両親
三日ほど経って、ニュースでは未だに俺の名前と顔が流されている。なんだか疲れて、ニュースを見るのはやめてしまった。斎木さんには「サブスク」というドラマやバラエティを見る方法を教えてもらったけれど、色々ありすぎて、よくわからなくて。最近は斎木さんおすすめの本を読んでいる。村では、決められた本以外は読んではいけなかったから、知らないことばかりだ。今は、おすすめされたミステリー小説を頑張って読んでいる。
ガチャ、とドアが開く音がして、玄関へ向かい、おかえりなさい、と声をかける。
「ただいま。これ、プレゼント」
「ぷれ、ぜんと」
あまり、聞き馴染みがない音の響きで、俺は頭の中で反芻する。知らない単語が多いせいで、小説もあまり進まなかったのだ。斎木さんが渡してきた大きな封筒を受け取り、リビングで中を見てみれば、そこには難しい文字がたくさん並んでいた。よくわからない。
「難しいと思うけど、とりあえず明日からテレビに真紀の名前が映ることはないよ」
「そういう内容、なんですか?」
「まぁ、そういう内容。弁護士って聞いたことある?」
「あります、」
村の中では、外の人間との接触が禁じられていた。その中でも、法律関連の人間は忌み嫌われており、弁護士やら警察やらは意地汚い生き物として教えられていた。
「今回、弁護士に依頼して、色々手伝って貰ったんだ」
「手伝ってくれるんですか」
「そう。真紀が村に戻らなくていいように、色々手伝ってくれた」
難しそうな書類の内容はよくわからないし、弁護士という仕事もいまいち理解できていないけれど、村に戻らなくて済みそうで安心する。ほっと息をついて、頑張って書類に目を通した。
「いろいろ書いてあるけど、村から自分で逃げ出したのは何も悪いことじゃなくて、もう戻る必要はない、っていうことが書いてある」
「悪くない、んですかね」
村には、自分よりも小さい子供たちもたくさんいた。こんなところはおかしいと、早く逃げて、はやく幸せになるんだと強く思っていたけれど、親に言うこともせず、子供たちにも何もできないままに逃げてしまって。そんなんで幸せになっていいのかと不安だった。
安心して、身体の力が抜けて、ソファに座りこむ。その時、ピンポン、と高い音が部屋に響いた。たまに、荷物が届くときに鳴る音だ。でも斎木さんが仕事に行く前の夜に鳴る音で、こんな夜と朝の境目みたいな時間には鳴らない。
斎木さんがのぞいている画面を後ろから見たら、そこにいたのは父と母だった。
「なんで、」
どうして。行方不明になっているんじゃなかったのか。村に連れ戻されて、罰を受けなくてはいけないのか。
「もしかして、両親?」
「そうです、なんで、」
「三か月も経ってるから、探偵でも雇ったのかもしれない。どうする?家にいれるか?」
探偵。今読んでる小説に出てきている。あの、殺人事件の犯人を見つける人だろうか。人探しも、探偵はするのだろうか。いつの間にか画面は暗くなっていた、玄関のドアがガン、ガン、と強く叩かれている。モノは大切に、ずっと使えるように、とあれほど言っていたのに。村の外のドアは強く叩くらしい。
「どうしたら、」
「真紀が選んでいい。嫌ならどうにかして追い返す」
ドアからする強い音とともに、村での記憶が思い出される。地獄に落ちるよ、とよく言われたけれど、悪いことをしたあとにしっかり罰を受ければ、赦されて天国に行けるよ、と言われたけれど。あの村自体が、もう既に地獄だった。
「一回だけ、話します、」
「わかった。じゃあ、ここで待ってて」
頷いて、ソファに座る。どうしよう。一回だけ話そうなんて何で思ったんだろう。でも、十八まで、あんな村の中だったけど育ててもらってるし、多分、あの村にさえいなければ、スーパーとかにいるような普通の親になっていたのかもしれない。ソファも、テレビも、何もかも、贅沢だと怒られてしまうだろうか。
「真紀、」
視界の中に入ってきた母は最後に見たときよりもやつれていて、続いて入ってきた父親も、同じくらい疲れていそうだった。驚いて、声も出せずにいると、父と母に抱きしめられる。心配したんだから、どこ行ってたの、どうして何も言わなかった、なんで、どうして、そう言いながら俺の肩をどんどん濡らしていく。
ここ最近はニュースを見れていないけれど、もしかしたら、もう村はなくなって、父と母も外で生きていこうと決めたのかもしれない。奉仕なんてせず、幸せになろうとしているのかもしれない。
「よかった、見つかって」
「探してくれてたんだ……」
村から出たら、外の人間になるから、もう探されずに、汚れた人間と言われてしまうのかと思っていた。ゆっくり、父と母の背中に腕を回す。
「じゃあ、帰りましょう」
「え、……帰るって」
「外の人間が入ってきて大変だったんだが、村には住めるんだ」
「え、いや、なんでここまで」
「話し合って、外の人間に多少頼ってでも見つけようってなったのよ」
「いや、え。」
連れ戻すためにここまで来たのか。なんだ、村はまだあって、そこにまた連れていくつもりだったのか。
「あの、もう戻るつもりはなくて、」
そういった瞬間に、父と母の顔が険しくなる。そりゃ、そうだ。まだあの、村の決まりと本の内容を信じているのなら。贅沢はせず、質素に暮らし、村に奉仕すればするほど、幸せになれると。幸せじゃないのなら、奉仕の心が足りないのだと。
「やっぱり、あんな汚い仕事をしている人と一緒にいるから、」
「斎木さんのこと……」
「女性をだましてお金をもらうような人と暮らして、変なこと教えられたんだろう」
「いや、そんなんじゃなくて」
斎木さんの仕事はよく知らない。「ホスト」と呼ばれる仕事で、お酒を飲む仕事だっていうのは知っている。あのギラギラしたお店で、綺麗な服を着て、綺麗な顔で。
「ずっと、逃げたいって思ってたんだ、あの村から」
「それも外のものに触れていたせいでしょう」
さっきまでの期待が粉々に砕かれる。父と母は何も変わっていなくて、結局決まりが一番大切で、それに従わない俺は間違っているのだ。父と母の中では。ずっとそうだった。村の中でも、ずっと問題児扱いで、こっそり外に行って少し本を読んで帰ったら、すぐに知られて、汚いものを見るような目で見られて、罰を受けた後には、優しい目で見られた。
「もう、戻らないし、もう会えない」
「え、」
「帰って。もう十八で、大人だから。もう二人の元にいる気はない」
父と母の目が見開かれて、信じられないというような、汚いものを見るような目で見られる。罰を受ける前の俺を見るときと同じ目だ。もう、父と母からしたら、一生俺は汚いままなのだろうか。地獄に行くことしかできない、汚い息子なのだろうか。
「じゃあ、そういうことなので、出て行ってください」
斎木さんがそう言って父と母を俺から引き離し、玄関へ促す。再会した時にはあんなに幸せそうに笑って、泣きながら、俺のことを抱きしめたのに。
「また迎え来るからね」
怖い。どうして、可笑しいと思わないんだ、あの村のことを。息子と離れて暮らすことを不幸だと思い、もっと奉仕しようとするのだろうか。どうしてそんなに汚いものを、綺麗にしなくては、というような目で見てくるのだ。
斎木さんが、二人を玄関に見送って、ガチャ、と扉が閉まる音がした。