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『 ベテランの告白』

作者: 小川敦人

『 ベテランの告白』


「支店長が変わるらしい」

野村は昼休みに飛び交うその言葉を聞いて、わずかに口元を歪めた。四月。新入社員が入社する季節。同時に人事異動の季節でもある。今年も変わらぬ春の風景だった。

「誰になるんだろうね」

「お堅い人らしいよ。本社の経理畑の人だって」

「えー、それってやばくない?」

若手社員たちがソファに集まって、小声で話し合っている。新入社員の女の子二人も、先輩たちの会話に緊張した面持ちで耳を傾けていた。彼女たちは入社式を終えたばかり。まだスーツの着心地にも慣れていないようだった。

野村は彼女たちの姿を見て、いつか教えてあげたいと思った。「会社では、情報の流れ方にも序列がある。新入社員は最初、情報の受け手でしかない。しかし、それは決して悪いことではない。むしろ、その立場だからこそ見えるものがある。先輩たちが何を気にし、何を重視するのか。それを静かに観察することが、組織を理解する第一歩だ」と。

野村は四十五歳。この東和銀行南支店に勤めて二十三年目になる。いわゆる「銀行マン」としては平凡な経歴だった。特に出世したわけでもなく、かといって落ちこぼれたわけでもない。ただ、淡々と日々の業務をこなしてきただけだ。その間に見てきた支店長の数は、八人。そして今度が九人目になる。

「いつも同じさ」

野村は自分のデスクでコーヒーを飲みながら、ぼんやりとつぶやいた。新しい支店長が来るたびに、若手は不安がり、ベテランは懐かしむ。そして必ず、「近頃の若い者は...」という言葉が飛び交うようになる。

新入社員の姿を見て、野村は思った。彼らは今、何も知らない。会社という組織がどう動き、先輩たちがどう考えているかを理解するには時間がかかる。いつか彼らにも伝えなければならないだろう。組織とは何か、先輩とは何か、そして若者とは何かを。

---

「野村さん、ちょっといいかな」

声をかけてきたのは、営業課長の佐藤だった。五十三歳。野村より八つ年上で、同期入社の中では唯一、課長まで昇進した男だ。

「はい」

野村は席を立ち、佐藤の後に続いた。会議室に入ると、そこには数人のベテラン行員が集まっていた。全員が四十代後半から五十代の男性ばかりだ。

「座りなよ」

佐藤が野村に椅子を勧める。野村が座ると、佐藤は声のトーンを落として話し始めた。

「来週から着任する新しい支店長のことだけど、本社から情報が入ってね。かなりの改革派らしい。若手を積極的に登用する方針だとか」

ベテラン達の間に、ざわめきが広がる。

「また、若手優遇か」

「最近の本社は若手ばかり目をかけて」

「我々の時代は、十年は雑用係だったのに」

野村は黙って聞いていた。こういう会話も、何度も聞いたことがある。歳を取れば取るほど、「自分の若い頃は厳しかった」という言葉が増えていく。それがどの世代でも同じだということに、誰も気づかないのだ。

「野村、お前はどう思う?」

突然、佐藤が野村に振った。全員の視線が野村に集まる。野村は一瞬考えてから、淡々と答えた。

「特に何も思いません。新しい支店長がどんな方針であっても、私はただ自分の仕事をするだけです」

「そんな冷めた考え方で大丈夫か?若手に押されて、居場所がなくなるぞ」

別のベテラン行員が心配そうに言う。野村はわずかに首を振った。

「若手に理解を示しつつ、かといって自分のスタンスを曲げない。そんなベテランが信頼されるのではないでしょうか」

「都合のいいことを言うな。若者に理解を示すベテランなんて、結局は信念がない奴だと思われるだけだ。若者は見抜いているんだよ」

佐藤が少し強い口調で言った。野村は黙ってうつむいた。この会話も何度も繰り返されてきたものだった。

---

翌日。

「野村さん、ちょっといいですか」

新入社員の一人、田中という女性が声をかけてきた。

「どうした?」

「これから朝礼の資料を作るんですが、去年のものを参考にしたくて...」

「ああ、そうか。じゃあ、一緒に探そうか」

野村は立ち上がり、田中と一緒に資料室へ向かった。キャビネットを開き、過去の資料を探す間、田中が小さな声で話し始めた。

「野村さん、本当のところ、新しい支店長ってどんな方なんですか?」

野村は手を止め、田中を見た。不安と期待が入り混じった表情をしている。社会人としての一歩を踏み出したばかりの若者特有の、あの表情だ。野村も二十三年前には同じ顔をしていただろう。

「私にもわからないよ。でも、心配することはない」

「でも、みなさん大変な方だと言っていて...」

「支店長が変わるたびに、同じことが言われるんだ。私がこの支店に来て九人目の支店長になるけれど、毎回『厳しい人だ』『改革派だ』と噂される。でも実際に来てみれば、普通の人だったりするんだ」

田中の表情が少し明るくなった。

「そうなんですか?」

「ああ。それに」

野村は資料を見つけ、田中に手渡しながら続けた。

「どんな上司であっても、君たち自身が変わる必要はない。自分のやるべきことをやり、学ぶべきことを学べばいい。上司の顔色を伺って右往左往するのは、時間の無駄だよ」

野村は静かに続けた。

「新入社員に一つだけ伝えておきたいことがある。会社の中では、表向きの言葉と本音が異なることがよくある。『近頃の若い者は...』と言うベテランも、本当は若手に期待している。ただ、それを素直に表現できないだけだ。組織の中では、言葉の裏にある本当の意図を読み取る力が大切なんだ」

田中は資料を受け取りながら、少し驚いたように野村を見た。

「野村さんって、若い人に優しいんですね」

野村は苦笑いした。

「そうかな。ただ、私も君たちと同じ道を通ってきただけだよ」

---

その夜、野村は珍しく会社帰りに一人で飲みに行った。最寄り駅から少し離れた場所にある、古くからの行きつけの居酒屋だ。ここには二十代の頃からよく来ていた。

「いらっしゃい、野村さん。久しぶりだね」

店主の山田が声をかけてくる。六十代半ばの男で、この店を三十年以上営んでいる。

「ああ。ちょっと気分転換に」

「いつもの?」

「頼むよ」

山田が生ビールを注ぎながら、野村に聞いた。

「職場はどうだい?まだ銀行に居るのかい?」

「ああ、まだいるよ。来週、また新しい支店長が来るんだ」

「へえ、また変わるのか。大変だね」

「まあね」

野村はビールを一口飲んで、ふと思い出したように言った。

「山田さん、質問があるんだけど」

「なんだい?」

「若者に理解を示すベテランは、信頼されないと思うか?」

山田は手を止め、少し考えてから笑った。

「それは、誰から信頼されないって話だい?」

「同年代のベテランからかな」

「ああ、なるほど」

山田はグラスを拭きながら続けた。

「若者に理解を示すベテランは、同年代からは『媚びている』と思われるかもしれないな。でも、そんなことは気にするだけ無駄さ」

「そうか?」

「人間は、自分と似た価値観を持つ人を信頼する生き物だからね。若い世代に理解を示せば、同年代からは距離を置かれる。でも、若い世代からは信頼される。どちらを取るかは、自分次第さ」

野村は黙ってビールを飲んだ。

「でもね、野村さん」

山田が真剣な表情で続けた。

「本当の信頼は、立場や年齢で決まるものじゃない。自分の信念を持って生きているかどうかだ。若者に理解を示すにしても、その裏に確固たる信念があれば、誰からも信頼される。逆に、周りの顔色ばかり伺って生きていれば、どの世代からも信頼されない」

野村はゆっくりとうなずいた。山田の言葉には重みがあった。

「私はね、この店を開いて三十五年になるけど、その間にお客さんの世代も変わってきた。でも、私は変わらずに自分の信じる料理と接客を続けてきた。その結果、今でも若いお客さんも来てくれる。古い考えを押し付けず、かといって流行りだけを追いかけるわけでもない。そのバランスが大事なんだよ」

山田の言葉は、野村の心に深く刻まれた。

---

週末を挟んで月曜日。新しい支店長の着任日だった。

朝一番に行われた挨拶で、新支店長の森本は五十代前半の厳格そうな男性だった。話し方は淡々としていて、特に威圧的なところも、かといって親しみやすいところもない。予想されていたような「改革派」の雰囲気はあまり感じられなかった。

「近頃の若い者は、基礎ができていない」

初日の夕方の会議で、森本支店長はそう言った。案の定、新入社員の仕事ぶりについて触れたのだ。野村は内心で苦笑いした。やはり、いつもと同じだ。

「しかし、それは彼らのせいではありません。我々先輩行員が、しっかりと基礎を教え込んでいないからです」

野村は少し驚いた。いつもの「近頃の若い者は...」という嘆きと少し違う方向に話が進んでいる。

「私は若手を責めるよりも、我々ベテランが変わるべきだと考えています。時代は変わっていくのです。我々が若い頃の経験だけを基準にしていては、この先生き残れません」

会議室のベテラン行員たちの間に、不満のざわめきが広がった。野村は黙って聞いていた。

「もちろん、銀行業務の基本は変わりません。しかし、時代に合わせて進化していくことも必要です。若手の発想を取り入れながら、我々の経験を生かす。それが理想的な形ではないでしょうか」

会議が終わった後、野村は自分のデスクに戻った。新入社員の田中が書類を持ってやってきた。

「野村さん、これ確認していただけますか?」

「ああ、いいよ」

野村が書類を受け取ると、田中が小声で聞いてきた。

「新しい支店長、思ったより怖くないですね」

野村は微笑んだ。

「そうだろう?言ったはずだよ」

「でも、ベテランの人たちは不満そうでした」

「まあ、そうだろうね」

野村は書類に目を通しながら言った。

「でも、この支店長は少し違うかもしれない」

「どういう意味ですか?」

「時間が経てば分かるよ」

野村はそう言って、書類を田中に返した。

---

それから一ヶ月が経った。

予想通り、森本支店長の方針は波紋を呼んでいた。若手を積極的に重要な案件に関わらせる姿勢に、ベテラン行員たちの不満は高まる一方だった。特に佐藤課長を中心とした古参組は、ほとんど反抗的な態度を取るようになっていた。

一方で、若手たちは活気づいていた。新入社員も含め、自分たちの意見を求められることに、新鮮な喜びを感じているようだった。

ただ、野村が気になったのは、森本支店長の本当の意図だった。表向きは若手登用を掲げているが、その裏にはどんな思惑があるのか。単に古い体制を壊したいだけなのか、それとも本当に支店を変えたいと思っているのか。

ある日、野村が残業していると、森本支店長が近づいてきた。

「野村さん、まだ残っていたんですね」

「はい、少し整理する書類があって」

「そうですか」

森本は野村の隣の椅子に腰掛けた。オフィスには二人だけだった。

「野村さん、率直に聞きますが、私の方針についてどう思いますか?」

突然の質問に、野村は少し考えてから答えた。

「正直なところ、まだ判断できません。若手を登用するのは良いことだと思いますが、ベテランを軽視するようなら、長い目で見てマイナスになるでしょう」

森本は静かに頷いた。

「私も同じ考えです。私は若手もベテランも、どちらも大切だと思っています。ただ、現状ではベテランの声があまりにも強すぎる。だから、あえて若手よりに見せているだけです」

「バランスを取るための戦略ですか」

「そうです。でも、実はもう一つ理由があります」

森本は少し声を落として続けた。

「私はこれまで五つの支店を回ってきました。そのどの支店でも、同じ問題を見てきました。世代間の断絶です。ベテランは若手を理解しようとせず、若手はベテランを敬遠する。その結果、組織全体の力が発揮できない」

野村は黙って聞いていた。

「私は、その橋渡しになれる人材を探しています。若手の気持ちを理解し、かつベテランの知恵も尊重できる人。そして、自分の信念をしっかり持っている人」

森本は野村をまっすぐに見た。

「あなたはその候補の一人です」

野村は驚いた。自分がそんな風に見られているとは思っていなかった。

「私ですか?」

「はい。あなたは若手にも優しく、かつ仕事も確実。そして、周りの空気に流されない芯の強さを持っています。正直、最初は佐藤課長あたりを期待していたのですが...」

「彼は頑固ですから」

野村が言うと、森本は苦笑いした。

「そうですね。私としては、野村さんに次の課長を任せたいと考えています」

「私には務まりません」

野村は即座に答えた。森本は少し驚いたように野村を見た。

「なぜですか?」

「私は、特別な才能もなく、かといって大きな野心もない人間です。ただ日々の仕事を、できる限り丁寧にこなしてきただけです。そんな私が課長になっても、誰も納得しないでしょう」

森本は少し考えてから言った。

「野村さん、あなたは自分を過小評価しています。私が見てきた中で、あなたのような人は稀です。若手とベテラン、どちらからも信頼されている。それは、あなたが確固たる信念を持っているからではないですか?」

野村は黙っていた。自分が「信念を持っている」とは思ったこともなかった。ただ、目の前のことを淡々とこなしてきただけだ。

「考える時間がほしいです」

「もちろんです。急いでいるわけではありません。ただ、私の支店長としての任期は三年。その間に、次の世代の核となる人材を育てたいと思っています」

森本は立ち上がり、帰り支度を始めた。

「野村さん、一つだけ言わせてください。『近頃の若い者は...』という言葉は、太古の昔から続く人類の愚痴なのかもしれません。でも、その愚痴を乗り越えられる人こそが、組織を前に進めるのです」

その言葉を残して、森本は帰っていった。

---

それからまた一ヶ月が過ぎた。

野村は相変わらず、自分の仕事を淡々とこなしていた。森本支店長からの話があった後も、特に態度を変えるわけでもなく、若手にも以前と同じように接していた。

ある日、佐藤課長が野村を呼び出した。

「野村、お前、支店長から何か言われてないか?」

「どういう意味ですか?」

「課長候補として名前が挙がっているとか」

野村は少し考えてから正直に答えた。

「言われました」

佐藤の表情が曇った。

「そうか...やはりな」

「佐藤さんも知っていたんですか?」

「いや、噂だけだ。でも、最近の支店長の態度を見ていれば分かる。お前を特別扱いしている」

野村は首を振った。

「私は断りましたよ」

「え?」

佐藤は驚いた表情を見せた。

「なぜだ?」

「私には務まらないと思ったからです。それに...」

野村は少し言葉を選んでから続けた。

「佐藤さんのような方がいる中で、私が課長になるのは筋違いだと思いました」

佐藤は複雑な表情で野村を見た。そして、思いがけない言葉を口にした。

「お前、本当に変わらないな」

「え?」

「入社した頃から、そのスタンスは変わっていない。周りに流されず、かといって反抗もせず、自分の道を行く」

佐藤は懐かしむように言った。

「覚えているか?お前が新入社員だった頃、私はお前の先輩だった。その頃も、私は『近頃の若い者は...』と口にしていたよ。でも、お前だけは違った」

野村は当時のことを思い出した。確かに佐藤は厳しい先輩だった。しかし、野村は特に反発することもなく、ただ自分のやるべきことをやっていただけだ。

「お前は正しい」

突然、佐藤がそう言った。

「何がですか?」

「若者に理解を示しつつ、自分の信念を曲げないベテランが、真に信頼されるんだ。私はその逆だった。若者を理解しようとせず、ただ批判するだけ。その結果、若手からも同年代からも、本当の信頼は得られなかった」

佐藤の告白に、野村は何も言えなかった。

「支店長の話、もう一度考えてみろ。お前なら、きっといい課長になる。若手もベテランも、両方を理解できるのはお前しかいない」

佐藤はそう言って、会議室を出ていった。

---

その夜、野村は再び山田の居酒屋を訪れた。

「おや、野村さん。最近は来るのが増えたね」

山田が声をかけてくる。

「少し考えることがあって」

「何かあったのかい?」

野村はビールを飲みながら、森本支店長と佐藤課長との会話を山田に話した。山田は黙って聞いていた。

「で、どうするつもりだい?課長になるのかい?」

野村は少し考えてから答えた。

「まだ決めていません。自分には務まらないと思う気持ちと、挑戦してみたいという気持ちが入り混じっています」

山田は静かに笑った。

「野村さん、知っているかい?人類が群れを作り始めた太古の時代から、この問題は続いているんだよ」

「どんな問題ですか?」

「世代間の対立と、その架け橋となる人の重要性さ。古い世代は常に『近頃の若い者は...』と言い、若い世代は『古い考えに縛られたくない』と思う。これは人類の宿命なんだ」

野村は黙って聞いていた。

「でもね、どんな時代にも、その架け橋となる人がいる。両方の価値観を理解し、かつ自分の信念も持っている人。そういう人がいるからこそ、人類は進化してこられたんだよ」

「そんな大げさなものではありません」

野村は照れ隠しに言った。

「いや、大げさじゃない。小さな銀行の支店でも、大きな国家でも、原理は同じだ。対立する価値観の間に立って、両方を活かせる人が必要なんだよ」

山田はグラスを拭きながら続けた。

「私の店でも同じさ。古くからのお客さんと新しいお客さん、両方に喜んでもらうには、双方の価値観を理解する必要がある。でも、だからといって、自分の信念を曲げてはいけない。それが店主としての私の責任だ」

野村はゆっくりとうなずいた。

「考えてみます」

---

翌日、野村は森本支店長に自分の決心を伝えた。

「課長の話、受けさせていただきます」

森本は満足そうに微笑んだ。

「決心がついたようですね。何がきっかけだったのですか?」

野村は少し考えてから答えた。

「何回も見てきたからです」

「何をですか?」

「世代間の対立を。若手とベテランの間の溝を。そして、その溝を埋められる可能性も」

野村は続けた。

「いつの世も『近頃の若い者は...』とベテランは口にします。でも、それは変わらない事実なのかもしれません。大切なのは、その事実を受け入れた上で、どうやって橋を架けるかではないでしょうか」

森本は深くうなずいた。

「その通りです。それが、私があなたに期待する理由です」

二人の会話は、新入社員の田中が書類を持ってきたことで中断された。野村は田中に微笑みかけ、通常業務に戻った。

その日の夕方、野村が帰り支度をしていると、佐藤が近づいてきた。

「決めたようだな」

「はい」

「良かった」

佐藤は少し照れくさそうに言

「私も、もう少し変わってみるよ。お前を見習って、若手の話にも耳を傾けてみる」

野村は微笑んだ。

「私も、佐藤さんから学ぶことはたくさんあります」

「互いに学び合おう」

佐藤が手を差し出した。野村はその手をしっかりと握った。

---

その週の金曜日。野村の課長昇進が正式に発表された。

若手たちは喜び、ベテランたちも特に反対の声を上げなかった。森本支店長の目論見通り、野村は両世代から一定の信頼を得ていたのだ。

仕事が終わり、野村が一人で帰ろうとすると、新入社員の田中が駆け寄ってきた。

「野村さん、おめでとうございます!」

「ありがとう」

「私たち、野村さんが課長になって本当に嬉しいです。若手のことを理解してくれる人だから」

野村は苦笑いした。

「そう言ってもらえると嬉しいけど、厳しくなることもあるよ。業務の基本はしっかり守ってもらわないと」

「はい、頑張ります!」

田中は明るく答えた。そして、少し恥ずかしそうに続けた。

「実は、みんなで野村さんのお祝いをしたいと思っています。今日、飲みに行きませんか?若手だけでなく、佐藤さんたちベテランの人たちも来てくれるそうです」

野村は驚いた。若手とベテランが一緒に飲み会をするなんて、この支店では珍しいことだった。

「そうか。じゃあ、行こうか」

野村は微笑みながら答えた。田中は嬉しそうに頷き、走って若手のグループに報告に行った。

野村は自分のデスクに戻り、最後の片付けをしながら考えた。

「おそらく、人類が群れを作った太古の時代からの永遠の課題なんだろうな」

世代間の対立と理解。批判と尊重。守るべきものと変えるべきもの。

翌朝、新入社員たちが早めに出社してきたのを見て、野村は彼らを会議室に集めた。

「新しい支店長が来て、落ち着かない日々が続いているね。でも、これは君たちに伝えておきたいことがある」

野村は穏やかな表情で話し始めた。

「会社という組織の中で、上司と部下、先輩と後輩、若手とベテラン。こうした関係性は常に複雑だ。特に『近頃の若い者は...』という言葉は、おそらく人類が群れを作り始めた太古の時代から続く永遠のテーマなんだ」

新入社員たちは真剣な表情で聞いている。

「でも覚えておいてほしい。本当に信頼されるのは、若者に理解を示しつつも、自分の信念をしっかり持ち続ける人間だということを。単に流行を追いかけるだけでも、古い価値観に固執するだけでもダメなんだ。その中間に、本当の答えがある」

野村は一人一人の顔を見回した。

「君たちはこれから、様々な上司や先輩と出会う。その中には理不尽な人もいるだろう。でも、そうした人たちからも学べることはある。そして、いつか君たちが先輩になったとき、今日の言葉を思い出してほしい」

新入社員たちは静かにうなずいた。野村は微笑みながら立ち上がった。新しい課長としての第一歩を踏み出す準備が、今、できたような気がした。


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