第82話 毒王の次は死王でも出たか?
それは視覚を圧し潰す混沌。
それは脳を蝕む快楽
それは心臓を破裂させる情動。
ズタ袋を䚖った、光すら黷けがし呑みみみみ込む、混沌のような灪麗と甘い劇薬のような危険な香り。こここれが、【毒婦】アアアアアラカルト。
「ナイク、落ちつけ」
泥濘が後ろから俺に覆い被さり、鼻を摘まんだ。そして口を塞ぐように【擬態壁】を貼り付ける。
「男がアラカルト様と対面するときは絶対直接呼吸するな」
「特1は本来男性が相手するものではありません」
横を見ると、何処から取り出したのか【毒見】が派手な対毒マスクを【探偵】にかぶせている。アラカルトの周囲にいる人々がまるで取り疲れたようにアラカルトに近づき、ビクビクと脈動して倒れていく中、フリカリルトがぱちんと指を鳴らして、周囲と隔絶するようにツタが俺たちの周囲を切り離した。
「〈七哥〉。アラカルト、これで音は聞こえない」
「フリフリありがとー」
フリカリルトのツタに取り残されたのは、俺と泥濘、執行部隊のふたりにフリカリルトアラカルト姉妹。そしてアラカルトの脇に仕えている髪の長いくるくると縮れ毛の邪神の耳飾りの青白い女。
女はちらりとこちらを見て懐かしそうに頷いた。
「久しぶりですね、【仮聖】」
彼女は隠匿竜の時に世話になった占い師。S級冒険者にして随伴組織最高幹部【天気占い師】コラクリ。フリカリルトから山札を渡された彼女は牌配人のようにカードを切った。
「泥濘。アラカルト様の御前よ」
「はい! 申し訳ございません」
【天気占い師】に言われて泥濘が慌てて跪いて臣下の礼をとる。アラカルトはそんな泥濘に向かって気安く首を振った。
「コラちゃんも泥ちゃんも、そんなに気にしなくていいよー」
「はい。ありがとうございます。アラカルト様」
「いいよー、この場所がーしんどくなったらすぐ言ってね。爩籟ちゃんわ部下思いなのー」
泥濘にそれだけいうと、アラカルトはゆっくりと卓に座り、自分に配られたカードを見つめた。心臓の動悸が強すぎて言葉を発することもできない男たちに代わって、【毒見】と泥濘が【天気占い師】に配られたカードを受け取る。
「ゲームは黒い婚約指輪。アラカルト? 一巡で終わるよね」
俺たちの対面、アラカルトの横に座ったフリカリルトがそう確認すると、アラカルトはこくりと頷き、執行部隊の二人の方を向いた。
「【毒見】ちゃん。ごひさー、どう? 一番隊のみんなの容態わ」
「特1! 貴様!」
「えー、爩籟ちゃん、そのあだ名嫌い。ちゃんとアラちゃんって呼んで?」
ズタ袋のせいで見えないが、少し不満そうに頬を膨らませている。ズタ袋の下を想像するだけで心が硬くなる。俺の、そんな様子を察したのか泥濘は再び俺に覆いかぶさり鼻の次は眼を覆った。朦朧とした視界がさらにぼやけ、何重にも【擬態壁】を通した情景に変わる。
「アラカルト、遊んでないで本題。せっかくリカルドに隠れてナイクたちにつないだんだから喧嘩しないで」
フリカリルトが少し怒ったようにアラカルトを睨む音が聞こえる。泥濘が俺の代わりにカードを出し、そしてフリカリルトに当てられてその回は大敗した。
「何の用ですか? わたしたちは賭場で普通に遊んでただけ。特……アラカルトさんに目つけられるようなことしてない」
「普通なの? こんなに勝っちゃって。爩籟ちゃんも思うところがあるんだよー。ねぇ【仮聖】ちゃん」
アラカルトがそういいながら俺の方を向いて少しだけズタ袋をめくる。
アラカルトの金の瞳が俺を射抜き、
意識がふっとぶほどの衝撃が脳を犯した。
靈籲
龘龗靐 鱻鱻䲜籲 鬱驫鸞灩 靈麤齉齾
龖䨻灪籟 䖇䖅䶫䶑 䴑䴒䂅䆐
龘龘籲 籲籲龘
靈籲
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龖䨻灪籟 䖇䖅䶫䶑 䴑䴒䂅䆐
龘龘籲 籲籲龘
体が、頭が吹っ飛ぶほど熱くなり、何も考えられなくなる。
朦朧とした意識が、快楽にまみれた妄想という名の夢に沈む。
あー、あー。あー、あーあー、あーあー、あーあー、あーあー、あーあー、あーあー、あーあー、あーあー、あーあー、あーあー、あー、
うー?
つま先に鋭い痛みが走った。
向かいに座るフリカリルトに足を踏まれて、俺は飛び起きた。どれだけ時間意識が飛んでいたのだろうか。さっきまで俺の手元に山積みになっていたチップのほとんどが無くなり、代わりにアラカルトとフリカリルトの所に積まれている。
「【仮聖】ちゃんも起きたし、そろそろ本題だよー。アラちゃんから依頼です。【仮聖】ちゃんたちにわー随伴組織の裏切り者を探して欲しいのー」
「「裏切りもの?」」
アラカルトの言葉に組織構成員である泥濘までもが驚いている。
いつの間にそんな話に?
というかどうして俺たちに?
普通なら、彼女の横の【天気占い師】のような信頼できる部下に振る仕事だ。信頼できない外様に内情を暴露してまで協力を仰ぐようなことじゃない。
そんな疑問に答えるように【天気占い師】は上を指さした。
「赤黒の落雹が空を覆い、街には幾千の骸が降り注ぐでしょう。毒王の朽ちた愛の隙間から零れた赤い血が大地に吸われるその前に、貴女は逃げなければなりません。さもなくば死が、誇りも、名誉も、愛もない、冷たく腐った霧が貴女の肺を満たすでしょう」
【天気占い師】が静かにそう吟じ、今度は地面を指さした。
「明後日の正午になにかが起こります。原因は毒王の愛するものの誰か。でも私には構成員は近すぎて誰が犯人なのか詳しく占えない。だからフリカリルト様に頼んで使えそうな冒険者を見繕ってもらいました。怪物メルスバル殺しの【仮聖】、依頼するのにこれ以上ふさわしい人もいないでしょう。執行部隊と手を組んでいたのは意外でしたが、それもまた都合がいい」
「アラちゃんもそう思うのー、がんばってね【仮聖】ちゃん」
ズタ袋の女がひらひらと手を振って卓から立ちあがる。まるで話がまとまったようになっているが俺は何も納得していない。そもそも報酬はどうなっている?
そういう意思を込めてフリカリルトを見ると彼女は大きくため息をついて姉を呼び止めた。
「アラカルト、冒険者はあなたの部下じゃない。報酬の話」
「あーっ、ごめんね。フリフリ。報酬わ邪神装備だよ」
【天気占い師】が脇に抱えていたトランクを開くと中にはいくつもの邪神装備がずらりと並んでいた。
耳飾り、腕輪、足輪、冠、義眼、そして心臓。
心臓を除いてどれも複数個ある。朦朧とする意識を集中して中を確認すると腕輪は5つあった。
「先払いだよ、きて」
アラカルトが【毒見】に手招きする。まるで【幻惑樹】の蜜に引き寄せられた【血蝶】のように彼女はアラカルトの傍に吸い込まれた。
アラカルトの手で【毒見】の右耳に邪神の耳飾りが付けられる。
「特1……?」
「アラちゃん、でしょ。【毒見】ドローレン・ミラミリース・キリガクレ。かーわーいぃー」
「アラカルト様から直接賜るなんて最高幹部でもないことだよ。よかったですね。【毒見】」
アラカルトに触れられて固まってしまった【毒見】の前でアラカルトがポーズをとる。【天気占い師】が嬉しそうに二人の射影を撮影した。
「これであなたはアラちゃんのもの。期待してるよー」
「な……」
「やめい……ドク……話を聞いた以上……受ける以外の選択肢があらへんのやろ?」
息も絶え絶えになりながら【探偵】が話に割って入る。アラカルト様はチラリと彼の方を見て少し不満げに口を尖ららせた。
「撮影会の邪魔しないでよ」
アラカルト様が【探偵】を見つめた。
籠䖇䖅䖆 鬱氣靈香
靐爩灩聲 龖骨齾籲
䶫夢麤冥 鸞影靈毒
齉齉籟籟 幽籟
鬱籲靈籟 齉香灩聲
龖夢靐魂 鸞影驫寂
麤骨䶫冥 靈籲幽龗
龘龘死籟
強烈な甘い香りと共に体が熱くなる。俺がやったわけでもないのに心にアラカルト様の邪魔をしてしまったことへの強い罪悪感が沸いた。【探偵】の方を見ると、彼は眼を血走らせながら唇をかみしめ、罪の意識に耐えられないように呻っている。
【毒婦】の相手は雄じゃダメだ。
アラカルト様のお姿を見ながら、自分の意識を心の底に落とす。そして表層に内なる死霊たちの中の、特に気の強そうな女たちを上に押し上げた。
ローベルメ、ラクリエ頼む
『お、任された!』
『ラクリエ頑張ります!』
『えーラクリエはともかくなんでローベルメ』
『ぶーぶー』『ぶーぶー』
『せんしゅつミス』
『ちょいすばつ』『せんすぜろ』
『きこえなーい。いっちょいきますか!』
『補助は私が』
ローベルメたちが体の、心の操作を奪う。
「なぁ【毒婦】、その辺でやめてくれない?」
「ちょっとナイク?」
泥濘が口答えした俺の方を向き、驚愕した顔をした。泥濘からつけられた目と鼻の【擬態壁】を外す。それを見て、泥濘だけじゃなく、【天気占い師】もフリカリルトも口をあんぐりと開けた。
「お前は俺たちと組みたいんだろ? そうやって脅すのは違うんじゃない? 誠意に欠けるなぁ」
「爩籟爩籟爩籟爩籟爩籟、爩籟ちゃんビックリ。やっばー、すご。さすがフリフリの切り札だ」
アラカルトがズタ袋の下で嬉しそうに微笑む。
強烈に甘い匂いが鼻から脳に突き刺さる。筋肉は硬直し、腱が屹立する。唇は震え、瞼が収縮する。肉体は明らかに不調をきたしているが、異変は俺の魂までは犯せなかった。体を脳ではなく、魂で動かす。
「一個じゃたりないよ? 全部。耳飾り、腕輪、義眼は全部渡してくれないと割に合わにゃいじょ?」
微妙に回らない呂律で文句を言って槍を握り、そのまま卓から立ち上がって、ズタ袋の女を睨みつけた。
「なぁ? そう思わないか? 六禁」
「あはっ、いいの? 爩籟ちゃん、わくわくしちゃった。【死霊術師】」
「舐めた真似しえると殺すぞ、【毒婦】」
ズタ袋の穴からアラカルトの金の瞳が見える。
「夙夜の思い出をあげる」
「お歌の時間だ」
「止めなさい!!!!」
フリカリルトのツタが俺とアラカルトを遮る。泥濘が俺の体に抱きついて止め、【天気占い師】がアラカルトの前に立ちふさがって主を抑えた。
「ナイク! 味方! アラカルト様は味方だから」
「アラカルト様、ここで【仮聖】を殺すのは悪手! 悪手です!」
アラカルトは束の間考えたように止まり、そして萎えたようにふぅと吐息を吐いた。その甘い甘い吐息で卓が溶けて、金属製のその卓は一瞬でシュワシュワと音をたて液体になった。
「ナイクちゃん、勘違いだよー。今の一個は先払い分、成功報酬で全部あげるよー。だからお願いねー」
「はじめからそういえよ」
「アラちゃん、オッチョコチョイ!」
『㊙指名依頼 A級冒険者【槍聖】ナイク
依頼主 【薬学士】アラカルト・ソラシド・マルチウェイスター
危険度 不明
討伐目標 不明
随伴組織に明後日997年360日に異常事態が発生するという占いが出ました。詳細は不明ですが、随伴組織構成員の中にこの異常事態を誘起させようとしているものがいるようです。その人物を突き止め、異常事態を未然に止めてください。この依頼にともないオークション初日に予定されていた邪神装備の競売は最終日に延期となりました』
邪神の腕輪獲得クエスト開始。
予言の時間まであと30時間。
ちなみに賭け事の方は泥濘と【毒見】がソラシド姉妹にボロ負けして、稼いだ額を全部失った。
その後、俺たち4人は随伴組織の占いの館に案内され、【天気占い師】から今回の依頼の詳細を聞くこととなった。手掛かりとなりうる情報を貰い、随伴組織構成員であるため占いを受けられない泥濘を除き、全員がそれぞれ別々に【天気占い師】の占いを受ける。
水晶を片手に薄く微笑む【天気占い師】と、側近のモノクルをかけた妙齢の女史【代理人】。
「懐かしいです。【仮聖】、あの頃はあんなに可愛らしかったのにこんなに凶悪に育ってしまって。期待通りです」
「ここまで生きてこられたのは、あんたの占いのおかげだよ」
「それは占い師冥利に尽きますね。自分が育てたようでうれしいです。ですがまたさっきのようにアラカルト様に害をなすというなら容赦いたしませんよ」
【天気占い師】がピンっと指で左耳の耳飾りを弾く。
「随分と尊敬しているんだな」
「ええ、アラカルト様こそ次代の王にふさわしい。アラカルト様はお優しい。分かるでしょう。アラカルト様は泥濘が心から【死霊術師】のもので、【死霊術師】のためにしか動かないことも分かって受けれていらっしゃる。恭順するものに大いなる慈悲を、敵対するものに心すら犯す毒を」
【天気占い師】の言葉に【代理人】も賛同するように頷いた。
「一般論だな。それだけじゃないんだろ? 身近な人物への尊敬とは特別な思い出があるものだ」
「【仮聖】、ひとつ忠告です。人の過去は詮索するものではない。特にこういう後ろ暗い組織ではね。貴方もそうでしょう。神託官殺しの罪人漁り【彫刻家】ナイク」
【彫刻家】は俺が故郷を出てすぐに使っていた偽名だ。ガンダルシア地方で【祭司】殺しの犯罪者として手配されている名前。
「いえ、こういった方がいいでしょうか。冒涜の【死霊術師】ナイク」
「まぁ知ってるよな」
随伴組織はアラカルトを頂点とする組織である。地下に住まう毒の王、現在の当主の姪にして存在を許されぬ六禁【毒婦】である彼女の存在はマルチウェイスターの街にとってある意味、公然の秘密であった。秘密にされている理由は簡単、4年前のマルチウェイスターを血の海に変えていた権力抗争を終わらせたのが彼女だから。
「アラちゃん、抗争つまんなーい」
そういって当時の随伴組織の最高幹部達と総統であった自分の実の母親を殺害したアラカルトは、そのまま生き残りたちによって総統に担ぎあげられ、随伴組織は今の形になった。
地下を覆いつくす美しい黄金の毒花の園と花の守り人たち。手を出せば手が溶け落ちるが、触れなければ地下からは出てこない穏やかで優しい劇物。街民は敬意と恐怖を込めてアラカルトの正体をいたずらに漏らそうとしなかった。
故に【毒婦】の存在は国中には公表されておらず、アラカルトは大々的な討伐対象にはなっていなかかった。まぁ噂を完全に止めることはできないので執行部隊は知っているようだが。
六禁を隠し、それを維持する財力と規模、権力のある組織、それが随伴組織。そしてそれが泥濘が随伴組織入りを望んだわけでもあった。
「アラカルト様は神と話せるのです、それくらい調べることは造作もありませんよ」
【天気占い師】が俺の手に触れて何かスキルを発動する。
「では占いましょう。貴方の未来を。貴方の心を、体温を、知恵を、記憶を、そしてマナをその全てを感じて貴方の未来の天気を予測する。それが私の〈天気占い〉」
【天気占い師】は俺に触れそして後ろに飛び退いた。
「なんだ? 何が見えたんだ? 毒王の次は死王でも出たか?」
「明後日の昼までは快晴、その後豪雨。血の雨が降るでしょう。鳴りやまぬ絶死の雷が訪れます。お出かけの際は必ず、必ず……必ず固まって行動してください。貴方の手から溢れたものは二度とは返らないでしょう」
「はぁ? 血の雨? それが明後日から起こる異変のことか」
「まさか……これは」
【天気占い師】は真っ青になって視線を泳がせた。大規模クエストでも見たことのないほどの焦り方をしている。
「そうか、御子様……だから組織に……ああ、しまった」
「どうしました? コラクリ様」
見慣れているはずの【代理人】すら主人の姿にどうしていいのか戸惑っていた。
「急ぎなさい、飼育区です。このままじゃ死ぬ。みんな死ぬ。貴方にできるのはその死を無駄にしないことだけ。みんな死ぬ。貴方の友も、仲間も、街が堕ちる。残るのは幾万の死骸、皆死ぬ。御子が死に、魔が訪れ、皆死ぬ。随伴組織も、そして貴方の妹も」
隠匿竜討伐のキッカケを俺に与え、そして【死霊魔術師】をも言い当てた随伴組織最高幹部、空読みの【天気占い師】コラクリは冷酷に俺に告げた。
「このままでは泥濘は死ぬ。それも数日以内に」
そして自らの〈バレット〉で自分の頭を撃ち貫いた。
あとがき設定資料集
【天気占い師】
※HP 3 MP 3 ATK 3 DEF 3 SPD 9 MG 9
〜今日の天気は昼までは快晴、その後曇りのち雨でしょう。夕方には豪雨が予想されますのでお出かけの際は必ず傘をお持ちください〜
簡易解説:魔術系統の役職。魔術系統役職の中でも特に強力な未来予測系役職の一つ。天気占い師はその中でも1日から数日単位の予測を非常に得意とし、その日の占いを外すことはほとんどない。




