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UPI~特殊事案捜査課・江角泰地の捜査記録  作者: 朝香トオル
Case2:とりかえばやの匣 3年目8月
12/12

Case2:とりかえばやの匣5 終

  数日後。


 和泉唯の家に再び江角と春木が赴くと、別人のように生き生きとした顔の女が出迎えてくれた。今にも死にそうで憂色を帯びていた女と同一人物であると江角が一瞬気づけなかったほどである。


「先日は、取り乱しまして大変失礼いたしました。若住職もわざわざありがとうございます」


 そう言って女は二人に向けて慇懃に頭を下げた。心配事がなくなった彼女は気品のあるよい奥様然として「粗茶ですが」と言いながら江角と春木に抹茶をふるまった。その抹茶をありがたく頂戴しながら、江角は話を切り出す。


「それから、唯さんの体調はいかがですか」


 江角の問いかけに女は機嫌よく答えた。


「ええ、ええ、それはもうすこぶる元気でございます。あの子が伏せっていたときには生きた心地もしませんでしたが、今では元気すぎて心配なくらいで。若住職からお姉さんにもよろしくお伝えください」


「ありがとうございます。姉も安心すると思います」


 女の礼に春木はにこやかに応えた。


「あと、これは姉からの伝言ですが、しばらくは雨の日に気をつけて唯さんのことを見てやってほしいとのことです」


「雨の日、ですか」


 不思議そうな顔をする女に春木は重々しくうなずいた。


「ええそうです。ひと月もすれば大丈夫ではないかとのことでしたが、これから先は台風の季節ですし、用心に越したことはないと。もし、雨の日に外に出るようなことがあればお一人にせず、大人がついておくようにしてあげてください」


「ええ、わかりました」


 普通であれば、信じない話だろうが、あの日以来、女は明理を神か何かのように信じているようで(あながち間違いではないのだが)、彼女の言葉として春木が伝えたことを神妙な面持ちで聞いていた。


「あの、私からも一つお訊ねしたいのですが」


「はい、なんでしょう」


「例の匣ですが、いつから唯さんの手元にあったか、覚えていらっしゃいますか」


 江角の問いかけに女は首を傾げた。


「いつからだったか……覚えていませんが、気づいた時にはあったと思います。恥ずかしながら、私にはあの箱がそんなに変なものには見えておりませんでして……。三宅先生にもご心配いただいたのに、申し訳ないことをしました」


 やはりか、と江角は思う。あの箱は贄と判定した人間の血族にも影響を及ぼすのではないか、という疑問を解決するための質問だったが、どうやら当たりのようだ。


「わかりました。ご協力ありがとうございます」


「あまりお役に立てず申し訳ございません」


 眉を下げる女に江角は慌てて手を横に振った。


「いえ、十分助かります。わからないことがわかるだけでも我々にはありがたいので」


 そして出された茶を飲み干して立ち上がる。


「では、我々はこれで。何かお困りのことがあれば、いつでもご連絡ください」


 そう言った江角と春木に女は深々と頭を下げた。




「なあ、なんで雨の日に気を付けなきゃならねえんだ」


 帰り道、江角の問いかけに春木は「うん?」と顔を上げた。


「ほらさっき和泉唯の母親に言ってただろ。気になってたんだよ」


「あ、あれね。たいちゃん、あの時蟒蛇を見たよね。蛇にとっての格好の餌って言ったら何を思い浮かべる?」


 春木のなぞなぞのような言葉に江角は考える。蛇の餌になりうるもの、という単純な連想ゲームで何を思い浮かべるかというと、


「……蛙か?」


 蛇に睨まれた蛙、蛙は口ゆえ蛇に呑まるる、といったことわざに代表されるように、日本において蛙の天敵は蛇とされている。


「ピンポーン! 正解です」


 軽快に言う春木に江角は脱力しつつも、先を促した。


「そう。で、あの蟒蛇は唯さんを贄にしようとしてた。ということは、蛇にとっての捧げものたりうる蛙の性質を気づかずに帯びている可能性がある」


「そんなことがあるのか」


 にわかには信じられず、訊ねた江角に春木は肩をすくめた。


「用心に越したことはないって姉さんは言ってたね。そして蛙は雨の日に出てくるものだから、雨の日は気をつけてほしいって伝えておいた」


 衝動的に飛び出していきたくなっちゃうかもしれない、ってことね、と付け加える春木に江角は言う。


「そこまで言わなくてよかったのか」


 因果がはっきりしないことを守らせるのは難しい。が、春木は江角のコメントに顔をしかめた。


「あのお母さん見てそんなこと言える? わたしの口からはとてもじゃないけど言えないよ。せっかく娘が元気になったって喜んでたのに。姉さんからのありがたいお告げだと思って信じておいてもらうのが関の山じゃない?」


「……そうか、ああ、それもそうだな」


 鰯の頭も信心から。明理を鰯の頭に例えるわけではないが、和泉唯の母親が信じ、守れるのであればなんでもいいか、と江角も考えを改めた。


「あ、わたしの方からも一つ訊いていい? あの〝とりかえばやの匣〟たちはどうなったの」


「神祇部の連中が国屋さんから押収してどこかに持って行ったっきりだな。悪いがオレにもわからねえんだ」


 国屋は神祇部の長に「管轄違いのものを怪異対策班に扱わせるなんて何考えてるんですか! たまたま死人が出なくてよかったですが、こういう管轄区域の侵害は今後一切しないでください! 次にやったら懲戒免職ものですよ!」とこっぴどく叱られており、どちらが上司なんだと周囲は大いに呆れた。江角の留飲も下がったのでよしとする。


「ふうん。神祇部の手に渡ったなら解決かな」


「しかし、悪かったな、今回は。国屋さんの横暴に巻きこんで」


 謝罪する江角に春木は首を横に振った。


「仕事である以上、そういうのもあるんでしょ。わたしは社会人として働いたことはないけど、そのあたりの機微はわかっているつもりだよ」


「……お前はもう少し被害者面すること覚えてほうがいいと思うんだけどな」


 呆れたように言う江角に春木は「ええー、そうかな」と首を傾げた。そうだよ、と短く返事をする江角と春木の間を湿気と熱を帯びた真夏の風が吹き抜けていった。





【Case2:とりかえばやの匣 完】

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