ヘイセイフレンド
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また当作品には、以下の描写が含まれます。
・エロともいえないほどの軽すぎる性描写
それらを踏まえて、読後自らの感情に責任が持てる方のみお読みください。
【二〇一八年】
二〇一八年。昔よく聴いていたAquaTimezが解散した。安室奈美恵は引退し、TOKIOのメンバーが一人、わいせつ行為でテレビから消えた。大杉連や桂歌丸、樹木希林といった、芸能人に疎い私でもよく知っている人々もまた今年、死んで、いなくなった。
天災も多い年だった。六月には大阪で震度六弱の地震が起き、西日本は豪雨にも見舞われている。九月の早朝に起きた北海道地震では、大規模な停電が発生したり、広範囲に渡って地滑りが起きた様子が日夜報道されていた。数年前に起きた東日本大地震は津波による大きな爪痕を未だに東北地方に残したままだ。
私が学生時代に使っていた携帯電話は『ガラケー』と揶揄され、スマートフォンに置き換えられてしまった。件名にRe:Re:……と続いていく楽しさは、LINEの既読表記によるプレッシャーへと変わっていった。
子供じゃなくなったからだろうか、なんだかすべてが悪いように見えてしまう。
「平成が終わるよ」
何かの終わりに向かうような、行き止まりまできてしまったような、閉塞感。どん詰まり。私はその感覚をその言葉にのせて呟いてみた。すると案外しっくりくる。そうだ、論理的な理由なんて無い。平成が、終わるのだ。天皇自ら、今年で平成を終えることを決めたからだった。
「……」
私はふと、『手術中』と示された赤いランプを見上げた。薄暗い病院の廊下には私以外、誰もいない。悲しい風景だ、と思った。
平成が終わる年の十一月下旬。私の友人だったはずの浜田理沙は右足を切断した。乗っていた大阪行きの夜行バスが事故を起こしたのだ。崩れた座席との間に挟まれた右足は損傷がひどく、救急隊員が駆けつけてきたころには、もう足先から壊死が始まっていたのだそうだ。
平成が、終わる。私はもう一度、今度は口に出さずに心の中でそう呟いた。
【二〇〇九年 過去】
「平成が終わったら、どうなると思う?」
「いきなりどうした」
「いいから」
屋上に続くドアの手前の踊り場に中学校三年生の私達は、座り込んでいた。今いるべきはずの教室では絶賛かったるい自習中のはずであり、ここはよく来るサボタージュ特等席だ。私、松下実保と友人、浜田理沙だけの特等席。
理沙は学校に持ち込みを禁止されているはずのウォークマンを取り出して、熱心にいじっている。KAT―TUNやファンモンばかり流す放送部が大嫌いな彼女のことだ。お小遣いをかき集めて買ったそれにはきっと、バンプオブチキンやアジカンといったロックバンドの曲達が入っているのだろう。その容量の片隅に、私が先週貸したAquaTimezも入っているのだろうか。
彼女にいきなり質問された私は、階段に腰掛ける彼女の後頭部を見ながら悩むふりをした。あくまで〝ふり〟だ。平成が終わったら? そんなこと考えてもしょうがないのに。
けれど理沙はたぶん、冗談でも乗ってきてほしいのだ。ここにいる私と意味のない事を話したいのだ。私はため息をついて、また何かどうしようもなくなって答えた。
「終わっても何も変わらないよ、きっと。だって元号ってのはただ私達が勝手にこの毎日に付けているラベルだもの。そりゃ、最初はみんな騒ぐと思うけど、特に何も変わらないって分かれば、また『いつも』に戻っていくよ」
すると理沙はそうかなー、と大きな声を出した。その声は空間に響いて、何だか怖かった。
「そんなことないって、あたしは思いたいな」
「なんで」
「だって、あの天皇が死ぬんだよ」
すくりと立ち上がった理沙は振り返って、それから初めて私と目を合わせた。栗色の大きな瞳孔。それはあまりにもまっすぐで、一度その視線で射貫かれてしまうと目をそらすことが出来なかった。
「たぶん。天皇が亡くなったーってニュースが流れるよ。ワイドショーが騒ぐよ。どんなトピックスも二の次にされて、天皇が死んだ、はいトップニュース、どーん。葬式はいつだ? 新元号は? ってバタバタする。まだ大丈夫だろうってタカをくくっていた大人達が一斉に慌て始めるの。……ちょっと面白そうじゃない?」
「……理沙、ちょっとフキンシン」
「どうして? 誰も聞いていないのに?」
理沙はそれから鈴が転がるような声で笑った。肩を揺らす度に、彼女のふわふわの癖毛が跳ねる。中学生離れした長く美しい足に、校則違反の紺ソックス。芋くさいはずのブレザーにジャンパースカート。自分と同じものを着ているはずなのに、私と違って何もかもが完成していた。どこにも不足なんて無い完全体の女の子。
私はそれを黙って観察した。
いつも教室や他の女の子の前では、この世なんてつまんねー、みたいな顔をしているのに、私と二人だと変なことを言っては笑っている。いきなりかっこつけたようなことをほざいては、勝手に笑って私のことを置いていくのだ。クールな顔つきの彼女はとても美人なのに、私の前だけでは醜い男みたいに笑う。
それを見るのが私にとっての楽しみで義務だった。彼女を独りにしないための義務だった。
「実保。終わりはいつやって来るのかなぁ」
「おわり?」
うん、と頷いた彼女は、彼女の後ろでドアに寄りかかって座っている私の元に近づいた。
「早く、終わりが見てみたい」
「……そうだね」
意味が分からないまま同意する。そして平成はまだ終わらないものの、小さな終わりがすぐそこまでやってきていることに気付いた。
私達は中学三年生。頭のいい彼女とそこそこの成績の私じゃあ、きっと同じ高校には行けない。彼女は、来年には私の見えないところへ行ってしまうのだ。
【二〇一八年】
右足を亡くした彼女は未だに昏睡を続けていた。医者からは強く頭も打っていて、脳にダメージが残るかもしれないこと、少なくともしばらくは眠ったままであろうことを聞かされた。
もちろん面会なども出来ず、スモークガラス越しになんとなく眠る彼女の姿を伺うので精一杯だった。
「眠り姫みたいだな。いいご身分だね」
そっと呟いた私の声は思ったより冷たいものだった。
彼女の事故を知ったのは昨夜のことだ。なぜか病院からかかってきた電話で手術の立ち合いをしてほしいことを頼まれたのだ。訊くと、親族にも電話で連絡をしたが、用事があり行けない、友人にでも頼んでくれ、と一方的に切られたとのことだった。
中学時代から、親と仲が悪かった彼女のことだ。この勝手で投げやりな対応から察するに、きっと今でも不仲なのだろう。もしかすると絶縁にまで発展しているかもしれない。現に乗っていた夜行バスは東京から大阪行きのバス。警察から聞いた話によると、夜の仕事で知り合った男と落ち合うための旅だったらしい。
家にも捨てられて、男や知人の家を転々とする女。昔の彼女を知っている身からすると、落ちるところまで落ちたな、というのが最初の感想だった。でもだからといって、私にはもう関係ないのだ。むしろなぜ今頃になって私が彼女に付き添わないといけないのだろう。
手術が終わってとりあえず治療室に入るのを見届けると、私はすぐさま帰ろうとした。丁度仕事の無い土曜日でせっかくの休みだ。今更彼女のところには残っていたくなかった。けれど、朝になったところで突然の大雨と強風でバスが欠航、タクシーを呼ぶ気にもなれない。だからこうしてなんとなく病院で嵐が過ぎ去るのを待っている。
集中治療室の前のベンチはなんとなく落ち着かないため、通院患者のための待合室、その端に座った。総合病院の土曜午前は人が多いイメージだったが、雨だからだろうか、目立って混雑はしていない。たまに思い出したように鳴る、整理番号を呼ぶアナウンスが心地よかった。
私が浜田理沙と出会ったのは、二〇〇八年、つまり中学二年生の頃だった。最初はとある女の子達のグループのメンバー同士だった、というだけ。一年の時につるんでいた女子Aとまた同じクラスになったから、となんとなく付き合い続けていたら、その子と元々仲の良かった元別クラスの女子Bが理沙を連れて合流してきたのだ。理沙も私も、その子達の付き添いにすぎなかった。
理沙は私が今まで付き合ったことの無いタイプで、美人なのにぶっきらぼう、とにかく人を寄せ付けないオーラのようなものをまとっていた。
彼女を紹介する女子Bは、とても嬉しそうだった。けれどそれは、理沙と付き合えている自分のステータスの高さを自慢している物言いだった。それは鈍感な私にでも分かる露骨さだったけれど、女子Aがニコニコして話を聴いていたのでそれを真似して黙っていた。
理沙は、というと、勝手にどうぞ、と言わんばかりにあくびをしていた。女子Bの後ろで我慢できなさそうにこっそりと行われたそれは、とても友達(仮)のことを馬鹿にしていた。けれど、なぜかそれが私にとっては痛快で面白かった。
ある日。女子Aが私達を家へ誘った。確か定期テスト前の勉強会、という名目だったが、訪ねてすぐの二時間はたっぷりその子の家の案内だった。女子Aは医療関係の小さな会社の社長の娘で、裕福だった。丁度、三世代が共に暮らせるように大きな家を建てたばかりで、それを自慢したかったらしい。にこやかに案内を終えると、女子Aは自分の母親が焼いたというクッキーを出した。
大きな家はそこそこ面白かった。しかし、このクッキーは私にはどうも美味しいとは思えなかった。なんだか甘すぎるし、粉糖はかけすぎて指にベタベタとまとわりつく。けれど、女子Aは料理上手の母親をさりげなくアピールし、女子Bも理沙も美味しい、と言って食べていた。まずい、と思うのは私だけかもしれない。だから私は、黙ってそれを飲み込んだ。
その帰り道、二人っきりになって初めて理沙から話しかけられたのだ。
あれ、不味かったね。と。
私が驚いて目を丸くしていると、理沙は自分の右手の親指と人差し指を付けたり離したりする仕草をした。ベッタベタだったよね、のジェスチャーだった。それに気付いて思わず吹き出すと、理沙はニヤリと笑った。少年のような笑い方だった。
なんで私にそれを話しかけてきたのか訊くと、私の顔真似をされた。しかめっ面でわざとらしい顔。
「こーんな、変な顔してたら、誰だって気づくよ。あたし、笑っちゃいそうだったもん。二人が気付いてないといいね」
そう言われて急に不安になってきた私に、理沙は多分大丈夫だよ、と笑った。
「実保は嘘が苦手なんだね。実はあたしも苦手、というか嫌いなんだ。特にお世辞みたいな場の空気に合わせるヤツ。しなきゃ無駄に他人が傷つくから仕方ないけど、無くても生きられたらいいのに」
そう言って空を眺める彼女の横顔は絵画みたいに素敵だった。
それがきっかけで、二人だけで行動することが増えた。A、Bとも遊んだけれど、必ずその後、メールで二人だけの会話をした。AやBへの悪口も含めた秘密の会話。
彼女は内心、AのこともBのことも馬鹿にしていた。それどころか先生、芸能人に至るまで切れ味の鋭いナイフみたいな言葉で罵倒した。それが率直で鋭ければ鋭いほど、私は楽しかった。
教室ではあんな涼しい顔をした彼女がこんな本音のナイフを隠している。それを目の当たりにして正直私は興奮していたのだ。
もし、彼女がナイフを持っていることを私が言いふらしたら。そして私も同じだけ、理沙に自分のナイフを見せていたから、彼女も言いふらすことが出来る。そう、私達は同じだけの危険性を互いに持っていたのだ。それは今まで経験したことの無い状況で、なんとなく冷たくて気持ちいい関係だった。
だから、少なくともあの時代。私達は自由に楽しく生きていた。3年生になると、AとBともクラスが分かれ、二人で授業をサボったりした。もはや、周りに合わせようとかそういうことは考えなくなっていた。スカートを短くし、校則を無視した制服の着方をした。
特に荒れていたわけではない田舎の中学だったから、目立った荒れ方はしなかった。普通の生き方と少しのいたずら。その程度だ。
その中で完全体になっていく理沙は誰かに見せつけるように美しくなっていった。そして私はその過程を食い入るように見ていた。
―――そこで終わっていればよかったんだ。
私は、理沙はどうだったんだろう、という自分の中の小さな声を黙殺した。目を閉じてもう一度開く。確認しなくても分かる。ここは、現実なのだ。
理沙とはもう無関係なはずなのに。……あぁ、神様、教えてください。今更なぜ私達を会わせたのでしょうか。
私はそう思いながら、ずっと目を擦っていた。
【二〇一二年 過去】
高校三年生。私と理沙は同じ地元の高校に通っていた。理沙がなぜか志望校を下げたのだ。二人で受験し、仲良く合格。私達の終わりは未だにやってきてはいなかった。
けれど、最近理沙は変わってしまった。理沙は高校生になるとすぐに彼氏を作った。そして、すぐに破局しまたすぐに新しい彼氏を作った。流行曲のサビ部分みたいに何度も何度もそれを繰り返していた。
男が絡むと、理沙は女の子らしくなった。あの鋭いナイフみたいな理沙はどこかへ行ってしまい、周りの、所謂月並みな女の子の反応ばかりになってしまうのだ。最初は見ていて新鮮だったけれど、最近では正直げんなりしている。
あの完全体だった、美しい理沙はもうどこにもいなかった。私はあの姿が好きだったからこそ一緒にいたのに、今では男狂いのただの女に成り下がっている。もう、理沙と一緒にいる意味なんて無いのかもしれない。そう思うようにもなっていた。
唯一未だに面白がって見ていたのは、破局後に理沙が起こす行動だった。やけ食い、タバコ、リストカット……。その種類は様々で、場合によっては学校から注意を受けることだってあった。まぁ、私は見ているだけでお咎めなしなんだけれど。
その日も、私はうきうきした気分で自転車を走らせていた。昨日理沙から、フラれた、と連絡があったからだ。当たり前のように学校を休んだ彼女の家を訪ねようと河川敷の道にさしかかったところで、理沙の姿を発見した。浅瀬に両足を突っ込んだジャージ姿の醜い女の後ろ姿だ。中学の頃しか知らない人ならそれが理沙だと気づかないだろう。
私は河川敷に自転車を止め、岸まで下りた。ここだけは夏に水遊びが出来るよう、川に入っていける作りになっている。浅瀬から侵入し、迷わず川の中心へと進んでいく彼女の背中。それを近くのベンチに座って、持ってきたファンタを飲みながら観戦した。
「理沙ぁ、何してんのー」
一応、形だけでも、と思い、声をかけるとグシャグシャになった髪の奥からじろりと睨みつけられた。こう見るとまるで妖怪みたいだ。
「ジュスイしようと思って」
あ、答えるんだ。私は思わずファンタを噴き出しそうになった。笑いをこらえながら考える。入水、ねぇ。自殺と来たか。
思えば、彼女が今までやってきた行動も、自分を痛めつけるようなものが多かった気がする。理沙は意外と優しいのだ、他人を巻き込むことが出来ないお人好し。対して私は、ただそれを見ているだけ。卑怯者だ。
理沙の方を見ると川の中心にまでさしかかっており、水位は彼女の腰ほどにまでなっていた。それでも躊躇せず、奥へと入っていく。ずかずかと突き進み、そして―――向こうの川岸へたどり着いた。
「……え?」
きょとんとする理沙の背中に私はドッキリのネタばらしをするように声をかける。
「そこの水深、理沙の身長よりも低いよ。せいぜい多いときでも胸ぐらいまでの高さじゃない?」
そう言われた理沙は大きなため息をついた。
「全然気づかなかった。バカだね、あたし」
「うん。普通気づくでしょ。バカだよ」
理沙はそこで初めて爆笑した。笑いながらまた水の中を渡ってこちらへ戻って来る。渡り終えると、そのまま私の方へとやってきた。
びしょびしょの彼女の髪から雫が垂れてくる。私は座ったまま見上げる形で、彼女の顔をのぞきこんだ。
栗色の瞳孔。私はそれを見て、ぎょっとした。あの時と同じ瞳は笑いながら、泣いていたのだ。
「何、泣いてんの」
「教えてくれてもよかったじゃん。そこでは死ねないよって」
「……」
彼女は笑みを消した。無表情のまま泣いて、私を問い詰める。逃げられない。
「なんで、教えてくれないの。そんなにあたしのこと、嫌い? 嫌になっちゃった? ねぇ、実保ぉ」
理沙は私に詰め寄った。彼女の右足が私の両膝の間に食い込む。もはや形だけの完全体、その右足。私は、その形がとても綺麗で理沙の体の中で一番好きなのだ。それはまだ、ちゃんとここに残っている。
「そ、そんなことないよ」
「だから、そんな顔でウソ言われても騙せないよ」
理沙はそこでふっと笑った。もうやけくそで八つ当たりをするような言い方だった。
「もしかして、あたしに死んで欲しくないの?」
「そうだよ」
私の口は勝手にそう返事した。
「そうだ。死んで欲しくない」
私は焦った。今言っていることは、最近思っていることと真逆だったからだ。理沙はフラれた後面白いけれど、今はそれだけ。後はつまらない女の子。一緒にいたところで、もはやウザったさしか感じていない。正直死んでも私は気にしない。そう思っていたのに。
理沙は少し驚いた後、ニヤリと笑った。あのクッキーが不味い、と言った、少年のような、そして悪魔の笑顔だ。
「……本当に?」
私は同意をしたくなくて顔を伏せた。なんだか泣いてしまいそうだ。
けれど理沙は無理やり私に上を向かせると、自分の顔を近づける。
「あたしのこと、すき?」
それから理沙は私の唇を自分のものと重ねた。最初はくちゅくちゅと唇を食むようなものだったが、私が息継ぎをした瞬間に舌を入れてきた。少しどぶくさかったけれど、今まで忘れていた彼女の匂いが鼻腔いっぱいに広がる。
キスをするのは初めてだった。男の子ともやったことが無い。けれど理沙がその行為に慣れているということは分かった。何度も何度も私の知らないところで慣れるまでそれを繰り返しているのだ。
そう思うと、カッと脳みその温度が上がった気がした。無性に腹が立って理沙を突き放す。
理沙は息を整えながら、自分の口周りの唾液を人差指で拭った。それからべろりとそれを舐めとる。それから恥ずかしそうに私に訊いた。
「ごめん。……嫌だった?」
嫌じゃなかった。咄嗟にまたそう返事をしてしまいそうになって慌てて私は自転車の元へ駆け出した。
呪い、だと思った。このままじゃ取り殺される気がした。ここで堕ちてしまったら、私は一生理沙から離れられなくなる。そう直感的に思った。
だからなのかもしれない。翌日、学校に来ていた指定校推薦の大学。その入試の申込書を、理沙に黙って提出した。口では志望校は決まっていないのだと言いながら、地元から離れた大学へ申し込んだのだ。バレたところで、現状の理沙の偏差値では入学は厳しい。そう、いつの間にか、彼女と私の成績の順位は入れ替わっている。
思惑通り、秋には理沙に知られること無く大学の推薦を勝ち取ることが出来た。理沙はそれを違う友人から知ったらしい。彼女はそれ以来学校に来ることは無かった。もちろん、私と話すことも。メールや電話もきっと繋がらないだろう。彼女は縁を切るとき、すべての繋がりを断ち切る人だったから。
私はそれ以来、理沙と会うことは無く、これからもきっと会えないのだろう、と思っていた。
【二〇一八年】
私は、理沙に会いたくなかった。もう会わなくてもいい、とも思っていた。なんせ私の方から一方的に縁を切るようなまねをして、しかもそれが受理されたのだから。私の進学先を知った理沙は、高校を選んだ時みたいに志望校を合わせようとしていたはずだった。現に彼女が当時希望していた大学は私が適当に気になる、と言っていた大学だった。
私は理沙に会いたくない、もう彼女とは縁を切るのだ。勝手な真似だが、これは論理的ではない、防衛本能なのだ。それが私の本心。
そのはずだ。
それでも気になることはある。嵐の中の病院で私はすくりと立ち上がった。エレベーターで三階まで上がり、あの理沙が眠る集中治療室へともう一度戻った。
なぜ、事故の後、私の元へ連絡が来たのか。
家族や普段会っている友人、知人、職場の人間。それらをすっ飛ばして私の元へ連絡が行くのはどう考えても不自然だったからだ。だって私は高校時代、連絡を断ち切った元友人で、彼女にとってはもう無関係な人間なのだから。
だから、せめて二度目のお別れをする前にその疑問だけでも晴らしてしまおうと考えたのだ。また、やることが無くてつまらなかった、というのもある。
集中治療室の周りは重いと感じてしまうほどの沈黙が立ち込めている。誰にそのことを訊けばいいのか、なんとなく視線をさまよわせていると一人の看護師と目が合った。にこりと笑いかけられて会釈までされる。
私もぎこちなく返すと彼女は話しかけてきた。眼鏡をかけたふくよかなおばさん看護婦だ。
「ご友人の方ですか?」
「え、えぇ、まぁ」
否定も肯定もしづらく、私はたどたどしく言った。
「と言っても、数年前に会ったっきりで最近はまったく連絡を取っていなかったんですけど……」
「あら、じゃあどうして浜田様のことを知ったのですか? ニュース?」
やっぱり。私の疑問は間違っていなかった。
私はここぞとばかりに実は、とここに来た経緯を話した。看護師はそれを熱心に聴くと確かに気になるから確認をしてみますね、と言った。持っていた病院用の携帯端末から私の経緯を話し、何かを知ると通話を切った。
「経緯が分かりました。……あの、お持ちするものがあるのでここで待っていてもらってもいいですか?」
私が首を傾げながらも頷くと、もう一度ニコリと笑ってどこかへ行ってしまった。
しばらくすると看護婦は一冊のノートのようなものを持って現れた。どうやらそれは誰かの手帳で、血なのか油汚れなのかそれとも元からそうなのか、ひどく黒ずんで汚れていた。
「こちら、浜田理沙様の事故当時の持ち物だそうです」
訊くと、普段は個人のプライバシーに関わる物のため、事故を調べている警察にしか見せられないものらしい。けれど、私の疑念と私しか理沙を見舞う人がいなかったため、身内として見せてもらうよう、取り計らってくれたらしかった。
「これが、どうしたのですか?」
「このページを見てください」
看護師に言われるがまま、最後の方のページを開く。理沙はどうやら手帳についているカレンダー以外のページにはあまり書き込まないらしく、メモ帳部分にはその開いた箇所にしか書き込みは無かった。
『緊急連絡先
もし、私、浜田理沙が万が一の事態に陥ったときこちらの連絡先に連絡してください。』
そんな言葉の後、自分の両親、そして、『親友』と言う名義で私の電話番号が書かれていた。私の電話番号は高校時代から変わっていない。私が面倒くさがって、携帯からスマホに変えていても番号を変えないことは理紗に予想されていたらしい。
「事故で浜田様の携帯が壊れてしまったらしく、唯一すぐに分かる連絡先がこちらだったようです。なんせ手帳だけはここに運び込まれるまで大事に抱きしめていたらしいですから」
私は思わず想像した。横に傾いた暗いバスの中。右足を座席に挟まれ、意識を無くし、ぐったりとする理沙、その手元にしっかりと抱きしめられたこの手帳の姿を。その次に私はあの日のキスを思い出していた。あのどぶくささと理沙の匂い、そして今は亡い、私の両膝に食い込ませた美しい右足、その輪郭を。
理沙は、私の連絡先を―――私との繋がりを、断ち切らずに残していたのだ。
……なんで、なんでだ! 理沙!
あの日理沙がしていたように、その手帳を抱きしめる。抱きしめながら、私は無言のまま彼女を怒った。
理沙。私はあんたから何も聞いていない。別れてきた彼氏とのことやあの日なんでキスをしたか。それに私に一方的に縁を切られて何を想ったか、今まで何をしていたのか。
なぜ、今でも、私を『親友』と言ってくれるのか。
辛かったはずの日々を、私は隣にいることが出来なかったのに。……私はあんたを情け容赦なく見捨てた卑怯者なのに、なんで私を手放すことに躊躇しているんだ!
私は泣くことを我慢しようと顔を伏せた。それを咄嗟にやったところでおかしくて噴き出しそうになった。笑える。あの事故の連絡が来た時、私はなぜか大泣きした。理沙の(・)こ(・)と(・)を(・)想っ(・)て(・)大号泣したのだ。それだというのに、私はすぐに逃げ帰ろうとしたり、いいご身分だね、と言ったり。なんて冷たくて、器の小さい人間なんだ。私は今でも自分につくものでさえまともにつき通せない、ウソが苦手な人間みたいだよ。
私は懸命に涙をこらえながら、いかにもクールに看護師に訊いた。
「彼女は目を覚ますでしょうか」
看護師はそれだけは分からない、人それぞれだから、と首を振った。私はニヤリと笑った。彼女みたいに少年のような笑みは出来ているだろうか。
「じゃあ、大丈夫だと思います。彼女、自殺しようとしても出来なかったくらい、生き汚い女なんで」
【二〇一八年 回想】
「……松下さん? 大丈夫ですか、松下さん」
「理沙が…………事故………? なんで私の、ところに、で、電話が………」
「緊急連絡先にですね、貴方の記載があったからです」
あーあ、泣いてばかりで、聞こえちゃいない。
この時にもっとちゃんと病院の話を聞いていれば、すぐにそのことが分かったのに。もったいない。
泣きながら私は思っていたのだろう。彼女が私を責めるはずだ、そして今度こそあの呪いからは逃れられない。彼女から逃げることが出来ないのだ、と。
「松下さん、貴方のご友人は生きております。生きておられます。だから安心して今言う病院に来てください。いいですか――――」
この時、私の逃走は終わったのだ。
その後、私は嵐の中病院に閉じ込められ、理沙が目を覚ますまでそこに通うようになる。良くも悪くも私は理沙との付き合いを復旧させるわけだ。そしてそれは良かったことでもあり、これからの苦難を避けられなくなった、ということでもある。
そう。私が泣いていたのは、驚きと感動ばかりじゃないのだ。
あぁ、理沙からは逃げられないのだ。私は理沙を手放すことが出来ない。
そういった、ある種の絶望でもあったのだ。
【二〇一八年】
二〇一八年。昔よく聴いていたAquaTimezが解散した。安室奈美恵は引退し、TOKIOのメンバーが一人、わいせつ行為でテレビから消えた。大杉連や桂歌丸、樹木希林といった、芸能人に疎い私でもよく知っている人々もまた、今年天国へと旅立っていった。
天災も多い年だった。六月には大阪で震度六弱の地震が起き、西日本は豪雨にも見舞われている。九月の早朝に起きた北海道地震では、大規模な停電が発生したり、広範囲に渡って地滑りが起きた様子が日夜報道されていた。けれど数年前に起きた東日本大地震による被災地が少しずつ復興していくように、それらの土地もまた地道に再生していくことだろう。
私が学生時代に使っていた携帯電話は『ガラケー』と言われ、スマートフォンに進化した。件名にRe:Re:……と続いていく楽しさは無くなってしまったけれど、LINEの既読表記はとても便利だ。
大人になった。もう何かの文句を言うのはやめにしよう。
「平成が終わるよ」
何かの終わりに向かうような、行き止まりまできてしまったような、閉塞感。どん詰まり。そんな中で私達はまだしぶとく生きている。
「平成が終わるんだ。天皇が未来を想って生きたまま新元号へ託すらしいよ。まぁ、私的にはどちらにせよそれで毎日が変わるわけじゃないと思っているんだけどさ」
集中治療室からただの個室へ移っても、理沙はまだ目覚めていない。私は、無くなった右足がもたらした、ぽっかりと空いた空間に手を伸ばした。あんたが完全体ではなくなっても、浜田理沙であることは変わらないのだ。終わりはまだやってこない。
「けれどまぁ、平成は終わるよ、とりあえず。見たがっていた終わり。……理沙、感想聞かせてよね」
十二月、平成最後の冬だ。寒空が広がる関東地方の病院の一室で、私は親友の見えない右足にキスをする。
理沙の瞼が、ほんの少し、震えたような気がした。