第54話 天網恢恢疎にして漏らさず
かつて一人の敬虔な女神教徒の少年がいた。
彼はいつも思っていた。どうして人々の中に女神様の教えに従って生きることができない人がいるのだろうかと。彼は祈り続けた。女神の教えを人々に説き続けることが人々の幸せにつながるのだと信じて。ある日、彼は女神から役職を授かった。それは人々の魂を導く大いなる力。彼は大喜びでその力を使って人々を幸せに導いた。間違った行いをする人を正すため、そして正しい行いをしてきた人に褒美をあたえるためにすべての人間を平等に女神様のもとに還した。
彼は生まれ育った故郷の老人から幼子に至るまでことごとく皆殺しにした。育ててくれた親代わりの兄に親愛と感謝を込めて、いつも意地悪してきた幼馴染にちょっとばかりの復讐を込めて。好きだったあの子の幸せを祈って。すべてを肉塊と骨に変えた。
故郷を滅ぼした【死霊術師】は屍となった友人たちと共に次は女神の座す街:聖都を巡礼し、都民約百万をわずか6時間で滅ぼした。聖都を訪れ女神様の偉大さを改めて実感した【死霊術師】は女神様の教えをより広めるべく次は人類最大の街、王都へ向かった。
国王は【死霊術師】の軍勢を抑えるために国中から戦士たちを集め王都手前の城で守りを固めた。人々の未来を守るため、平和な日常を取り戻すために集まった当代最強の戦士たち。その城は一晩で落ち、戦士たちは【死霊術師】の忠実なしもべになった。もはや誰にもなすすべもなく死体がまた新しい死体を作り、彼の教えを広げていく。㞔く濁流のような死の連鎖が村を、街を、そして国を覆った。
600年前、たったひとりで当時の人口の三分の一を殺害した最悪最強の役職。六禁役職【死霊術師】の伝説。
彼の使用したスキルの名は〈纏靈〉と〈㞔骸〉
数百万の人を殺し、彼らの魂を飲み込んで死骸を操った最悪の力。
「朝嬰は晦朔を知らず、天網恢恢疎にして漏らさず。須臾脆短の命に死の祝福を。スクロール〈㞔骸〉」
「嘘だろ、ありえない……再現できるはずが……」
「【死霊術師】のもつ唯一無二の使役スキル。使役数の限界もMPの制限も存在しない最強の操作スキルだ。ご照覧あれ」
剣士が掲げた腕に従うように、起き上がった死体たちは一斉にこちらを向いた。
「ああ、ついでに教えておくとここはマルチウェイスター大墓所だ。街の千年の歴史が埋まっている」
剣士が腕を振り下ろすと、千年に渡って埋められ続けた死骸たちは俺たちという生者に群がるように一斉に走りだした。
速い!
おそらく彼らの生前と同じステータス。
「泥濘!」
「はぃ」
泥濘の【鷲獅子】の背にとびのる。泥濘は【擬態壁】にマナ枯渇を起こしている仲間たちを収納し、そのまま【鷲獅子】にその【擬態壁】たちを乗せて上空に跳んだ。
助けそびれた衛兵たちが死体たちに引きずり倒される。
彼らは一瞬で服をむかれ、皮をはがされ、つんざめくような悲鳴とともに肉塊と血と骨になった。蠢く肉の塊が、声にならない叫びをあげ、血塗れの骨の人形がまだ肉片のついた腕を伸ばす。抜け出た死霊はまるで吸い込まれるように死体の中に消えていった。
一瞬、光ったと思った瞬間、その死体から〈バレット〉が放たれた。
【鷲獅子】がぐるりと旋回して上手く避ける。
「こ、これが【死霊術師】様……お力」
「違うぞ、泥濘。俺は違う! こんな無茶苦茶な……」
眼下一面に広がる夥しい数の死体たち。それはまるで一つの波のように俺たちに向かって手を伸ばしていた。
至る所の死体達からスキルが飛んでくる。
「泥濘、上だ!こんなもん距離取るしかないぞ!」
「うるさ……わかってる!」
大丈夫。いくら数が多くても普通のスキルなら上空には届かない。
このまま逃げ切る!
「おいおい、俺を忘れてもらっては困る」
ほんの一瞬安心した、瞬間、剣士のため息と共に剣閃が放たれた。一直線に【鷲獅子】の翼を狙って飛んでくる。
その剣閃は減速することも、霧散することもなく一瞬で俺たちのところに到達した。
このままでは翼が切り落とされる!
墜落して全員死体に殺される、そんな最悪の想像が頭をよぎり、咄嗟に身を挺して刃を受け止めた。
腕で急所を覆って、刃のほとんどを鎧で受けるも、俺はびっくりするほど簡単に切り裂かれた。
首や胸から血しぶきが舞う。
身が引き裂かれるような衝撃と共に【鷲獅子】から落ちる。
「ナイク様ぁ!!」
泥濘がこちらにむかって手を伸ばすも俺は首を振って彼女を押しとどめた。
「街は東だ! フリカリルトを呼べ!」
落ちながら泥濘にそう叫び返すと、彼女は悔しそうに目をつぶり【鷲獅子】はそのまま高度を上げた。
そして俺は、
こちらに手を伸ばす死体たちの上に落下した。
ぐちゃっとつぶれる感触がして死体を踏み潰して転がる。切り刻まれ下手に動かせば取れそうな腕を抱えながら朽ち果てた死体たちのど真ん中、囲まれた。
ジロリと目玉も朽ちた死体たちが俺を見る。
俺は【死霊術師】だから見逃してくれるとかない?
そんな儚い思いもむなしく一瞬で死体たちに群がられた。
鎧を剥がれ、
滴る血を吸われ、
首を押さえつけられて、
今にも取れそうな腕を引っ張れて、
なすすべもなく俺は死体たちに立たされた。
そして同じようにしろというように取れそうな腕をつかまれ空飛ぶ泥濘たちに向けて手を伸ばさせられる。
あーあー、うーうー、かちかちと声にならない音をたててスキルを放つ死体たちに囲まれて、俺はまるで死体たちの仲間のひとりのように揺れた。
なんだかよく分からないままとりあえず剣士の剣閃に切られた手や首を応急手当で抑えつけて縛る。
多少期待はしていたが本当に何もされない?
自分でも意味もわからず、とりあえず〈隠匿〉を深める。剣士には縁の効果で意味がないが死体達には効果があるかもしれない。
それにしてもなぜ攻撃されない?
やっぱり【死霊術師】だからか?
それとも血まみれだから死体と思われてる?
考えてもしょうがないので〈聴覚強化〉された耳を澄まして剣士を探す。俺が生きていることに気がつかれるより前に奴を殺さないといけない。
「そうやって即味方を見捨てる。友達は今死んだぞ? 俺に経験値が入った。泥濘、相変わらずお前はクズだな」
死んだ? 生きてるぞ?
幸運なことに何かと勘違いしているようだ。
「まぁ空に逃げるのはいい判断だがな。相手が【死霊術師】でなければ逃げ切れたかもな」
剣士の言葉と共に死体たちが蠢く。空を飛ぶ【鷲獅子】を追うように死体たちが積み重なって、山のように膨れていく。隆起した肉と骨の塊。
ずるりと周りの死体達も動く。
俺は積み上がる山の土台に巻き込まれた。
脇の死体に足を掴まれ、別の死体に踏みつけられる。
飛び出た肋骨が突き刺さり、冷たいぐずぐずの肉を頭からかぶる。攻撃されているわけでもないのに骨と腐った肉に押しつぶされて息ができなくなった。
く、くるしぃ
腕がもげる。
死体たちでできた山が巨大な腕のようになって【鷲獅子】につかみかかる。よく見れば俺が土台になっているこの腕だけでなく、墓所全体にいくつもの巨大な腕が生えていた。
泥濘たちは上へ上へと何とか逃げてはいるものの挟みこまれるように追い詰められているように見えた。
このままでは捕まる。
そう考えた時、目の前に明らかに強烈な負荷がかかっている白骨死体が見えた。必死にそれに手を伸ばして、彼女の頭蓋骨に触れた。
触れた指先から世界が広がる。
まるで感覚が拡張されたように死体の中に神経が広がって、その白骨死体の見ている現実が、感じている重さが伝わってくる。
上へ上へよじ登る。無数の死骸達。
風を切るように振られて泥濘を追う死骸達。
上を見上げて〈バレット〉を放つ死骸達。
やることがなくてあーあー唸るだけの死骸達。
たまたま巻き込まれた【墓守】の肉を剥ぎ仲間を増やす死骸達。
俺は目の前の白骨死体を通して、剣士の〈㞔骸〉で操られている死体、数万体全体の動きを感じた。
今まさに巨大な腕の一本に剣士が乗って、泥濘の乗る【鷲獅子】に切りかかろうとしている。
いくら【鷲獅子】が強くともそれを操る泥濘のレベルは2。このままでは間違いなく切られて落される。
目の前の白骨死体がミシリと音をたてて割れる。彼女はまるで負荷に耐えられなくなったかのように俺がふれたところから崩れ去っていく。
それに呼応するかのように俺のいる腕が姿勢を崩した。
俺は体を傾けて触れるところを調節して、彼女が崩れる方向を変えて崩れる腕を剣士にぶつけた。
巨大な腕と腕がぶつかる衝撃で、骨が舞い、肉が飛ぶ。土台から解放された俺は屍の下から何とか抜け出して崩れる山の上に上る。血しぶきと骨片が驟雨のように降り注ぐ中、破片の中に先ほど【死霊魔術師】のボスに砕かれた槍の穂先を見つけた。
父の形見のミスリルの穂先。その穂先を取り囲むようにいくつもの白骨の腕が穂先を掴んで槍のような形になっている。まるで俺に渡すためにあつらえたようなその槍を受け取ると、あたり一帯の頭蓋骨たちがカタカタと笑った気がした。
地響きとともに腕が倒れこみ、崩れた腕に乗っていた剣士と俺は同じところに放り出された。
「クソ、なんで崩れ……お前、なんで生きているんだ?」
剣士が俺の顔をみて驚いたように声をあげた。隙をついて槍を繰り出すが、剣士は予想していたとでもいうようにスッと避けた。俺と剣士の間に続々と死体たちが走りこんでくる。
死体たちは俺に攻撃することはなかったが、剣士を守るように立ちふさがった。
「どうやって㞔く骸から。アレはなんの経験値……おい! なんで攻撃しない?」
【死霊魔術師】の剣士はいぶかしむように俺と死体たちをジッと見比べて納得したように頷いた。
「お前には㞔骸が効かないのか……邪神の腕輪にその槍、そうかそういうこと。俺は器じゃないということか。舐めたことをしてくれる」
剣士はローブを脱ぎ捨てて剣を掲げた。貴族然とした端正な顔立ちの若い青年。おそらく神託の儀を経てまだ数年たっていない。
俺と大差ない年齢の長身の男だった。
「俺は【剣鬼】マルウェア・ド・レミ・ファ・ルーテ・マルチウェイスター。鉛と馬鹿の二人を殺したお前と戦えるのを楽しみにしていた。お前が死んでいなくて嬉しいよ。決闘だ!【仮聖】ナイク。いや、違うか」
「決闘だ! 【死霊術師】ナイク!」
俺たちを取り巻く、何万もの死体たちがカタカタカタカタと歯軋りして嗤っていた。
「さぁ存分に殺し合おう」
【剣鬼】は自らの左腕についた邪神の腕輪を見せつけるように掲げた。
あとがき設定資料集
【剣鬼】
※HP 5 MP 5 ATK 9 DEF 5 SPD 5 MG 1
〜男は力を求めた。昼も夜も剣を振り、ある時は村を襲う盗賊から人々を助け、ある時は戦場で無数の敵に囲まれて戦った。男は力を求めた。自らに襲い来る理不尽と戦うために。男は鬼と呼ばれた〜
簡易解説:戦士系統の役職。剣にまつわるスキルや身体強化スキルを多く持ち、高いATKと合わせて敵を制圧する強力な役職。余談だが役職名に鬼とついているにもかかわらず犯罪役職でない珍しい役職である。
※「朝嬰は晦朔を知らず、天網恢恢疎にして漏らさず。須臾脆短の命に死の祝福を」
=「死を与えよう。誰一人として漏らすことなく。まだ夜も知らない生まれたばかりの嬰児であっても。すべての脆く儚く短い命に死の祝福を」




