Case1:ハイドランジアの微笑5 終(7/28改稿)
再び家まで案内をしてくれたのは先日と同じく、奥田と名乗った男だった。今回は家の中を経由せず、直接くだんの紫陽花の近くまで案内をしてもらった。
「では、私はここで。何か御用がありましたら、お手数ですがこちらにお電話ください」
奥田はそう言って江角に手書きの十一桁の番号が書かれた紙きれを手渡した。
「ありがとうございました。今日、御当主はどちらに?」
「仕事でございます。皆様がお帰りになる前にはお戻りになられるかと」
「わかりました」
奥田は深く頭を下げて去っていった。さて、と二人は紫陽花に向き直る。その途端、
「うわ……」
思わず声を上げた春木にどうした、と江角は問いかける。残念ながら今日も江角の目には普通の紫陽花にしか見えない。
「……ひどいよ、これ。こんなのが紫陽花なわけない」
「本当にどうした」
春木はぎゅっと目をつぶったまま江角を振り返った。先程までは快活にしゃべっていた春木の顔は青ざめていた。
「たいちゃん、一応訊くけど、たいちゃんの目には紫陽花に見えてるよね?」
「ああ」
「触ってみてくれる?」
言われるがまま江角は紫陽花の葉に触れた。何の変哲もない普通の植物の葉の感触しか伝わってこなかった。弱い風が吹くのに合わせて葉がふよふよと動いた。
「普通の紫陽花っつーか、植物だぞ」
「それなら、よかった。私に見えているだけだね」
「おい、いい加減何に見えてるか言え」
しびれを切らした江角の言葉に、春木は観念して口を開いた。
「――人間、それも……小さな子どもの頭部に見える。それがずっと泣いてて、泣くたびに涙のかわりに血が滴ってる。声もにおいもひどい有様だよ」
きつく目を閉じたまま手を合わせる春木に倣って、江角も手を合わせた。春木は小さな子ども、とだけ言ったが、胎児や嬰児も含まれていることが江角には容易に想像できた。
変なところはあるが、春木が心優しい人間であることを江角はよく知っている。
「ここからは私の推測だけど」
「ああ」
何を言われるのかはなんとなく江角にも予想がついた。
「多分、紫陽花の下に、何か、埋まってるんじゃないかと思って」
何か、と濁したのは春木の良心によるものだろう。ここまでの話と状況から江角にも春木が何を推測したのか想像はつく。
「子どもを亡くした母親にだけ見える赤い紫陽花、オマエには小さな子ども頭部に見える紫陽花。そりゃ、子どもは母ちゃんに助けを求めるよな。で、そこにたまたま最近水子供養したオマエがいたから、オマエにも助けを求めた。そんなとこだろうな」
『……そうかな、そうだといいんだけど』
「伊達にUPIで二年半勤務してるわけじゃねえんだよ。とりあえず中原さんが帰ってきたら相談してみようぜ」
「うん」
ありがとうたいちゃん、と言った春木の声は、声変わりして久しいはずなのに幼い頃の声とよく似た響きをしていた。
帰宅した中原に、紫陽花付近の土を掘り返してもよいかと訊ねたところ、こちらも拍子抜けするほど簡単に承諾された。妻の精神に影響している原因をどうにかしてもらえるなら、なんでもやるという心づもりでいたらしい。一度裏切られたにも関わらず殊勝なことで、と江角は思ったが、難航するよりはずっといい。
しかし、紫陽花付近の土を掘り返して実際に出てきたものは二人の予想の斜め上を行った。
「てっきり小さな子どものご遺骨が出てくるとばかり思っていたけど……」
「もっと悪趣味なもんが出てきちまったな」
どーすっかなあ……とぼやく江角は掘り返された首なしの水子地蔵に視線をやった。かろうじて赤い前掛けと思しきぼろ布が残っているため水子地蔵だと判別できたが、土に埋められて長い年月が経った身体部分も泥にまみれてるためパッと見で判断できる者は少ないだろう。首がないだけでもぎょっとする仕上がりだが、それに加えて逆さに埋められていたときた。
出てきた首なし地蔵を見たときの中原の驚きようを思うと、気の毒である。彼は本当にこの地に何があるのかを知らなかったのだろう。ある意味で幸運な人だな、と江角は思った。
「たいちゃん、どう思う?」
「何が」
「このお地蔵様が埋められていた理由」
春木の問いかけに江角は苦い顔をしながら答える。
「まずこの紫陽花はそんな最近植えられたものじゃねえだろ」
「うん」
紫陽花が植わっていた場所の土は掘り返された形跡もなく、周囲に自然になじんでいた。以前から赤い紫陽花が見えていた人物がいた、という証言からも、最近の話ではない。
「で、そうなると、紫陽花を植えるときに掘り返した地面からはこのお地蔵さんは出てこなかった。もしくは紫陽花を植えるときに同時に埋めた、の二択が考えられる。つまりこのお地蔵さんもまあまあ長い間埋められてたってことだ。春木、中原家がいつからこのあたり一帯の地主してたか知ってるか」
「……明治の前からってことくらいは」
地元の名家であり、だいたいの人間は中原家といえば「ああ、あそこの」と納得する。
「当たり。今でこそ中原さんみたいな穏やかな人が当主をしてるが、昔はまあ……苛烈だったらしい。これはこの辺りの郷土史読んだら一発でわかる。ここまで言えばなんとなくわかるだろ」
江角の言葉に春木はうん、とうなずいた。
「誰かはわからないけど、中原家の不幸を願った人……うーん、まあまあ大がかりなことをしているわけだから集団かもしれないけど。そんな人たちが中原家に嫌がらせをして、結果として呪いみたいになってしまったわけね」
「そう。本来、水子地蔵ってのはこの世に残ってる子どもの霊を救うもんだ。それの首をなくして、逆さに埋めるなんて、オレたちから見てもいいもんには思えねえ。大方、子孫の衰退でも願ったんだろ」
推測だけどな、と言って江角は掘り起こされた水子地蔵の肩をなでた。本来は情け深く子どもを導く存在が、まったく逆の存在として扱われたことが腹立たしくも、悲しくもあった。
「たいちゃん、このお地蔵様どうするの?」
「三ヶ月はUPIで保管。その後何もなかったらこっちで供養して処分だな」
江角の答えに春木はなにやら考えていたが、顔を上げると、
「それ、三ヶ月何もなかったらうちで引き取るよ」
と言った。
「正気か?」
どうやら春木はこんな呪物ともなんとも判断がつかないものを本気で引き取ろうとしているらしい。江角は春木の胸元をつかんで揺さぶってやりたいと思った。
「うん、懇意にしてる石材店もあるし、新しく頭を作ってもらってうちに置く。まあ、元は優しくあれと願って作られたお地蔵様だろうし、うちで本来の仕事してくれたらいいんじゃないかと思ってね」
「費用かかるんじゃねえのか。てか親父さんの説得は」
「そこは必要経費としてUPIが出してくれるんじゃないの? 父は多分大丈夫だよ。私以上におおらかな人だから」
呪物として使われた可能性があるものの処理費用は高い。おそらく、春木が引き取る方が安上がりになるだろう。
「国屋さんと交渉してみる」
「よろしく」
また一つ仕事ができたなあ、と思いながら江角は煙草に火をつける。禁煙が叫ばれて久しい世の中であるが、UPIは珍しく喫煙を推進する部署である。煙草の煙は魔除けになるのだという迷信に基づいてだが、これがなかなか侮れない、というのがUPI三年目の江角の見解である。
「……幻滅したか? この仕事」
煙草の煙を吐き出しながら江角は春木に訊ねた。初仕事だというのに、今回は随分春木の精神面を消耗させてしまったことを江角なりに反省していた。だが、春木は首を横に振った。
「いや、仕事には全然そんなこと思わない。ただ人間の業は深いなと思ってね」
中原の妻も、以前中原家の不幸を願った人たちも、みな人の欲や負の感情に一時身を委ねてしまったために、今回の騒動が起きた。誰かが手前ですくい上げていれば、もしかすると起きなかったことかもしれない。
春木にはそう考えずにはいられない出来事だった。
「僧侶みたいなこと言うなあ」
「僧侶だって」
コントじみたやりとりをした後、どちらからともなく吹き出した。
「大丈夫、ここから先も手伝える範囲で手伝うよ。よろしくたいちゃん」
「おう、こちらこそ」
江角はそう言って右手を上げた。その手のひらに、春木は勢いよく自らの右手をぶつけ、パチン、という乾いた音を響かせた。
――三か月後、UPIの保管期限を満了して、中原の家にやってきた水子地蔵は、口元に柔らかな曲線を描き、慈愛に満ちた表情をしていたという。
【Case1.ハイドランジアの微笑 完】
紫陽花の花言葉:移り気、家族
(参考:https://weathernews.jp/news/202506/170086/)