表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

107/108

第107話 ふわふわホールケーキに焼き魚を



 


「幸運なことにこの街はマルチウェイスターそっくりそのままに作られているようです。食料が大量に有ります。探索するうえでは非常にありがたい」


 休憩がてら立ち入った民家の中で【歴史学者】がガサゴソと台所を漁る。何段にも積まれた備蓄箱が崩れて、中から流動米(ギーツ)の入った缶がゴロゴロと転がった。


「おお、不味いけど栄養ばっちり流動米」

「喰うのか?」

「もちろん。お腹すきました」

「お前らまさか何も食べてないのか?」

「はい。ナイク様と違って僕らは仲間の死体を食べるなんて判断できなかったので……」


 【歴史学者】【言語聴覚士】と合流した俺とメメちゃんはひとまず現状の把握と今後の方針を決めることにした。


「実際問題といたしまして、私たちがダンジョンに入ってどれくらいの時間が経過しているのでしょうか。私の〈腹時計〉によるとおよそ2日といったところですが」

「そんなに経ってないと思います。本来なら僕たちが突入してから半日で2次隊、一日で3次隊が続く予定でしたし、まだ誰もきていないなら外は今はまだ半日も経っていないということになりませんか?」



 【歴史学者】【言語聴覚士】のふたりがそんな会話をしながら非常缶をあけると、何とも言えない甘い香りが一瞬だけ漂い、加食フィルム(オブラート)に包んだドロドロの流動米(ギーツ)がべちょりと跳ねた。


「メメちゃんはたべないのだ」

「要らねぇよ。かなりマナを入れたからメメちゃんじゃなくても1年は動く。それにしてもよくないな。ダンジョン内が時間が進むのがはやいってのなら、被災者たちは半日じゃないもっと長い間このダンジョンにいるってことになる」

「意外となんとかなるとおみょいますよ。食料もありますし」


 【歴史学者】が流動米(ギーツ)を口に運ぶ瞬間、何かがきらりと光った気がした。



「待て。食べるな」



 【歴史学者】が俺の言葉を無視して、流動米(ギーツ)を咀嚼し、呑み込む。〈聴覚強化〉のおかげではっきりと聞こえた咀嚼音。その中に微かに砂利のような、硬い擦れ音が聞こえた。


「変な音がするぞ」

「ナイク様。大丈夫です。ちゃんと〈解析〉し、安全なのは確認しています」


 【言語聴覚士】が【歴史学者】に倣って流動米(ギーツ)を口に運ぼうとする。俺は急いでそれをかすめ取った。


 奪った流動米(ギーツ)を〈絶死の雷〉で内側から焼き尽くす。炎雷に触れる寸前、流動米(ギーツ)はうねうねと姿を変え、加食フィルム(オブラート)からべちょりと蟲が飛び出した。


「ひぃぃぃ! 【雅樂】!?」


 【歴史学者】がピンっと跳ねて後退りする。俺はその寄生虫のような魔物を踏み潰した。


「お前ら、まだ寝ぼけてるみたいだな」

「なぜ〈解析〉したのに?! そんな、まさか」


 ぐりぐりと足の裏に力を込めて完全に殺す。金属がこすれる様な声とともに【雅樂】が潰れて死んだ。


「これも燃やすぞ」


 炎雷でまだ開けていない流動米(ギーツ)缶を燃やすと中でべちべちと何かが暴れる音がして生臭いような鉄の焼けた臭いがあたりに充満した。



「罠だな全部。小規模だがあの霧と同じ。街も幻覚だらけだ」



 よく見れば先ほど汲んだ水には無数の卵鞘が浮かんでいる。そしてカップの内側には気が付かないはずがないほどびっしりと孵ったばかりの蟲が蠢いていた。



「水も飯も食えたものじゃない。長居はできないぞ」


 〈聴覚強化〉で周囲の音を聞く。耳を澄ませば【歴史学者】【言語聴覚士】、そしてメメちゃんしかいないはずのこの部屋のいたるところから、ジリジリと何かが這いずりうねっている音がした。



「囲まれている。というより街全体が蟲だらけだ。出口と入り口。色々思うことはあるだろうが、先決すべきはこの二つだ……ぞ?」



 かなり深刻な事態のはずなのに妙に反応が薄い。

 不思議に思って【歴史学者】【言語聴覚士】のふたりの方を見ると彼らは顔を真っ白にして足元の【雅樂】の死骸を黙って見つめていた。



「私、さっき、これをた、食べてしまいました」

「トマさん……」

「【死霊術師】様、ど、どうしましょう」

「今さっき食ったばかりだろ。吐き出せば間にあう」

「ちがうんです。私、【死霊術師】様と会う前にすでにたべていたんです」



 縋るように【歴史学者】が俺の手を取ろうとするのを振り払い、逆に彼の首を掴んでそのまま持ち上げた。いわれてみれば彼の腹の中からいくつもの命の音がする。その小さな小さな寄生虫たちにギチギチ、ペチャクチャと彼の身体は少しずつ失われていっていた。


「【死霊術師】様……たすけてください」


 すでに恐怖で泣きそうになっている彼の顔を見つめる。


 【歴史学者】トマハル・モバハル。40歳。レベル34。

 幼くも老けてもいない年齢通りの顔に中肉中背、戦闘職ではないから鍛えてもいない。

 本職は学園講師。専攻は歴史、特に【勇者】以前の古代史が主な研究対象。出発前に読んだ身辺調査書類によれば、彼はローレンシア系列貴族モバハル家先代当主の第5子のようだ。いわゆる当主になれなかった諸子というやつだ。こういう下位貴族跡取り問題の敗者は経験値にされることが多いが、彼は権力争いから逃げ、現当主である叔父に頼み込んでなんとか生き延びさせてもらっているようだった。


 家族、恋人はなし。

 犯罪歴もなく、仕事も勤勉。講師としては人気はないが、何度もマルチウェイスター学会に論文を投稿している優秀な研究者で十分な貯蓄もある。

 友人も多くはないがいないこともない。

 数年一度故郷に帰った際に、酒を飲む程度だが親友といえる相手もいる。

 

 だからこそ不可解なことがある。


「なぜ、お前のような奴が討伐隊に参加したんだ? 今までの生きざまと矛盾してる。俺やそこの【言語聴覚士】のように家族が被災者なわけでもないだろ」


 彼を持ち上げたまま、フリカリルトの真似をして、彼の瞳をジッと見つめる。

 俺に〈鑑定〉も〈読心〉のスキルもないが瞳孔の揺れで彼が動揺していることはよくわかった。

 


「トマさん。どのような理由があるか僕にはわかりませんが、ナイク様には正直に話した方がいいと思います」

「トマちゃんはねー、実はもて……」


 しゃべろうとしたメメちゃんを遮って【歴史学者】に発言を促すと、彼は少し嫌そうに顔を下に向けた。


「【歴史学者】トマハル・モバハル。人を信用するために必要なのは目的だ。いくら腕輪をつけてもそれが分からなければ真には仲間にはなれない。お前はなぜここにいる? 俺の目的はダンジョンに囚われている妹【魔物使い】の救出。そして救出した後は【死霊術師】を捨て普通になることが俺の人生の目的だ。お前の目的はなんだ?」

「私にはそんな大層な目的はありませんよ」


 【歴史学者】は変わらず下を向いたままこちらを見ようともしない。

 これは劣等感だ。

 まるで自分は世間一般の誰よりもしょうもない奴だとでもいうような強い劣等感を感じているように見えた。


「大層な理由なんて俺もないさ。少しいいにくい話だが、【魔物使い】は俺の妹だが血のつながりはない。俺が買った元墨子だ。それを妹と呼んで飼っている」


 こんな言い方しているのを泥濘に聞かれたら、多分一日中切れ散らかして、それから3日間くらい泣かれるだろう。しかも一度機嫌を治しても、ことあるごとに思い出してグチグチ言ってくるに違いない。まぁこの場にはいないから関係ないのだが。


 

「犯罪役職……それを助けにいくんですか?」

「ああ。手放すのが惜しいくらいいい女でな。どうだ。俺も大したことないだろ」


 俺の告白を聞いて【歴史学者】は自嘲気味に笑い、それから羨ましそうに俺と【言語聴覚士】を見上げた。


「それでも私よりは恰好がいい理由です」

「俺よりも大したことないのか?」

「私は……つまらない男だと……よくいわれるんです。生徒にも、親族にも、結婚相談所でも。私は『外見は下の上で中身はからっぽ』だそうです」


 彼は本当に悔しそうに口を歪ませた。


「だから、魔王討伐隊に入れば、皆私のことを見直すと! つまらない男なんてもう言われたくない!!」


 そう言い切って、彼は黙った。

 気まずい沈黙が『まるで理由はそれだけ』とでもいうように漂い続ける。俺は【言語聴覚士】は一瞬目を見合わせ、それからメメちゃんを見ると彼女はうんうんと頷いていた。


「それだけ?」

「それだけ……です」


 思わず漏れそうになる笑みが押さえきれなかった。

 見つけた。こいつだ。


「しょうもないなぁ。本当にしょうもない。だがそれに命をかけられる。見ず知らずの他人のため命をかけられる。お前最高だ。それでこそ人間だ」


 こいつこそ、俺の目指すべき姿。

 弱くてモテなくて、誰よりもしょうもない、人を愛せる男。


「それを言われたら助けざるをえないな。だが残念ながら助けてくれといわれても俺には寄生した魔物を除去するスキルなんてない」



 本来なら大聖院の専門家に任せるべき案件だ。ただ魔界発生からわずか半日足らずで東区の避難民の中身がほぼ食い尽くされていたのだ。おそらく【歴史学者】に残された時間はもうほとんどないだろう。


 何もしなければ彼はこのまま徐々に体の中身を蝕まれ、最期は脳を失いただの虚洞になる。それは酷く残酷で、避けようのない現実だった。徐々に自分が削られて、取り返しがつかなくなっていくことの恐怖は俺も【雅樂】で死んだ死霊を通して知っている。



 助ける手はないことはない。



「覚悟はあるんだよな」


 左右逆になった手を見せつけながら彼の瞳を覗き込む。


「私はこんなところで死にたくない。どんな痛みも受け入れます!!」



 しょうがない。



「メメちゃん、こっちこい」

「メメちゃんにも無理……」

「違う、違う。返してもらうぞ」

「もぎゅっー!!」


 【歴史学者】とメメちゃんが入った〈哲学ゾンビ〉の首を切り落として、頭を入れ替える。【歴史学者】の頭に〈摘出〉をかけて死を止め、引きずり出した脊髄の断面の、棘突起の裏の神経索を抉り出し、数億数千万の髄鞘をつなげていく。


「もぎゅ!? それめめちゃんぼでぃー!!」


 生首になったメメちゃんがぷんぷん怒りながら噛みついてくるのを無視して、指先の細胞を俺の一人一人に変え、生きようとのたうつ〈哲学ゾンビ〉の神経細胞を利用しながら【歴史学者】の首と〈哲学ゾンビ〉の身体を素早く接合していった。


 指先の数万人と共に単調な接合を繰り返す。


 引き出して剥いてはくっつけ、仕舞いなおす。

 引き出して剥いてはくっつけ、仕舞いなおす。

 引き出して剥いてはくっつけ、仕舞いなおす。

 引き出して剥いてはくっつけ、仕舞いなおす。



 気の遠くなるほど長い一瞬の果てに接合を終えた俺は、残った【歴史学者】の体に手を突き立て〈刺突波〉で木端微塵に破壊した。【雅樂】が飛び出すよりも早く切り刻み、炎雷で焼き尽くす。


 

「できた。酷い見た目だが、死ぬよりマシだろ。それにしても酷い見た目だな。【歴史学者】の顔にその肢体、」



 ちょび髭のオッサンの顔の下には若々しいグラマラスな女の美しいからだ。我ながら酷い作品だ。【言語聴覚士】に目配せすると彼はあんぐりと口を開けたまま、コクコクと頷いた。


「ホイップクリームのふわふわホールケーキに焼き魚を乗っけてみたいだな」

「メメちゃんは反対なのだ……可愛くないのだ……トマちゃんもメメちゃんにゅーぼでぃも可愛かったのに……もぎゅぅぅ……」


 〈摘出〉を解いて【歴史学者】の意識を戻す。グラマラスな女性の身体の上で中年男の顔が目を開いた。


「はっ?! 私は何を?! 助かったのですか?」

「トマさん。その……体が新しくなったみたいです」


 【歴史学者】は自分の身体に触れた後、【言語聴覚士】とお互いに見つめ合い、そして口をパクパクさせた。



「私、どうなったのですか? え? え? 腕細?! 胸が、胸啞大きい!! 私のおっぱい?!」

「すごいです……何も本当に何もが理解できない。これが【死霊術師】様。本物の神様みたいだ……」

「メメちゃんナイちゃんと一緒にされたくないのだ。これは可愛くないのだ」


 首だけになっても動いているメメちゃんの口を塞ぐ。

 気持ちはわかるが、彼はこれからその身体で生きていくのだ。


「【歴史学者】、体は問題なく動くか?」



 【歴史学者】はぺたぺたと自らの身体を確認し、そしてなんともいえなさそうに首を傾げた。


「はい。多分? 大丈夫です。ありがとうございます。微妙に勝手が違うのでなんともいえませんが。えーと、ひとつだけ質問してよろしいでしょうか。私はどうやってお手洗い行けばいいのでしょうか」

「さぁ? 知らね。でも尿道括約筋が短いから漏らしやすいぞ」



 そう言い返した瞬間、頭をぶん殴れれたたような強烈な眠気気が襲ってきた。

 何かからの攻撃ではなく、おそらく単純につかれただけだろう。



「少し疲れたから休む。お前らは出入り口を探してくれ。くれぐれもなにも喰うなよ。もう助けられない。腹が減ったら……メメちゃんの顔でも……たべ……」



 はしゃぎすぎた。長い幻覚から目を覚ましたばかりなのにもう体が動かない。今日はまだ〈哲学ゾンビ〉を作って、それを【歴史学者】につないだけなのだが、もう限界だった。何億鞘の接続を一瞬で行えるほどの驚異的な集中力をもつ体に、まだ俺が全然追いつけていないようだ。


 

 あわあわと慌てている【歴史学者】と【言語聴覚士】の頼りなげな姿に多少の不安を覚えながらも、俺の意識は、池に投げこまれた石が沈むようにあらがうこともできずに沈んだ。


 池底の泥水に包まれながらゆっくりゆっくりと落ちていく。



「いい加減さっさと起きたら?」



 気が付けば目の前には赤い瞳の美しい妹がいた。泥濘はなにがあったのか酷く不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。周囲を見回せばそこはガンダルシアの我が家で、いつのまにか俺はまたあの幻覚に迷い込んでしまったようだった。

 

「またこの夢か。同じ手に二回も三回も引っかからないぞ」

「うざ。というか信じられないんだけど、私があれだけ呼びかけたのに無視して、なんであんな性悪人形のいうことをきくの?」



 泥濘はまるでこの前の続きとでもいうように大きくため息をついて腰に手を当てる。まさに彼女らしいよく見た仕草ではあるが、これは俺の記憶から作られた精巧な幻覚だ。長くとどまる理由もない。


 自らの首を掴み、骨をへし折ろうとすると泥濘は慌てたように俺の手を掴んだ。

 


「ちょっと!? 返事くらいして。進む方向全然違うし、そっちじゃない。こっち。私はこっち。もっと深く」


 掴まれた腕から泥濘を逆に絡めとって抑え込む。じたばたと暴れる彼女の手足には見たことのない痣がいくつもあった。


「どういう術だ? 俺の妄想が俺の記憶と違う姿で予想外の動きをする。夢の中にまで敵に干渉されているのか」

「ほんっと察しが壊滅的!! ナイク、もしかしてまだ全部妄想だと思ってる?」


 

 泥濘の〈バレット〉が俺の手を吹き飛ばす。抑えていた腕が真っ二つにへし折れて中から㞔槍が露出した。夢の中とはいえレベル159の俺の腕が捥げそうになるほどの殺意のこもった攻撃。まがいなりにも家族にそれを撃つなんて、普通じゃない。


「待て、お前は本物なのか」

「何見て判断した?」


 息を荒げながら泥濘がこちらを睨みつける。鮮血のように赤い魔物のような瞳が一瞬発光し、そして爆発するように目から大量の血が流れた。


「おい、大丈夫」

「やっぱりこうなるか……ナイク様。私は狭間の街の、さらに奥、毒の王の血蹄に眠る寵児の夢の果てで待ってるから」


 泥濘が血まみれの顔で少しさびそうに微笑みながら俺に触れる。


「ナイク、あんな下品な人形に騙されないで。アレは私たちの味方じゃない。アレは女神の……」



 そう言いながら泥濘の身体がどんどんと下に沈んでいく。

 いや、むしろ俺が引き上げられている?!

 


「全部壊して。ナイク。君は神をも殺す私の【死霊術師】様」



 離れていく泥濘は一瞬縋るようにこちらに手を伸ばし、そしてあきらめたように手を下ろした。



「全部殺して、私だけの【死霊術師】様」



 そして俺ははじき出されるように夢から引き揚げられた。



「ナイク様、起きてください。出入り口見つけました」


 【言語聴覚士】に揺らされて起こされた俺は彼に指をさされたまま上を見上げた。彼の横には首だけのメメちゃんを頭に乗せた【歴史学者】の姿もある。


「あそこです」


 全員視線の先には竜の群がる浮遊街。マルチウェイスターの街にあったものとそっくりだが、この街にはあちらにあった短絡経路のようなものは存在せず、中に入るには飛んでいくか、あるいは見るからに頼りない梯子をよじ登るしかなさそうだった。


「さらに付け加えると、あの浮遊街モドキは次階層の入り口であり、このダンジョンからの出口でもある、そう考えております」

「入口で出口? どうやってわかった?」


 先ほどの夢の中身も気になるが、今はまず現実に集中しなければいけない。俺の問いかけに【歴史学者】は自信ありげに頷き、少し長くなると前置きして説明を始めた。


「【死霊術師】様がお眠りになっている間、少し周囲を観察していました。非常に不可解なことに竜はこの街モドキの至る所からいつのまにか湧いている。そして例外なく浮遊街モドキに向かっていきます。流れが一方向しかないというのがあまりにも不可解すぎます。そうでしょ。ここが本来の意味での街なら行ったり来たりするはずなのです。ダンジョンの外が今どうなっているかは分かりませんが誰も出入りしないなんてありえない。このことから推測できるのは、つまりこの空間はおそらくどこかと外とのバイパス、いわばダンジョンの短絡経路ということです。さらに不可解なのが私たちの処遇です。幻覚に落としてそのまま魔物に処理させる。魔物の視点からすれば非常に合理的な方法ですが、一次隊の中には亡くなったのではなく消失した方が多数いらっしゃいます。私たちの周りにいたメンバーもそうでしたが【死霊術師】様と一緒にいた【詐欺師】も同じとなれば、それは幻覚につかまった位置や、偶然の問題ではなく明確な意図があると考えて間違いないでしょう。そうなってくると夢がただの幻であるという前提が大きく崩れます。夢に物理干渉能力があるということです。さて、この前提のもと、このダンジョンがどういうものなのか考えてみました。女神教設立以降、人が魔界に侵入した回数は千回以上ありますが、共通することがひとつあります。それは魔界の性質。生還者は例外なく魔界のことを常識の通用しない異界であったといいます。ここの魔王、虚洞の貴公子はまだ孵化したばかりですが、魔界は魔界。物理法則が歪んでいる。夢は夢ではなく、現実でもある。このダンジョンの特徴なのではないでしょうか。ではどういう歪みがあるのでしょうかという問題となります。ダンジョン内で人や魔物が消えるというケースはそれだけなら何百何千とありえますが、それに加えて幻覚霧、時間錯誤、出入り口も不明となると、今回と似たようなケースは私の知る限り2件だけです。一つ目は千年前の【勇者】様の旅にて【勇者】様とローレンシアガンダルシア姉弟が閉じ込められた()()第28階層、通称『蜃気牢』。疑戯典の記述を抜粋いたしますと、『すべては【蜃】の生み出した幻だった。魔王を倒したという夢も、平和も、そして平和の中で生まれた子たちもすべて刹那の夢の幻だった』。当時の【勇者】関連の書物は脚色が多く資料的な確度が低いので、どのように抜け出したのかなどの正確なことは私にも言えません。【冒険者】様が殴って起こしたとも、【錬金術師】様が気つけ薬を飲ましたとも言われていますが、ただ確かといわれているのは【勇者】様たちは自分では夢から醒めることはできなかったということです。そして、もう一つは、征暦799年~814年に六禁【先導者】の引き起こした『大遠征』、その西方軍で起きた悲劇です。女神教人類生存領域のすぐ西に位置する魔王ダンジョン:水鏡の大迷宮を攻略しようとしたこの西方軍は大迷宮に入るや否や、何らかの攻撃を受け突如として敵味方の区別がつかなくなり同士討ちを始めました。戦線は即座に崩壊。最終的にのべ79万人の死者を出した『大遠征』ですがそのうち約1割が大迷宮で亡くなったといわれております。生存者から集められた情報を張り合わせたところ、大迷宮の幻術は現実とほぼ差異のない幻術、いわば幻術が明確な幻術ではなく、実は現実に即した見間違い程度に抑えられていたことが原因とされています。これは200年前の事件ですが現在にいたるまでその魔物が何なのかすら分かっていないというのが現実です」

「わかった」


 【歴史学者】が息継ぎをしたタイミングで彼の言葉を遮る。フリカリルトもそうだが学者という奴らは加減がない。このまま止めなければ無限に話し続ける気がする。



「やっぱり結果だけでいい」

「浮遊街モドキにいきましょう。そこに出入口があります」

「オーバー。じゃいくか」


 自らの喉に指を突き立て、体を無理やり縦に開く。正中線で肋骨を割り、全身から幾重にも生えた㞔く腕で横隔膜の翅を広げ、顔面を裂いてまるで竜のような顔を創った。肉が足りない分は無理やり皮と骨でつなぎとめて、無理やり姿だけでも竜をまねた。


 東区の時にように、人間からも竜と間違われる姿に我が身を変える。

 使うだけで人の姿を見失ってしまいそうになるほど人からかけ離れた腐れ竜に。


「乗ってけ。飛ぶぞ」


あとがき設定資料集


【歴史学者】

※HP 6 MP 8 ATK 3 DEF 5 SPD 4 MG 4

〜どれだけ愛を叫んでも届かぬ過去に想いを馳せる。君が何を思っていたのか。ただそれだけが知りたくて〜


簡易解説:アルケミスト系統の役職。〈過去視〉〈再現〉〈世界知検索〉や、〈真偽判定〉〈解読〉など過去を知るために必要なスキルを多く取得する役職。学術系役職のひとつ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
その辺雅楽だらけとはキモ怖い… そして何とも言えないおっさんが出来上がってしまった
肉体が変化しても正気?なのがすごいな…
貴族諸子ですらこの扱いとは改めてこの世界やべぇ...そして泥濘がやばいことになってそうで覚悟しておこう...
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ