第92話 俺は人間だった
【報告者】レポート④申請
征暦997年360日12時34分~13時45分
【錬金術師】フリカリルトおよび【錬金術師】イヴァポルートの当主候補二名の連名で第16次魔王侵攻が宣言される。女神教最終兵器『勇者のこころ』の利用が申請され、同刻、六大貴族上院議会の満場一致で即時許諾される。『勇者のこころ』の聖都からの移送開始。また街内に潜伏した竜のうち1体がS級冒険者【槍聖】率いる冒険者により討伐される。
【報告者】レポート⑤合流作戦と第二波
征暦997年360日15時04分~21時30分
東西南北の避難所間の通信連絡、人員移動の状況を復帰させるべく、各地へ疑似的な短絡経路の設置を実行。呼応するようにダンジョン内から竜種9体を含む魔物3千体が発生。第二次戦闘が発生する。南区⇔西区の経路設置に成功。西区⇔北区が物品移動のみの部分的な設置に成功。竜種5体を討伐するも、避難民に寄生し東区内に避難所内に侵入していた第一波の最後の竜種により東区が開かれ、陥落する。東区避難所に討伐し損ねた竜種4体を含む魔物2千体が雪崩込み、東区避難所にいた街民の半数以上が死亡。現在も被害者は増加中。
自分の形が保てない。
自らの存在に必要なマナを使いつくした俺の体はまるで風船のように押しつぶされた。
空気に、世界に溺れるように息ができない。
流れるマナの水圧が俺の胸を、肺をくしゃりと握りつぶす。
マナ枯渇に陥った俺は半日間、眠ることも意識を失うこともできず治療室で悶え続けた。
半日後、症状が落ち着いてきたタイミングで【報告者】から上げられていた報告を確認すると情勢は著しく悪化していた。東区は陥落し、狭苦しい北区避難所の外にも東区から逃げてきた生き残りたちでいっぱいだった。
「寄生されていないか検査しなければ入れません!!」
もう夜遅くにも拘らず、そんな言葉が避難所の外に響いている。〈聴覚強化〉のおかげもあるが、俺が入れられている怪我人用の治療室にも聞こえるほどの大音量だ。説明されていることを要約すると【雅樂】に寄生された街民によって東区が陥落したため、この避難所に入るだけでも検査が必要とのことだった。
「西区第2避難所は楽園跡地にございます!! 余裕のある方はそちらへの移動お願いいたします!!」
「余裕なんてあるわけないだろ!!」
「命からがら逃げて来たんだよ! ちょっとくらい入れてくれたっていいじゃない!」
外の言い合いは平行線のまま延々と続く。北区側の説明は妥当かつ適切なのだが、東区から逃げてきた彼らは必死でギリギリなのも事実であるだけにただ断ることしかできないというのは何とも無情な話にきこえた。
「東区の避難民の方々に連絡と相談です!! 皆様、ご安心ください。避難所内には入れませんが、避難所付近には対魔物用の冒険者を配備しています!! ですが、ここ北区には冒険者、衛兵隊の人数が限られますので可能ならば西区への移動をお願いいたします。西区は街外との通行が復旧しており、他領からの人員の増員が行われる予定です!!」
大声で流されるフリカリルトの説明に合わせるように頭の中で【報告者】のテロップが流れる。
〈速報〉22時30分:西区より街外への避難再開。神託前の子供を優先。その後は負傷者と低レベル非戦闘員の順で西区および南区から避難を実行予定。
「北は最後だとよ、兄貴」
「そうか……どうでもいい」
俺は治療室の横のベッドに寝かされている兄貴に話しかけると兄貴は本当にどうでもよさそうに膝から下が失われた両脚をばたつかせた。
兄貴たち、中央公園の仲間たちは第一波の際、飛来した二匹の竜と魔物の群れに襲われた。【犬獣】と【蝸牛】。竜たちは浮浪者たちを蹂躙したあと、すぐに飛び去り、一方はフリカリルトのもとへ、一方は東へ消えた。
フリカリルトの誘導で助けに来た冒険者が到着するまでのわずか数分もない間の出来事だったが、たくさん仲間たちが死んだ。一撃で足を奪われた兄貴は、まるで小虫を潰すようにぷちぷちと殺され、串肉のように貪られていく仲間をみていることしかできなかったそうだ。
「すまない、みんな……俺が弱かった」
「すまない」とうわ言を繰り返す兄貴の上を兄貴に憑いている女死霊がまわる。彼女にもいつもの元気はなく、ただただ俯きながら飛び回るだけだった。そしてふたりの上には何十もの公園の仲間たちの死霊が彼らを見守っていた。
「ナイ坊があの【蝸牛】を殺ったんだよな」
「はい」
せり上がってきた吐き気を呑み込みながら兄貴に向きなおると、彼はまるで縋るように俺を見上げていた。
「もし俺が……俺がナイ坊の半分でも強かったらあいつらを、一人くらい救えたのか?」
何を答えていいか分からず兄貴の顔を見返すと、いつもの精悍な笑顔はそこにはなく、ただただ無気力な絶望に醜く歪んでいた。
「兄貴! 兄貴のせいじゃないって」
「そんな事いわないでくださいですぜ」
「アテオア……」
【靴磨き】、【壁画絵師】も兄貴に憑いた女死霊が一緒に兄貴を慰めるようにぺしぺしと叩くが力もなくただ透けるだけだった。誰一人助けることもできず、意味もなく一人生き残った挙句、復讐するための脚すら失ってしまった兄貴を慰める言葉は俺にはない。俺は黙って切断された兄貴の脚を眺めた。
焼け焦げとともに切断された脚はどろどろの組織液が滲んでいる。腫れあがった肉は膿んで、主の意志とは正反対に生きようと命の鼓動を吐き出し続けていた。
「兄貴。あんたはまだ生きてる」
「そうだな……また一人だ」
がらりと扉が開き、ヒーラーが部屋に入ってきた。
「【槍聖】様、【舞踏戦士】様、ご体調はいかがですか?」
頭と片目に包帯を巻いた【介護師】の若い女性は兄貴を起こし、痛み止めを飲ませた。そして俺にマナ回復を早める薬を渡す。
「【槍聖】様は容体も落ち着いてきましたね。順調なら3日も経てば元通り動けるようになるかと思います」
「もういけるさ」
立ち上がろうとした俺を【介護師】が慌てて押さえた。
「いけません。【槍聖】様は竜種単独討伐の功労者です。街の総意としてあなた様を雑に扱うわけにはいきません。フリカリルト様からも完全回復するまで無茶させないようにと仰せつかっております」
【介護師】を振り払うとすると、兄貴も俺の腕を掴んで抑えた。
「ナイ坊、気持ちはわかるが今は休むのが正しい」
振り払ったら倒れてしまいそうな兄貴を振り払うわけにもいかず、俺は黙ってマナ枯渇の薬をのむと氷の飴玉を呑み込んだようなゾッとするほどの冷たさが喉元をすぎた。マナが体に染みわたり、カラカラに乾いた砂地に水を垂らしたようにマナはすっと体に染み込んで消えた。
「ああ、よかった効き目はばっちり!!」
「これで?」
「ええ。完璧です。これ、私の作った飴なんですよ!!」
【介護師】はケラケラと笑いながら嬉しそうに飛び跳ねた。そして兄貴にもうひとつ薬を飲ませてそして思い出したように俺に封筒を手渡した。
「あと、こちらが【槍聖】様への指令です。では私はこれで!!」
薬のついでにとばかりに渡されたそれにはフリカリルトの封がされていた。急いで封を切り、中身を確認する。そこに書かれていたのは決死の仕事、フリカリルトからのダンジョン討伐隊の指名依頼だった。
『ギルド指名依頼 A級冒険者【槍聖】ナイク
依頼主 【錬金術師】フリカリルト・ソラシド・マルチウェイスター
危険度 計測不能
討伐目標 ダンジョン :蹄の狭間
ダンジョン核:虚洞の貴公子(【雅樂】の魔王の幼体)
【槍聖】ナイク様には第四次討伐隊として【雅樂】の魔王討伐任務に当たっていただきたいです。拒否なさる場合は速やかなる街からの避難をお願いいたします。
詳細については内容決定次第報告させていただきます。本日出立予定の第一次討伐隊及び明日出立予定の第二次討伐隊の結果報告から本命部隊となる第三次討伐隊およびの三次隊の補欠部隊である第四次討伐隊の作戦内容を決定します。命令があるまでは常に連絡可能な状態で街内に待機してください。
現在判明している情報から推定された配下の魔物の総数は少なくとも一万。首魁、【雅樂】の魔王:虚洞の貴公子のレベルは5,500相当です。ご武運をお祈りいたします』
「第四次討伐隊」
言葉に少しだけ苛立ちが浮かぶ。
フリカリルトからの依頼はある意味予想通りだった。能力の仕様上、人が死んだあとにしか役に立たない【死霊術師】に補欠部隊が最適なのは何の疑いようもない。マナ枯渇回復までの療養を兼ねた正しい最善手。俺をダンジョン討伐の補欠部隊に入れるのはフリカリルトらしいあまりに冷静で賢い判断といえた。
一刻も早く妹を助けなればならないという俺の意志だけは無視した完璧な調整。
「ナイ坊、行くのか?」
「当然、四次なんて待っていられるか。一次で行ってやる」
俺の答えに兄貴はさきほどの絶望に満ちた顔を少しだけ優しく変えて笑った。
「それでいい。分かっているな。泥濘ちゃんはお前の鞘だ」
「鞘?」
「ああ、剝き出しの刃だったナイ坊に鞘ができた。みんな喜んでいたよ。やっとナイ坊が年相応のガキに見えたってな」
兄貴を睨むと、兄貴はまるで何かを託すように俺の目を見つめる。
「前言ったことを覚えているか? ナイ坊の強さは意味が分からないことだと。でも最近は違ったんだ。あの子がいる時のナイ坊は普通だった。プレゼントに何かっていいか悩んだり、掃除しないことをぶち切れられてしょげてたり、意味不明な化物ではなく、普通の、血の通った【槍聖】だった」
「普通の……」
「人は人とのかかわりの間で人間になる。ナイ坊はあの子といる時、人間だった」
兄貴はそういいながら俺にペンダントを渡した。
それは公園のリーダーの証、誰が決めたわけじゃない特に何の意味もない紋章だがそれでも俺たち公園組にとっては大切なものだった。
もうみんな死んでしまったからもはや誰が持っても意味がないものだが、それでも兄貴の周りを見守っていた何十もの公園組の死霊たちはペンダントとともに移動するように俺の方を向いた。
「少しだけ……昔話を聞いてくれ。俺はかつて安らぎ楽団というパーティに所属していた。幼いころから一緒にいた幼馴染や、音楽をとおして知り合った友人たちで組んだパーティだった。ある日、とあるダンジョンの奥で俺たちは竜の群れに出くわした。マッピング担当だった俺はひとり逃がされ、仲間たちが耐えている間に救援を呼んでくることになった」
兄貴が何が言いたいか、何がしたいのか分からず見つめ返すと、兄貴は乾いたように笑う。
「俺がS級冒険者を連れて、現場に戻った時、仲間たちはもう誰一人残っていなかった。骨すらかみ砕かれ、その辺の獣と入り混じって何がなんだかわからなくなった仲間たちの痕跡をひとりで弔ったんだ。今でも夢に見る。もしあの場に一緒に残り戦っていたら、もしS級冒険者を待たず付近にいたB級冒険者たちだけでもすぐに応援につれていっていたら」
「それは兄貴も一緒に死んだだけだろ」
「だろうな。そう、俺は正しい動きをした。被害は最小限で竜は討伐された。俺は皆から賞賛された、あいつらの家族たちすら俺を讃えた」
その時、再び頭の中に【報告者】のテロップが浮かんだ。
〈共有〉22時40分:討伐隊選抜メンバーへの説明会が執り行われます。該当の冒険者の皆様は各区通信室へお集まりください。
話もそこそこに、討伐隊の説明会に参加するために立ち上がる。部屋から立ち去ろうとした俺の背中に兄貴は言葉を投げかけた。
「俺は正しかった。だがそれに何の意味があった? 俺は今でも後悔し続けている。俺はあの時戦うべきだった。それで死んでも今こんな風に生きているよりずっと幸せだった。ナイ坊、俺のようになりたくないなら正しくなくていい、後悔しない選択をしろ」
兄貴を置いて治療室を出る。
後悔しない選択。
そんなこといったって俺はまだレベル100にも満たない雑魚だ。一人で何の策もなくダンジョンに潜っても助け出す筋道が見えない。
見えないんだよ。
勢いよく治療室の扉を閉めた瞬間、背骨を引き抜かれたような寒気に襲われた。周囲の明りが消え、真っ暗になる。意識すら消失しそうな不気味な感触が肌を撫で、全身を包むように肉に染み込んだ。
警戒してあたりを確認すると、部屋の外には先ほどの【介護師】がいた。何かのスキルで隠しているのか気配に一切読めないが、彼女?は相変わらずケラケラと笑いながら俺を眺めていた。【介護師】の顔面がぐにゃぐにゃに歪む。男とも女とも分からない不気味な存在と化したそれは、驚いている俺を見て「わかっている」とでもいうように頷いた。
「うんうん。正しくなくていい、いい言葉ですね。私たちにピッタリです!!」
「盗み聞きとはあまり気持ちよくないな」
「そういわないで。私たちは仲間ですよ。あなた様に主様から伝言があります」
「お前と仲間になっ……」
【介護師】が包帯を外して目を見せる。そこには義眼が埋まっていた。
邪神の義眼。
「レベルが欲しいのでしょう? 【死霊術師】」
眼球から真っ黒な肉が飛び出て彼女を覆う。
「Let's dance together tonight dont you?(どうだい兄弟? 今晩遊びに行かないかい?)」
まっくろな肉塊となったはそれはケラケラと笑った。
「六禁【百面相】……」
「We are 【A Pantoms】Wewe. (僕はウィウィ、【百面相】ウィウィ)」
目の前に現れたのは六禁【百面相】。同じ六禁の直感なのか初対面のはずなのに目の前の得体のしれない存在が本物の【百面相】であるという確信があった。
「Come midnight, I'll be waiting at the East Ward refuge. The hour to ascend has come. (深夜0時、東区避難所でお待ちいたします。さぁ、レベル上げの時間です)」
あとがき設定資料集
【介護師】
※HP 9 MP 2 ATK 5 DEF 5 SPD 3 MG 6
〜ぴんぴんころり! ぴんころり! お世話をします。あなたがよき死を迎えられるように〜
簡易解説:魔術系統の役職。魔術系統であるにもかかわらず、戦士系統の特徴を多く持つ非常に珍しい役職。MPが低く〈身体強化〉のような戦士系統のスキルを多く覚える。




