第37話 墨子
黥刑
犯罪者に対する刑罰の一つ。
経験値の仕様上、ほとんどの犯罪者が即日死刑となる今の世において、死刑を免れた軽犯罪者は、身体の目立つ所にその罪の印を彫られる。
例えば盗みを働いたものは手に、詐欺を働いたものは口周りに。そして生まれながらの罪人。神託の儀で犯罪役職を授かったものは、その首から耳にかけて。
目の前の美しく妖艶な女の首には彼女が犯罪役職である印である刺青が彫られていた。
「お前、犯罪役職…………?」
即刻処刑が厳命の六禁役職ほどではないにせよ、生きているだけで周囲に害を与えるとされる役職たち。犯罪役職の人間は、生まれたことが罪、与えられたことが罰。女神から犯罪役職を授けられたと判明したその瞬間から人としての自由をはく奪され、奴隷としてそれ以降の人生をかけて償いをしていかなければならない。
「君、【槍聖】…………?」
女は驚愕したような表情のままこちらを見つめた。
「ああ……ほら、ちゃんと冒険者だ」
よく見えるように彼女の目の前に差し出した冒険者プレートを確認して、女はスゥッと息をすった。
「…………大変申し訳ございません。私の早とちりで【槍聖】様のことを勘違いしてしまいました。どんな罰も受け入れます。お申し付けくださいませ」
彼女がつかんでいた手を静かにはなし、頭を下げる。黒く長い髪がバラつき、痣だらけのうなじがちらりと見えた。手慣れた所作で行儀よく身をかがめた彼女に対して、俺は首を横に振った。
「いや、助かった。ありがとう。匿ってもらえて感謝してる。罰なんてない」
「それでは私が困ります」
「困る?」
「【槍聖】様がどこからいらっしゃたのかは存じあげませんが、この街、特に教区では私たち墨子は自由市民の皆様に隷する者。失礼を働いたとあっては道理が通りません。発覚すれば私だけでなく全員が罰を受けます」
失礼? 俺何かされただろうか?
若干悔しそうに唇を歪める彼女は俺を助けたことを後悔しているように見える。放っておけばよかったとでもいうような表情をしていた。【槍聖】と知っていたら助けなかったとでもいうような……
「ああ、そういうことか。俺が犯罪役職の仲間だと思って匿ったのか。脱走しようとしてヘマをした奴隷仲間が捕まれば罰を受けるのは全員」
「はい。大変失礼いたしました。申し訳ございません。なんでもお申し付けを」
普通なら犯罪役職と間違えられるなど怒っても当然のこと。だが、俺は【死霊術師】。犯罪役職と間違ってしまったというが、何も間違いではない。失礼をしたといわれても怒りを感じる気にはまったくなれなかった。
「なら2つ。お願いしようか。1つ目。その話し方やめてくれ。俺はこう見えてもまだ18。そう年も変わらないだろ? それに恩人に畏まられると居心地が悪い」
女は伺うようにこちらをみつめて、そして大きく首を振った。
「そうですか。同い年です。で、もうひとつの本題はなんでしょうか?」
まるで誘うような上目遣いで女の視線が俺を撫でる。
ひどく扇情的な女がなんでもするといってくれているという事実に揺らぎそうになりながらも、俺は彼女にギルド指名クエストの依頼用紙を差しだした。
「道案内を頼みたい。38番通り345番地。追われてるからできるだけ人に会わないルートを知りたい」
「道案内?」
女は俺の答えに拍子抜けしたように瞳を閉じた。
「なんだ他の用事でもあったか?」
「別に。345番地…………冒険者があの亡霊屋敷に何の用?」
亡霊屋敷。冒険者ギルドに調査の依頼が来るだけあってこのあたりでは有名なのだろうか。
「冒険者の仕事なんて一つだろ。調査クエストだ。その亡霊屋敷に魔物と思わしき反応があった」
「亡霊屋敷に魔物かよ。案内します。ついてきてください」
女は少し面倒くさそうにため息をつくと、そのまま音もなく歩き出した。一度たりともこちらを振り返ることなく黙って目的地にむかって進む彼女の後ろについていく。女は人に見つかることなくスルスルと裏路地を抜けていった。
「なんで間違ったのか言い訳しないんだな」
「要件がないにもかかわらずこちらから話しかけることは禁止されております」
「その口調やめろっていったろ」
「善処いたします」
ひどくそっけない態度だが、犯罪役職だという彼女に心なしか親近感が湧いていた。いろいろと話しを聞きたい。彼女や他の犯罪役職たちがどのような役職で、どのようにこの街で生きているか興味があった。
「あんたの仲間、墨子?とかいうやつらは何人くらいいるんだ」
「100人ほどです」
「以外と少ない。犯罪役職全員が墨子ってわけじゃないのか。どんな役職がいるんだ? 犯罪役職の有名どころといえば【食人鬼】とか【絞殺魔】とか」
「【食人鬼】と【絞殺魔】はいません」
「ならどんなのがいるんだよ」
振り返った彼女はイラついたように眉をしかめていた。つややかな唇がふるふると震えている。
「さっきからうっさいなぁ。こっちには君みたいな奴と仲良くする意味ないんだよ」
「おお、意外と口悪いんだな」
「なに? ショックだった? 私みたいな美人は清楚にしゃべるって思ってたもんな? キッモ!! よかったな、君は見た目通りだ」
「おいおい、それは酷いだろ。俺と仲間を見間違ったってのに。よっぽどキモイんだな、お仲間さんは」
「はぁ? そんな汚物みたいなカルマぶら下げてよく他人を罵れるな。鏡みろよ。あっ、もしかしてみても分からない役職? 教えてあげるよ、君、マジでキモイ」
「相当憎しみがこもった言い方だな。よくいわれてるのか? 犯罪役職さん」
住宅地の人気のない薄暗い裏路地。住宅地特有の不気味な静けさの中、女と俺はしばらく睨み合い。それからほぼ同時にため息をついた。
「申し訳ございません。殺意が湧いて失言しそうになるのでやめませんか?」
「不毛だな。先を急ごうぜ」
またしばらく黙って歩く。しばしの沈黙の後、今度は女の方から口を開いた。
「何か聞きたいのでしょうか? 私の役職が気になりますか?」
本音をいうと墨子や犯罪役職について聞きたいのだが。あまり触れられたくないようなので話を変えよう。
「アンヘルと知り合いなのか?」
「君もアンヘルを知ってるの?」
「この前の大規模クエストで一緒に働いたからな」
「ああ、あの大規模クエスト……あのフリカリルト様がへましたっていう。アンヘルはあれで英雄になったって話だっけ。【槍聖】アンヘル…………元同級生よ」
「同級生?」
「学園で同じ学年だったの」
浮遊街の方を指さす。確かにあそこには子供たちが通う学園と呼ばれる機関があった。
隠匿竜との戦いの後しばらく浮遊街の大聖院に入院していたが、浮遊街には毎日たくさんの子供たちがやってきてその学園を訪れていた。何をしているのかまでは確認していないが、おそらくこの街の教育訓練所のようなものだろう。
「同じ年っていってもこの街には同じ年が結構いるだろ。マルチウェイスターの街、人口12万人なら単純計算で2千から3千人。仲よかったのか?」
「別に。全員が学園に通うわけじゃないし。君だっていなかったじゃない。お互い有名人だったの。ほら私可愛いから」
自慢げに、それでいてどこか忌々しそうに自らの顔を指さす。美人であることはいいことであるはずなのになぜか女はどんよりと濁った目をしていた。
「それはそうだが……」
フリカリルトの容姿を美術品のような整った美しさというのなら、この女の容姿はもっと本能的な美しさがあるといったところだ。ひどく薄着なせいでもあるが、彼女は品のない言い方をすれば雌っぽい、男の劣情をそそる見た目をしていた。
「ジロジロ見るな。キモイ」
話しぶりから察するに、彼女の立場は俺が知ってる犯罪役職たちとは少し違うのだろう。子供の頃に開拓村に時々送られてきた戦奴隷たちは、彼女と同じように首に刺青がある人物で、開拓村がダンジョン討伐をするときや魔物の集団を見つけた時など、危険な仕事がある時に率先して前線に駆り出され、そしてすぐ死んだ。
が、こんな大きな街が魔物に襲われるとも思わない。奴隷といっても別の仕事。
「墨子って…………」
「なんでしょうか」
おそらく戦奴隷と近しいもの。
そして彼女は若く美しい女だ。
なら戦奴隷ではなく…………
「ああ、墨子って性奴隷のことか」
俺の発言を聞いた女は眼を見開いて俺を睨んだ。
赤黒い瞳孔が、鮮やかな紅に変色し、まるで魔物のように縦長に見開かれる。
彼女の全身からほとばしる強烈な殺意を感じてその場を飛びのいた。
次の瞬間、
前触れもなくバックリと地面が裂けて、まるで口のようにのびた深淵が先ほど俺がいた場所を削り取った。石畳が割れ、ゴリゴリと砂利と石がこすれる音がして深淵が閉じた。
「ちょっ、お前」
「なんで?」
彼女の顔は怒りを通り超し、もはや殺意の塊のようになっていた。その魔物のような眼を見開いたまま女は不思議そうに首を傾けた。
「なんで……なんで……」
「いや、すまない。そんな怒るとは思わなくて」
「なんで避けるの?」
さきほど閉じた深淵が再び口を開き、ぼろりと砂利を吐き出した。ついさっきまで石畳だったものはあとかたもなく壊れて粉々になっている。
完全に殺しにかかってきている。
「お前……嘘だろ」
唖然としている俺に答えるように、女が手を振ると、目の前の路地裏中の壁に何十もの深淵がバックリと口を覗かせた。咄嗟に〈隠匿〉を深めながら、次々と襲いかかってくる深淵たちをすんでのところで避け続ける。
さっきまで普通にしゃべっていたのに、何なのだこの女。失言したのは俺の方だが、いくら何でも殺意が高すぎるだろ。
殺すか……
助けてもらった立場でこんなことしたくないが、いちおう、襲われたってことになるし、この女は奴隷。壁や石畳にはりついている謎の深淵はやっかいでも、それを操っているであろう女本人はがら空きで、ここからでも射線が通っている。
犯罪役職ならレベルは低い。〈槍投げ〉で頭を貫けば死ぬだろう。
槍を構えた瞬間、女はふらりとよろめき、その場にうずくまった。彼女の刺青は脈動するように赤黒く発光している。光が強くなるたびに女が嗚咽をもらした。
「いたい、いたい、いたいぃ」
刺青が入った方の耳を押えて苦しそうに呻きながらも、手を振り、深淵を俺にけしかけるが、女はついに我慢できなくなったのか力なく手を下ろした。
罪人たちに刻まれている刺青には魔術が込められている。彼らが二度と他者に害をあたえないように悪意を抱いた瞬間に強烈な痛みが襲うようになっているのだ。聞くところによるとその痛みは【拷問官】の拷問と同じレベルの、まるで神経をヤスリで直接削られるような痛みだという。
常人に耐えられる代物ではないはずだ。
「お前、大丈夫かよ……」
「触るな!!」
心配して駆け寄ろうとした俺を女がふりはらった。カランと音をたてて彼女の腕についていた腕輪と俺の鎧がぶつかる。俺は手助けすることも介抱することもできず、刺青の発光が収まるまでその場でのたうちまわる女をただただ見守っていた。
「悪かった」
「なにが……悪かった……だ」
痛みのあまりかきむしった血と涙でぐしゃぐしゃになった女がこちらを睨む。
「性奴隷とかいってすまない」
「クソ野郎が……信じられない……助けてもらった相手に性奴隷?」
彼女は目に涙を浮かべながら、か細い腕で俺の革鎧の胸ぐらをつかんだ。
「あーあー、そうだよ。私は墨子『泥濘』……楽園の、街の男たちの性奴隷だよ。助けた女が墨子で悪かったな」
眼光だけで刺し殺してきそうな紅の鋭い瞳。眼窩に鮮血を流し込でいるような人とは思えない異質な眼は、ひどく不気味で異質ではあったが、皮肉にもその不気味さが彼女の容姿の美しさを際立たせていた。
「ほら……なんでも命じろよ。性奴隷なんだろ? 私は」
「すまない。けなすつもりはなかった」
「…………ふざけんな。人を性奴隷呼ばわりして、いまさら、すまない? マジで助けて損した」
彼女は俺を突き飛ばそうと思いっきり押した。
だが彼女の力はあまりに弱く、むしろ自分の力で彼女の方がよろめく。
「【槍聖】? そんなゴミ溜めみたいな濁ったカルマして。同じ墨子だと思って庇ったけど、君は浄化もできない本物の犯罪者だろうがよ」
吐き捨てるようにそういい、それから路地裏の向こうにかすかに見える大きな屋敷を指さした。
「あっち。もうここでいいでしょ。顔も見たくない。二度と会わないことを祈ってるわ」
最後の言葉を言い終わる前に、その女、墨子『泥濘』は音もなく、自分の影の中に溶けるように姿を消した。ボロボロに割れた路地裏に石畳の破片たちと取り残される。
屋敷に向かうまでの道すがら、絶妙に居心地の悪い沈黙の中で、俺はため息をついた。
自分の発言のせいだが相当、嫌われてしまったようだ。
「なんか、すごい奴だったが。まぁ二度と会わないだろ」
まぁ彼女のいう通りもう二度と会うことはないだろうからどうでもいいこと……
と、そこまで考えて何か違和感を感じて彼女の姿を思い出す。
薄着に、妖艶な容姿に、長い髪。魔物のような紅の眼球。
ボロボロの服。あと腕輪……
「待てよ、あの腕輪、邪神の腕輪じゃなかったか」
彼女が右手につけていた腕輪を思い出しながら、自分の右手についている腕輪を見る。大きさは少し違うが完全に同じ模様同じ色の腕輪がそこにあった。
以前【榊】さんが言っていたことによると、邪神装備は六禁役職に集まるものらしい。
「あー、また会うかもな」
次は殺されるかもしれない。
「それよりまずクエストだな。危険だぞ。集中」
パンっと顔を叩き、屋敷の前の門にかかっている標識をみる。
38番通り345番地。
二回以上地図と目の前の表札を見返す。
間違いないここだ。泥濘はちゃんと案内してくれたようだ。
「なんだここ? 何があったんだ?」
「殺されちゃったの」
「死んじゃった」
「しかも全部食べられちゃった」
独り言のような問いかけに幾重にも〈死霊の囁き〉の返答が聞こえた。
隠匿竜のいた常昼の森と比べれば遥かに少ない数だが、そこそこの人数の死霊が家の周りを取り囲んでいた。
「こっちはこっちでちゃんと厄介ごとだな」
あとがき設定資料集
【食人鬼】
※HP 10 MP 3 ATK 8 DEF 2 SPD 5 MG 2
〜おいしい、おいしい。感謝感謝、またいっぱい食べたいな。デリシャッシャッシャ。ハニバルカニバル、ハッピースマイル!!〜
簡易解説:非常に高いHPをもつアルケミスト系の役職。捕食により様々な能力を得る食事系役職の一つ。食人鬼は特に人を捕食することを好み、人を捕食にすることによって相手のスキルを得る〈捕食獲得〉というスキルをもつ。教会の定める犯罪役職。




