度家に帰ることにするから家で待っててくれ……一緒に病院に行こう」
自分が同じ立場だったら妹と同じように何が何でも病院に付き添うから。
「やったっ! お兄ちゃん大好き!!」
「あ~はいはい。それはありがとうございます」
慧から付き添う許可をもらった美奈はそう言って嬉しそうに席を立つと慧の隣まで歩いてきて座っている状態の慧に抱きつく。
対する慧は話は終わったとばかりに食事を再開した。
「もう……。こんなに可愛い女の子が抱きついてるのにそれが男の反応?」
「俺は男である前にお前の兄だ……ていうか、何だ? お前は学校でもこうやって男を誘惑してるのか?」
「嫌だな~。お兄ちゃんだけだよ……私が抱きつきたい男の人は? どう? 嬉しい?」
「あ~はいはい。それはありがとうございます」
「う~……」
予想通りだがつまらない兄の反応に美奈は頬を膨らませながら自分の席に戻っていく。
……というよりも、返事がさっきと全く同じの為、美奈は女としての自信を失いかけていた。
「お兄ちゃんさ……そんなんじゃ、彼女出来ないよ?」
「いらない」
「でも、お兄ちゃんも高校生なんだし……部活もやめちゃったし……ねぇ、もう一回入れば? 野球部」
「はぁ……。彼女はいらないし野球部にも復帰しない。……お前がいてくれれば俺は満足だ」
一旦食事の手を止めてそれだけ言うと、慧は食事を再度再開する。
一方の美奈は慧に言われた言葉のせいで頬を赤く染めながら目を丸くしていた。
「……前から思ってたけどお兄ちゃんって絶対高校でモテてるでしょ?」
「はぁ? 俺がモテル? なんだそれは? エイプリルフールだったら終わったはずだが?」
「だって……顔は悪くないし中学の頃野球でレギュラーをとってたほど運動神経も良いじゃん!! ……たまに、女の子をドキッとさせるような言葉も言うし」
「悪い。最後の方は声が小さくて聞こえなかった。なんて言ったんだ?」
「な…なんでもない!! ごちそうさま」
いつの間にか、食べ終わっていたのか美奈は皿を持ってキッチンに向かっていく。
「皿は俺が洗うから置いといていいぞ~」
「何言ってるの? お兄ちゃんは今日倒れたんだよ? お皿は私が洗うからお兄ちゃんはそこでテレビでも見てなよ!!」
「じゃあ、そうさせてもらうか……んで、本当に最後に何を言ったんだ?」
「もう忘れた!!」
いくらなんでも、忘れる速度が速すぎる気がしないでもない慧だったが、言いたくないことを言わせるのは兄として……というよりも、一人の男としてどうかと思ったのでこれ以上追及する真似はせずソファに移動してリモコンでテレビの電源を入れた。
慧としては流星群についての情報が欲しかったところだが、流星群が起きてからまだ一時間も経っていないせいかどこのニュースを探しても流星群のニュースはやっていない。
仕方なく、慧は適当にリモコンを操作して手当たり次第に番組を見ていく。
結局、めぼしい番組がやっていないため特に理由もなくクイズ番組を見ることにした。
夜の11時。
慧は布団の上に寝転がりながらも目を閉じずに開けていた。
もしかしたら、また流星群の光景を見るかと思ったからだ。
もし、またあの光景を見るようならば流石に幻覚とは言えなくなってしまう……。
だが、どんなに時間が過ぎても左目に流星群の光景が映ることが無ければ頭痛が慧を襲うこともなかった。
やはり、疲れていたから幻覚を見た。
「そうだよな……ってことは風呂場で俺の眼が一瞬青く染まったのも幻覚だ……って、それはそれでやばいな」
左目に映った流星群は幻覚。
風呂場で自分の左目が青く染まったように見えたのも幻覚。
つまり、慧は今日で二種類の幻覚を見たことになる。
とてもではないが、安心できるような状況ではない。
「……寝よう」
そう決断すると慧は布団をかぶって目を瞑った。
────もしかしたら……俺が行くべきなのは精神科の方か?
そんな、微妙に重大なことを考えながら慧の意識は閉ざされて行った。
というわけで物語の舞台はプロローグから1年後。
次回は慧の学園生活というか説明を少しだけやった後病院に行きます。
そして─────。
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