一杯の、珈琲飲んだあとに
一杯の珈琲が冷める前に』
静かなジャズが流れる喫茶店。香ばしい湯気の立ち上る一杯の珈琲は、ある者にとっては束の間の休息であり、またある者にとっては完璧なシナリオの幕開けでした。
プロの殺し屋と、裏の顔を持つマスター。二人の「仕事人」が交錯する短いひとときを描いたショートショートです。
どうぞ、一杯の珈琲とともにお楽しみください。
喫茶店のマスターは、注文を受けると決まってこう言った。
「うちのブレンドは少しお時間がかかりますが、お待ちいただけますか?」
客の男は壁の時計をチラリと見て頷いた。
「ああ、構わない。一杯のコーヒーを飲んでから、次の仕事へ向かうとしよう」
男は売れっ子の殺し屋だった。今夜のターゲットは、街で噂の連続殺人鬼。自分より先に対象を消し、その報奨金をせしめる予定だった。
間もなく、香ばしい湯気を立てる黒い液体が運ばれてきた。男は一口啜り、その深い味わいに満足気な吐息を漏らす。店内に静かなジャズが流れ、心地よい時間が過ぎていく。
カップを空にした男はテーブルにお札を置き、立ち上がった。
「ごちそうさま。いい味だったよ」
マスターは柔らかな笑みを浮かべ、空になったカップを片付けながら言った。
「お気に召して光栄です。ちなみに、お客様のお仕事とは……あの連続殺人鬼を消すことでしょうか?」
男の体が硬直した。なぜそれを?
マスターは静かにカウンターの下から、血に濡れたナイフを取り出した。
「実は先ほど、私の獲物であるあいつを片付けてきたところでしてね。血の臭いを消すのに、どうしても一杯のコーヒーが必要だったのです。……それに」
マスターは時計を見上げた。針は男が店に入った時から一秒も動いていなかった。
「この店のコーヒーには、強烈な麻酔薬を入れてあります。効いてくるのは、ちょうど……一杯飲み終えた頃でしょうか」
男の膝からガクガクと力が抜け、床へと崩れ落ちた。薄れゆく意識の中で、殺し屋はマスターが自分を見下ろしながら呟くのを聞いた。
「さて、一杯のコーヒーを飲んでから……次の仕事に取りかかるとしましょうか」
【了】
ご覧いただきありがとうございました。
「珈琲が冷める前に」という言葉には、どこか時間の猶予と焦燥感が同居する不思議な魅力があります。静寂に包まれた喫茶店という日常の空間で、裏社会の緊張感が漂う大人のセッションを描いてみました。
苦い珈琲の余韻とともに、彼らの物語を少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。




