序-2 終
「江角さん、突然のことで混乱されたでしょう」
「……ええ」
「おまけに国屋さんの説明は端的過ぎますし」
「はい」
力強くうなずいた江角に上乃木は苦笑した。
「でも、間違ったことは言っていないんですよ。ここは本当にそういう事件事故を捜査・調査する場所です。私も初めてやってきたときには半信半疑でしたけどね」
「でも今は違うんですか」
「ええ。すぐに江角さんにもわかりますよ。はじめは私について仕事をしてもらって、そのうち、独り立ちをお願いします」
仕事を辞める、という選択肢は江角にはない。ここでがんばるしかないのだと腹をくくった。
「ではまずこの組織の説明からしましょうか」
そう言って上乃木は簡単な組織図を書いてくれた。
特殊事案捜査課(UPI)――怪異対策班
――神祇班
――事務班
「あの、」
「なんでしょう」
「まず、UPIって何の略何ですか」
辞令を受けて以降ずっと気になっていたことを江角は訊ねた。
「Unnatural Phenomena Investigation unit……直訳すると不自然現象捜査課、というところでしょうか。日本語をもっとわかりやすいネーミングにしようという話もあったんですが、いたずらに不安を煽るな、ということでですね、ぼかしにぼかしてこうなったそうです」
由来を聞いて江角は呆れた。
「英訳版で台無しですよ……変な現象を捜査する課だってすぐわかりますよ……」
「まあそうでしょうが、一般の方は英語の組織名まで気にしないから大丈夫ですよ」
短い時間しか会話していないが、薄々、上乃木も国屋とは別方面で雑なことがわかってきた。
「話を戻しますが、私がいるのがこの怪異対策班。名前の通り怪異に対応する班です。詳しい話は……まあ、仕事を見た方が早いので後日にしましょう」
「……はい」
「続いて神祇班ですが、こちらは神社を筆頭に神が関わる案件を担当しています。ここにも数名、神祇班の人員がいますが、一番多いのはI市です」
上乃木が上げたのは隣の市の名前だった。全国に名を馳せ、旧暦の十月には神々がやってくると言われる地に人員を割くのは道理だな――と考えたところで江角は思わず頭を横に振った。非現実的な組織に順応し始めている自分を信じたくなかった。
「最後、事務班ですね。こちらは課全体の庶務業務や広報をしてくれていますが、事務所は総務課と同じところにありますから、用があるときにはそちらに行ってください。あと、どこかに出張に行ったときには必ずお土産を買って帰ってくることです」
「はい」
おそらくベテランのお姉さんたちが多いのだろう、と江角は思う。
「先程も言いましたが、この仕事は習うよりも慣れよ、ですので、明日から私についてきてください」
「わかりました」
江角にとっての上乃木は上官である。返事は「はい」か「YES」の二択だ。
「あと、この課では上官の言うことに絶対従えとは言いませんし、階級をつけて呼ぶことも推奨されていません。各課員の勘、というものを国屋さんが信じていますので」
「そう、なんですね」
先程〝国屋警視〟と呼びかけた江角に対し、国屋が「必要ない」と一刀両断したことを思い出した。あれはパフォーマンスではなく本人が本気でそう思っているということだ。何より、上乃木が彼をさん付けで呼んでいることが証拠である。
「……どこまでできるかわかりませんが、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
江角は差し出された上乃木の手を握った。剣道をしている人間特有の固い掌に、この人も同じ警察官なのだと痛感した。
〇
二年半後、春。
「最初は結構抵抗感ありそうだったのに、江角はすっかり馴染んだね」
デスクに座った国屋が上乃木の土産である焼きドーナツをほおばりながら言う。
「……二年半もいたらイヤでも慣れますよ」
江角は先日担当した事件の報告書を書きながら顔も上げずに返事をする。
「あれ、もうそんなに経ったんだっけ。早いね。まあ、これからもよろしく」
春はいろんなことが起きるからね、と不穏なことを言う国屋に、
「三回目にもなれば大体わかってきましたから大丈夫ですよ」
と江角は顔をしかめながら適当な返事をした。
冬の間は比較的、取り扱う事件数が少なかったが、春になるとともに増えてくる。
「慣れた時が一番危ないよ」
「……それは肝に銘じておきます」
この人も危ない目にあったことがあるのかな、と思いながら江角はちらりと国屋を盗み見る。変わらずキラキラとした顔面で美味しそうに焼きドーナツをほおばっていた。
「なに? 僕の顔に何かついてる?」
「いえ何も」
とにかくさっさと報告書を上げてしまおう、と江角は背筋を伸ばして座り直し、パソコンに向き直った。