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UPI~特殊事案捜査課・江角泰地の捜査記録  作者: 朝香トオル
Case1:ハイドランジアの微笑 3年目6月
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Case1:ハイドランジアの微笑4(7/28改稿)

 三日後・平桐寺。


 春木は江角とともに行った初めての調査を反芻していた。中原家というのは春木も江角も知っているとおり、M市の旧家であり、辺り一帯の土地の管理者として有名である。


(あまり悪い噂を聞く家じゃないけど……あれはいったい何だったんだろう)


 今回、残念ながら紫陽花が赤く見えていない江角には「赤い液体」とぼかした表現で伝えたが、実際には血のように見えた。水のようにサラッとした液体ではなく、少しだけ粘度があり、うっすらと赤黒く見える液体がなんだったのかは想像に難くない。


 だが、庭に下りることなく遠目に見ただけではわからなかった。


(においがしたらわかると思うんだけど……もう一回行くのは難しいかな)


 そんなことを考えていると寺兼自宅用の固定電話が鳴った。留守番をしているのは春木ひとりであり、ほかの誰も電話に出ることはない。渋々腰を上げて春木は電話に出る。


「はい、平桐寺ひょうどうじでございます」


 いつもの通り、名字ではなく寺の名前を言う。これは幼い頃から躾けられた習慣であり、個人の電話に出るときにもつい名乗ってしまう。


『中原さやかです。あの、お兄さんはこの間、うちに来てくれたお坊さんですか?』


 聞こえた声は幼い少女のもの、と称するに値するものだった。中原、という名前と、声の雰囲気から、先日訪れた中原家の娘か、と察することができた。中原に渡した名刺を見た中原の娘が連絡をしてきたのだろう。だが、連絡をしてきた理由がわからない。


「あ、そうですよ。春木と言います。この間はお邪魔しました。何かありましたか?」


 できるだけ明るい声を作って春木は答えた。言葉遣いが随分しっかりしている少女だ、と思いながら春木は記憶をたどる。確か小学校五年生だか六年生だったはず、と先日江角が見せてくれた中原家の家族構成資料を思い出した。


 先日の訪問では娘と直接話せなかったが、こうして電話をかけてくるということは何か話したいことがあるのだろう。そしてそれは、おそらく両親には知られたくないことだと容易に推測できた。


『あの、お父さんは多分言わなかったと思うんですけど、お母さんが具合悪くなったの、本当はひーちゃんが死んじゃってからなんです』


「ひーちゃん?」


 オウム返しに言えば、電話の向こうの声が硬くなった。


『私の妹か弟になるはずだった子です』


 ひーちゃん、というのは胎児ネームだろうか、と考えながら春木は娘の話を聞く。


「そうですか……それは悲しかったですね。さやかさん、ひーちゃんがいつ亡くなったかわかりますか?」


『二ヶ月くらい前だったと思います。だれも私にはくわしく話してくれなかったけど、そのころから泣いているお母さんをよく見るようになったから』


 優しい子どもなのだろうな、と春木は思った。母が悲しむ姿を見て、心を痛めていることがよくわかる声色だった。


「お話ししてくれてありがとうございます」


『あの、』


 切羽詰まったような声に春木は「うん?」と答えた。


『――お母さん、元気になると思いますか』


 その問いかけに春木は思わず息を飲んだ。この手の問いかけは何度もされてきたが、子どもに答えるとなるとどう答えたものか、と途端に悩んでしまう。嘘はつきたくないが、綺麗事に騙されてくれる年齢でもない少女に向けた言葉を探すのは骨が折れた。


「もしかすると時間がかかるかもしれないけど、きっと元気になってくれると思いますよ。私はそんな人をたくさん見てきました」


 僧侶として働く以上、思わぬ事故や事件に巻き込まれて死を迎える人を見ることも少なくなかった。そんなときに傷ついてしまった誰かが徐々に元気になる様を見てきたことを思い出しながら答える。これで彼女は納得してくれるだろうか。


 不安はぬぐい切れなかったものの、そんなことを話せば、電話向こうの声がパッと明るくなった。


『ありがとう、春木さん』


「こちらこそお話してくださってありがとうございました」


 失礼します、と言って電話は向こうから切られた。中原夫妻の躾がよいのだろうな、と素直に感心しながら春木は受話器を置いた。


(……何週目で亡くなったかはわからないけど、少なくとも死産届か死亡届が出ているはず。これをたいちゃんに言えば調べてもらえるかな)


 さて、と春木はスマートフォンを取り出して、江角の連絡先を探す。五十音順で並んでいる電話帳の上から数えて数件目のところに江角の名前はあった。


「たいちゃんが忙しくありませんように……」


 そう祈りながら春木はスマートフォンの画面の発信ボタンをタップした。




 同時刻・UPI詰所。


 先日の中原家訪問の際の精算書類を作っていた江角のスマートフォンが鳴った。集中が途切れた江角はふう、とため息をついた。こういうときに狙いすましたようにタイミングが悪いのは春木だ、と思いながらディスプレイを確認すると案の定、表示された名前は春木だった。


「もしもし? 今忙しいから手短にな」


 江角さん態度が悪いですよ、と事務班の坂江女史が小声でたしなめた。


『忙しいところ悪いね。さっき中原さんの娘さんから電話があったけど、報告はあとにした方がいい?』


 早急なホウレンソウが必要だと思ったんだけどな、と言う春木の声は怒っていなかったが、皮肉がたっぷりとつまっていた。江角は電話に入らないようにひっそりと息を吐き出すと、


「オレが悪かったから今教えてくれ」


 と言った。春木は『そうこなくちゃ』と朗らかに言ったのち、中原の娘からの電話を要約した。中原家での春木の予想通り、嬰児もしくは胎児が亡くなっている可能性が一気にあがった、と思いながら江角は春木の話を一通り聞いた。


『それともうひとつお願いがあるんだけど、もう一回中原さん家に行けないかな?』


「あ? 直接子どもから話聞くのか? 難しいぞ、子どもから話聞くの」


『そうじゃない』


 春木の否定に江角は「じゃあ何だ」と問いかけた。


『ずっと考えてた、あの赤い紫陽花がなんなのか』


 どうやら春木は江角には見えないものだからとずっと考えていてくれたらしい。


「ああ、オマエには赤い液体が滴ってるように見えたやつな」


 赤い液体、と春木はぼかしてくれたが、おそらく血だろうな、と江角は思っていた。


『……あれが何なのかずっと気になってて。あの日私たちはくれ縁からガラス越しにあの紫陽花を見たけど、直接近くで見てないから、改めてちゃんと見ておきたいと思うんだ』


「わかった。再調査ってことで中原さんには掛け合ってみる。あと死亡届の調査もしとく」


『ありがとう』


 じゃあね、と言って春木は電話を切った。江角は書きかけの精算書類に目をやってため息をついた。外出の段取りと裏取り調査を進めるのであればこれは後回しだ、と思いながら今後のスケジュールを試算していると、


「江角さん、書類はきちんと期限内に提出してくださいね」


 江角の思考を見透かしたかのように、きっちりと坂江に釘をさされてしまった。




 翌日。


 中原に「もう一度お宅にうかがいたいのですが」と恐る恐る打診したところ、彼はそれを快く承諾した。先日中途半端な状態でお引き取りいただいたのが心苦しかったので、と言う彼に、江角はホッとした。一度終わったことを蒸し返さないでほしい、と言われることも多いなかで、中原は感心するほど人がいい。


「昨日の今日で行けると思っていなかったよ」


 今日は事前に江角が口酸っぱく言っておいたおかげで春木は初めから法衣を着ていた。


 助手席の春木を横目で見ながら江角も言う。


「それはオレも。早い方がいいとは言ったけどな。オマエは家の方、大丈夫なのかよ」


 寺の方はいいのか、と言外に訊かれて春木は首を縦に振った。


「ああうん、大丈夫。せっかく特別協力人なんて安定した職に勧誘してもらったんだからそっちを優先しなさいって尻を叩かれてるよ」


「目に浮かぶ」


 ハハ、と笑った江角だったが「そういえば」と昨日春木から頼まれていた中原家の死亡届の調査結果を口にした。


「――中原家で去年から今年にかけて亡くなったのは赤ん坊じゃなかった」


「……え?」


 自分が予想していた答えではなく、春木は思わず耳を疑った。


「死亡届ないしは死産届を調べたんだが、出ていなかった。その代わり出たのは中原の遠縁に当たる男の死亡届だった。中年といっていい年齢の、な。ずっとあの屋敷の一室から外に出ない生活をしていたようで、どうりで中原の口が重かったわけだ」


 名家に引きこもりの男が居着いていた、というのでは外聞が悪かったのだろう。誰が亡くなったのかを中原が口にしなかったのは、まだ悲しみが癒えていないからだとばかり思っていたため、別の理由だとは思いもしなかった。


「じゃあ私が受けた中原さんのお嬢さんの電話はいったい」


「ああ、あれな。ひーちゃんてのはもちろんあの子の弟か妹になる可能性のある子だったけど、中原の子どもである可能性はなかったってことだ」


 江角は苦虫を嚙み潰したような顔で答えた。その表情で春木も事情を察した。


「あ、ああ……そういうことか……。いや、娘に言うのもどうかと思うけど、ええー……」


「そうだよな、普通はそう思うよな。オマエが真っ当な感性の持ち主でよかった。そんなわけで中原家ではなく、奥さんの実家の方でこっそり処理されてたよ」


 不可解な話ではないが、不可解な話であってくれた方がまだよかった、と思いながら春木は深いため息をついた。


「それ、中原さん自身は知ってるの?」


「知ってる。死亡届こそ奥さんの実家から出てたけど、荼毘に伏したあとの遺骨は中原家で引き取ったらしい。中原の敷地内で亡くなった子であればみんな中原の子ども、つってたってよ」


「……こっちもこっちで懐の深いところを見せられるってわけか」


「珍しいな、春木がそんなひねくれたこと言うの」


 普段は笑って受け流すことが多い春木が、トゲのある言葉を口にしたことに江角は眉を上げた。


「私だって言いたくなるときもあるよ。さやかさんが気の毒だ」


「そうだな、それには同感だ」


 憂鬱になってきたな、と言う春木を「仕事なんだから最後までやるぞ」と江角は叱った。中原家まではあと五分ほどの道のりだった。



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