隨24隧 蜷咲判繧を汚す方法
なんだこの竜は。
蝦蟇?
〈隠匿〉に覆われて存在の認識すらあやしい、その生き物は【雷弓】を食っていた。
それがモグモグと咀嚼する度に上半身から丸のみにされた体からつぶれた果実のように血が飛び散る。
食卓の上の、カップに混ざった鮮血が薄赤色に水を染めるも、それをもつ【榊】全く気が付くことなくその水を飲みほした。
あまりに異様な光景。
仲間がむさぼり食われている横で、談笑しながら赤蝶の主の肉に嚙り付く【炎刃】たち。
異様すぎる光景に思考が停止した、その時、竜の口からはみ出している【雷弓】の腕がまるで痙攣するように微かに動いた。
「まだ生きてるよ」
「動いて、しれいじゅつし」
「がんばれぇ!!」
「アイツは気づいてない! しれいじゅつしが気づいてることに気づいてない!」
死霊たちが叫ぶ。
まだ生きている?!
俺はどうしたらいいのかすら分からず一歩ずつゆっくりとアイツに近づいた。
地面を這いずるように動く人より少し大きい蝦蟇のような生き物。
それは竜というにはあまりに矮小で平坦だった。
だが赤蝶の主なんて比較にならないほどの圧倒な重さがそこにあった。
まるで空間をゆがめるような存在感。
それなのに、
まるで息がかかりそうなほど近くにいるのに、
誰もその生き物に気がついていなかった。
どうすればいい?
どうすればいい?
どうすればいい?
鈍色の鱗の生き物はくちゃくちゃと咀嚼しながら、まるで面白いものを眺めるように赤蝶の主の死骸と【炎刃】を見比べている。
すぐそこまで来ているのに、何もできない。
下手に騒いでも。こんな〈隠匿〉では誰にも見えない。
余計な混乱を生むだけ。
〈隠匿〉を持ち、死霊が見える俺ですら今まで気が付かなかったのだ。適当なことをやっても絶対に皆に認知させることはできない。それほど完璧な〈隠匿〉。まるで名画のように美しい〈隠匿〉
時間がない
時間がない
時間がない
死んでしまうぞ。
「どうした? ナイク? お前も食いたいのか?」
目の前の生き物を無視して【炎刃】が俺に向かって持ち上げた竜の肉にはべったりと血糊がついていた。
【雷弓】の血糊が。
血糊。
今日の俺のラッキーアイテムは血糊
血糊
もう何も考えていなかった。
目の前の生き物に対する恐怖でいっぱいになりながら。
一歩ずつ前に進む。
その生き物の目の前で、
俺は自分の手首を掻き切った。
そして、血をぶっかけた。
俺の下手くそな〈隠匿〉がたっぷりしみ込んだ血糊を。
精巧な名画をゴミのような絵具で真っ赤に塗り潰した。
「もう一匹! 隠匿竜!」
叫んだ瞬間、心臓がつぶれた。
痛みすら感じない衝撃で肋骨が吹き飛び、胸が割れる。
ガラスのように砕け散った背骨がなぜか目の前に見える。
そいつは俺を見ていた。
【雷弓】を吐き出し、代わりに伸びた舌が俺を貫いていた。
「動け全員!! こいつが核だ!! 〈ヒール〉!!」
アンヘルが叫ぶ声が聞こえる。
つぶれた胸では息をすることもできない。
初めての感覚に衝撃を受けながら、あれ?死ぬ?という疑問が頭に浮かぶ。
次の瞬間、俺の足はなくなった。
体が宙に浮いて、足の感覚がなくなる。
だが同時に俺は瞬く間に〈ヒール〉され、そしてそれよりもっと速い速度で全身が砕きつぶされいく。衝撃で空中で木屑のように回転しながら、臓物が飛び出すような感覚と共に、それすら〈ヒール〉され戻っていくのを感じた。
落下した俺は地面ではなく、ガシリと誰かに抱き止められた。
俺を受け止めたアンヘルは背負うように俺を放り投げ、そのままおぶられるような形でアンヘルの背中に収まった。
自分が異様に小さい。
足がなかった。正確にはグチャグチャにすり潰されて薄皮一枚になっている。
「かけ続けろ【榊】」
誰かの声と共に、グスグスに崩れた足がグチャグチャと音を立てて元に戻っていく。異様な光景だが、それどころじゃないせいか不思議なことに大した痛みは感じなかった。
「なんて戦いだよ」
アンヘルが俺をおぶりながら、戦場を駆け抜ける。
レベル13の俺には今、何が起きているかなんて全く見えない。
高速で行われているだろう戦いの結果だけが地面に落ちていた。
炎が燻り、ナイフが煌めき、
そしてポンっと目の前に転がってきたのは【炎刃】の右腕。
その腕を【榊】が拾い。〈ヒール〉をかけて【炎刃】めがけて投げつけた。
【炎刃】は左手で右腕を受け取り糊のようにくっつける。ジュワと音を立てて元通りになった腕で【炎刃】はまた炎の刃を飛ばした。
俺にはこの戦いに立ち入る能力はなかった。
だがもう一つやらないといけないことがある。
俺の〈隠匿〉のおかげで今はギリギリ戦えているが、隠匿竜の姿は、まだ全然見えにくい。
このままではいずれまた見えなくなるだろう。
「アンヘル、【僧侶】の所に連れて行ってくれ」
「ババアか? 分かった」
ずっと、ずっと何かがおかしいと思っていた。
皆に、なぜ俺の言葉が届かなかったのか。人数を伝えても間違って解釈されたのか。
無能な味方だから俺の言うことを理解できないとかそんな馬鹿な話じゃない。
今ならわかる。
それが〈隠匿〉
フリカリルトの言うところの概念情報の隠匿というやつだろう。
俺はアイツ、隠匿竜の〈隠匿〉にかかっていたんだ。存在を希薄にされ意識できない存在にされていた。
「よけて! 右!」
死霊の声に従い、アンヘルの背中の上から重心をずらして右に倒れこむと、さっきまでいたところにぽっかりと大きな穴があいた。
「こっちこっち」
「やれ」「やっちゃえ!」
「はぎとるんだよ!」「〈スキルブレイク〉」
「伝えて!しれいじゅつし!」
再生した足で走る。
〈隠匿〉にかけられていた皆だけではない。俺も同じだった。
ずっとずっと〈隠匿〉にかかっていたんだ。
同じパーティにいたのに、一度たりとも会話しなかった人がいた。いや、多分したのだろうが、したことを意識させてもらえなかった。
おそらく彼女は隠匿竜に気配を消されていたのだ。俺と同じように。
危険だから。
【■■】は、四肢をもがれて息も絶え絶えの【雷弓】に〈ヒール〉をかけていた。
「【僧侶】!」
上品なロマンスグレーのおばさまに俺は叫んだ。初めてまともに認識できた。年齢的にきっと彼女は【暗殺者】とずっとパーティを組んできた優秀な【僧侶】なのだろう。
さっき赤蝶の主の〈幻覚〉を破ったのは多分彼女。
「〈スキルブレイク〉〈隠匿〉」
彼女に向かって叫ぶと彼女は驚いたように目を丸くして俺を見た。
一拍置いて、
【僧侶】の杖が光り輝き、波状の光波があたり一面を覆った。
俺の、そして隠匿竜の、俺に二重にかかっている〈隠匿〉がどちらも跡形もなく消し飛んでいくのを感じた。
「やったー!」「すごい!」「はいだ」
「さすが! 女神様の見込んだ【死霊術師】!」
俺の横で一塊になった大きな死霊が嬉しそうに飛び跳ねた。
まるでダンジョン中にいきわたるように広がる光。
ダンジョン中に漂っていた靄のような認識阻害が全て剥げていく。
〈隠匿〉が剥ぎ取られ、露わになった隠匿竜の姿は、竜種というにはあまりにも矮小で、醜悪だった。
翼もなく、鱗も背中だけ。おそらく元は蛙のような魔物であったのであろう。パックリと裂けた口だけは人を丸呑みにできそうなほど大きく、ブクブクに膨れた腹は昨日食べたであろう冒険者の亡骸でデコボコと歪んでいた
「ナイスだ! ババァ! いかにもこのクソダンジョンらしい。気持ち悪い核だぜ」
アンヘルが悪態をつくと同時に、胸元のゴーレムから懐かしい声が響く。
『第三班、通信復帰! 交戦を確認。識別名:隠匿竜! レベル135相当!!』
怒鳴りつけるようなフリカリルトの声は第三班全員に届いた。
あとがき設定資料集
【僧侶】
※HP 5 MP 5 ATK 5 DEF 4 SPD 3 MG 8
〜女神は自ら助ける者を助ける。あがけよ、人の子。そっちの方が人生絶対面白いよ〜
簡易解説:魔術系統の役職。魔術系統としては比較的人口の多い役職だが、〈ヒール〉などの聖魔術を得意とする非常に優秀な役職。また高レベルの僧侶は女神の声を聴くことができるという。




