第79話 赤い繭
征暦997年357日。
ダンジョン:蹄の狭間発生の3日前。
新年を7日前に控えたその日、俺はようやくできた泥濘向けの冒険者衣装をとりにいっていた。
リテイク6回目である。
西教区のはずれ、短絡経路の真横にある『知恵川の畔』というひどく上品な宿にはいる。貴族がお茶会でもしそうなほど美しいたたずまいの庭を抜け、どこからどう見てもお高そうな装飾の入った扉を開ける。
扉の奥には、これまた優雅な空間が広がっていた。純白の布に一滴、泥を垂らしたように、場違いな居心地の悪さが身を襲う。シミ抜きですぐにでも洗い流されそうな視線を感じながら受付に進むと、先にいたご婦人がなんだこいつ?という言葉が聞こえそうなぎょっとした顔をして俺を見た。
そんな顔しなくても俺だって場違いである自覚はある。
「いらっしゃいま……義兄さん!」
受付をしていたビックリするほど美人で上品な娘が俺の顔をみるなり嬉しそうに飛び跳ねてこちらにやってきた。泥濘の妹、【針子】ミラージュ・ネクロス。本当に容姿だけは泥濘そっくりだ。
「こら、ミラージュお客様置いてはしたない。申し訳ありません【庄屋】さま」
これまた上品な老紳士が【針子】ミラージュの代わりに客の相手をする。
「いいわよいいわよ。そちらの冒険者さんは、ミラージュちゃんの恋人かなにかかしら?」
「いえ、彼はミラージュではなく……」
「あっ!あー。そういう? リネージュちゃんのか。それでこんな……【宿場主】さんも大変ねぇ」
それだけ聞いていると、泥濘の妹に袖をひっぱられて宿の裏に連れていかれた。
「義兄さん! 殺気漏れてる漏れてる! お客さんだから!」
「今も泥濘の悪口言ってるぜ。〈聴覚強化〉でこの距離でも聞こえる。まぁいつものことだ。で、また衣装ができたって聞いたんだが」
「そうです! できました。今回は自信あります! ちょっとここで待っててください!でもお客さんのとこにはいかないでくださいね。お客さんビックリしちゃうので!」
泥濘の妹、【針子】ミラージュ・ネクロスはまたピョンと飛びはねて衣装をとりにいった。
びっくりか……そんなに俺不細工かな。
『こわい』『ぶきみ』
『きけん』『しれいじゅつし』
『ナイフなめてそう』
『うまいぜーこの㞔槍!』
『レロレロレロレロ!』
内なる死霊たちの発言を無視して宿の裏口で待っているとこれまたひどく上品で美人なご婦人が現れた。泥濘の母親【針子】レナラ・ネクロス、もういい年のはずなのだが、もう子供たちは成人しているというのにそんな風には見えないほど綺麗な女性だった。
「ナイクさん、ごきげんよう。リネがごめんなさい」
「義母さんが謝ることではないですよ。来ないのは、泥濘の問題だ」
「リネが取りにくればいいのに……あの子ナイクさんに甘えすぎですね。今度会ったら説教しないと」
「そんなこと言ってると二度と来ないぞ」
「そうですね。あの子は本当に困った子」
【針子】レナラが憂うように吐息を漏らす。
「衣装の出来次第だな。気に入ったら調子によく会いに来るだろうよ」
「本当に勝手な子」
その後、彼女と近況の報告をしていると赤い赤い衣装をもった【針子】ミラージュが飛び込んできた。
「義兄さん! 今回は自信があります! バカ姉貴にぎゃふんといわせられる出来です。もう私が足手まといとか言わせないです」
ぱっと見せられたのは深紅の衣装だった。胸骨をさばいて肺から直接しぼりとったばかりの鮮血のように鮮やかな赤い素地を漆黒の糸で縫い合わせている。冒険者向けの衣装であるにも関わらず、泥濘向けのオーダーメイド品というだけあってびっくりするくらいセクシーだった。
これだとヘソなんて透けるぞ。
防御力は大丈夫だろうか?
「心配なさらなくてもその辺の鎧より硬いわ」
【針子】レナラは不安そうに腹の布をめくっている俺を見て微笑んだ。
「題名は?」
「『赤い繭』です! 【幻惑蝶】として羽化して飛び立つ直前の薄い繭と内側に折りたたまれた美しい赤い翅をイメージしました。リネ姉の瞳が映えるように衣装全体の色をあえて少しだけ黒くくすませてます。これで目が変色しても合うはずです。私が考えた案です! これでもう私が足手まといとか言わせません!」
「なるほど『赤い眉』ね、目との調和を意識したということか」
よくわからんが、泥濘は喜びそうだな。
「あの子が冒険者衣装を着ることなんてあるのですか? レベルもあげれないしナイクさんの役に立たないと思うのですが」
「あるっちゃあるな」
彼女たちには伝えていないが泥濘は随伴組織の構成員になった。良くも悪くも【死霊魔術師】として人攫いしていたことが評価されて【吸血姫】を通してスカウトされたのである。
首の刺青そのものは残っているものの墨子の制約は外され、今は代わりに随伴組織の制約が入れられている。何をしているのかは知らないがレベルも40まであがった。
泥濘はもう一年前のようなレベル2のか弱い墨子ではなく圧倒的なMPを持つ凶悪な魔術師だ。以前試しに訓練として〈バレット〉を撃ってもらったがあり余るMPから繰り出される濁流のような物量の攻撃が飛んでくるので避けるのも一苦労だった。
本当に余らせている俺と違ってMPを完璧に使いこなしている。
末恐ろしい妹だ。
ただいくら随伴組織の構成員になったとはいえ随伴組織の仕事は不定期のようで、基本的には毎日あの広すぎる家で【主婦】まがいの妹業にいそしんでいる。
そんなことを考えながらボケーと衣装を眺めていると【針子】の二人が咳払いをして歌を吟じた。
「『赤い繭』~まっくろにぬりつぶされた思い出の日記。黒線の繭の中のさなぎははばたくことなく中で乾いた。折れた翅の艶やかな赤が色ずく灰を残して散り消え~」
女神のおちゃめなフレーバーテキストだろうか。
悪戯な女神がすべての役職に授けるイメージ文章。その内容は人によってさまざまであり、厳かな物、ひょうきんな物、物騒な物などその人となりを表しているといわれている。それは女神から与えられたお告げ、特に敬虔な女神教徒はこの言葉を何よりも大切にしていた。
そして女神のフレーバーテキストにならって芸術品や武器、衣類の製作者は製作物に自ら意志を込めたフレーバーテキストを同梱する風習がある。非常に稀な事例だが女神が気に入るとそれに応じた特殊な効果が付与されることがあるそうだが、今回は残念ながらつかなかったようだ。
「はぁ……黒線の眉? すみません。分かりません」
俺が分からないという意思を込めて首をすくめると目の前の泥濘そっくりの美しい母娘は呆れたようにため息をついた。
「【蝶】として飛び立つことはなかった想いが、美しくも儚く消えていく様を歌いました」
「思い出は儚い、それは囚われるものではなく、消えていくものである。それがかなわなかった想いならなおさら。転じてどれだけ美しくても過去は過去で忘れて前向きに生きてくださいという意図を込めたフレーバーテキストです。義兄さん、リネはそういうの大事にするからちゃんと覚えてください」
「まっくろにぬりつぶされた……思い出の……紙とペン借りていいですか?」
【針子】の二人はもう一度残念そうにため息をついて紙とペンを渡してくれた。
今回の衣装は泥濘に好評だった。
真紅の衣装を纏いながらクルクルと回る。薄着の袖や、胸元から泥濘の白い肌がチラチラと透ける。冒険者向けの戦闘衣装、どうしようもないくらい戦場的で扇情的だった。
「どこ見てるのー?お兄ちゃん?」
「み、みてません」
泥濘はキョドってる俺の様子を見てゲラゲラと楽しそうに笑う。
「ねぇ! 組織で新年会があるの。年末年始はクエスト受注はやめて地下街行こうよ」
「地下街?!」
「賭場とか好きでしょ? 負けても私が立て替えるから」
「はぁ? 舐めてるのか。勝つさ。ゲームは強い」
「ははは、本職の【博徒】とか【勝負師】がいるからほぼ無理だぞ。この前私もかもられた。で、年始にオークションやるんだよな。どうせ私はその警備しないといけないし、ナイクもいてほしいなって」
媚びるように泥濘が俺に抱きつく。新しい衣装も相まって効果的すぎた。
「賭場より占いだな。占いの館は当たる。転職占いしたい」
「りょ。【天気占い師】さんに連絡いれるわ。多分行けると思う」
「おお、これがコネ」
「幹部候補なので。ナイクももう冒険者とかしなくていいよ。私がお兄ちゃんのこと養ってあげる」
「いらねぇよ。妹に養われる兄とか普通じゃない。自分の小遣いにしておけ」
こうして俺たちは翌日から10日間、年末年始を地下街で過ごすことにした。
蹄の狭間発生まで後2日。
あとがき設定資料集
【宿場主】
※HP 4 MP 8 ATK 8 DEF 3 SPD 3 MG 4
〜空気のようになりたかった。意識もされず、感謝もされず、ただそれは無くてはならない存在で、少しでも汚れれば皆がむせて倒れ込んだ。人の善意とは空気のようなものだ。善意に覆われて初めて社会はまともに機能する〜
簡易解説:戦士系統の役職。戦士系統でありながらカルマを見ることができる特殊な役職。人を見る目に優れる。




