第36話 罪人を示す刺青
「ダンジョンでは魔物だけでなく犯罪者にも気を付けてください。特に泊りがけのクエストでは就寝時は必ず二人以上夜番を立てましょう。一人で十分と考える方も多いですが、犯罪者からすれば一人を無音で制圧するだけで済むパーティと、どちらにも気が付かれず二人倒す必要があるパーティでは狙いやすさに雲泥の差があります。冒険者ギルドとしては必ず二人以上夜番を立ててることを推奨いたします。朝起きたら四肢をもがれて、犯罪者の奴隷となっていたといった事態にならないように必ず守ってください」
フリカリルトの講義内容に前列に座っている新人冒険者たちがざわつく。無駄に脅すような言い方だが、フリカリルトの気持ちもわかる。冒険者になりたてのE級は犯罪者にとってはいい経験値だ。常に警戒してほしいのだろう。
若干浮ついた様子の新人たちと違って、後列の方にいるベテラン冒険者の方々は犯罪者の危険性をよく知っているようで、講義中ずっと彼らからの突き刺さるような視線を背中に感じていた。
昨日の件で警戒されたようだった。
「犯罪者か」
犯罪を犯すものには2種類いる。
一つは犯罪役職。神託の結果、生まれつき悪と定められた人物。その存在が罪、彼らは役職を与えられたその瞬間から、これ以上の犯罪を犯さないように教会によって隔離され管理される。
もう一つは犯罪者。彼らは生まれついての犯罪役職でないものの、何かの拍子で罪を犯してしまった人たちだ。死にたくない、金や薬が欲しい、腹が減った、ムカつくやつを消したい、性欲を満たしたい。罪を犯す理由は様々だが、犯罪者たちがいきつく先は一つ。殺人である。
欲を満たすにはレベルを上げることが一番の近道。女神の与えた役職の力はレベルを上げるごとに際限なく強くなり、得られるスキルは多彩になっていく。頑健な体は死を遠ざけ、優秀なスキルは欲望を満たす手段をくれる。
強くなるのに一番簡単な方法は隣人を殺すことだ。人を見たら襲い掛かって来る魔物と違って、人は簡単に騙すことができる。毒を混ぜ、寝込みを襲い、罠にかける。後先考えず一人殺すだけなら魔物よりよっぽど簡単だ。犯した罪を隠すため、より多くの欲をみたすため、理由はそれぞれだが一度犯罪者の側に転がり落ちたものは、結局は殺人に行き着く。
犯罪者は強い。誰よりも近道してレベルを上げているから。
今回の懲罰クエストがどのようなものか分からないが、相手は随伴組織の【天気占い師】や【代理人】のような危険な連中なのだろう。
「まぁ俺も似たようなものか」
【祭司】を殺してレベルを上げた俺があんまり他人のこと言えたものではない。〈隠匿〉のおかげでなんとかなっているが、故郷のガンダルシア地方ではお尋ね者だし、【死霊術師】も犯罪役職なので、俺はまごうことなく犯罪役職で犯罪者だった。
「とりあえずクエストの屋敷とやらを見に行ってみるか」
フリカリルトの講習後、本格的な調査の前に下見しようと、屋敷があるという西教区の方へ向かって歩き始めた。
街の中央の巨大な浮遊石の上にある冒険者ギルドから見下ろすマルチウェイスターの街は本当に大きい。徒歩で端から端に歩くけば、半日はかかるだろう。郊外の耕地や農村も含めれば二、三日かけても横断できないほどだが、ここは【錬金術師】の街。
かつて1界の魔王を滅ぼし人の世界を勝ち取った【勇者】。その仲間の一人【錬金術師】マルチウェイスターによって建てられたこの街は、距離の概念をぶち壊す異形の街だった。
その特徴は街の中央、中央街の真上にある巨大な浮遊石。そして浮遊石の上の公共機関が立ち並ぶ地区、通称:浮遊街。税関、聖院、学校、役所、冒険者ギルド(街外民管理機関)などの、人々にとって重要な組織はすべて浮遊街にあった。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた短絡経路が、街のいたるところから中央の巨大な浮遊石につながっており、どういう理屈かは分からないが経路に入るだけで人や軽い運搬ゴーレム程度なら一瞬で浮遊街まで飛べる。当然、浮遊街からも街のいたるところに飛ぶこともできるので、短絡経路をつかえばマルチウェイスターの街を端から端まで半日どころか、一瞬でたどり着くことができた。
浮遊街の端、『西教区はこちら:大戯堂前』と書かれた経路に入り、飛ぶ。
目の前に大きな教会が姿を現した。
「あ…………」
無邪気に飛び跳ねている巨大な女神像とそれに祈る敬虔な女神教徒たち。一瞬、背中がざわつくような気配を感じて反射的に〈隠匿〉を思いっきり深める。周囲と同化するように気配を塗りつぶして自分の存在感を消す。
ちらりとこちらを向いた人々の視線は何事もなかったかのように俺を素通りしていった。
、
危ない。
うかつすぎた。
ここは西教区。つまり女神教の敬虔な信者たちの住処だ。あのふざけた女神様の言う通り生きることを至上の喜びとする彼らは普通以上にカルマというものを重視する。カルマ値を上げることに人生を捧げ、少し下がっただけで思い悩む。
そんな彼らの前に【死霊術師】という元から真っ黒かつ、人殺しで濁りきった俺のカルマなんてお出しすればどうなるかわかったものではない。熱心な布教活動を受ける程度ならまだしも、最悪、つかまって教会まで連れていかれるかもしれない。
神官によって女神に直接尋ねられれば、いくら〈隠匿〉でも隠し切れないだろう。役職がバレて処刑だ。
〈隠匿〉は優秀だが万能じゃない。隠匿竜が死霊を隠せなかったように自分が知らないものは隠せない。魔術系役職じゃない俺にはマナもカルマも見えない。彼らが目を凝らせば、〈隠匿〉を貫いてカルマが見られるかもしれない。
「まぁ目立ったことしなければ大丈夫だろ」
一息ついた俺の真後ろで、けたたましく警報がなった。
『清浄範囲外の異常なカルマ値を検出いたしました。教区内の経路を封鎖いたします』
『清浄範囲外の異常なカルマ値を検出いたしました。教区内の経路を封鎖いたします』
『清浄範囲外の異常なカルマ値を検出いたしました。教区内の経路を封鎖いたします』
『清浄範囲外の異常なカルマ値を検出いたしました。教区内の経路を封鎖いたします』
訳も分からず踵を返して、直通経路に戻ろうとすると、さらにけたたましい警告音がなって体が弾かれた。
「どういう!?」
短絡経路が急に色を失う。もう一度経路に触れると電撃で貫かれたような、しびれるような痛みが腕を襲った。
周囲を見渡せば、視界に映るほとんどの人が俺のことを見て目を見開いている。
〈隠匿〉を思いっきり深めて、気配を消そうとするが、時すでに遅く。注目の的になってしまった今の状態では自分の存在感を塗りつぶすことはできなかった。
「ちょっとアンタ!? どういうカルマしとるんだ!?」
後退りする人や逆にいきりたってこちらに近づいてくる人たち。周囲の人たちは遠巻きに、だが確実に俺を取り囲むように距離をつめていた。
「衛兵隊を呼んだから、そこでジッとしておいて」
一番近くにいた人からそう声をかけられた瞬間、俺は走りだした。
逃げなければ。
「待て!」と追いかけてくる声を背中に受けながら、俺は遠くに見える街の中心、浮遊街にむかって全力疾走する。大通りから裏路地へ飛びこみ、入り組んだ街路を右に左に。
幸い俺のレベルは25で【死霊術師】のステータスのSPDは並み。すぐ追いつかれるようなことはなかったが、引き離せてもいないのだろう。後ろに誰かが追って来ている気配を感じる。
ただいくら速度が変わらなくても、ここは慣れない地区の街並み。
徐々に、徐々に追いつかれているのを感じた。
次の角は右か! ダメだ行き止まり。
なら、左!?
左右を確認して道を選ぼうとした時、何かに腕をつかまれた。
「君! こっち!」
声がした方を振り向くと、そこには巨大な口をあけた深淵が広がってた。その深淵から伸びる一本の細い腕が優しく、本当に優しく俺をつかんでいる。
こんな街中に魔物!?
擬態する壁。【擬態獣】?!
腕を振り払い、槍を魔法袋から出す。深淵のど真ん中、細い腕の伸びているところに狙いを定める。
「大丈夫! 私よ! 泥濘!」
深淵から身を乗り出してくる薄着の若い女。
まさに女にむかって〈槍投げ〉をしようとしていた俺は、彼女の美しさに目を奪われた。
妖艶で、それでいてどこか清らかな風の美貌の女。ボロボロの服の隙間からチラチラとみえる真っ白な肌はまるで陶磁器のように艶やかで美しかった。
女の容姿に見惚れてしまった隙をつかれ、俺は彼女に抱きよせられ、深淵の中にひきづりこまれた。
蓋を閉じるように閉まる深淵にその女とふたり。
「静かに。声を出さないで」
ぬかるみのような生温かい深淵と、女の腕に優しく抱かれながら迫りくる足音をやり過ごす。しばらくがやがやと外が騒がしくなったあと、裏路地はまた静かになった。
深淵から吐き出されて女と一緒に地面に転がる。
外に出るや否や、その女は俺を壁に押し付けた。
いまにも、はだけて中が見えそうな薄着の妖艶な女。
女の葬儀花のように赤黒い瞳孔が怒ったように見開かれて、俺をキッと睨んだ。
「短絡経路に近づくなんて! 君、どこから抜け出した…………の?」
彼女は大声でそう怒鳴り、俺の顔をみて、困惑したように目を丸くした。
「え? 君? だれ?」
「誰って、【槍聖】だ」
自分の胸元の冒険者のタグを見せる。
【槍聖】ナイク レベル25 と書かれた冒険者プレートを確認したあと、彼女は俺の顔をみて、あんぐりと口を開けた。
「【槍聖】の冒険者…………アンヘル?」
「アンヘル? 違う。俺はナイクだ」
「え、ナイク? だれ?」
呆然とした表情すらひどく美しく妖しい彼女の、首から耳にかけて、罪人を意味する刺青が彫られていた。
あとがき設定資料集
【代理人】
※HP 5 MP 4 ATK 5 DEF 5 SPD 5 MG 6
〜代理人は誰かの代わりをして生きる。心も身体も、夢も、罪も、憎しみも受け継いで。自分すら見失ってしまいそうになりながらも完璧に模倣する彼らを、代理といっていいのだろうか〜
簡易解説:どの系統にも属さない非常に珍しい特殊な役職。独自のスキル〈代理〉により、一時的に他者の思考やスキル構成を完璧に模倣することができる。ただし〈代理〉を行うには〈代理〉を行う相手との合意と信頼関係が必要。




