第88話 初撃にて墜つ
征暦997年360日12時00分00秒。
泥濘に手がとどく、
その瞬間、一気に空間が収縮した。
濁流のような力がすべてを流す。
椅子も、台も、照明も、職員たちも、観客たちも、死霊たちも、そして泥濘も。
まるで器の中の水を一滴残らず飲み干したように何もかもが飲み込まれる。
流れ込まれていく泥濘をみて俺は突き立てた槍を手放した。
「この馬鹿妹が!」
槍を手放して、流れに身を任せようとした俺の体を紐のようなものががっちりと掴んだ。見ればいつのまにか目を覚ましていたフリカリルトのツタが流れていく俺を抑えるように巻き付いている。手放したはずの㞔槍も逆に俺を掴み返してくる。
「放せ! お前……」
そこまで口にした途端、急に縮小は止まった。
ガラガラと音を立てて、足場が崩れ落ちる。フリカリルトのツタにぶらぶらと吊るされながら、俺はフリカリルトと目を合わせた。
あたりは暗かった。
光源がなくなり、急激に暗くなった目の前には巨大な穴があき、崩れ落ちた天井から少しだけ差す日の明かりが、さっきまで卵があった場所をほのかに照らす。オークション会場の舞台はすべて飲み込まれ、地面のはるか下方まで果てしなく深淵が広がっていた。
「止まった?!」
「いや」
まるで胎動するように地下全体が上下に震えるように揺り動く。そして深淵から巨大な眼球がこちらを覗いた。身長の何十倍も大きな瞳が、俺とフリカリルトをギョロリと見つめる。
「虚洞の貴公子」
フリカリルトのつぶやきは、空っぽの会場に馬鹿みたいに安っぽく響いた。がらんどうのオークション会場に残っているのははたった3人だけ。
天井にぶら下がって吸い込まれるのを耐えたフリカリルトと俺。
そしてもう一人、【毒婦】アラカルトは深淵の縁に立ちすくみ、ただ茫然と穴を見つめ泣いていた。彼女は幼子のように泣きながら何かつぶやいていた
「ミコちゃん……」
地下に流れ込んでいた湿った風が凪いた。
眼球が消え、深淵からウネウネと無数の蟲が這い上がってくる。それはまるで水かさを増す洪水のように、【毒婦】の脚を、腰を、全身を呑み込んでいく。
「ミコちゃん……アラちゃんもそっちにいくね」
吞み込まれる直前、彼女は少しだけこちらを見て寂しそうに微笑んだ。そしてフリカリルトにむかって何かを投げた。
「フリフリにあげる。本当わミコちゃんにあげるつもりだったんだけどなぁ……」
「アラカルト?」
ぽーんと放り投げられた使い古した小さなお人形。ボロボロにほつれた手作りの人形は、ぽすりとフリカリルトの胸に収まると、吞み込まれていく【毒婦】のほうに手をのばして、ふるふると首をふった。
『ダメぇ、あーちゃん』
アラカルトがフリカリルトと人形に手を振る。そして彼女は、【毒婦】アラカルト・ソラシド・マルチウェイスターは蟲に全身を呑まれた。輪郭を残して埋まっていく彼女にふたりが手を伸ばす。
「アラカルト! めちゃくちゃやってひとり逃げるな!」
『アラちゃんのバカ!』
「フリフリ、メメちゃん……ばいばい」
一拍にも満たない沈黙の後、俺たちはまるで何かに拒絶されるかのごとく上に弾き飛ばされた。
まるで木片のように会場から天井を突き破り、上に舞い飛ぶ。
きりもみしながら俺たちはぶっ飛んだ。
地下30階
地下29階
地下28階
地下25階
地下20階
地下15階
:
:
地下街の吹き抜けを飛ぶように駆け抜ける。
途中、どこかの階にぶつかったのか肩の骨が砕け散った。
衝撃で頭が真っ白になりそうになる。
『うぎゃー』
『はわわわわー』
地下10階
地下05階
:
:
フリカリルトのツタが彼女自身と俺と人形を掴み、くるくると一つにまとめる。朦朧とする意識の中、何かと混線したのか、俺の中の死霊たちに混じっていくつもの声が聞こえた。まるで街中から集めているようなそんな音。
『アラカルト様! アラカルト様! 竜です! 空から竜の大群が! 応援を! 構成員を浮遊街に! 最高レベルは999相当!』
『ほわぅわー』
『アラカルト様! 助けてください! 飼育区の魔物が! 急に言うことをきかなうわぁぁぁぁ』
『にょーぉぉぉぉ』
『アラカルト様! 地下から蟲が! なんなんだよこいつら! 多すぎる!』
『はやいぃぃぃぉぃぃ』
『アラカルト様! ここはどこ?! どこですかアラカルト様!』
『あばばばばば……』
そのまま地下街の最天井を突き破る。
地表を突き破った俺たちはどんどんどんどんと高度をあげ、そのまま浮遊街に激突した。
『もぎゅー』
訳もわからず転がりながら浮遊街の一室に転がり出る。ごろごろと回りながら俺はタンスに強く頭を打ち付けた。タンスの中身が飛び出てばさばさと降りかかる。アラカルトから渡された人形もフリカリルトの胸から飛びでてころころと転がり、俺の顔面に激突した。
『もぎゅぎゅー』
口に入った金色の糸くずに咳込みながら顔にへばりついたそれを引きはがし、つまみあげるとそれは俺をみて、ぷんっと顔を背けた。そのままぺちんと俺の手をはたいて、そのままフリカリルトの元に走っていった。
「め、女神様?」
『メメちゃんだもん……メメちゃんだもん』
「メメちゃん様?」
『アラちゃんのバカ! アラちゃんのバカ! アラちゃんのバカ!』
人形がじたばたと暴れる。慰めるようにフリカリルトが人形を撫でると人形は少しだけおとなしくなった。何やら二人が話し込んでいる間に自分の怪我を確認する。地下30階から勢いよく吹き飛ばされたが、フリカリルトのツタが衝撃を逃がしてくれたおかげで骨が数本逝ってるだけで、命に別状はない。
飛び込んだ先は何かの資料室のようであった。
タンスから転がり出てきた〈ヒール〉のスクロールをつかって傷を治す。フリカリルトをみると彼女も人形に急かされながら同じように傷を治していた。
「フリフリ! はやく! はやく! そとにでて!」
人形がぺちぺちとフリカリルトの手を叩く。人形に手を引かれるように外にでると、浮遊街の住民たちが集まって何かを見ていた。
「フリカリルト様に……【槍聖】?」
俺たちに気が付いた彼らが一瞬だけこちらを見つめる。だがその視線は俺たち通り過ぎ、すぐにまた浮遊街の外のマルチウェイスターの街にうつっていった。つられて外を見ると、彼らの視線の先、街の至る所から火が上がっていた。
赤い燃え滾ったような石が次々と空から街に降り注いでいる。
「赤黒の落雹が空を覆い、街には幾千の骸が降り注ぐでしょう」
街に落ちる石に混じって、翼の生えた竜が何匹も街に降り立っていく。竜たちは降りた場所で、大きく翼を広げて、ブレスを吐き、さらに大きな火の手をあげた。
「そんな……街が」
「何が、何だか…….」
「フリカリルト様、一体何が起こっているのですか?」
街民たちが声を漏らす。燃える街をみてフリカリルトが顔をしかめる。
「こんなことになるなんて……」
色々なことが一度に起こりすぎて俺も頭の理解が追いつかない。
が、ただひとつだけ分かっていることがある。
俺は一刻も早くあの馬鹿妹を迎えに行かないといけない。
『手からこぼれたものは二度と帰らないでしょう』
内なる死霊の誰かがつぶやく。俺はしばらく浮き上がってこれないように発言した奴を意識の底まで沈めた。いくら魔界だろうが、アレは【魔物使い】だ。ダンジョンで死ぬわけがない。
馬鹿なことをいうものじゃない。
『珍しい』
『おこった』
『おこった』
『おこってる』
内なる死霊たちのツッコミを無視して槍を握り直す。街の状況は気になるが、今すぐにでも地下に戻らないといけない。近くの短絡経路の方に向かおうとするとフリカリルトに抱きしめられた人形が騒ぎ出した。
『みんな! そっちじゃないの! 上!』
人形がぽんぽんとフリカリルトの胸で跳ねる。その時、上方でふたたび大きな音がなった。もはや暴力と言えるほど轟音が、大気を、浮遊街そのものを振るわせる。そしてまだ昼間であるにも関わらず一気に暗くなった。
「何……あれ」
フリカリルトが指差した方を全員で見上げると、目を疑う光景が広がっていた。
巨大な、
巨大な、
巨大な隕石。
影が街を覆いつくすほどに、あまりにも巨大な灼熱に熱された隕石が空から落ちてきていた。
ただひたすらにこちらに迫りくる圧倒的な大きさ。
徐々にしかし確実に、視界が隕石で覆われていく。
「な!?」
「あれはなんですか? フリカリルト様!!」
「なにって……鑑定結果:識別名【隕鉄】落石注意!!!。レベル999」
大気が上下に震えるように揺り動く。
熱気を感じるほど迫りくるその物体は浮遊街目掛けて一直線に向かってくる。
「嘘だろ」
「おいおい……ぶつかるぞ!」
「え」
「あ、あ、あ」
恐慌状態に陥る街民たち。
回避は絶望的。
俺は反射的に〈ヒール〉のスクロールをかき集め、握りしめて衝撃に備えた。
ぶつかる、と思った。
その時、轟音と共に目が眩むほどの光が目を焼いた。
「まぶし……」
浮遊街の上の方から何か太い光線が放たれ隕石を貫いた。空間を歪めるような凶悪なエネルギーの塊はまるで乾パンを叩き切るように光が灼熱の岩の中心を貫き、そして切り上げるように真っ二つに切断した。
『イヴァちゃん。もうつかっちゃうんだね』
「でもそのやり方じゃ破片が……きゃあ」
切り裂かれた落石注意!!!が砕け散り、数えきれないほどの破片が降り注ぐ。
「うわぁぁぁぁぁ」
「おおおおおおお」
空を覆いつくす、赤黒の落雹。
燃え滾った石が建物を砕き、
地面を抉る。
フリカリルトとともに飛んでくる破片を薙ぎ払って街民たちを守る。何十何百の落石を槍で弾き飛ばし、雨のようにふりつづける落石を何とか耐える。砕いた破片でくるぶしまで石に埋まりそうになるほど耐え続けて、ようやく落石は終わった。
「はは、なんだこれ……」
痺れた手を突き、項垂れる。助けた浮遊街の住民たちが口々に感謝を述べる中、急に地面が揺れた。
「今度はなんだ?」
ぐらりぐらりと横に揺れ、そして浮遊感が体を襲った。
落ちている。自分の体がではない。街全体が、浮遊街が落ちる。浮かぶ力を失ったように浮力を失い落ちていく。すぐにでも落ちようとするのを誰かが堰き止めているのか、街はゆっくりゆっくり沈むように優しく横たわっていった。
「そんな僕らの街が……」
「千年間浮かび続けていた浮遊街が……墜ちる」
絶句したように立ち尽くしている街民たちとともに落ちる。
どういうわけか街のありとあらゆるところに置いてあるヒールのスクロールのおかげで被害者は意外と少ないが、それでも数千、いや万は死んでいるかもしれない。
浮遊街は、いや街は死屍累々だった。
浮遊街が軟着陸すると同時に粉塵が舞い上がり、そしてポーンとどこか聞き覚えのある木琴のような音が鳴った。
『緊急事態です。緊急事態です。皆さん、ご無事ですか? 僕、【錬金術師】イヴァポルート・マルチウェイスターからご連絡とお願いがあります。征暦997年360日12時00分を持ちまして、第16次魔王侵攻が確認されました。初撃の首魁:落石注意!!!は浮遊石のマナ使用により迎撃に成功いたしましたが、街中に残党竜種および第二波の存在が確認されております。緊急事態です。街民の皆さんは衛兵隊および冒険者による誘導に従い、おちついて街からの避難をお願いします……これは訓練ではありません。繰り返します……これは訓練ではありませ……ん』
もはや機能を失った短絡経路から聞こえる声が途切れ途切れになっていく。
浮遊街は墜ち、空を竜が飛び、街の至る所で火の手が上がっている。どっちを向いても凄まじい数の死霊たちが今や、今やと生まれていっているのが聞こえた。
見慣れた街の風景はもはや見る影もなかった。
「魔王侵攻……これがただの初撃」
征暦997年360日12時07分00秒。
発生から7分。浮遊街、初撃にて墜つ。
あとがき設定資料集
【報告者】
※HP 05 MP 05 ATK 01 DEF 01 SPD 09 MG 09
〜わたしは本件の女神の報告者である〜
簡易解説:どの系統にも属さない特殊な役職。以下、この度【報告者】を授けた【報告者】モンドヴィにレポートとして第十六次魔王侵攻事件についての報告レポートを作成していただきます。モンドヴィちゃん、突然の任命となりましたが、非常に重要な役目です。よろしくお願いいたします。ホント、アラちゃんのバカ。




