第68話 死に魅せられた者たち
ぺちゃぺちゃと水が滴る音がする。息遣いが聞こえる。重い、湿った、喉が詰まったような呼吸音。微かに聞こえるそれの息づかいはまるで瀕死の冒険者を前にした魔物のように荒く、興奮していた。
〈聴覚強化〉で感度をあげた耳でも微かにしか聞こえない奴の気配。
気が付かれれば死、気が付かれれば死。
奴が離れていくまで俺は必死に気配を殺した。
とうとう見つかってしまった。10分前。バイト帰りの路地でそれと目が合った。いや、目があったのかどうかすら分からない。ただ、視線の感覚があり、振り返ったらそこに奴がいた。
歯が、闇夜に浮かぶ白い歯が笑っていた。本能が叫んだ。走らなければ殺される、と。背後から肉が擦れる音が迫ってくる。あまりの恐怖に吐き気を覚えながらも、必死に走っていた。喧嘩負けなし、200連勝した俺の経験が、あれは化け物だ、と悲鳴を上げていた。
アスファルトのはずだった地面が、いつの間にかぬめりを帯びた肉のようになっている。靴底が引きずられ、足を取られる。転んだ瞬間に一瞬だけ、それに触れられた。俺は必死に〈臀力強化〉で逃げる。
「……つになりましょう」
黒板に爪をたてたような不快な歌声が聞こえた。
ズル………ズル……
追ってくるそれの姿ははっきりとは見えなかった。ただ、歯がある。綺麗に整列した無数のざらついた悪意が追ってくる。確かにあの馬鹿共を殺したのは俺だが、こんな化け物を追手にさしむけてくるなんて……
浮遊街に逃げよう! この時間ならまだ人が大勢いる。その思いで必死に、短絡経路にたどり着いた時、非常口のマークが見えた。だが、そのマークは歯をむき出しにして笑っていた。
「行ける………!」
俺は手を伸ばす。しかし、その瞬間、
「……きいて。おうた」
どこかから聞こえた叫び声とともに床が動いた。床が収縮し、俺を締め付ける。纏わりつく冷気は饐えた死肉の香りがする。急に全身に力が入らなくなった俺は無様に転がり、いつのまにか足には槍が刺さっていた。必死にもがいたが、もう遅い。突き刺さった槍はパカリと開き無数の腕になった。
長い白骨腕がゆっくりと体に巻き付き、皮膚に食い込む。冷たく、ぬめりを帯びたそれは傷口から抉るように広がりじわじわと骨にまで達した。
「や………やめてくれ………」
誰かいないか見回すと、見下ろすように立っているのは、真っ黒に塗りつぶされた影。
「助け………て………なんでもなんでもする」
俺は涙を流しながら呟いた。だが返ってくるのは粘つく呼吸音だけ。槍が肉を剥がし、もはや足の感覚がない。骨がきしみ、ぶちぶちと肉に亀裂が走る音が響いた。
「みんなでひとつに……ましょう」
「みん……ひとつになりましょう」
どこかから聞こえる子供たちの声が不気味に歌う。
最初は足首。その次は膝。一本一本の骨と肉がゆっくりと剥がされていく。俺は絶叫したが、その叫びも次第に声にならなくなっていった。
息ができない。目を見開いたまま、必死にもがくが、身体はもう言うことを聞かなかった。抵抗するもその度に全身の骨が折られ、内臓が圧迫される。
ぶちっ………ぶちっ………
最後に見えたのは、無数の歯。静かな笑い声が耳元で囁いた。
「大丈夫。死はそんなに悪いものじゃない。お前もひとつになるんだ。女神のもとでな」
痛み、というよりも寒かった。熱い熱い血が、喉に刺さった槍からからどくどくと流れ出ていく。反対に体の芯がどんどんと寒くなっていく気がした。
誰かに助けをもとめて目の前をみても、そこには奴しかいない
そして冷たい刃が、頭の裏から脳髄につきささった……
ぼとっと脳が落ちる音がした。
「こわかったの!」
「いや、俺、そんなに怖くないだろ! むしろできるだけ痛くないように即死ねらったのに」
流し込まれた彼の記憶を振り払う。
さきほど殺した犯罪者は、自分が殺された情景の記憶を殺した張本人である俺に流し込んだ。
そしてなぜか得意げにふよふよ浮いている。
「めっちゃこわかったの! しれいじゅつし! 取り憑いてもいいんだからね!」
『こっちくる?』
『ひとつになる?』
「お前が悪いことするからだ。4人も無実の人間ころしたらそりゃ衛兵隊と冒険者から追われるに決まってるだろうが! 気が済んだらさっさと帰れよ。女神はお前のような悪人も受け入れてくれる」
「ううう! しれいじゅつしだっていっぱい殺してるのに!」
「俺は善人は殺してないの!」
「ずる! しれいじゅつしのずーる!」
死霊は不満そうに飛び回りながらも、しばらく騒いで、そして諦めたようにすっと女神に還って行った。
「うるさいやつだった」
これにて今日のクエスト
凶悪犯罪者【喧嘩屋】討伐完了。
殺した【喧嘩屋】の体から槍を引き抜くと、その槍は命を啜ったのを喜んでいるようにぴょんぴょんと跳ねた。
それにしてもこの槍いい。
”剣鬼の㞔槍(仮名)”
メルスバル卿討伐からしばらく後、衛兵隊【追跡者】に手渡されたのは幾重にも白骨化した腕が巻き付いたような不気味な槍だった。【剣鬼】との戦いで彼の発動した〈㞔骸〉から生み出された槍。死体たちはなぜか敵である俺にこの槍を手渡し、俺はこの槍をつかって【剣鬼】自身を殺した。
いままで衛兵隊により証拠品として回収されていたが、事件は解決したとのことで返品されたのだった。
「要らないなら衛兵隊の方で処分いたしますが、【仮聖】さまの専用装備ですよ。貰っておいて損はないかと」
【追跡者】がいうにはこれは俺の専用装備らしい。
専用装備とは文字通りその人専用の装備品だ。
通常ほとんどの装備品は、誰が使っても同じ効果を発揮するのだが装備品の中にはまれに特殊な装着制限がある場合がある。有名な例だと六大貴族ローレンシア家の家宝”ローレンシアの剣”は【剣聖】専用装備品であり、【剣聖】以外の人間が持つと重た過ぎて振るうことすらできないのだが、【剣聖】が使う場合だけは”ローレンシアの剣”がもつ様々なバフ効果を得ることができるのだ。
こういった特殊な装備制限をもつ装備品のことを専用装備と呼ぶ。
「鑑定結果。”剣鬼の㞔槍(仮名)”【剣鬼】マルウェア・ド・レミ・ファ・ルーテ・マルチウェイスターの〈㞔骸〉によって作られた槍の柄。【剣鬼】ではあるものの武器生成への才も高かった彼の傑作。形状としては合計6人の右腕が絡みついた形をしており、これらは槍の意志に従って動く。【剣鬼】の落城の【死霊術師】への無意識の敬意から作りあげられたものであり、作成者兼生贄となった【剣鬼】の魂が染み込んでいる」
フリカリルトに〈鑑定〉してもらったところこの槍は俺だけを装備可能にしているらしい。鑑定してくれたフリカリルトは鑑定結果をいいながらジッと俺を眺めていた。
いろいろいわくつきの武器のようだが、性能は素晴らしいの一言だった。さっきもやったように〈槍投げ〉した後、刺さった対象に縋り付いてそのまま傷口をえぐる。しかも外れたら自分で這って俺の手元に戻ってくる。
ずっと欲しいと思っていた〈回帰〉が付与された槍の柄。帰りは手で這って帰ってくるので、戻るのに少し時間がかかるがそれでももはや申し分ない武器だった。父の形見の穂先と”剣鬼の㞔槍(仮名)”を合わせて最高の武器である。
【剣鬼】の残してくれた素晴らしい武器に感動しながら、たまたま近くにあった短絡経路で飛んで冒険者ギルドに向かった。
「おかえりなさい。はやかったですね」
フリカリルトの目の前に狩ってきた首を置くと、彼女は若干目を細めながらその首をジッと見つめた。
「【喧嘩屋】の討伐確認いたしました。ですが! こんなところに置かないでください! だれが掃除すると思っているのですか!」
引っ張られるように奥に連れていかれた俺の目をフリカリルトがジッとみた。
「そんなに怒るとは、悪い」
「体裁! まぁいいです。今回の【喧嘩屋】は喧嘩と評して気に入らない相手に暴力を振るう連続殺人者でした。ナイクが依頼をうけて1時間もせずに討伐して首を晒したのはいい見せしめにはなったでしょう……というか、やっぱり、その槍使いこなせるんだ……」
遮音され誰にも聞かれない部屋でフリカリルトは㞔槍を指さす。
「待望の投げても帰ってくる槍だぜ!」
槍のあまりにも高い実用性に気分が上がっている俺をみてフリカリルトは大きくため息をついた。
「マルウェア君は邪神の腕輪所持者だったんだよね」
「ああ、邪神装備者は六禁の贄か仲間。つまり死に魅せられた者たち。俺の贄というわけだったんだな」
「死に魅せられた者たちって。ナイク。あなた気が付かない振りしてるでしょ」
「何を?」
「どうしてあなたを〈㞔骸〉が襲わず、逆に槍を与えたのか。どうしてあなたがその槍に認められているのか」
「俺の役職のおかげじゃないのか。【剣鬼】を殺したことで逆に認められたとか」
「その槍は【剣鬼】の落城の【死霊術師】への無意識の敬意から作りあげられたものよ。メルスバル卿の話忘れちゃったの?」
「メルスバル卿の話? 死霊は輪廻するとか?」
「そう輪廻する。当然【死霊術師】も」
フリカリルトがいいたいことがわかって俺は顔がまっさおになった。
「役職の力には前任者がいる。もうわかった? あなたに与えられた役職のマナは【死霊術師】の、おそらく六百年前、人類の三分の一を殺害した落城の【死霊術師】ウィークロアそのひとのマナ。だから〈㞔骸〉は貴方を襲わなかったの。だってそれは真の意味であなたのスキルだから」
「………」
「だからその槍はあなたの専用装備なの。ナイクは確かにウィークロアの血筋じゃない、もっと酷い。ナイク、分かりやすくいうとあなたは落城の【死霊術師】ウィークロアの生まれ変わりなの」
フリカリルトは槍を見つめ、ただただ大きくため息をついた。
「【死霊術師】ナイク・ウィークロア」
あとがき設定資料集
【喧嘩屋】
※HP 5 MP 2 ATK 8 DEF 8 SPD 5 MG 2
〜さあさあ寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。拳が唸るは舞台の華。「いざ、尋常に」、なんて野暮なだけ。赤き血潮が散れば散るほど、くだらぬ理屈は奥に引っ込む。これぞ見世物、男の道理〜
簡易解説:戦士系統の役職。過度に昇華されもはや芸術的といえるほど実践的な体術を多く取得する役職。




